2018年12月16日日曜日

過去から現在へ

 今週のセンゴク権兵衛の感想。

 城門の前に現れた景虎。彼を討ち取りさえすれば戦は終わる。
 しかし氏康は躊躇する。悪逆は一代に一度限り。すでに氏康も氏政もした後である。
 氏康は抜け駆けせぬように兵に命じる。しかしその心は、血気に逸った兵が抜け駆けする事を願っていた。

 だが、誰も手を出さなかった。
 それを見た景虎は、折り目正しい国。そう見た。
 武田の後詰も迫っている中、景虎は若宮八幡宮に参拝の後、撤兵する事を決める。
 北条もまた強し、そう認めたのだ。

 長尾が撤退し、戦地を検分する氏政。そこに幼子が現れる。幼子は感謝を言うが、氏政は寧ろ己の無力を感じる。そして北条を嫌いにならないでくれ、と言った。
 だが幼子は嫌いにならないと言い、そして北条は立派な国だと言う。
 氏政は涙を流しながら、そうだと言う。


 立派な国。そのような体裁にて国を守ってきた。
 そう氏政は氏直に言った。
 晩年の氏康は心身が消耗し、子の区別も付かなかった。正しきによって悪逆を破るには倍の労苦を必要とする。氏政もまた心身を消耗していた。
 氏政は虎の印判と代々の悪逆の起請文を氏直に渡そうとする。しかし、それと引き換えに豊臣との徹底抗戦を求めるのだ。


 もっと続くかと思ったら、これで過去編は終了みたいですね。また何処かで描かれるといいんですが。北条ってなかなか主役になれないからね。特に二代以降。
 氏政の正しさと悪逆を屠りたい心が、徹底抗戦に繋がっている感じですね。同時に不器用さもありますね。
 そんな氏政に対して氏直はどうするか、気になります。
 とは言え、歴史としては結果は出ています。そこまでのドラマ、早く見たいものです。

2018年12月9日日曜日

覚悟の籠城

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 永禄二年。この数年は干魃や飢饉が相次いでいた。その為氏康は氏政に家督を譲る。
 しかし、虎の印判は独断で使わぬよう言う。長尾景虎は三国同盟の後ろ盾にて籠城でやり過ごす。そう考えていたのだ。

 だが、翌永禄三年桶狭間の戦いにおいて今川義元死亡。干魃からの復興中、代替わりしたばかり、そんな中での後ろ盾の喪失である。
 そう長尾景虎にとっては天が味方したのだ。彼は言う、飢餓を如何にする解決策は合戦だと。
 遂に景虎は関東へ出陣する。

 関東の民達は禁制を貰うべく、氏政の元に集う。僅かな金を掻き集め氏政に嘆願する民達。その中には小さな子供もいる。氏政は感激するのであった。
 その事を聞いた氏康はすぐさま氏政の元に行く。そして、籠城以外認めないと言った。だが氏政は無言で氏康の手を払い除けた。

 氏康は例え民を見捨てても法の越度では無いと言う。しかし、氏政は納得できない。
 更に続けて氏康は言う。公正や応穏はあくまで統治の為で民を慈しむ為では無いと言う。家祖宗瑞はそうでなかったが、自分たちは家祖に遠く及ばない、だからこそ割り切らなければならない。そして言う、その宗瑞に匹敵するのが景虎だと。

 関東に出陣した景虎。上野国を皮切りに続々と関東の諸将を味方に着ける。そして沿道の村々を焼き捨ててく。

 氏政は涙を流してこの報を聞いた。そして虎の印判の神水を飲むのだった。
 一方氏康は村が焼かれた報を聞くたびに顔に傷を付けていった。村一つに付き傷一つである。
 彼ら親子は不退転の決意で籠城するのであった。

 そうして小田原城を包囲する景虎。北条が挑発に乗らぬと見ると、村焼きをやめさせる。そして今度は小田原城の門の前まで進み、悠然と酒を飲み始めるのだった。


 遂に氏政登場ですね。強面ですけど情に篤い人みたいですね。今回の話からすると、秀吉に降伏は出来ないのでしょうかね。すでに虎の印判も使っているし。
 氏康は現実路線って感じですね、簡単に情に流されない人ですね。だからと言って納得してる訳では無いので傷を付けているのでしょうね。
 そして、景虎。今の所、肩透かしを食らっている所ですね。折角、強いと聞いてきたのに。このままだと失望しそうですけど、まだ分からないかな。次回に期待ですね。
 
 と、若干謙信の過去編にもなって来ましたが、北条過去編この後も楽しみです。まだまだ長くなりそうですし。

2018年11月25日日曜日

一堂に会する

 今週のセンゴク権兵衛の感想。

 嘗て、父より聞いた宗瑞の事。景虎は三代目はどうなのか憲政に聞く。
 憲政は宗瑞の頃より変わっておらぬと言い、重ねて北条討伐を願う。成し遂げたらなら景虎の求める職を与えると言った。
 しかし、景虎は直ぐに、とは言わなかった。武田との戦もある。関東の地と人を見て、吟味し、天より合戦の術が降りてきた時に戦う、と。

 関東より上杉を追いやった北条。続いて古河公方にも圧力を懸けて晴氏と氏康妹の子である義氏を嫡流にする。北条は着実に関東管領としての地位を固めていった。

 そんな北条に三国同盟が持ちかけられる。
 今川武田北条で背を守り合う同盟を組み、それぞれ西、北、東へ版図を広げる。三者共に利益のある同盟だ。しかし、氏康は悩んだ。
 氏康の懸念は武田であった。武田が北へ版図を進め信州を制圧した後は上州へ兵を進めるのが上策。しかし、北条とかち合い、領土拡張の道が無くなる。即ち、武田の利が最も小さいのだ。
 そこで思う、それほどまでに武田は長尾家を警戒しているのかと。

 長い熟考の末、同盟締結を決断する。

 そして善徳寺にて、今川義元、武田信玄、北条氏康の三雄が会すのであった。

 義元は京菓子を用意した。笹に包まれた餅。しかし一個は何も入ってなかった。義元は言う。好きに選んだらいい。一つ不足なら一人食べ損なうというだけだ、と。
 二人は、当然試されていると考える。信玄は遠慮した。いろは順なら武田が最後だからと。しかし、義元は家格なら、と言う。
 一方、氏康はどう振る舞うべきか熟考していた。
 そんな折、義元は懐から餅を出し、自分の分はここにある、と言い食べてしまう。
 そして義元は言う、面白さで三国同盟を提案した、と。自分は織田と戦うのが、武田と北条は共に長尾と戦うのが面白いと。
 氏康は武田と北条で長尾に当たるのか、と義元に訪ねその心はと問う。しかし義元には理由は無く、そう思ったらかだと言う。

 風のように去っていった義元。そして残された氏康と信玄。信玄は氏康に危難の時に助け合う旨を提案する。氏康は信玄に聞く。長尾景虎はそこまで警戒すべきと。
 信玄は言う。大名は国を経営し、家中をまとめ、民を慰撫し、外交に腐心しなければならない。しかし景虎は軍事のみ、軍の才のみだけでこれらを成し遂げている、と。

 そして永禄に入り遂に景虎が関東への出兵に取り掛かる。


 懐かしい面々が揃いましたね。一種の過去の振り返りにもなっているのがいいですね。

 さて善徳寺の会盟は良かったですね。センゴクの義元らしい行動です。意味深に見える行動も面白いから、でしょうね。理由は。再び桶狭間戦記読もうかな。
 信玄は、若干怖さが抜けてる感じがします。まだ若いからかな?それでも景虎のことを語る時は怖くなりましたね。やはりこちらも三方原あたり読み返したいですね。

 ちなみに、景虎はずっと怖いですね。やはり異能なんでしょうね。

 さてこの後はどうなるのか。というより何処まで描くのか。対景虎戦は当然、桶狭間後の今川の混乱や対信玄戦とかも書くのかな。そうなるとまだ二、三回位は氏康回かな?
 次回も楽しみです。

2018年11月18日日曜日

二代目、三代目

 前回と今回のセンゴク権兵衛の感想。

 宗瑞が亡くなり、新たに氏綱が当主となった。氏綱は自分は父に及ばないと言う。
 しかし、氏綱は蝶の家紋を焼き、伊勢の名を捨てた。そして新たな紋は三つ鱗、新たな名は北条。嘗ての執権北条を名乗ることにより、関東支配の名分を得るのだった。
 家臣にとっては先代以上の破天荒さであった。

 一方、扇谷上杉家では上へ下への大騒ぎであった。迫りくる北条にどう対抗するか、家臣らの協議が行われた。
 扇谷は氏綱の花押を複製し、他の勢力に協力を要請する。そうして、対北条包囲網を作ることに成功したのだ。

 窮地に陥った北条家。氏綱は一つの決断をした。虎の印を紙に押し、水に溶かし飲む。そう、父より言われた一代に付き一度だけの非道である。
 氏綱は臨時徴税を行い、軍資金に当て、彼らと戦い抜く決意をする。
 当然、徴税は一回だけ、どれだけ厳しくなっても粘り強く戦うだけだった。

 そしてその粘りが、形勢を北条に傾け、領土も広がっていったのだ。

 扇谷、山内の両上杉家と北条家の関東管領を懸けた争いは北条家有利に展開する。
 しかし、その北条に待ったをかける者が北の越後で生まれていた。

 制札の前で文句を言う若僧がいた。当然間者と疑われて調べられるも、延々と持論を展開する。代を経るごとに顔が端麗になったと言った所で、人が入ってくる。なんと、現当主の氏康である。氏康は若僧と歳が同じであること、その言葉に一理あることから無礼を赦した。
 氏康は、自分の顔に傷の一つでもあればと言った。若僧は自信なさげな氏康を励まそうとする。巷間、臆病者と言われている、しかしそれは逆に長生きができると。臆病な馬は食われないように。
 しかし、氏康は説得力がないと言うのだった。
 氏康は若僧に粥を馳走した。若僧は氏康が汁を掛けるのを悩んでいたのを不思議に思い聞く。曰く、貴僧の腹具合を見極めるためだと。若僧は食べて言う、腹八分目、完璧に、と。若僧は氏康の器量の高さを実感するのだった。

