2020年12月31日木曜日

増える火種

 センゴク権兵衛、196話と197話の感想。

 佐竹と信濃国衆の喧嘩。佐竹勢は太い棒を用意して襲撃に備えていた。
 信濃の諸将が集っている陣幕にその報がもたらされる。すでに備えている佐竹に諸将はざわつくが、権兵衛は別の事に気になっていた。
 火縄の匂いがしたのだ。権兵衛は鉄砲は無用のはず、と言い、消すように促す。
 鉄砲を用意していたのは真田だった。ただし、弾も火薬も使用しない空砲であった。昌幸はあくまで威嚇の為であり、玉傷も音もしないから沙汰の折にも問題無いと言う。更に、棒の叩き合いすらなく敵を追い散らせると提言する。
 しかし、権兵衛は敵が逃げずに大事になる可能性を指摘する。が、昌幸は逆上したら、それこそ思う壺、真田が翻弄すると言うのだ。
 この言葉に事の発端の毛利秀頼は心強い、と言う。そして権兵衛に心意気を見せて欲しい、挽回の刻、と肩を強く掴みながら言った。

 佐竹の行軍を物見が監視する。
 先手は一族の佐竹義久。なんと、千五百も兵を引き連れている。
 そして大将佐竹義宜は五百騎総勢三千。更に棒ではなく得物に鉄砲まで備えているのだ。
 その報が権兵衛の下に届けられる。これは権兵衛の予想外であった。この大軍であれば名門佐竹は引くに引けない。元の宿の優先順位の争いですら毛利秀頼側の不利であった。

 佐竹義久は火縄のニオイに気付く。義久は弓手を前に出し、更に義宜へ報せる。
 義宜は信濃衆が火蓋を切ったら、やれ、と命令する。たとえ詰め腹を切らされようと大義は我らにあり、と言うのだった。

 一触即発の信濃衆と佐竹勢。
 近づく敵に権兵衛は、一人飛び出し大声で言う。暫く、と何度も。
 権兵衛は経緯を説明し、そして勝ち目がないから相止めと言い、通るよう伝えるのだった。
 毛利秀頼は当然怒り心頭、三国一の臆病者と罵る。が、権兵衛にとっては言われなれているものだった。
 一方、昌幸はこれを見て、権兵衛を侮り難し、と考えるのであった。

 佐竹と信濃衆の諍いは収まった。しかし、衝突は他にも、特にある大大名家同志でも起こっていた。

 此度の喧嘩沙汰、佐竹に東国の上杉、蒲生、そしてなんと伊達も味方に付いたのだ。
 この報になんと、奉行衆は安堵したのだ。その理由は伊達が佐竹に付いたからである。もし信濃衆に付けば諸大名を巻き込む火種になっていた可能性があったからだ。
 喧嘩は無事、収束した。が、これも秀吉の遅延故であり、未だ奉行衆の力が発展途中である事が露見したのだ。奉行衆は猪武者に目付が必要と考える。ちなみに、三成は権兵衛が焚き付けたと思っていた。

 さて、四月下旬。遂に権兵衛たちは名護屋に到着した。そこはまさに新たな都であった。聚楽を越える城、数多の諸大名の陣所、人のごった返す商店。更に、城の造り、庭、能舞台茶室、すべてが諸大名が精力を掛けて作った最先端であった。
 
 町を歩く権兵衛すると商人に話しかけられる。なんと、かつての家臣、斎藤であった。
 権兵衛はさっそく、銭を貸して欲しいと言うが、そこまでの銭はないと言う。その代わりに前田家に伝手があるので、取次すると提案する。
 そして、借銭は後ろめたき事ばかりでは無い、と言う。キチンと返済する事で両家の信頼を築ける。しかも前田利家はいずれ豊臣政権の鼎の一つになる、そう噂されているのだ。
 ただ、権兵衛は恩返ししなければいけない人が多い事を気にする。面倒、だとも言う。
 斎藤は少々評判が悪い、と言い、権兵衛も良かった事がない、と返した。
 とかく、権兵衛は斎藤に礼をする。田宮の遺髪を届けてくれた事に。しかし、斎藤は言いよどむ。しかし、権兵衛はその事を解っていた。あの遺髪が本物でない事に。
 それでも良い物である、斎藤の嘘は良い嘘だ、そう言うのであった。
 斎藤はご立派になった、仏門に入られたように、と評し、権兵衛は古径和尚の弟子になるのは断られた、と返した。

