今週のセンゴク権兵衛の感想。
九州で行われる長期の茶会。その中で商人や黒田官兵衛らと対明貿易について語りあう。
江南より中華統一をした明。その経済の中心地が寧波である。
しかも、明では銀が主要通貨になっていた。丁度、石見銀山の経営を毛利と共同で当たることになったばかりである
その銀で生糸を買い、儲ける。その際の明側の貿易港が寧波だ。しかし問題があった。
それは、距離であり、海を渡らねばならぬ、と言うことだ。
春と秋の季節風の時期しか渡れない上に、難破する事もあり得る。日本の船、和船では定期的で安定的な航路になりにくいのである。
朝鮮経由の道もある。だが、朝鮮がこれに乗る気では無いのである。当時、生糸を通貨にしてた朝鮮はこれが増える事による経済混乱を憂いていた。そして儒教の教えに反するのではとも。さらには明から銀の朝貢を増やせと圧力がかかる懸念、などなど。
とにかく、朝鮮経由は難しかった。
では、解決策は、と言うと。
一つは、卓越した航海技術を持つ倭寇を取り込む事。
そしてもう一つは船の改良である。
高速で安定性があり、遠浅でも航行出来る船。そう、南蛮船のような船である。
まさに渡りに船であった。その時秀吉は大型の南蛮船を買おうとしていたのだ。
それを元に、多数の大型船を建造する、そう秀吉は明言する。
多数の大型船による明との貿易。もし明が拒絶するなら戦も辞さない、と秀吉は言うのであった。
だが、予定は狂ってしまった。急遽、南蛮が大型船は無理だと言い始めたのだ。
曰く、博多の海は大型船が入れないくらい海底が浅いと。
その知らせに秀吉は他の候補地の長崎は平戸は、と問う。すると長崎はすでにバテレンの領地になっていると。
再びの茶会。そこで南蛮からの船の購入を諦め、独自の工夫で海を渡れる船を作ると秀吉は言う。そして、博多の海の水深を測定する事を決める。
慌てる博多の商人に秀吉は、貿易港変更もあり得ると告げた。
そんな中、秀吉はバテレン追放令を発するのであった。
まるっと秀吉回でした。
いろいろな理由が語れれるバテレン追放令。センゴクでは教皇領を問題に出してきましたか。これも定説外しかな?貿易問題に絡めつつって感じでしたね。
そういえば、日本の船は竜骨が無いんですよね。その為、西洋の船みたいに外洋を渡れないとか。鉄砲みたいに広まった技術もあるのに、船に関してはあんまり取り入れられてないんだよね。なんでだろう。その後の幕府の規制があったにせよ。
まぁ、兎にも角にも、為になる回でした。
2018年5月20日日曜日
その進む先
センゴク権兵衛、今週号は休載でした。
ので先週号の感想を。
古溪和尚が権兵衛を呼んだ理由。それは、神子田の首を見た後、権兵衛が「秀吉が暴君と誤解されたしまう」そう言っていたのを偶々聞いていたからだ。
権兵衛曰く。上に立つ以上苛烈な判断も求められる。だが、下の者は色々と好きに言う。それは自分がそうであったように。
古溪は言う、権兵衛は上と下、それぞれの事情を知ることが出来た。それは幸いだと。
そして秀吉は、未曾有の出世を遂げた故に下の者のことを知らないのではと。
権兵衛は言う。信長が存命の時、秀吉は出世する為にがむしゃらだったと。
古溪は問う。なら、今秀吉は何の為に動いているのか。
権兵衛は思い出す。お天道様にせっつかれている、そう言っていた事を。
その言葉に古溪は合点する。お天道様を世間とすれば、秀吉が世間を支配し、世間は秀吉を求める。しかしそれが反転すれば、秀吉は滅びの道に進む事になる。
そこまで喋った後、一息入れる。そして権兵衛にこの後どうするか聞く。権兵衛は僧になるつもりであった。だが、古溪は断る。そして、再び大名に復帰するべきだし、そういう運命だ、と言う。
どうやって復帰すると問う権兵衛に古溪は答える。我欲に流されず、自分が正しいとも間違っているとも思わず、縁を辿れば自ずと復帰出来ると。
権兵衛が去った後、古溪は思う。秀吉が欲に誘惑された時、必ず権兵衛が必要になってくる。だからこそ復帰すべきだと。
九州平定がおわった秀吉。彼は早速、博多の整備に取り掛かる。太閤町割りと呼ばれる区画整備を行い、ここを対外貿易の拠点とする。
そして見据えるは明の寧波。東西の交易地として栄える港町である。
お坊さんが出ているからか、禅問答って感じでしたね。