 
 さて、氏康が当主になってから再び北条家は危機に陥っていた。先代を凌ぐ包囲網を敷かれていたのだった。
 これに対し、駿河河東から撤退することにより今川武田と和睦を結ぶ。これにより西の安全を確保する。そして、虎の印「禄寿応穏」の神水を飲む。彼の行う一代に付き一度の非道。それは偽りの降伏であった。そしてその隙に奇襲をかけるのだ。

 結果は大勝利。扇谷は滅亡、山内は本拠まで撤退する事となる。世に言う河越夜戦である。

 山内家の上杉憲政は北へ北へと亡命した。彼が頼りにするのは越後の長尾家である。
 しかし、長尾家は何度も上杉に反旗を翻した家である。だが、その奸雄長尾為景はすでに亡くなっている。憲政の関心は現当主がどうなのか、である。しかし、巷説は二つに分かれる。曰く、先代よりも立派である。曰く、先代よりも恐ろしいと。

 憲政の前に現当主が現れる。すると憲政は自然と、手を付き頭を垂れた。そして北条の打倒と、上杉の復興を願い出た。現当主の名は長尾景虎。のちの上杉謙信である。


 氏綱、氏康、共にいいキャラでしたね。氏康は桶狭間戦記以来ですかね。これで出てないのは氏政だけですね。彼がトリとは珍しいです。どのようなキャラになるか愉しみです。と、そういえば汁かけ飯が出てきたのは伏線なのか、たんなるネタなのか。氏政の時にも何かやるのかな?

 そして謙信登場。北条の過去やれば当然出てくるよね、お久しぶりです。
 そう考えると信玄も再登場するのかな?河東地域では義元は出なかったけど。このあたりは氏康の話を何処までやるか?ですかね。彼らが登場するならまだ後数話続きそうですね。
 北条過去編、まだまだ愉しみでなりません。

2018年10月28日日曜日

独立国への道

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 
 関東にて太田道灌が暗殺された。
 京にいる管領細川政元は屋根の上から関東を見る。異才の政元は関東の混迷を感じ取り、伊勢盛頼に新九郎を呼ぶように頼む。
 屋根の上に登る新九郎。政元は太田道灌の死、そして関東の混迷を語る。そしてそれを救うのは今川だと断言する。新九郎の姉が今川に嫁いでる事から、輔弼関東を救うよう命じる。新九郎は問う、ならば京を救うのは誰かと。政元は自分だと断言した。
 政元は土倉を被官とし、銭の知恵にて京を救おうと考えた。その上で、新九郎が土倉を好いてないのも承知していると。
 新九郎は今川の輔弼を拝命し、その後に京に戻ると返事した。

 盛頼に土地を買ってもらい、郎党と共に関東に下向する銭の算段をする。しかし、盛頼は新九郎がいなくなる事を不安視する。新九郎は言う、万民の財と命をまさに穏やかに保つ事が世の救済になると。即ち禄寿応穏、と。
 悪党たちと牛王宝印紙により盟を結び、関東へ下向する。そして今川家の下、瞬く間に出世する。

 甥でもある今川家当主氏親に問われる、その知恵は何処から湧くのか、と。新九郎曰く、遊びと。この世を遊び場と考え、庭を駆け回るが如く愉しむと。そして自分が愉しみからこそ、苦しんでる万民を救いたいと言う。

 そして明応二年。細川政元が新将軍を立て、前将軍を追放する明応の政変が勃発した。これが、戦国大名、北条早雲の誕生のキッカケになったのだ。

 新九郎は政変を期に出家し、宗瑞と名乗る。
 以前は悪党だった、家臣達にこれからの方針を話す。宗瑞は政元が銭の力での救済を試みたと考え、そしてそれは、応仁の乱の繰り返しにならないと言う。そして京の復興を諦め、関東の救済を目指す事にした。

 
 時は進んで、北条征伐前の北条家の評定。
 家臣達は家祖宗瑞の関東応穏を持ち出し、それを脅かす豊臣と戦うべきと言う。
 しかし氏直は言う。そのために下剋上と言う悪逆を行なった、と。なので豊臣のみを凶徒と言うのは公正ではないと。
 そして言う、敵への憎悪で政の目を曇らすな、と。宗瑞はよく似つかれし者を鎮魂したのだと。そして言う、徹底抗戦は駄目だ。交渉の為の戦と。

 
 時は戻って、宗瑞達のいる善得寺城。
 関東に独立国を作ろうとする宗瑞。無論、家臣達はなんと悪どい事と驚き慌てる。
 しかし、宗瑞は言う。政変により日ノ本は下剋上の群雄割拠になる。だからこそ自分たちが一番マトモな国を創るべきだと。
 無論、可能な限り公正な手を取る事にする。それは関東の諸将の複雑な関係が可能とするのだ。彼らの欲するものを見極め、敵にしたり味方にしたりして自分たち以外の諸将を潰えさすのだ。
 
 そうして、伊豆の堀越公方領に侵攻を開始する。無論、大義名分を持って。
 伊豆を掌握した後は、扇谷、山内、両上杉家の内乱に乗じ、勢力を伸ばしていく。
 豪放な決断力と繊麗な政略はまさに一足早く生まれ出た戦国大名であった。

 関東は宗瑞の遊び場となったのである。

 そして時は過ぎた。すでに宗瑞は隠居していた。そして息子で現当主の氏綱と話していた。氏綱は印に禄寿応穏と刻んだ物を見せる。自分一代で父の言葉が消えぬよう形に残したのだ。
 宗瑞は幸運に思う。自分は創業の才、そして息子には守成の才があった事に。
 しかし、時が立ち、世情が変われば悪に駆逐される時が来るかもしれない。だから宗瑞は言う。一代に一度だけ、正しさの為に非道を行うことを赦すと。そしてその時、この虎の印を使うよう言うのだった。


 新九郎の遊び場、の話は桶狭間戦記で出た話ですね。氏親は久しぶりの登場、ですね。まぁ、本編というなら初登場なのか。
 政元はまさに天狗、といった感じでかなり異才を放ってます。そして、彼が戦国を加速させるんですよね。この後、出番なさそうですけど。
 そんな風に拡大した北条家。その根底にあるのは銭を悪と見て、公正さを行うですかね。そしてこの印の存在。やはり、激突は必至ですね。
 
 そういえば、氏政がまだ出てきてないんですよね。どのように描かれるか、今後の展開共々愉しみです。

2018年10月14日日曜日

訴訟をめぐり

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 新九郎の元に盛頼が逃げてくる。曰く、寺より領地を返せと強訴を受けているのだ。当然、領地は正式に受け取ったものである。なんとか新九郎に助けて欲しいのだ。
 だが、新九郎はそれでどんな見返りがあるのか問う。盛頼は自分が奉公衆になったら京の復興する、と約束する。

 新九郎は盛頼に協力する事にする。まずは強訴を収め、相論に持ち込むにする。盛頼曰く、粗暴な見た目な新九郎なら口で言い負かす方にする、との事であった。
 新九郎を慕う悪党足軽を従え、強訴を収めようとする。そんな中、寺側の土倉が相論を提案する。新九郎はそれを飲む。そして、寺側が大型の神輿を自分たちの寺まで返すよう言うと、新九郎一人で運んでしまう。
 盛頼の考え通り、寺側は伊勢側を口で丸め込もうと考えたのだ。

 相論の準備の為に、備中へと旅立つ新九郎。お供には悪党達も付いてきた。
 今回の諍い。それは、伊勢氏が寄進した土地を、代替わりして困窮した為返して貰ったものであった。契約上はなんの落ち度も無い。しかし、新九郎は公平とは言えないのではと考えていた。

 さて、備中に着くと予想外の事が起きていた。ボヤ騒ぎに乗じて書類が全て盗難していたのだ。新九郎は目当てのものだけ盗めばいいのに、これでは政務が滞り民が困ると言った。
 悪党達に犯人の捕縛を頼み、一分の隙きもなく新九郎は相論に挑む。


 声高く、伊勢氏を批判する寺側。それに対し、時には認め、時には反論する。理路整然とした新九郎の弁論は伊勢氏有利に動いていた。そして、証文を盗んだ犯人を連れてくる。追い詰められた寺側の土倉は人の沙汰など当てにならぬ、神仏に判断して貰うべしと言い、参籠祈請で決着を付けると言う。土倉が寺に籠もっている三日間、鼻血が出るやネズミ被害などの仏罰があれば伊勢氏の勝ち、何もなければ寺の勝ち、である。
 盛頼はここまで来てなぜ、と断ろうとする。しかし新九郎はこれを受け入れる。

 新九郎は、土倉こそが黒幕であると看過した。そして、この世は銭に賢しき者が牛耳っていると考え、なんとかしなければ、と思うのであった。
 さて、仏罰など無いと考える悪党足軽たち。それは新九郎も同じであった。罰は人が下さなければと言う。そこで、土倉の籠もる寺にちょっかいをかけるよう悪党達に頼む。鼻血でも出せば、失敗するからだ。

 一方、土倉もそれを承知で影武者や僧兵を雇い、襲撃に備える。
 そうして、悪党と僧兵が争う中、影武者を立てた土倉は悠々自適に女と事におよんでいた。しかし、新九郎にはお見通しであった。さなかに乱入し、土倉の首を刎ねたのだ。