 二十五日には秀吉も到着。勝報に接し、自身の渡海の準備に入る。
 しかし、五月五日に新たな喧嘩沙汰が勃発。しかも政権中枢の徳川と前田である。
 切っ掛けは徳川陣近くの清水から前田家の家臣が水を汲んでいた為である。両家の口論から始まった諍いは徐々に人数を増す。これに本多忠勝が仲裁に乗り出すが、伊達政宗が徳川に味方すると表明する。この為、一触即発になりかける。しかし、伊達家の年寄衆が仲裁。これにて両家は引き、天下の大事には成らずに済んだのである。

 奉行衆は落胆する。秀吉が居ても喧嘩が収まらないのである。
 さらに、表向きは事なきを得たが、天下の航路は異なる方向へ向かっていた。


 前途多難、既に秀吉の力も落ち始めた、感じがしますね。朝鮮出兵は各大名間に多くの火種を残して終わる、と言う豊臣政権にとっては何一つ良い所なく終わりましたからね。
 徳川と前田の諍いが関ケ原に繋がっていくのかな。なにはともあれ、関ケ原まで見たくなりたいですね。

 佐竹との争いは権兵衛だからこそ止められた、って感じですね。戸次川の失態があるから、ある意味無様な事も出来る、って感じがしますね。
 それと同時に昌幸も、その辺りの強さを感じているみたいですね。

 また、斎藤の再登場は驚きましたね。それにしても本当に権兵衛は変わったようで変わらない、変わらないようで変わった、って感じですね。一度、大きな失敗をしたからですね。

 さて、いよいよ秀吉と豊臣政権の陰りが見え始めました。これからどうなって行くのか、楽しみです。

2020年11月29日日曜日

各々の苦境

  先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 二年に亘り奥州と京を往来していた奉行衆も漸く中央の政務に専念出来るようになった。
 そんな奉行衆に待ち受ける問題は、鶴松の死にから始まった唐入りと関白委譲であった。
 余りに早すぎる事態の推移。それは国内の統治がなおざりに見えた。もし、大規模な一揆でも起きれば政権が倒れてしまう。そんな危機感もあった。
 だからこそ、伊達政宗のような悪漢は見せしめにしなければいけなかった、そう三成は言う。浅野は三成の強硬な姿勢を憂慮する。しかし、三成は私利私欲ではなく、天下御政道の輔弼に尽くす為であり、その一念に反する身勝手な者に憎悪するからだ、と言う。
 とまれ、これより輔弼するのは秀次である、そう増田は三成に聞くが、無言であった。
 大谷も主君に器量が無くても輔弼するのが惣無事の政道ではないか、と言う。三成は、今はそう思っておく、と俯き答えるばかりであった。

 秀吉は秀次に教訓状を与えた。
 内容は、武に油断なく法度を難く、仁義礼智信を嗜む。茶湯鷹狩並びに女遊びは程々にすべし。と、基本的な事であった。秀吉は要は自分の真似をするな、と軽く言う。
 難しくはない。だが、これを二十、三十年と続けるのは容易ではない。最初はよくても数年で酒色に溺れる者は多数いるし、秀吉も何人も見てきた。
 だが、秀吉は秀次を信じる、と言い。鼎を支える者も、秀保、金吾、秀家、秀忠と多くいると言う。が、その本音は秀次の代わりなどいくらでもいる、であった。つまり、威しであった。

 秀吉は関白を譲り太閤となる。そして天正二十年。この年は十二月八日に改元され文禄となる。その正月である、遂に唐入りの命令が諸将に下る。

 しかし、多くの者は不満であった。遠い異国の地、準備期間の短さ、生きて帰れるかも分からない。いっそ故郷で自害した方がましだ、そんな者もおった。
 だが、誰も反対しなかった。諸将は密告を恐れ、互いに信頼できず、結託できなかったのだ。
 その様な話はイエズス会の宣教師も入手していた。そして異例の出世で小西に嫉妬する大名も多いと、心配の言葉を掛けた。
 小西は秀吉の力なら唐入りも成就するのでは、と言い。武功を立てたら、秀吉の死後、秀次に布教の赦しを得る、と約束する。

 秀吉は諸将を鼓舞する演説をする。
 大言壮語は秀吉自身の心の高まりか。しかし、諸将は、奉行衆は、奥の者たちは、気持ちは一緒であろうか。それぞれが別のものを腹に抱えているのではないだろうか。

