2020年10月26日月曜日

瘤を取ったその先に

  溜まっていた、センゴク権兵衛の感想。四話分です。

 第188話
 小一郎の死去により次期宰相を決めなければならなかった。
 候補は浅野長政と秀次であった。が、浅野は官位が不足しているし、秀次は実力が不明。秀吉は悩んでいた。
 そんな中、清州で秀吉は政宗と対面する。奥州での一揆扇動の弁明であった。秀吉はその弁明を受け入れた。一方、政宗は浅野が尽力した、と言い。更に褒め称えたのだ。
 政宗は浅野が宰相になった方が付け入る隙が出来ると思っていたのだ。

 秀吉の下に奥州の鎮圧軍の中に派閥が形成されている、との報告が入った。
 奉行衆と大名衆、そして中立の秀次である。そして、奉行の浅野が政宗の取次を通じて家康と昵懇の仲になりつつあったのだ。
 秀吉は家康の剣呑さを感じながら、一つの政権構想が生まれた。奉行、秀次、同じ大名衆の前田利家、この三つの目付に抑えにして家康を宰相にする案が。
 剣呑であるが、奉行の権力強化すればいい。そして何より、日ノ本で自分に次ぐ優れた大名が宰相になる事に秀吉は心躍ったのである。
 そして政権内の瘤も取る事が出来ると。

 第189話
 政宗が京へ上洛した。家康、浅野、利家、秀次らの執り成しにより赦されたのだが、その上洛の格好は奇抜であった。死装束に金箔の磔柱を立てて練り歩いたのだ。それは一種の奥州の平定を天下に示す行列でもあった。
 一方、三成は赦免を不服に思っていた。三成ら奉行衆の考える中央集権にはそぐわないからである。三成の懸念はそれで終わらない。政宗の取次の家康の声望が高まっている。彼もまた戦国大名、豊臣の権力集中を良しとは思っていない、と。
 とまれ、秀吉に直言はできない。秀吉の真心に水を差せないからだ。
 そんな中、秀吉に奉行衆が呼ばれる。秀吉は奉行衆の言いたい事はわかると言い、家康の宰相は奉行が権力を持つまでの一時の措置と言う。
 そして、積まれた茶会記を前にして言う。この中に利休の不正が散見する、と。
 これをもって利休を切腹に追い込み、奉行の怖さを諸大名に知らしめるよう命じるのであった。

 第190話
 奉行衆は切腹の理由作りに悩んでいた。そんな中で三成は腑に落ちなかった。が、これも政権を安定させる為に必要な事、そう飲み込むしかなかった。
 利休の罪は大徳寺山門に像を掲げ、天下人を見下ろした。そんな無理筋の罪が決まった。
 利休は特に動じず。罪を受けいれる。そして、決定を告げにきた富田と柘植に天下一とは何かを語った。それは天下一の創作の本当の良さがわかる者が天下に二人といないと言う孤独であった。それは天下人である秀吉も同じである。だからこそ知己になろうとしたが、利休は秀吉の事を好きにはなれなかった。
 舟で行く利休。見送るのは二人、古田織部ともう一人は細川忠興か。
 利休は彼らは茶杓一さじ分は自分の創作がわかる者と評し、友と思う。
 そして、三月程前に天下人に相応しき友がいる事を思い出す。そう権兵衛である。
 その友を大切にする事だ。出なければ古今東西ロクな死に方はしないのだ。

 ここに茶聖千利休は切腹して果てたのだった。

 第191話
 利休の死によって、様々な噂が乱れ飛ぶ。無論、奉行衆に対する根拠のない風説も。
 だが、三成はそれでいい、と言う。そうして奉行衆を畏怖すればこそ、聚楽が民の憩いの地になるのだ、と。
 その利休の助命にお寧や大政所も動いていた。しかもそれが偶然同日になったのだ。その為か、秀吉の音沙汰がなかった。
 秀吉は家康と二人で会っていた。家康は切腹は致し方ないと言い。秀吉は自分の気持ちがわかるのは家康だけと言う。その上で家康の辛苦は自分以上と言った。
 棚には利休への手向けとして楽焼が飾られていた。
 気落ちしている風にも見える秀吉。だが、鶴松の話題になると一転して好々爺になる。
 童胴を持ち出し、あと五年は生きなければと言う。それに家康は元服まで十年以上ある、と答えた。
 いつまでたっても死ねんと言い、童胴を見つめる秀吉。その胸の内はいかばかりか。

 浅間山が噴火したせいで、権兵衛の小諸は不作であった。
 その暗い家中を明るくする為、葛の再婚が決まった。涙をながし、見送る権兵衛達であった。
 が、四か月で出戻ってしまったのだ。
 
 天正十九年は豊臣政権にとって試練の年であった。
 豊臣秀長の死去、千利休の切腹。奥州の一揆は七月まで続いた。
 そして最大の苦難、鶴松の夭折が訪れるのである。

 
 権兵衛の所がいい箸休めですね。統治の失敗もこの頃でしたっけ。
 秀吉のパートは重いですね。家康を据える政権構想。そこからの奉行強化の為の利休の切腹。利休の権兵衛評は古渓和尚と同じですね。確かに、権兵衛と秀吉の会話は友達の気やすい会話でしたからね。そう思えば他人に有能を求める秀吉にとっては唯一無二の存在ですね。
 後、三成はイロイロ腹に抱えていますね。ある意味、秀吉に仕えた事が不幸なのかな、とも思ったり。だからと言って主替えなんて出来ないだろうし。
 なんとなく、史実でも、三成と家康って性格や考え方が似てたのでは、と思ったりします。秀吉より先に家康に出会っていたら幸せだったのでは、と考えてしまいます。
 まぁ、三成好きな人から大反論されそうですけどね。

 そんなこんなで、いよいよ最大の悲劇が訪れます。一体豊臣政権はどうなるのか。次回も楽しみです。