秀吉の暴走を止めるのに権兵衛が必要とは。まぁ、これまでの事を考えるとそうだよな、って感じですね。
権兵衛の大名復帰と言う事はこの後どっかで家康が出てきそうだけど、どうなるのかな。そもそも北条も出てないし。
で、その秀吉は博多から世界へ目を向けてますね。堺の商人が若干嫌そうな顔してるのは気の所為では無いですよね、たぶん。
さて、小田原討伐までどう話が展開されるか、楽しみですね。
ので先週号の感想を。
古溪和尚が権兵衛を呼んだ理由。それは、神子田の首を見た後、権兵衛が「秀吉が暴君と誤解されたしまう」そう言っていたのを偶々聞いていたからだ。
権兵衛曰く。上に立つ以上苛烈な判断も求められる。だが、下の者は色々と好きに言う。それは自分がそうであったように。
古溪は言う、権兵衛は上と下、それぞれの事情を知ることが出来た。それは幸いだと。
そして秀吉は、未曾有の出世を遂げた故に下の者のことを知らないのではと。
権兵衛は言う。信長が存命の時、秀吉は出世する為にがむしゃらだったと。
古溪は問う。なら、今秀吉は何の為に動いているのか。
権兵衛は思い出す。お天道様にせっつかれている、そう言っていた事を。
その言葉に古溪は合点する。お天道様を世間とすれば、秀吉が世間を支配し、世間は秀吉を求める。しかしそれが反転すれば、秀吉は滅びの道に進む事になる。
そこまで喋った後、一息入れる。そして権兵衛にこの後どうするか聞く。権兵衛は僧になるつもりであった。だが、古溪は断る。そして、再び大名に復帰するべきだし、そういう運命だ、と言う。
どうやって復帰すると問う権兵衛に古溪は答える。我欲に流されず、自分が正しいとも間違っているとも思わず、縁を辿れば自ずと復帰出来ると。
権兵衛が去った後、古溪は思う。秀吉が欲に誘惑された時、必ず権兵衛が必要になってくる。だからこそ復帰すべきだと。
九州平定がおわった秀吉。彼は早速、博多の整備に取り掛かる。太閤町割りと呼ばれる区画整備を行い、ここを対外貿易の拠点とする。
そして見据えるは明の寧波。東西の交易地として栄える港町である。
お坊さんが出ているからか、禅問答って感じでしたね。
秀吉の暴走を止めるのに権兵衛が必要とは。まぁ、これまでの事を考えるとそうだよな、って感じですね。
権兵衛の大名復帰と言う事はこの後どっかで家康が出てきそうだけど、どうなるのかな。そもそも北条も出てないし。
で、その秀吉は博多から世界へ目を向けてますね。堺の商人が若干嫌そうな顔してるのは気の所為では無いですよね、たぶん。
さて、小田原討伐までどう話が展開されるか、楽しみですね。
2018年5月6日日曜日
九州始末
今回と前回のセンゴク権兵衛の感想。
旧臣と共に京へと越してきた権兵衛。そんな中、神子田が晒し首になっていると聞かされる。
実際に見に行き、衝撃を受ける権兵衛。それは、同じ古参だからこそ秀吉に話しかけてはいけない時があるのに気が付かなかったのか。そして、この様な事が続けば秀吉が必要以上に恐れられてしまう、と。
時代の変わり目か。武名名高い吉川元春、元長親子が相次いで死去した。そして家久もまた先は長くなかった。
病で弱った彼の元に藤堂高虎が尋ねる。武名名高い家久に兵法を教わる為だ。
彼は言った。瑜伽であると。戦場と一体化する。それが出来れば家の中に居ながら外に蝶がいる事を知れる。実際、家久の言う通り部屋の中に蝶が現れた。
高虎は、関心し頭を垂れるのみであった。
程なくして家久は亡くなった。小一郎に報告する高虎。そこで小一郎は豊臣が暗殺したと噂や逆恨みが無いように遺族や家臣に言い含めなくては、と言う。これに多少反発する高虎。少なくとも家久が子息はそんな人物では無いと言った。
小一郎は、冷徹な物言いも天下の宰相としては必要である、と考えていた。自分は天下人秀吉の右腕であると自覚していたからだ。
しかし、高虎はそれで手放してしまった術もあるのでは無いかと言い、家久から聞かされた、瑜伽、を話す。
小一郎は笑った。そして、そういう事もあるだろうと言う。だが、結局勝ったのは武で導いた島津では無く、富で導く豊臣だ、そう続けた。
小一郎と別れて、河原を往く高虎。そこには石合戦をする子供達が居た。
一方は事前に盾を用意しており、相手を圧倒していた。逃げる子供達、勝負が決まったかと思いきや、押されていた方が左右に展開し、進撃していた方を半包囲して勝ったのだ。そう釣り野伏である。