 秀吉の命で名護屋は一大都市に変貌した。そこを拠点に唐入りが始まった。


 西国大名が次々と渡海。釜山を占拠すると、次々に北進を開始した。
 だが、秀吉は進軍は遅かった。眼病に腹痛、そして行路混雑の為であった。四月半ばでも九州に至ってない。
 西国だけでなく、東国の諸将も名護屋へと向かっていた。それは権兵衛も同じ四月半ばには豊前の小倉まで来ていた。
 味方の勝報が届くと兵士たちもいきり立つ。が、権兵衛は自分たちは後発隊。合戦が終わった後、落城した城の陣番になって一揆に備える役割と心得ていた。
 ただ、言葉が分からないから一揆か平伏かの判断を漢字による筆談に頼ろうとしていた。律儀に一揆に来ましたって書かないと突っ込まれたが。
 小倉は権兵衛たちが戸次川の敗北で通った場所。本人は茫然自失で覚えてはなかったが。それでも今まで殺し合いをした敵同士がみんな味方で集まる、その事が感慨深かった。
 後ろには真田もいる。挨拶をした権兵衛曰く、落ち着いた感じで、誠実そうな、家康に似た雰囲気との事であった。

 その夜、信州伊那の大名、毛利秀頼のもとに信州の国衆が集まった。勿論権兵衛もだ。
 曰く、佐竹と宿の優先順で争論になり、義宜に直談判をしようとしたら士衆に散々に突き叩かれたのであった。
 このままでは面目丸つぶれ、ゆえに信州国衆に同心を申し出るのであった。
 が、味方同士の争い。打ち首にされかねない。権兵衛でも、その事は分かった。当然、数正や昌幸がうまく宥めてくれる事を期待する。
 だがしかし、真っ先に同意するのであった。他の国衆も次々に同意してしまった。
 権兵衛は、全員打ち首にはならないだろう、そう考えて同意をするしかなかった。
 
 一番最後に同意したから、喧嘩の先導をしなければならなくなった。
 その話を持ち帰ると、当然皆動揺する。家老の森も正気の沙汰じゃない、と言う。
 権兵衛は全員打ち首にはならない、と言う。しかし、それは見せしめで一人くらい打ち首になる可能性があった。
 権兵衛も有り得る、と考え、誰が見せしめになるか熟考する。
 信州国衆と関東勢の中で最も一番喧嘩を主導しそうな大名、それは。
 仙石権兵衛秀久、自分自身である。

 昌幸は理解していた。権兵衛の打ち首で手打ちになる、と。
 しかし、そうならなくても権兵衛の戦ぶりを見ておきたい。切らんとて切り能わぬ、縁の繋がりし隣国の大名であるのだから。

 かくして翌日の昼に佐竹勢への抵抗が試みられるのであった。


 と、言うわけでとうとう始まりましたね朝鮮出兵が。なんか早くも空中分解しそうなぐらい皆の心がバラバラですけどね。
 三成も不穏な感じですよね。まさか、秀吉自身が天下の御政道を歪めてるとか考えてないですよね。そうでなくても、不満多そうだけど。
 浅井もなんか感じ取ってるみたいだけど。
 あと、茶々は復活したのかな。化粧してたけど。秀頼誕生の伏線かな?
 そして、秀次。秀吉は代わりはいる、って言ったけどいませんでしたね。後の歴史見てみると。秀吉自身の限界が来ている、そんな話を聞いたので少しずつ綻びが出ているのかな。
秀吉自身は逃げきれたけど、政権は…ですよね。

 さて、権兵衛の方はと言うと。巻き込まれた上に命の危険が迫っていますね。この辺の事は何とかなったみたいなので、どう描かれるか楽しみですね。
 それにしても権兵衛の昌幸評、騙されてますよ。後、ある意味家康に似ているはあっているけどね。そういえば昌幸少し太った感じしますね。前回出たのは武田が滅びるところでしたっけ?なんにしても久しぶりですね。

 と、まぁ、全体的に不穏な感じですけど、次回も楽しみですね。

2020年11月15日日曜日

後戻り出来ぬ道へ

  今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 秀吉はポルトガル領となっていたインド副王に宛てた書簡案を作成した。
 その内容は恫喝的であり、事前に入手したイエズス会は驚く。官兵衛や前田玄以と密談し、秀吉の真意を聞き、事後の事を協議した。
 だが、事実は諸人の予想を遥かに超える。