 
 知略武勇、更に政治にも長けてる新九郎、って感じですね。まさにチートって感じです。まぁだからこそ戦国大名の始祖と言われるのですけどね。
 京の復興を夢見て、そして銭の支配を嫌っている人物像はその後の対豊臣の北条の遠因でもあるのかな?
 この過去編、どこまでやるのか含めて今後も楽しみです。

2018年9月30日日曜日

終わりと始まり

 今回と前回のセンゴク権兵衛の感想。

 天満宮を参詣していた権兵衛の耳にも戦の噂が入った。権兵衛は、状況次第で戦が無くなるかもしれないと考え、冷静さを保とうとする。しかし、もし現実の者になれば直ぐに駆けつけようと考えた。

 確かに、権兵衛の考えた通り、北条は臣従の道を探っていた。そして北条の上洛が確実となった。
 その情報を手に入れた堺の商人、今井と津田は利休と小西行長の父、隆佐の元に駆けつける。
 もし、北条征伐が中止されれば、すでに仕入れた物品を丸抱えとなり大赤字になる。どうするべきか、隆佐と利休に相談する。
 しかし、隆佐はバテレン追放令以来秀吉とは距離を置いていた。そして利休は、秀吉は真心での統治を始めていると言う。それは、商人の理屈である取引とは異なるもので、取引は吹き飛んでしまうと。
 今井と津田は声を荒げる。もし調達を手控えて、戦時に不足が出れば懲罰される。だが、万全の体制を整えて中止になれば、日の本全土の兵を養えるほど物品を自分たちだけで売り捌けと言うのかと。
 隆佐の一喝で、落ち着きを取り戻す二人。そして言う、無事北条征伐が始まるよう祈るのだと。

 そんな中で北条が名胡桃城を奪取する。名胡桃城を含む沼田領は長らく北条と真田の係争地だった。それを秀吉が沼田領の分割で裁定したのだった。
 北条にも言い分があったが、それでも秀吉の裁定を覆したのは間違いなかった。
 この事に板部岡は激高する。そして現地で様々な流言が飛び交っていると聞き、他の大名家か、もしくは北条自身か、兎に角誰かが噂を流し混乱させてると考えた。

 噂を流したのは武家ではなかった。隆佐が手の者に流させたのだ。無事に北条征伐が始まる様に。

 その一報を聞いた秀吉は早速、北条征伐に乗り出す。自分が怒っている様にした書状を出すよう命令する。が、少し考え一応北条に弁解を求める書状を出すことにした。これは民衆に怒りのまま戦をしたと思われない為であった。

 そうして遂に始まる北条征伐。権兵衛にとって待望の戦であるが、参拝が目標に達していないので困惑しているのだった。

 北条領でも戦の支度が始まった。その為に掲げられた高札。その前に初代より北条家を見続けた老僧が居った。老僧を知っていた氏規は当主氏直と面会するよう勧め、老僧はそれに従った。
 城内の書庫。そこで政務をしていた氏直。車に乗り家臣に押されて老僧の前に現れた。
 老僧は豊臣との戦について問う。氏直は、余り戦をする気はなかった。しかし、父や叔父らは戦う気が強く、氏直には止める事は出来なかった。
 そして、評定の刻となり、家臣に支えられて退出していく。
 老僧は、氏直が早雲に匹敵する才覚の持ち主、そう見ていた。

 応仁の乱が終結してしばらくたった頃。後の北条早雲、伊勢新九郎盛時は幕臣として京に居た。借金をし、そしてまた一族の伊勢盛頼に金をせびる。盛頼は恥かしいと嘆く。しかし新九郎は灰燼に帰した京の町を見て、幕府の方が恥ずかしいのではと思った。
 新九郎が女に服を整えられていた。女は、新九郎が強く聡明である、と。そして、書物を読み勉強する様に進めるのだった。

 
 北条の過去編が始まりましたね。何話くらいになるのかな?ガッツリやるとそれだけで一つの作品になるからね。物凄く強そうな新九郎がいいですよね、今後が楽しみです。

 秀吉は、鶴松が生まれて落ち着いてきましたね。漸く周りを見れるようになりました。ただ、先の歴史を知っていると……辛いですね。
 権兵衛は相変わらず。なんか賢さが戻ってる気がしますが。一応、賢さは上がっているんですよね、多分。

 まぁ、ともかく北条過去編、楽しみですね。

2018年9月9日日曜日

新たなる時代へ

 今週と先週ノセンゴク権兵衛の感想。

 聚楽第落首事件により多くの者が処刑された。
 処刑後、采配した三成と増田が雑談する。その中で三成は、天下静謐に向かえば向かうほど血は流れると言い、恨みも奉行が被ると言う。そして、天下静謐を謳った竹中半兵衛はとんだ食わせ者だったと。
 増田は三成によくやっていると言い、三成は秀吉に向いていると言われたからやっている、そう言った。

 処断を見た権兵衛。だが、今回の事は仕方がない、そう考えた。特に夫婦の営みを揶揄されれば自分も只では済まさないだろうと共の者たちに言う。
 そして、次の縁を結ぶ為、子が生まれた頃を狙って茶々に面会する事にした。

 正月の挨拶が出来なかった秀長は、淀城の修築を命じられていた。
 そんな中、茶々と面会する。側室の第一位に躍り出る事、後継者の母になる事、そんな立場になり感情を抑える事の不安を秀長に語る。そして、もしもの時は止めてくれと言った。
 しかし、秀長はそれは難しいと言う。
 すでに、一族家臣が居て養わなければならない。だから、いつでも諫言出来るとは約束出来なかったのだ。
 そして言う。無垢な赤子と接すれば、猜疑心と離れる事が出来ると。


 そうして、5月27日。鶴松、幼名棄が誕生する。
 喜ぶ秀吉は、鶴松を嫡男と呼ぶ。ここに秀吉の後継者の順位は一変する。そして秀吉の隠居と後継を巡る桃山時代が幕を開けたのだ。

 そしてこの吉事は関東への凶事に変わる事となる。


 鶴松の誕生を祝う為、権兵衛は淀城の茶々の元を訪れる。
 お互いの第一印象は悪くなく、意外と話が盛り上がる。特に、権兵衛が信長と話している様だと言えば、茶々は大きく笑うのだった。
 しかし、大野は権兵衛の事を好ましく思わなかった。
 結局、秀吉への取次は出来なかった。しかし、権兵衛は良い縁を繋げた事で一つ全身したと思った。

 鶴松が生まれた事により、秀吉はご機嫌であった。先達って九州に追放した古溪を呼び戻したのだ。
 これを見て奉行は、一つの提案をするのだった。
 鶴松が淀城から大坂城へ移る。その時、奉行衆は秀吉に訴え出る。嫡男鶴松の為にも、南蛮貿易は十年後の安定を見た長期計画にすべきと。
 奉行達は様々な困難を語り、早期の実現は無謀だと訴える。却下されるかもしれない、特に今までの秀吉なら、その思いが奉行達にはあった。しかし、秀吉は快諾。鶴松の為に長期計画に移す事を決意する。
 だが、そうなると国内の銭廻りが悪くなる、大名に与える土地も無い。どうするか、秀吉は奉行衆に問う。すると、奉行衆は秀吉と同じ考えと言う。
 そう関東への出兵だ。

 家康の元に忠勝、康政そして正信がいる。忠勝が妹婿の長束から清水港の借り受けを聞いてきたと言う。そう、徳川の元にも秀吉の北条征伐の噂が届いていたのだ。それも、戦後、徳川が関東に、東海は豊臣領になるのだと。
 家康はこれに従うと言い、そして同時に北条の取次もしっかりこなし無駄な戦がなければそれで良いと言う。
 しかし、康政は危惧する。徳川の転封は規定事項、もし北条との戦がなければ徳川はどこに行くのか。東北か九州か、はたまた国外か。忠勝は、それならば近い関東が良いと言う。
 だが、家康は欲を棄て、懸命に働くだけだ、そういう。
 以前の博打好きから変わってしまった家康に、忠勝や康政は不満げであった。一方、家康の真意を知っている正信は複雑な顔していた。

 こうして、規定事項とも言える北条征伐が始まるのだった。


 と、言うわけでいよいよ、北条討伐が開始ですね。
 すでに規定事項になって居ますけど、名胡桃城事件は描くのかな。もしかした、昌幸に北条を挑発するように命令するのかも。

 権兵衛の今後の動きも楽しみですね。徳川に陣借りするので、もう二、三の縁を結ぶのかな。兎に角、大挽回の時が来ましたね。

 そして、秀吉も後継争い。まさに豊臣政権が崩壊する原因ですからね。ここまで描くなら北条戦後も期待します。というか、普通に関ヶ原まで行きそうな予感もありますね。

 いよいよ、権兵衛の人生の大勝負。今後が楽しみでなりませんね。

2018年8月26日日曜日

離れる心

 今週のセンゴク権兵衛の感想。

 戸次川の戦いから二年が過ぎていた。
 京の権兵衛の元に藤が訪れる。年始の挨拶と権兵衛から今年の抱負を聞くためだ。もっとも藤は抱負は去年と同じだろうと予想していた。
 そして、藤と一緒に娘の葛も会いに来たのだった。
 若干取り乱しつつも、二人に京を案内する事にする権兵衛。藤から抱負を聞かれると適当に去年と同じと言った。
 葛を前に空回りする権兵衛。ビードロを見て、亡き夫のビードロを思い出す葛に、同じビードロだろと権兵衛は失言する。
 藤に尻に敷かれ、情けない権兵衛。その姿は昔と変わらなかった。
 葛は言う、今日の事は忘れない、と。


 淀城で寛ぐ茶々と秀吉。茶々は聚楽第に行きたいと秀吉に頼んでいた。
 お腹の子を皆に見せたいし、いろんな事を経験させたいと言う。
 秀吉は特に反対もせず、仲睦まじく会話をする。
 そんな中、話題は茶々の飼っている鶯の話になる。季節外れに鳴く鶯に困っているのだ。秀吉は、番になれなかったからだ、と言い鶯を外に放した。それを見て茶々はお優しいと言うのだった。