高虎は子供を捕まえ、知っていたのか?と聞く。子供は空から釣り野伏をせいと聞こえたと言った。
高虎には聞こえなかった。それはそれだけ賢くなったと言う事か。高虎は今度権兵衛に会い、戸次川の事を聞こうと思うのだった。
その権兵衛は大徳寺の古溪に呼び出されていた。一度は行きたかった大徳寺。それも高僧のお呼びなら行かぬ筈も無い。そうして生まれて初めての大徳寺だった、はずだった。実は権兵衛が先祖供養をやった時訪れていたのだった。猪武者の時代だった故に仕方ないのかもしれない。
それは兎も角、古溪と対面するのであった。
これで戸次川、九州征伐は終了ですね。
あ、忘れてたけど、龍造寺は鍋島直茂が実質の当主になったり、大友義統が紆余曲折したり、島津では歳久が謀反を疑われて不遇の時を過ごし、義弘が実質当主、義久は完全な隠居では無く力を持ち、その後三殿体制になるとか描かれてました。
これで九州の騒乱も終わりですね。まぁ、一揆とかあるけどね。佐々さんが可哀想になるやつね。
時代が大きく変わる。そんな感じがしますね。それと何処か不穏な空気も。
さてこのタイミングで古溪と会うのはどんな意味があるのか。楽しみですね。
あと、小田原までどうなるかもね。
旧臣と共に京へと越してきた権兵衛。そんな中、神子田が晒し首になっていると聞かされる。
実際に見に行き、衝撃を受ける権兵衛。それは、同じ古参だからこそ秀吉に話しかけてはいけない時があるのに気が付かなかったのか。そして、この様な事が続けば秀吉が必要以上に恐れられてしまう、と。
時代の変わり目か。武名名高い吉川元春、元長親子が相次いで死去した。そして家久もまた先は長くなかった。
病で弱った彼の元に藤堂高虎が尋ねる。武名名高い家久に兵法を教わる為だ。
彼は言った。瑜伽であると。戦場と一体化する。それが出来れば家の中に居ながら外に蝶がいる事を知れる。実際、家久の言う通り部屋の中に蝶が現れた。
高虎は、関心し頭を垂れるのみであった。
程なくして家久は亡くなった。小一郎に報告する高虎。そこで小一郎は豊臣が暗殺したと噂や逆恨みが無いように遺族や家臣に言い含めなくては、と言う。これに多少反発する高虎。少なくとも家久が子息はそんな人物では無いと言った。
小一郎は、冷徹な物言いも天下の宰相としては必要である、と考えていた。自分は天下人秀吉の右腕であると自覚していたからだ。
しかし、高虎はそれで手放してしまった術もあるのでは無いかと言い、家久から聞かされた、瑜伽、を話す。
小一郎は笑った。そして、そういう事もあるだろうと言う。だが、結局勝ったのは武で導いた島津では無く、富で導く豊臣だ、そう続けた。
小一郎と別れて、河原を往く高虎。そこには石合戦をする子供達が居た。
一方は事前に盾を用意しており、相手を圧倒していた。逃げる子供達、勝負が決まったかと思いきや、押されていた方が左右に展開し、進撃していた方を半包囲して勝ったのだ。そう釣り野伏である。
高虎は子供を捕まえ、知っていたのか?と聞く。子供は空から釣り野伏をせいと聞こえたと言った。
高虎には聞こえなかった。それはそれだけ賢くなったと言う事か。高虎は今度権兵衛に会い、戸次川の事を聞こうと思うのだった。
その権兵衛は大徳寺の古溪に呼び出されていた。一度は行きたかった大徳寺。それも高僧のお呼びなら行かぬ筈も無い。そうして生まれて初めての大徳寺だった、はずだった。実は権兵衛が先祖供養をやった時訪れていたのだった。猪武者の時代だった故に仕方ないのかもしれない。
それは兎も角、古溪と対面するのであった。
これで戸次川、九州征伐は終了ですね。
あ、忘れてたけど、龍造寺は鍋島直茂が実質の当主になったり、大友義統が紆余曲折したり、島津では歳久が謀反を疑われて不遇の時を過ごし、義弘が実質当主、義久は完全な隠居では無く力を持ち、その後三殿体制になるとか描かれてました。
これで九州の騒乱も終わりですね。まぁ、一揆とかあるけどね。佐々さんが可哀想になるやつね。
時代が大きく変わる。そんな感じがしますね。それと何処か不穏な空気も。
さてこのタイミングで古溪と会うのはどんな意味があるのか。楽しみですね。
あと、小田原までどうなるかもね。
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