 鶴松が夭折したのである。

 苦しみと寂しさに苛まれる秀吉。その怒りの矛先は、子が欲しいと言った茶々に向けられようとした。
 そして、二日後には有馬へ湯治へと行き、十日間大坂、京に戻らなかった。
 大政所はお寧に言う。気遣うべきは秀吉ではなく茶々、と。
 秀吉は何でも出来たゆえに、理不尽な事が起きると人の所為にする、と。
 茶々を見舞うお寧。しかし、茶々は奥に引き籠ってしまっていた。
 茶々の侍女は不満であり不安であった。秀吉が何もしないからである。
 まるで、病気に勝てない子を産んだり、子供を欲しがった茶々が悪い、そう言われているようで。さらに、浅井出身故の肩身の狭さも感じていた。
 お寧はきっぱりと約束する。たとえ、秀吉が死んでも浅井家の方々を無下にしないと。
 そんな中、現れたのは竜子であった。京極家出身の彼女には茶々は家臣の姫。なので、茶々と話に来たのだ。
 茶々の部屋に入ると竜子はお市の形見の懐刀を預かる。そして言う。あんなゲスの為に自決なんて勿体ない、と。
 そして秀吉はイザとなったらケツをまくる男と言い切る。続けて世の男は全てそう、とも言った。いつか、茶々にもわかると言い、部屋を出た。
 茶々は母と交わした勝負を思い出す。母に負けない美しい人間の為に。

 温泉に浸かる秀吉。その脳裏には以前言った言葉が蘇る。
 お天道さんがお前がやらにゃあならんとせっついてくる。
 遂に、秀吉は唐入りを決断するのだった。

 唐入りの拠点を名護屋に秀吉は定めた。しかし、そこは何もない荒野。諸将は気が進まなかった。
 しかし、秀吉の決意は固く。名護屋の地を都にしようと考えていた。
 理由は三つ。先ず、前線基地と共に憩いの地にすること。そして諸大名に港湾貿易の都市作りの見本とすること。
 そして、交渉してくる国々に対し、国力を見せつける事。辺鄙に至るまで黄金輝く絢爛の地と思わせ、日本に敵わぬと思い知らせる為に。
 秀吉は自分の考えに絶対の自信を持っていた。と、同時に困難さも知っていた。だが、奉行衆ならば不可能を可能にする。そしてその力を諸大名に見せつける事となるのだ。
 さらに五カ国同時脅嚇も開始。インドに先んじてスペイン領フィリピンに通告する。
 この書簡には事実と異なる事が書かれ、威していた。それはすでに朝鮮が帰服している事である。すでに事態は後戻り出来ない点を越えていた。

 そして、権力機構の再編が行われた。
 小一郎の養子、秀保。秀吉の養子、金吾。家康の三男、長丸。この三人が参議へと昇官したのだ。これは大身大名と同格であった。
 秀吉は家康と二人っきりで会っていた。無論、今後の政治の話である。
 秀吉は国内統治の為に若手が政権を担うように人事を動かしていた。それは自分たちが外海へ出る為であった。秀吉は家康に共に唐へ行くことを誘う。反論は難しく、家康は共に行くとしか言えなかった。
 そして、さらに重要な事を伝える。大陸で命が尽きる事を考え、関白を退く事。そして、秀次を次の関白にして天下の政を担わせる、と。そして、家康にも天下宰相を退き、唐入りに専念するように言う。無論、成功すればより高い地位を用意する、と確約する。

 家康は自信に言い聞かせる。むしろ良かった、と。天下宰相など、身に余る地位だと。粛清の危難を免れた、と。
 唐より必ず生きて帰る。何年、何十年と秀次に平伏し続ける。怒りを腹に溜め込むのだ。いつの日か、事を成す刻に躊躇わぬ為に。
 そう涙を流しながら、腹の中に飲み込むのだった。

 
 家康の心境は本能寺の変直後と似てますね。あの時も寧ろ喜ぶべし、と飲み込んだからね。まぁ、今回は前回の比ではなさそうですけどね。
 鶴松の死により、歯車は勢いよく回り始めましたね。ただ、暴走してるようにも思えますけど…どうなのか。これもまた、何かにせっつかれている、でしょうか。
 新たな政権構想ですけど、不安なところもあります。実際、この後また変更されてるし。
 この後、朝鮮出兵と共に、政権闘争を行うのかな。そうすると、関ケ原まで行けそうな…行って欲しいな。家康も報われますし。
 はてさて、豊臣政権の行く末はどうなるのか。来週も楽しみですね。

2020年10月26日月曜日

瘤を取ったその先に

  溜まっていた、センゴク権兵衛の感想。四話分です。

 第188話
 小一郎の死去により次期宰相を決めなければならなかった。
 候補は浅野長政と秀次であった。が、浅野は官位が不足しているし、秀次は実力が不明。秀吉は悩んでいた。
 そんな中、清州で秀吉は政宗と対面する。奥州での一揆扇動の弁明であった。秀吉はその弁明を受け入れた。一方、政宗は浅野が尽力した、と言い。更に褒め称えたのだ。
 政宗は浅野が宰相になった方が付け入る隙が出来ると思っていたのだ。