 茶々が聚楽第に来る。その報を聞いて奉行衆は天地仰天となった。
 実は、聚楽第の壁に落首がされていたのだった。すでに消されたその落首は秀吉の政治に対する不満だけでなく、茶々の妊娠を揶揄する言葉も含まれていたのだった。
 当然、隠したかった。しかし、相手は天下人秀吉。隠し切れる筈もない。すでに京ではこの噂が広がっている。
 結果、秀吉に報告し裁可を求めることにした。

 報告を受けた秀吉は静かに怒る。
 自分たちがどう言う気持ちで事を成したか。民は少しも理解しようとしない。自分が幾ら民を慮ろうとも、民はそうではない。所詮この程度の者らなのだ。気を使うなんてバカバカしいではないか。
 秀吉は言う。噂を話す者や、耳にした者、それらをすべて罰する事は出来ない。
 だが、警護を担当した者、それを書いた者、そしてその縁者尽くを、殺せ。
 そう命を下した。


 
 なんか権兵衛の知能のステータスが戻ったような回でしたね。まぁ、家族といるからかな?少しづついい方向に行ってる気がしますね。
 そして、秀吉は悪い方向に行ってます。若干、人間不信になってる気もします。徐々に徐々に歯車が狂っている、そんなもの悲しさがあります。しかも、史実ならこの後回復出来ないですからね。古溪が権兵衛が入ればと言ってましたが、まだ間に合うのかな。
 そして落首事件。来週もやるなら久しぶりに顕如が出てくるのかな。モノローグだけで終わりかもしれないけど。
 本願寺の元に犯人がいたから、本願寺の力を削ぐ理由付けが出来たとも言われるこの事件。その辺も触れるかな?
 次回も楽しみですね。

2018年8月19日日曜日

変わるもの変わらぬもの

 合併号にだった、今回のセンゴク権兵衛の感想。


 権兵衛が北野天満宮に祈っていると、同じく祈る人が。なんと、古溪和尚だった。
 なんと、古溪は配流される事になったのだ。
 曰く、信長の菩提を弔う寺を建立する予定だった。しかし、秀吉側の都合でずっと計画が進まなかった。が、この度、渡したお金の返却を求められた。だが、すでに前払いしてしまっていた。故に横領と見なされたのだ。
 だが、古溪は秀吉を恨む事なく、むしろ理解するのだった。

 二人で祈り、籤を引く。凶を引いた古溪に権兵衛は自身の吉を渡す。毎日引いてるからと。
 こうして、古溪は京を後にしたのだった。


 秀吉は新たな金貨、天正大判を作っていた。得意満面に奉行たちに見せていた。最初は豪商ぐらいしか使えぬだろうが、ゆくゆくは全国に流通させよう。そう皆と話していた。
 しかし佐吉だけが神妙な顔で何も語らなかった。

 詰所に帰ってきた奉行達。当然、先程の佐吉の態度を尋ねる。
 佐吉は言う。不可能を可能にしてきた秀吉。今も財政難の時に経済政策が次々と湧き出ている。その破格の才を前に自分たちは余計な事をしない方が良いのでは。そう考えていたのだった。


 年の瀬、師走。
 秀吉の元に耳を疑う報が入った。弟、秀長の家臣が材木の横流しをしていたのだった。
 静かに、だが確実に秀吉は怒っていた。笑わぬ目で報告してきた者に問う、秀長の指図だったのか、と。冷や汗を流しながら、違うと答える。すると秀吉は、ならば横流しに気づかぬ無能か、と。使者は秀長は病気がちになったので仕方無いと庇う。
 自らの命を捨てるとまで言う使者。そんな彼に秀吉は、大判一枚の価値も無い、と冷たく言って去っていた。

 秀吉の向かった先は淀城。茶々に慰めて貰おうとやって来た。秀吉は言う、遂に弟にまで疑惑の目を向ける猜疑心の塊になってしまった、と。
 そんな秀吉に茶々は、子は裏切らぬと言った。


 年が明け、年始の挨拶。そこに秀長の姿は無かった。

 多くの大名等が集まり宴会する。そこで年を取った者らは、武勲を語りながら、天下静謐を喜んだ。しかし、清正、正則の目には今より昔を懐かしんでる様に見えた。そんな二人に、武勲無く大領を得た、そんな揶揄を含んだ言葉を投げる。一触即発、そんな中また別の者が仲裁する。そして言う、皆戦場が懐かしいのだと。
 未だ、天下に静謐の空気は流れてない。


 と、結構盛りだくさんな話でした。
 秀吉は、どんどん暴君への道を歩んでる感じですね。その一方で冷静にそれを分析出来ている。だからこそ余計、可哀想になりますね。
 あと、茶々の言葉。後年考えると、物凄く重要な事を言いましたね。茶々は軽い感じで言ったかもしれないけど。秀吉にとっては重い言葉になったのかな。

 そして久しぶりに出てきた、清正と正則。この二人含めて、誰も天下静謐を望んでないと言うか、戦を諦めきれてない感じがあります。これは、後の北条、そして唐入りの伏線にもなるのかな。それだけでなく、その時の空気、って感じですかね。この空気が完全になくなるのは大坂の陣だろうけど、そこまで描くのかな?関ヶ原のも解らないからそこまでの伏線にはならないかもしらない。
 兎に角、大名達に流れる空気も含めて、北条戦に行きそうですね。
 次回も楽しみです。

2018年8月5日日曜日

女心と秋の空

 今週のセンゴクは休載だったので、先週の感想を。


 崖の上に設えた月見台。その上で茶々と小坊主は情事に耽る。
 
 それを秀吉は見ていた。刀をてに取り、小坊主を斬ろうと駆け寄る。
 しかし、秀吉が刀を振るうよりも早く、茶々が崖下に小坊主を投げてしまった。

 放心状態の茶々。秀吉は彼女を抱きしめ慰めるのであった。


 関東の大大名北条氏。その当主氏直の叔父氏規が上洛する。
 秀吉と奉行衆はその対応を話し合っていた。
 秀吉は、氏規に衣冠束帯ではなく、直垂で参加させようと考えていた。
 曰く、氏規は無官であるから、と。

 当日。衣冠束帯姿の諸大名が並ぶ中、氏規は直垂で末席に座っていた。
 秀吉からの圧力に只々、頭を下げ続ける。
 秀吉は氏規の言葉が北条全体の意思か、と問う。氏規は肯定するしかなかった。
 そして、秀吉は氏規のそばまで行き、手を取り、真心が大切だと言い労った。

 参詣から時が立っていた。茶々は秀吉の行動から彼の真心を感じた。
 そして、秀吉に惚れたと言う。



 茶々、チョロくない!?大野さんもびっくりしてたけど。
 まぁ、いろいろ気を張っていた所に優しくされたから…かな。小坊主殺しても動じなかったのもあるのかな。
 ともかく、ここで秀吉に対する考えが変わりましたね、茶々は。やはり初めは復讐込みで近づいたんのかね。まぁ、この先の歴史を考えると……あまり、喜ばしいものではないよね。


 そして、いよいよ北条が出てきましたね。氏規に衣冠束帯貸そうしたのは家康ですよね。取次役で幼馴染とも言われてますからね、やさしい。


 秀吉の事、権兵衛の事、茶々の事。それぞれ一区切りで北条戦へと突入するのかな。
 権兵衛、最大の挽回劇。楽しみです。

2018年7月22日日曜日

祈る者

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 天下人秀吉を、何処か達観した表情で眺める権兵衛。このままここに居ても気づかれないと思ったか、権兵衛たちは立ち去った。

 秀吉は一瞬、知ってる者を見かけた。しかし、権兵衛とは気づかなかった。それ以上深く追求せず、大仏殿建立の祭りを催す。
 華やかな祭り、皆が秀吉を賛美する。だが、能を披露しようとしたところで雨が降ってきてしまう。すると、皆は今度は秀吉を批難し始めるのであった。


 茶々の元に訪れ、その事を愚痴る秀吉。しかし、茶々からは思いも寄らぬ提案をされる。
 子を成す為に願掛けしたい、と。
 その意味を知っている秀吉は、願掛けした者を殺すかもしれぬ。そう言う。しかし、茶々の決意は固い。秀吉は願掛けを許可するのだった。


 権兵衛は足繁く、北野社へ参詣していた。
 その中で、これまでの事に結論を出していた。

 それは「今」以外を見始めると失敗する。そう言う事だった。

 大名になって今を見れなくなったから、人生の充足感が薄れていった。
 それを求める為、島津に戦を挑んだ。そして道を外れてしまった。

 汚名も罵倒も消える事は無い。それでも、再び大名への道を歩く。そう決意した。


 刀狩令、海賊停止令などの政策を矢継ぎ早に成立させる。
 これで海外交易に道がつくはずだった。聚楽第、淀城などの普請の為に船を作る木材が不足していたのだ。
 秀吉は奥州の木材を使えばいいと言う。そして、木材を海路で運搬する時の中継点として東海地方を指し示した。
 そこは徳川の領地。奉行たちは徳川にやらせるのか、と驚いた。だが、秀吉の考えは違った、徳川は関東に転封し、豊臣で抑えるとの事であった。
 だが、徳川が大人しく従うか、奉行は心配だった。しかし、すでに家康は約束し、徳川家臣の異論も抑えると言っていたのだ。
 秀吉は奉行たちに言う。出来ぬばかり言うものでは無い、と。