 秀吉の下に奥州の鎮圧軍の中に派閥が形成されている、との報告が入った。
 奉行衆と大名衆、そして中立の秀次である。そして、奉行の浅野が政宗の取次を通じて家康と昵懇の仲になりつつあったのだ。
 秀吉は家康の剣呑さを感じながら、一つの政権構想が生まれた。奉行、秀次、同じ大名衆の前田利家、この三つの目付に抑えにして家康を宰相にする案が。
 剣呑であるが、奉行の権力強化すればいい。そして何より、日ノ本で自分に次ぐ優れた大名が宰相になる事に秀吉は心躍ったのである。
 そして政権内の瘤も取る事が出来ると。

 第189話
 政宗が京へ上洛した。家康、浅野、利家、秀次らの執り成しにより赦されたのだが、その上洛の格好は奇抜であった。死装束に金箔の磔柱を立てて練り歩いたのだ。それは一種の奥州の平定を天下に示す行列でもあった。
 一方、三成は赦免を不服に思っていた。三成ら奉行衆の考える中央集権にはそぐわないからである。三成の懸念はそれで終わらない。政宗の取次の家康の声望が高まっている。彼もまた戦国大名、豊臣の権力集中を良しとは思っていない、と。
 とまれ、秀吉に直言はできない。秀吉の真心に水を差せないからだ。
 そんな中、秀吉に奉行衆が呼ばれる。秀吉は奉行衆の言いたい事はわかると言い、家康の宰相は奉行が権力を持つまでの一時の措置と言う。
 そして、積まれた茶会記を前にして言う。この中に利休の不正が散見する、と。
 これをもって利休を切腹に追い込み、奉行の怖さを諸大名に知らしめるよう命じるのであった。

 第190話
 奉行衆は切腹の理由作りに悩んでいた。そんな中で三成は腑に落ちなかった。が、これも政権を安定させる為に必要な事、そう飲み込むしかなかった。
 利休の罪は大徳寺山門に像を掲げ、天下人を見下ろした。そんな無理筋の罪が決まった。
 利休は特に動じず。罪を受けいれる。そして、決定を告げにきた富田と柘植に天下一とは何かを語った。それは天下一の創作の本当の良さがわかる者が天下に二人といないと言う孤独であった。それは天下人である秀吉も同じである。だからこそ知己になろうとしたが、利休は秀吉の事を好きにはなれなかった。
 舟で行く利休。見送るのは二人、古田織部ともう一人は細川忠興か。
 利休は彼らは茶杓一さじ分は自分の創作がわかる者と評し、友と思う。
 そして、三月程前に天下人に相応しき友がいる事を思い出す。そう権兵衛である。
 その友を大切にする事だ。出なければ古今東西ロクな死に方はしないのだ。

 ここに茶聖千利休は切腹して果てたのだった。

 第191話
 利休の死によって、様々な噂が乱れ飛ぶ。無論、奉行衆に対する根拠のない風説も。
 だが、三成はそれでいい、と言う。そうして奉行衆を畏怖すればこそ、聚楽が民の憩いの地になるのだ、と。
 その利休の助命にお寧や大政所も動いていた。しかもそれが偶然同日になったのだ。その為か、秀吉の音沙汰がなかった。
 秀吉は家康と二人で会っていた。家康は切腹は致し方ないと言い。秀吉は自分の気持ちがわかるのは家康だけと言う。その上で家康の辛苦は自分以上と言った。
 棚には利休への手向けとして楽焼が飾られていた。
 気落ちしている風にも見える秀吉。だが、鶴松の話題になると一転して好々爺になる。
 童胴を持ち出し、あと五年は生きなければと言う。それに家康は元服まで十年以上ある、と答えた。
 いつまでたっても死ねんと言い、童胴を見つめる秀吉。その胸の内はいかばかりか。

 浅間山が噴火したせいで、権兵衛の小諸は不作であった。
 その暗い家中を明るくする為、葛の再婚が決まった。涙をながし、見送る権兵衛達であった。
 が、四か月で出戻ってしまったのだ。
 