 茶々の子宝の願掛けが始まった。彼女の世話を焼く小僧の一人と懇ろとなる茶々。
 願掛けの最中思い出す、父浅井長政の言葉を。長男は殺される、だから長女の茶々が長子の代わりになるよう。そして母お市もまた、そのように厳しく接すると。
 そうして、茶々は弓馬の道にのめり込んだのだった。


 割と願掛けの描写しっかり描くんですね。もっと濁すかとおもった。
 あと最後に出てきたのは秀吉かな?暗くてよく解らなかったけど。

 ようやく、権兵衛は歩み出した。って感じですね。逆に秀吉は迷い始めたのかも。
 この辺の対比はわざとな気がしますね。

 あと、なにげに北条討伐が既定路線っぽくて秀吉怖いな、と。
 北条征伐なしに徳川を動かせないからね。

 いろいろと物語が動いています。次回も楽しみです。

2018年7月8日日曜日

それぞれの道

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 権兵衛の正室、藤が上京した。彼女が訪ねたのは実家、野々村の家である。
 藤が通された先には夫、権兵衛がいた。
 金子を持ってきた藤。使いの者を出せば十分なのに権兵衛が彼女を呼んだのは勿論理由がある。再び大名に返り咲く事を藤に言う為だ。
 権兵衛は言い淀むが、藤は気づいた。そして、お好きにしなさい、と冷たく言った。
 大名の復帰を支持しない、否定する、と言う。しかし、権兵衛の耳元で囁いた、それが似合っている、と。

 
 茶々は焦っていた。弓馬の道は心得ていても、男女の事はさっぱりで、どう上り詰めたらいいのか解らないでいた。
 自分より上の竜子や摩阿は自分に無いものを持ち、これを乗り越えるのは至難の業。そう茶々は考えていた。
 そこで大野は子宝祈願の為に寺社に籠もり願掛けする事を提案する。しかし、相当な覚悟も必要であると。
 茶々は言う、覚悟だけなら誰にも負けない、と。


 ある日、権兵衛は東寺へと参拝に来ていた。しかし目的はそこではなかった。
 この日、東寺から一里ほどの所に、秀吉が大仏建立の為に現れるからであった。
 人々は東寺までごった返していた。このままでは、秀吉に気が付かれない程の人の多さであった。
 大勢の人の前に秀吉が現れる。すると、皆、次々と平伏していく。
 まさに、頂点を極めし天下人である。



 茶々のあの下りは、秀頼非実子説を匂わせるのかな?まぁ、この時のは秀頼の兄だけどね。
 はっきりとは言わず、そのへん濁らせるとは思う。そのぐらい疑問が残るけれど、物的証拠も無いしね。
 いよいよ、権兵衛は本格的に大名への復帰を模索するのかな。後、茶々の話はどう展開するんだろう。対北条戦までどう話が進むか、楽しみです。

2018年6月24日日曜日

交わる者たち

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 お寧の元に、金吾の様子を見に来る秀吉。
 幼いながら読み書きが出来、舞や能も出来る金吾。その様子に秀吉は大喜びであった。


 母の肩を揉みながら、金吾を褒める秀吉。跡継ぎは金吾に、そう言うのだった。
 しかし、母は言う。あのぐらいの歳なら教えれば出来るようになる、と。そして秀吉は教えなくても出来た、と。
 続けて言う。秀吉は特別で、秀吉と同じ事は誰にも能わぬ。故に、どんな子でも継げるくらいお家を盤石にすべきだと。


 鞍馬で暮らしている権兵衛はこの程、歌会に出ることにした。
 公家等が集まる中、一人の男が話しかけて来た。仙石の事を知っており、公界がどれほど恐ろしいか、語るが権兵衛は気にも止めなかった。
 会が始まる、早速嫌味を含んだ歌が詠まれた。それに対し権兵衛はどうするか、男は気になった。それに対する権兵衛の句は何処か意味深であった。男は早速、意味を問うた。しかし、権兵衛曰く、今見てきた風景を詠んだ、との事であった。

 権兵衛が厠に立つ。すると件の男が先に小便をしていた。男は自身の小便を見るように言う。すると、その小便の色は変色していた。
 男は言う。公界は魑魅魍魎の世界。これ程までに苦労が多いと。そして何故権兵衛はここに来たのかと。
 厠を変わり。今度は権兵衛が小便をする。
 権兵衛は答える。古溪和尚に違う世界見る事は幸いだ、そう言われたからと。
 男は権兵衛の小便を見、貴殿も苦労しているのだな、そう言った。
 そして、息子の嫁を貰いたいものだ、そう言い去っていた。

 間もなく年が暮れる。そんな時、尾藤が朝熊山で討たれた報が届く。
 反乱の罪だが、尾藤一人で何が出来るのか。
 権兵衛は思う。秀吉は恐れているのだ、不安になっているのだ。
 位人臣を極めた秀吉が何を恐れるのか。権兵衛には解らぬが、心配でならなかった。



 まだ権兵衛が幼き事であった。彼と共に菩提寺で勉学に励む者がおった。名を藤兵衛と言った。
 この頃の権兵衛は臆病で、村の外の祠に不老不死の秘密がある。そう言われても村から出なかった。

 権兵衛の噂を聞いた藤兵衛は故郷黒岩から、権兵衛の後を追い、鞍馬でやって来た。
 古い知り合いだと言って怒っている客人がいる。そう聞かされた権兵衛は訝しく思いながら、会った。しかし解らぬ。籐兵衛は言う、不老長寿の秘密は、と。

 腹八分目。

 言葉が重なり、ようやく藤兵衛を思い出す権兵衛だった。
 古き友との思い掛けない面会。話が弾むはずだった。しかし、権兵衛は改易された身。籐兵衛を見て、臆病な自分を隠す為藤兵衛の様な勇気ある男演じていた、そう自虐するのだった。
 それを聞き藤兵衛は一喝する。自分は権兵衛よりすごい、しかし大名には成らなかった。それは権兵衛に大名になる才があったからだと。
 不老長寿の話を何故権兵衛が知っている。勇気を出して見に行ったからではないか。権兵衛はやる時はやる男だと言う。
 そして、自分も権兵衛の出世を喜ぶ反面妬む気持ちもある。ずっとモヤモヤしてた、そう語るのだ。
 謝ろうとする権兵衛をまたも一喝して帰る藤兵衛。縁があったらまた、と言って去っていた。

 
 年が明ける。

 大坂の茶々は健康な子が産めるか、医者に診て貰っていた。彼女は秀吉の子を狙っていたのである。



 秀吉に陰りが出始め、権兵衛はいろんな縁を育んでいる。そんな2話でした。
 秀吉の後継者は茶々が子を設けようとしてて、不穏になり始めてますね。まぁ実際、茶々の第二子秀頼の誕生で政権は弱体化しましたしね。茶々は秀吉に対する復讐も考えているのかな?まだ解らない感じですね。

 権兵衛のはいろんな縁を繋いでいる途中、って感じです。
 あの公家風の男はもしかして古田織部なのかな?気になって調べたら権兵衛の娘が織部の息子に嫁いでいるし。
 そして籐兵衛。彼の妹が最初のヒロインですよね。今は毛利家にいるって言ってましたけど。
 藤兵衛もまた、再登場するのかな?家譜とかにしか乗ってなさそうだから、簡単に調べられなそうですけど。


 北条では対豊臣の準備が始まっていますが、北条征伐はもう少し先。しばらくは権兵衛が色んな人交わる様子を描きつつ、豊臣政権内の不安の種が増えていく様子を描くのかな?次週も楽しみです。
 

2018年6月10日日曜日

実直なる者

 先週と今週のセンゴク権兵衛感想。


 九州征伐を終え、秀吉は大坂へ凱旋した。

 その報を聞き、権兵衛の配下は色めき立つ。直ぐにでも秀吉の元に赴き、大名へと復帰させて貰おうと。
 しかし、権兵衛はまだその時では無いと言った。自分たちは基本無用の者だ。だから向こうから求められるのを待つのだと。
 皆は、もし求められなかったらどうするか、と問う。権兵衛はそれならば天下泰平、大いに喜ばしいではないか、と答えた。
 権兵衛は古溪和尚の言葉を思い出す。強い志は反面折れやすい、だから折れぬようゆっくりと進むのだと。


 凱旋した秀吉は宴会を催す。その女房衆の序列、その四位に茶々が宛てがわれた。
 大抜擢にもかかわらず茶々は不満であった。
 一位は当然お寧、三位は前田利家の娘摩阿。茶々は強い不満を持ちつつ、宴会では表情には出さなかった。
 はずだった。お酌に現れた二位の京極竜子。彼女はその不満を見抜いていた。いや彼女だけでは無い。摩阿もまた茶々から圧を感じていたのだ。
 竜子は茶々を諌めつつ、秀吉にはその苛烈さが必要だ、そう言うのだった。


 九州征伐は背後の徳川が大人しくしているからこそ成功した。
 その徳川家康が駿府より二度目の上洛をする。上洛前の徳川では、秀吉にどの程度頭を下げるかで家臣たちは揉め、まだまだ秀吉への臣従を快く思わなかった。

 上洛途上、大津で家康はまさかの事態に遭遇する。なんと秀吉自ら現れたのだ。
 そんな秀吉に対して家康は、なんと土下座をする。
 これを見た秀吉は、家康に対して友だからそんな事をしなくても良いと言った。


 二人は、聚楽第にて会見する。
 傅く家康に対して、秀吉は彼の痛いところを突く。義元亡き後の独立、信長亡き後の甲信への派兵、そして自分との対立。そして家康を揺さぶる。
 しかし、家康はどこまでも自戒し自虐し、全ては己の未熟さと徹頭徹尾、謙る。

 それを見て秀吉は、信長がなぜ彼を信用したか理解した。家康はただただ実直で真面目。中身の無い男。そう秀吉は家康を評価した。


 安心した秀吉は、打って変わって今後の政権序列について家康と話す。
 そこで家康を弟、小一郎より上に置きその他の大名に対する重しとする構想である。
 家康は喜び、全力で支えると言う。そして、後継を聞いた。
 秀吉は、第一に秀次と考えている。しかし金吾が聡明そうなので、まずは彼の成長を待ってから跡継ぎを決めると答える。
 そして、もう一つ考えている案があった。それは皇室から養子を取ることであった。それが一番政権が安定する、そうも考えたのだ。

 後継は未だ確定はしてない。それでも家康は豊臣に尽くすと言い、頭を下げる。
 それを見て秀吉は、カラッポと思うのだった。


 京から帰り道、家康は本多正信に言う。
 徹底的に遜り、豊臣に忠義を尽くすのだと。喩え、豊臣の屋台骨が揺らごうとも、後継が暗愚であろうとも。
 しかし、もし仮に、無常にも、豊臣が砂上の楼閣のように消え失せるならば、その時に立ち上がる為のほんの僅かな野望を、誰にも解らぬくらい小さな一欠片の野望を残すと言うのだ。
 正信は思う。乱世の風雲児信長、乱世の寵児、秀吉。なれば家康は乱世に実直な男。そんな家康が最も恐ろしいと。




 秀吉と家康の会見が終了しましたね。
 なんか秀吉が見誤った感じがします。まぁそれだけ家康がすごいと言う事か。あと、九州征伐終わりから秀吉が老けた描写もあったしね。

 しかし家康、底知れなさがすごい大きくなった。律儀者でありながら、ほんの僅か野心を残すとは。複雑ですね。この先の事を考えると、その時やるべき事やったって感じになるのかな?

 そう言えば権兵衛と接触するかと思いきや、しませんでしたね。
 この先は、茶々も含めた豊臣内部の話が続くのかな?小田原まで割と時間空きますからね。それとも北条家にスポットが当たるのかな?

2018年5月27日日曜日

船と南蛮と

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 九州で行われる長期の茶会。その中で商人や黒田官兵衛らと対明貿易について語りあう。
 
 江南より中華統一をした明。その経済の中心地が寧波である。
 しかも、明では銀が主要通貨になっていた。丁度、石見銀山の経営を毛利と共同で当たることになったばかりである
 その銀で生糸を買い、儲ける。その際の明側の貿易港が寧波だ。しかし問題があった。
 それは、距離であり、海を渡らねばならぬ、と言うことだ。
 春と秋の季節風の時期しか渡れない上に、難破する事もあり得る。日本の船、和船では定期的で安定的な航路になりにくいのである。
 朝鮮経由の道もある。だが、朝鮮がこれに乗る気では無いのである。当時、生糸を通貨にしてた朝鮮はこれが増える事による経済混乱を憂いていた。そして儒教の教えに反するのではとも。さらには明から銀の朝貢を増やせと圧力がかかる懸念、などなど。
 とにかく、朝鮮経由は難しかった。

 では、解決策は、と言うと。
 一つは、卓越した航海技術を持つ倭寇を取り込む事。
 そしてもう一つは船の改良である。
 高速で安定性があり、遠浅でも航行出来る船。そう、南蛮船のような船である。
 
 まさに渡りに船であった。その時秀吉は大型の南蛮船を買おうとしていたのだ。
 それを元に、多数の大型船を建造する、そう秀吉は明言する。
 多数の大型船による明との貿易。もし明が拒絶するなら戦も辞さない、と秀吉は言うのであった。

 
 だが、予定は狂ってしまった。急遽、南蛮が大型船は無理だと言い始めたのだ。
 曰く、博多の海は大型船が入れないくらい海底が浅いと。
 その知らせに秀吉は他の候補地の長崎は平戸は、と問う。すると長崎はすでにバテレンの領地になっていると。

 再びの茶会。そこで南蛮からの船の購入を諦め、独自の工夫で海を渡れる船を作ると秀吉は言う。そして、博多の海の水深を測定する事を決める。
 慌てる博多の商人に秀吉は、貿易港変更もあり得ると告げた。

 そんな中、秀吉はバテレン追放令を発するのであった。



 まるっと秀吉回でした。
 いろいろな理由が語れれるバテレン追放令。センゴクでは教皇領を問題に出してきましたか。これも定説外しかな?貿易問題に絡めつつって感じでしたね。

 そういえば、日本の船は竜骨が無いんですよね。その為、西洋の船みたいに外洋を渡れないとか。鉄砲みたいに広まった技術もあるのに、船に関してはあんまり取り入れられてないんだよね。なんでだろう。その後の幕府の規制があったにせよ。

 まぁ、兎にも角にも、為になる回でした。

2018年5月20日日曜日

その進む先

 センゴク権兵衛、今週号は休載でした。
 ので先週号の感想を。


 古溪和尚が権兵衛を呼んだ理由。それは、神子田の首を見た後、権兵衛が「秀吉が暴君と誤解されたしまう」そう言っていたのを偶々聞いていたからだ。
 権兵衛曰く。上に立つ以上苛烈な判断も求められる。だが、下の者は色々と好きに言う。それは自分がそうであったように。
 古溪は言う、権兵衛は上と下、それぞれの事情を知ることが出来た。それは幸いだと。
 そして秀吉は、未曾有の出世を遂げた故に下の者のことを知らないのではと。
 権兵衛は言う。信長が存命の時、秀吉は出世する為にがむしゃらだったと。
 古溪は問う。なら、今秀吉は何の為に動いているのか。
 権兵衛は思い出す。お天道様にせっつかれている、そう言っていた事を。
 その言葉に古溪は合点する。お天道様を世間とすれば、秀吉が世間を支配し、世間は秀吉を求める。しかしそれが反転すれば、秀吉は滅びの道に進む事になる。

 そこまで喋った後、一息入れる。そして権兵衛にこの後どうするか聞く。権兵衛は僧になるつもりであった。だが、古溪は断る。そして、再び大名に復帰するべきだし、そういう運命だ、と言う。
 どうやって復帰すると問う権兵衛に古溪は答える。我欲に流されず、自分が正しいとも間違っているとも思わず、縁を辿れば自ずと復帰出来ると。

 権兵衛が去った後、古溪は思う。秀吉が欲に誘惑された時、必ず権兵衛が必要になってくる。だからこそ復帰すべきだと。


 九州平定がおわった秀吉。彼は早速、博多の整備に取り掛かる。太閤町割りと呼ばれる区画整備を行い、ここを対外貿易の拠点とする。
 そして見据えるは明の寧波。東西の交易地として栄える港町である。


 お坊さんが出ているからか、禅問答って感じでしたね。
 秀吉の暴走を止めるのに権兵衛が必要とは。まぁ、これまでの事を考えるとそうだよな、って感じですね。
 権兵衛の大名復帰と言う事はこの後どっかで家康が出てきそうだけど、どうなるのかな。そもそも北条も出てないし。
 で、その秀吉は博多から世界へ目を向けてますね。堺の商人が若干嫌そうな顔してるのは気の所為では無いですよね、たぶん。
 さて、小田原討伐までどう話が展開されるか、楽しみですね。

2018年5月6日日曜日

九州始末

 今回と前回のセンゴク権兵衛の感想。


 旧臣と共に京へと越してきた権兵衛。そんな中、神子田が晒し首になっていると聞かされる。
 実際に見に行き、衝撃を受ける権兵衛。それは、同じ古参だからこそ秀吉に話しかけてはいけない時があるのに気が付かなかったのか。そして、この様な事が続けば秀吉が必要以上に恐れられてしまう、と。

 
 時代の変わり目か。武名名高い吉川元春、元長親子が相次いで死去した。そして家久もまた先は長くなかった。
 病で弱った彼の元に藤堂高虎が尋ねる。武名名高い家久に兵法を教わる為だ。
 彼は言った。瑜伽であると。戦場と一体化する。それが出来れば家の中に居ながら外に蝶がいる事を知れる。実際、家久の言う通り部屋の中に蝶が現れた。
 高虎は、関心し頭を垂れるのみであった。


 程なくして家久は亡くなった。小一郎に報告する高虎。そこで小一郎は豊臣が暗殺したと噂や逆恨みが無いように遺族や家臣に言い含めなくては、と言う。これに多少反発する高虎。少なくとも家久が子息はそんな人物では無いと言った。
 小一郎は、冷徹な物言いも天下の宰相としては必要である、と考えていた。自分は天下人秀吉の右腕であると自覚していたからだ。
 しかし、高虎はそれで手放してしまった術もあるのでは無いかと言い、家久から聞かされた、瑜伽、を話す。
 小一郎は笑った。そして、そういう事もあるだろうと言う。だが、結局勝ったのは武で導いた島津では無く、富で導く豊臣だ、そう続けた。


 小一郎と別れて、河原を往く高虎。そこには石合戦をする子供達が居た。
 一方は事前に盾を用意しており、相手を圧倒していた。逃げる子供達、勝負が決まったかと思いきや、押されていた方が左右に展開し、進撃していた方を半包囲して勝ったのだ。そう釣り野伏である。
 高虎は子供を捕まえ、知っていたのか?と聞く。子供は空から釣り野伏をせいと聞こえたと言った。
 高虎には聞こえなかった。それはそれだけ賢くなったと言う事か。高虎は今度権兵衛に会い、戸次川の事を聞こうと思うのだった。


 その権兵衛は大徳寺の古溪に呼び出されていた。一度は行きたかった大徳寺。それも高僧のお呼びなら行かぬ筈も無い。そうして生まれて初めての大徳寺だった、はずだった。実は権兵衛が先祖供養をやった時訪れていたのだった。猪武者の時代だった故に仕方ないのかもしれない。
 それは兎も角、古溪と対面するのであった。