 天正十九年は豊臣政権にとって試練の年であった。
 豊臣秀長の死去、千利休の切腹。奥州の一揆は七月まで続いた。
 そして最大の苦難、鶴松の夭折が訪れるのである。

 
 権兵衛の所がいい箸休めですね。統治の失敗もこの頃でしたっけ。
 秀吉のパートは重いですね。家康を据える政権構想。そこからの奉行強化の為の利休の切腹。利休の権兵衛評は古渓和尚と同じですね。確かに、権兵衛と秀吉の会話は友達の気やすい会話でしたからね。そう思えば他人に有能を求める秀吉にとっては唯一無二の存在ですね。
 後、三成はイロイロ腹に抱えていますね。ある意味、秀吉に仕えた事が不幸なのかな、とも思ったり。だからと言って主替えなんて出来ないだろうし。
 なんとなく、史実でも、三成と家康って性格や考え方が似てたのでは、と思ったりします。秀吉より先に家康に出会っていたら幸せだったのでは、と考えてしまいます。
 まぁ、三成好きな人から大反論されそうですけどね。

 そんなこんなで、いよいよ最大の悲劇が訪れます。一体豊臣政権はどうなるのか。次回も楽しみです。

2020年9月22日火曜日

最初の兆し

  センゴク権兵衛の感想。
 サボった所為で、四話ぐらい溜まったので簡単にまとめます。

 第184話
 病を得た小一郎の元に秀吉が見舞に現れる。秀吉は政治の相談をするが小一郎は何も語らない。すでに、小一郎は寿命を悟り、折り紙で鴨を折り縁者に送ろうとしていた。
 小一郎は言う。長生きするように、と。
 秀吉は小一郎の事より、今後の政権運営を危惧する。そんな秀吉の目に幼い兄弟が映る。
 そこで思う。自分一人で天下を獲ったんじゃない、と。そして、小一郎を案ずる余裕がない自分は何動かされているのかと。

 第185話
 奥州で一揆が続いていた。そんな中、奉行衆が京に呼び戻された。来春の唐入りが決定されたからである。
 明に攻め入るには朝鮮を経由しなければならない。しかし、対朝鮮外交は小西と対馬の宗に任されており、奉行衆はその内容を把握していない。そのような状態で政権運営をしなければならなかった。
 そして、朝鮮使節が訪れる。秀吉の全国統一を祝って。
 秀吉や奉行衆は服属の使節だと思っていた。それは小西と宗の飛び石外交の結果であり、秀吉からの過度の要求を緩和させた為であった。
 結果、両国は齟齬を抱えたまま、交渉は膠着状態に陥ってしまった。

 第186話
 小諸の在地衆は決断を迫られていた。小諸に残るか、依田の転封地に行くか、である。
 また、誰かが抜け駆けをして新領主に取り入ろうとするのでは、と疑心暗鬼になっていた。
 そんな中、権兵衛が小諸に入封した。その祝いに村長らが召し出された。
 緊張の中、面会が行われる。権兵衛は言う。平伏はしなくていい、自分の顔を覚えるように、と。そして、扇子を一人一人、手ずから渡すのであった。
 小諸の統治は始まったばかり、問題も多い。だが、権兵衛は言う、まずは小諸を好きになる事だと。そうして、小諸祇園の宮の参拝を重ねるのであった。
 一方、大和では大きな出来事が起こっていた。
 小一郎は遺言を書いていた。そして考える。秀次に宰相は重責すぎる。そして家康の指南を受ける内に……小一郎は最も剣呑なのは彼なのでは、そう考えるのであった。

 第187話
 遂に小一郎の最期の時が迫る。彼は娘のおみやと婿養子の秀保を呼ぶ。だが、兄に伝えようとした重要な事が思い出せなかった。変わり思い出話をする。人見知りで兄しか話す相手がいなかった。だが、兄は有益な話が好きだ。だから有益な話をした。そうして気が付けば日ノ本を背負う宰相になっていた。話をするだけでよかったのに。そして最期に二人に言う、出世は無用、夫婦息災に、と。
 天正十九年一月二十二日天下宰相権大納言豊臣秀長薨去。
 豊臣政権は豊臣家は上へ下への大騒ぎとなった。
 茶々も大和へと行こうとした。だがそんな中、秀吉が鶴松に会いに来たのだ。鶴松をあやしながら、小一郎は大志を捨てたと言う。茶々は怖気ずに言う、弟の下に参らないのかと。
 秀吉は激昂する。そして、茶々と二人になると、小一郎を弟としてではなく、政権の柱石を担う宰相として話をし始める。
 そんな秀吉を茶々は殴る、涙を流して殴った。
 秀吉は気付いていた。自分はできる者にしか情が湧かないと。だから知らんうちに弟をできる者に仕立て上げて、身も心もボロボロにしてしまった、と。
 茶々は秀吉を抱きしめていた。秀吉は礼を言い、少し楽になったと伝えた。
 訃報は権兵衛の下にも届いた。そして鴨の折り紙も。それを見て、権兵衛は安心する。晩年は政の事を忘れる時間もあった、と。


 と言う事で、不安が続く展開でした。小一郎の事、秀吉の事、そしてこの先、暗雲が立ち始めましたね。秀吉も情と理がだいぶ不安定な感じがします。むしろ極端と言うか、怖いですね。更に小一郎の家康に対する不安。本当に、秀吉の力で政権がもっている、って感じがします。ある意味、秀吉が才能が有りすぎるがゆえに、継承が出来ない、そんな気がします。
 さらに外交でも朝鮮と齟齬が出来てしまいました。ただ、秀吉としてはまだ想定の範囲内かもしれませんが。最終目標が貿易であるなら。
 苦難の豊臣政権でありますが、これで終わりではありません。この先、更に苦難の連続で、その果ては……どこまで描かれるか、楽しみですね。

2020年8月14日金曜日

秀吉の金、利休の侘び数奇

  センゴク権兵衛、182話と183話の感想。

 八代将軍足利義政の政治からの逃避が生んだ侘びを美徳とする東山文化。
 それから百年が経ち、日陰の慰めは白日に晒され、隆盛時代となった。
 その寵児こそ千宗易である。小一郎と共に豊臣政権で重きをなす彼は当然武人ではない。その彼が筆頭格である。百年の乱世が終わった今、義政の怨嗟の所業か、武の必要性は薄まり、文化が時代を飲み込もうとしていた。

 古田織部は苛立っていた。にわかな文化人が多数出てくることに。宗易の真似をし、我慢と侮蔑と他者への馬乗りの道具と堕したと言い、侘び数奇は終わったと言う。
 そんな彼に茶杓が届けられる。見て欲しいとの事だった。織部は文句を言いながらも茶杓を見る。その見事さに見入り、宗易に取り次ぐ事にした。
 宗易の屋敷には多くの人が集っていた。そこに織部からの紹介で茶筅がもたらされた。なんと、この茶筅島津の一族の物であった。
 茶筅は宗易も評価し、江山の名が与えられた。島津は感激し、家宝とすると言う。
 このように、東は伊達、西は島津まで宗易を師と仰いでいたのだ。

 天正十八年九月朔日。
 秀吉が京に凱旋した。泰平の世を実現した秀吉に民衆は大歓迎する。
 京の町ではすでに竹の花入れが売られていた。その隣には黒い楽焼。すべて宗易から発した流行りである。それは宗易がお墨付きを与えれば大判でも買えないものに化けるのであった。
 秀吉のお付きの者は奇縁と言う。合戦に厭いて始まった侘びの東山殿が合戦の終焉とともに文化に於いて黄金の北山殿を凌駕戦せんとしている、と。
 秀吉はそれを笑って聞いているのだった。

 城に帰った秀吉。その下に歩けるようになった鶴松が現れる。鶴松を抱き上げ、言う。
 盂蘭盆会に鶴松から頂いた黄金五十枚をみんな家来に配った、と。当然、幼い鶴松が主体的にやった訳ではないだろう。そう言う名目で配り、鶴松に忠誠を誓わせるのだ。
 同じことを都鄙貴賤、関係なく行う。多くの黄金を集め、配る。それが何の心配もなく豊臣家をまとめる方策であった。
 そんな中で気になるのは宗易。秀吉は彼の事を剣呑に思っていた。

 秀吉は織部と細川忠興を呼んだ。
 彼らに関東で入手した宗二の秘伝書、及び宗易門下のあらゆる茶会記の写し、出席者名簿の提出を求めたのだ。
 織部と忠興の二人は秀吉が茶の湯への興味が一段と増した、そう理解していた。

 秀吉は指圧を受けながら、おねと政務を執っていた。おねは小一郎への見舞を訊ねる。これに対して疲れた顔を見せたら見舞にならないので、有馬で休んだ後と返答する。
 秀吉は奉行衆と評定したき儀があった。しかし奉行衆は奥州検地があり、出来なかった。
 おねと酒を呑み細い月を見る秀吉。口からは剣呑の言葉が何度もでる。おねは泰平の世に相応しくないと窘める。
 それでも秀吉は剣呑の言葉を口にする。