 これで戸次川、九州征伐は終了ですね。
 あ、忘れてたけど、龍造寺は鍋島直茂が実質の当主になったり、大友義統が紆余曲折したり、島津では歳久が謀反を疑われて不遇の時を過ごし、義弘が実質当主、義久は完全な隠居では無く力を持ち、その後三殿体制になるとか描かれてました。
 これで九州の騒乱も終わりですね。まぁ、一揆とかあるけどね。佐々さんが可哀想になるやつね。

 時代が大きく変わる。そんな感じがしますね。それと何処か不穏な空気も。
 さてこのタイミングで古溪と会うのはどんな意味があるのか。楽しみですね。
 あと、小田原までどうなるかもね。

2018年4月15日日曜日

二人の道

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 高野山に現れた森村吉。増福院を訪れた後、流人の中にいる権兵衛を探す。
 そこにはすっかり険の取れた権兵衛が書物を読んでいた。

 森が訪れた理由。それは権兵衛に士官する為だった。権兵衛は酷い目にあったのに何故、と問う。森は航海に喩えて言う。嵐を乗り越え帰港すると、もう二度と乗りたくない。そう思うが、数日するとまた海が恋しくなる。そう話す。

 権兵衛はそれを聞き、煩悩だと言った。そして自分もまた煩悩故に戦っていたと。
 良い方向に変わった権兵衛。森はより強く仕えたいと思うのだった。

 とは言え、部下を取る立場に今は無い。結果、高野山で一緒に行動する事なる。
 二人で温泉に入っている現れたのは、身投げしようとした元僧兵。名前が無いと言っているので権兵衛は無用ノ介と呼んでいた。
 そろそろバレるだろうと考えた権兵衛は自分の本名を言う。そして、これ以上関わるなとも。しかし、無用ノ介には奇妙な縁が有ったこと知る。あの増福院に書かれた落書き。それは無用ノ介の仕業だったのだ。
 その事を詫びる無用ノ介。しかし、権兵衛は既に気にしてなかった。寧ろ、自分を見つめ直す切っ掛けになったと言う。そして同時に、流人達の罵詈雑言も本人達には悪気は無いと、理解を示すのだった。


 九州では島津義久が降伏した。そして大友宗麟は死去する。安らかに眠る宗麟だが、この後秀吉がバテレン追放令を出すことなど知る由も無かった。

 義久の降伏に異議を唱えて抵抗する者もいた。しかし、程なく平定された。
 順風満帆に見える九州征伐。しかしその裏では豊臣軍に疫病が蔓延していて薄氷の勝利であった。

 帰参を願い出る者がいた。しかし秀吉は冷酷に斬るよう命令する。
 おねに向けた書状には白髪が増えたと書かれていた。

 秀吉は思った。皆、自分の言う通りに行動すれば良いのに。そうすれば、こんな苦労などしなくていいのに。そう思ってしまったのだ。


 高野山の権兵衛の元に次から次へと元家臣が集まってくる。流石に素性を隠しきれなくなってしまった。権兵衛は高野山から下山する事にした。
 お世話になった流人たちに礼を言う権兵衛。流人たちは餞別にと各々鈴を送るのだった。



 権兵衛と秀吉。対照的な道を歩んでいる。そう感じさせます。
 敗戦後、これまでの自分を振り返り、高野山の流人に混じり、驕っていた事に気付き、本当の無を知った権兵衛。一方、秀吉は権力を極め、茶々も得る。そして才能があるが故に周りに苛つき始め、独裁的になり始める。戸次川後どうなるかと思ったら、大きなターニングポイントになりましたね。
 秀吉は、前々から独裁化しそうな雰囲気ながら、押し留めていたのに、一気に傾いた感じがします。その先に待つのは……やはり、滅亡の種は秀吉が撒いてたのかな?とは思います。

 さて権兵衛が次に向かうのは京になるのかな?小田原までには家康とも再開するだろうからこの後も楽しみですね。

2018年4月1日日曜日

無用の者達

 プロ野球が開幕しました。
 そして中日は開幕に連敗。辛いです。


 今週と先週のセンゴク権兵衛感想。


 増福院にて読経や写経をするも、心の晴れない権兵衛。そこで彼は流人に紛れて生活するのだった。


 一方九州では豊臣軍が圧倒。秀吉の戦術眼は些かも衰えて居なかった。嘗て島津が大勝した高城。そこに篭もる島津を包囲、援軍に訪れた兵を南の根白坂で鉄砲で向かい撃つ。と言う、長篠の再現を狙うのだった。

 斯くして秀吉の策は大当たり。正に長篠の再現となったのだ。


 その話は高野山まで届く。そして、釣り野伏を警戒し追撃をしなかった尾藤が追放された事も一緒にだ。
 流人達は、これも仙石の所為と言い、思い思いに彼を批難し中傷する。

 一人その輪から離れる権兵衛。その手に握った藤の髪は、もうボロボロであった。


 そんな権兵衛に声を掛けたのは堀田であった。彼には権兵衛が身投げする様に見えたのだ。しかし権兵衛にはそんな気は無く、見晴らしの良い、時には海が見える場所に行くだけだった。

 二人連れ立ってそこへ行く。そんな中で、権兵衛は自分が周りを全く見てない、駄目な当主であった事をハッキリと自覚するのであった。


 さて、堀田と別れて一人、眺めていると僧兵らしき男が現れた。思い詰めた表情から身投げをすると見えた。権兵衛は興味を持ったのか、話しかけた。しかし、彼はまともに取り合わず、織田や羽柴の侍なら殺すとまで言った。
 権兵衛は全く怯まずに、寧ろ自分は織田や羽柴の侍と言う。男は直ぐに襟首を掴み持ち上げる。それでも、焦らず、今度は弁慶義経か、と言うのだった。
 思う所があったのか、男は権兵衛を殺さず立ち去ろうとする。しかし、権兵衛はさらに話が聞きたいと言った。

 男は貧しい家の出であった。両親は貧しさ故に盗みを働き、その報復で殺された。そして妹と共に、各所で爪弾きになりながら生きてきた。そんな中で、腕っぷしの強さから僧兵となり、漸く居場所を作ることが出来た。しかしその居場所も、秀吉の介入で無くなってしまったのだ。

 無用の者。権兵衛は自分もそうだと思い。そして漸く何かが掴めたのだ。

 すっきりした権兵衛はそのまま男と別れようとした。しかし、男はそれで良い訳なかった。身投げをするのに邪魔をされたし、権兵衛自身にも興味が出たからだ。


 結局、権兵衛に付いて来る事にした男であった。


 そんな中高野山にまたしても、嘗ての家臣が現れる。森村吉であった。



 九州戦が終了ですね。神子田に続き尾藤もさらっとした感じで追放されましたね。次の出番がなさそうなのが残念ですね。

 一方権兵衛は立ち直りそうですね。そしてこの元僧兵って誰なんでしょうか。余り知られてない文献からなのかな?それともオリジナル?早く名前が知りたいですね。

 そして村吉の登場。はてさてどうなるか。次回も楽しみです。

2018年3月18日日曜日

聖地へ

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 高野山にやって来た権兵衛。しかし、大門がある所には柱しかなかった。

 当時の高野山は続く乱世と、権力者信長秀吉に睨まれた為に荒れていたのだ。

 様々な人々が、素性を隠して集まる聖地。何とも混沌とした場所である。
 そんな中に南朝のご落胤と言っている者がいた。その声に権兵衛は聞き覚えがあった。
 嘗て、仙石家に仕え逐電した堀田右馬であった。
 堀田は逐電した事を咎められると思い、白を切る。しかし、権兵衛が気にしてない事が解った為、認め、高野山を案内する。

 荒れているとは言え、奥の院はそんな事無く、聖域を保っている。堀田が解説しつつ、橋を二つ超える。そして最後の橋の前に立つ。曰く、これを超えると現世のしがらみが解ける。しかし、しがらみが大きいと進めなく、代わりに川に入って渡る事によって開放されるのだ。
 だが権兵衛は進まない。彼は業を背負って生きていきたいからである。


 一方、秀吉の元には博多の商人が来ていた。遂に秀吉の九州入りが決定したのである。そして、九州平定後は博多を貿易拠点とする計画であった。

 茶々より平手打ちで気合を貰い出陣する。


 宿坊、増福院に向かう権兵衛と堀田。堀田は嘗ての権兵衛が怖いと言う。だが権兵衛には心当たりが無い。続けて堀田はガツガツした所が怖いと言う。そして今はそんな事は無いと。

 宿坊に着き、堀田と別れる。そして宿坊には権兵衛を非難する落書があった。
 怒りに耐える権兵衛。その手には妻の髪。藤が自分も業を半分背負う、そう言って渡した者だった。

 それから数日。家臣だった、佃と草川が訪ねて来た。
 なんでも、やはり仙石家に仕えたいと思い、やって来たのだと言う。
 そして、讃岐で斎藤に会いある物を手渡された。それを権兵衛に渡す為でもあった。それは田宮四郎の遺髪であった。


 斎藤は今や殆ど商人であり、商機を嗅ぎ取り北九州へと向かうのだが。その九州ではいよいよ豊臣の大軍が上陸する。数多きらめく将の数々。その大軍を前に島津は退却をしなければならなくなった。



 そういえば、最新刊では色々と書き下ろされていましたね。四郎や十河の最期とか。大友さんの出番は無かったけど。

 さて、先週今週は、まさかの右馬の再登場でしたね。本願寺から此処に流れていたんですね。まぁ、仲直り?出来たしよかったのかな。
 この後、どう権兵衛が立ち直るか楽しみです。
 そして、ここからは九州征伐が中心になるのかな?そこも楽しみです。

2018年3月4日日曜日

心の内は

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 秀吉の側室に決まった茶々。そんな彼女の為に大坂城に新たに淀の丸を造り住まわす事を決める。そこから彼女は淀殿と呼ばれる様になる。

 茶々の心には母との約束があった。どちらの人生がより輝いているか、と。

 秀吉との初めての夜。茶々は痛みに耐えられず、つい秀吉の頭を叩いてしまった。
 当然、怒り心頭。翌日奉行衆の前でその怒りをぶち撒けるのだった。


 それは乳母の大野の策であった。失敗すれば、首が飛ぶ事もある。しかし、末席から伸し上がるには危険な橋を渡らねばならない。茶々はその賭けに乗ったのだ。


 秀吉は怒りの中で、懐かしさを覚え始めた。嘗て、主君より叩かれた事を思い出したのだ。一時は淀の丸の話も無かった事しようと思った。しかし思い直して、そのまま普請を続けさせるのだった。


 そして秀吉は茶々にご執心となった。その様々な技ですっかり虜となり、ご機嫌であった。

 一方、権兵衛は黒岩で様々な人の生業を聞いているのだった。その中で、時には亡くなった田宮の事を思い出す事もあった。
 そんな夫を見る藤。彼女は自分が権兵衛の力に中々成れない事から、本当の夫婦に成れてないと悟るのだった。


 ご機嫌の秀吉は利休より権兵衛の様子を報告される。大人しくしていると聞き、秀吉は一万石の扶持を与える事を決めた。

 この沙汰に奉行衆は驚く。そして権兵衛自身も驚き、困惑する。未だに気持ちに整理がついてない権兵衛。彼は予てより考えていた、高野山行きを藤に話す。様々な事情を持つ者が集まる聖地高野山。そこで色んな人から話を聞き、自らの行く末の答えを見つける為に。
 帰るのはいつになるかは分からない。それでも藤は送り出す事にする。それは権兵衛と本当の夫婦になる為に。



 すっかり秀吉は骨抜きですね。
 茶々はかなり強かですね。下克上か、復讐か。どちらにせよ秀吉を利用する気まんまんって感じがします。

 そして権兵衛は高野山行きですか。もしかしたら、どこかで妙算が出てくるのかな。根来から遠くないし。兎も角ここで誰と会い、どう言う結論を下すのか、楽しみですね。

2018年2月7日水曜日

その真意は

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。


 故郷、美濃国黒岩へと帰って来た権兵衛と藤。厳しい仕打ちが待っているのでは、と緊張する。しかし、地元は大歓迎で出迎えたのだ。
 次々に村の有力者を紹介され、歓待を受ける二人。藤は子どもたちが現れたのを見計らい、権兵衛を残して宴の席を離れる。
 藤は葛から話を聞く。どうも葛達が来た時からこんな感じだと言う。そして、彼らは仙石家のコネを利用しようとしているのではと、葛は考えるのだった。

 宴が終わり、寝入ってしまった権兵衛。藤は彼の頭を叩き、子どもたちにもそうするよう言うのだった。

 目覚めた権兵衛は藤に言う。自分と同じく故郷も変わって無く、時だけが過ぎていた、と。そして、このままでは、また増長し同じ事をするのではと言うのだった。


 一方、秀吉の元には一通の書状が届いていた。そこには、妹達の結婚を世話してくれれば自分の身を好きなようにして良い、と綴られていた。
 
 それを読んだ秀吉は直ぐ様、奉行達に婚儀を整える様に命じる。

 全てが終わり。秀吉の前に書状の主が現れる。
 その人物は、浅井長政と市との子で、柴田勝家を義父にもった茶々であった。


 九州の島津から、防衛の為だった、と言う弁明の書状が届いていた。だが当然、秀吉は突っ撥ねた。子飼いの仙石を打ち負かされ、長宗我部の嫡子や十河を失っていたからだ。
 いよいよ、本格的な対島津戦が始まる。はずであった。
 秀吉は理由を付け、普請中の聚楽や、江南を見回る。その傍らにいるのは茶々であった。
 茶々は儚げで嫋やかな美しい女性と成っていた。高い所を怖がり、弱さを見せ、秀吉に泣きつく。嘗ての茶々とは正反対に変わっていたのだ。

 奉行達は一抹の不安を抱いていた。九州情勢は大詰めであるのに、秀吉は茶々にご執心。彼女の存在は傾国に繋がるのでは、と。


 美濃国黒岩で権兵衛は毎日狩りに明け暮れていた。余りに獣を捕るものだから、藤は次は別のことをしたら、と言う。

 この事を藤はお寺の住職に話した。するの住職は権兵衛から目を離さないよう言うのだった。

 ある日、二人で川辺に出た。藤が目を離した隙に、権兵衛は川の中へと進んでいた。
 彼の目には敵兵が映っていた。そう権兵衛にはここが戸次川に見えたのである。
 藤によって助け出されたが、権兵衛の心の傷は深いのだった。



 権兵衛もだいぶダメージが大きいようですね。この先、どう立ち直るのかな。
 そう言えば、高野山に追放されたと思っていたけど違うみたいですね。佐久間と勘違いしたのかな。高野山に追放ってよくあるパターンだし。


 そして、再登場した茶々。だいぶ性格が変わっているけど…たぶん演技だよね。
 となると、やはり復讐を考えているのかな。
 こうなると本当に関ヶ原もやって欲しい。…なんか事あるごとにこの願い言ってる気がする。

 兎も角、今後も楽しみです。

2018年1月28日日曜日

勝者も敗者も

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 権兵衛への処分は決まった。
 では、共に戸次川を戦った者らはどうなったか。


 大友義統は府内へと帰ると、豊後を捨て豊前へと逃げた。
 
 間諜をしていた斎藤は、兵から四郎の髻と最期を聞く。そして彼も府内から逃げる。その後の仙石家と長宗我部家の仲を案じながら。

 
 元親は伊予の日振島まで逃げていた。
 その元親の元に、信親の妻が現れる。家臣達を追悼していた元親は、彼女に自分の所為だと言い、恨むなら自分を恨めと言う。
 彼女は仙石の所為だ、なぜ奴の所為にしないと言う。
 元親は答える。共に戦場に立った者を悪く言えない。それに他を慮るのが大名であると。そして信親こそ、そう考えるだろう。信親の為にこそ、他を恨まないと諭すのであった。


 一方、大勝した筈の島津は勢いを無くしていた。
 神降りした後の家久は気が抜けてしまうのだった。
 だからこそ、家臣は何故神降りしたのか疑問であった。神降りしなくても、態勢を立て直せば勝てたのにと。

 家久は思う。戦なき世が近づいていると。それは仙石も同じであって、最後の戦を戦おうとした熱気に釣られたのではと。

 局地戦では島津の勝利である。しかし大友家の抵抗は強く、寧ろ戦線の伸びた島津の方が不利になりつつあった。
 これにて戸次川の戦いの幕は降りたのである。



 勝利したのに、先の展望は明るくない島津軍。そして家久も太平の世への寂しさがあったんですね。どこか似た者同士なのかも。
 
 そう言えば、遊撃部隊だったけど全く出番の無かった義統のその後が出てますね。
 いろいろ残念だけど、粘り強さはある気がします。

 さてこの後の対島津戦はどうなるのか。権兵衛の出番は?
 今後も楽しみです。

2018年1月21日日曜日

振り出しに戻る

 先週と今週のセンゴク権兵衛感想。


 黙々と飯を食べる権兵衛。その傍らの藤は平静を保とうとするが、動揺を抑える事が出来なかった。
 そんな中、侍女が現れる。藤に鏡の売却を尋ねる為だ。藤は売却すると言い、そして権兵衛に武具をどうするか聞く。権兵衛は少し待ってくれと言うと、藤は激昂してしまった。


 孫曰く、藤にとっての鏡は権兵衛にとっての武具と同じだと。

 それを聞き、権兵衛は手入れが終わったら売却する、と藤に言うのだった。


 一方、大坂城では秀吉が此度の不始末に激昂していた。
 その怒り狂う様に奉行らは皆、権兵衛に厳罰が下ると考えていた。
 だが小一郎だけは違った。その怒りに嘗ての情があると見て厳罰にならないと考えた。

 権兵衛への処分は改易に決まった。

 奉行達は意外に軽い処分と訝しんだ。そんな中、三成はあの怒りは演技では無いかと察する。
 元々、島津との火種を作ること期待して権兵衛が派遣されたのだ。また、徳川との情勢変化で本隊の九州派遣も遅れた。だからこその、処分決定では、と。


 三成の推察は当たっていた。秀吉はどう転んでも良いようにお金の工面をしていた。そう小一郎に言う。しかし、小一郎は渋い顔をする。権兵衛に対する情が無く、子飼いは銭には換えられぬ、と言う。そして、自分しか諫言出来る者がいないと。
 秀吉はそれを聞き、利休に権兵衛の事を逐一報告するよう命ずる。


 仙石家を畳む日が来た。
 他家へ婿養子になる孫を始め、家臣たちもそれぞれ新たな道を歩む。
 戦傷を負った久次へ権兵衛は書状を送る。彼はその後、後藤又兵衛と共に戦ったり水野家の客分になったりした。そんな中でも仙石家との誼は続いたと言う。
 覺右衛門はその武勇から前田家に仕えるようになる。


 藤は髪を切り、権兵衛は頭を剃る。

 何も考えずにここまで来て、戦い、破れ、失った。

 二人は何もないところから再び歩き始めるのだった。


 
 と、言うわけで権兵衛は再スタートですね。
 そう言えば、センゴクの各部は十五巻刻みになっているけど、そろそろ終わりも近そうなのかな。刊行予定から考えると4巻分が小田原で終了するのかな。
 その先があるのか無いのか、楽しみにその時を迎えたいですね。

 あと、豊臣家の崩壊の萌芽が見られたり。天下人としての意識の変化、周りの考えなど秀吉の、豊臣の天下が長くないと印象付けてますね。この当たりも権兵衛の物語の先を期待してしまいますね。