 豊臣政権を揺るがす波はこの翌年に訪れるのであった。

 仙石家では小諸への移封の準備の真っ最中であった。にも拘わらず、権兵衛はなぜか風呂の湯加減を見ていた。
 おもてなしの予行、と言う事で招き風呂の練習をしていたのだ。これには孫あらため彦三も呆れてしまう。しかも、権兵衛は風呂の才能のみを買われて大名に復帰したと言う始末である。
 彦三曰く、毛利輝元の元に秀吉の御成があったとの事。この事より秀吉の今後の政策は御成行脚で諸大名や天下万民に豊臣の権勢を知らしめる、そう彦三は分析していた。
 その為のおもてなしであった。ちなみに権兵衛は風呂で能をすることを考えていた。しかも何故か家老の森が素っ裸で舞う始末である。
 彦三は言う。粗相があれば合戦で大敗するが如きの恥である、と。
 次に失敗して再びの復帰はありえない。だからこそ権兵衛に言う。勇壮より風雅の世、武功より礼儀、と。十一月の宗易の茶宴もあるから、しっかりと学んで来るよう釘を刺した。

 当時の秀吉の方針は秩序安定策と見られていた。
 それはフロイスの日本史にも書かれていた。到達した栄華から失墜する恐れのあるような遠大な企図は考えていない、と。
 その日、快気祝いと称し、秀吉は鶴松と茶々と共に寝る。秀吉は寝てる鶴松に語る。物騒な世は終わり。鶴松の治世は真心を以って優しき国にするように、と。

 宗易が茶会の準備をしていた。宗易は故事に倣い、肩衝の上に茶杓を乗せたり、袋の緒を短く結んだりした。そして黒茶碗を下げた。彼の準備を見ていた神谷と球首座は疑問に思い訊ねる。答えて曰く、秀吉が嫌いだから、と。神谷はさらに質問する。では何故台子に置いたのかと。
 宗易は言う。自分が至高と思う物を置いた。しかしやはり、秀吉の仰せの通り良き物に非ずと示す為、と。
 神谷達はなんたるおもてなし、心遣いと感嘆する。しかし、宗易の心の内はどうであっただろうか。

 聚楽第にて朝会があった。亭主は秀吉、お点前は宗易。客は黒田官兵衛と針屋宗和と津田宗凡であった。何気ない茶会、そのはずであった。この時は誰も安寧に亀裂を生ずるなど思っていなかった。
 茶入飾りの隙間に野菊が一本飾られていた。それは秀吉のささやかなおもてなし、であった。針屋や津田は誉める。が、宗易にとっては我慢のならぬものであった。
 応仁の乱以降、政道からの逃避として珠光紹鴎により磨かれし侘び数奇。百年の研鑽による美の型。それが百年も下らぬ国盗りをしてきた蛮族の長の児戯と同列にされる。その事に我慢がならなかった。
 故に、宗易はその野菊を抜き、捨てるのであった。
 それは宗易の意思とは関係なかった。無意識に下衆なものを自ずと遠ざけてしまった。
 茶会が終わり、秀吉は素直に謝った。児戯だったと。そして更なるご教授を願うのであった。
 宣教師が日本人の特性について書き残している。
 感情を表すことに甚だ慎み深く、胸中に抱く感情を抑制している。互いに残忍な敵であっても明るい表情を以て礼儀を欠くことはない。それは極端であり、彼を殺害しようと決意するとその仇にたいしてより親睦さを示し、相手がもっとも油断した時に鋭利で思い刀に手をかけ斬りつけるのである。
 秀吉と宗易の運命は今、決まったのだ。


 権兵衛パートは相変わらず呑気ですね。孫改め彦三はこのまま仙石家に居つくのかな。家老までボケ担当になってるから、今後心配ですね。まぁ、やらかすんですけどね。

 で、利休と秀吉。波濤偏の最初はこの二人の話かな。後は、小一郎の事、鶴松の事、そして朝鮮出兵って感じかな。ホントどこで終わるかわからないや。
 経済を牛耳りたい秀吉にとって、利休の影響力は無視できない、って感じですね。茶道具の価値を利休が決めるとなると、黄金を握る秀吉でも太刀打ちできなくなるし。その先には高転びが待っているし。だから邪魔になったのかな。
 そして利休は秀吉を美の世界に邪魔、と思ってますね。て、言うか見下してもいるのかな。利休にとっては政治の世界が入ってきて欲しくないっぽいですね。そう考えるとこの時の隆盛をどう思っているのか…って感じます。
 美を中心に置いた秀吉と利休の対立はあまり見なかったので期待です。話がどう展開し、利休の切腹に繋がるのか、楽しみです。

2020年7月26日日曜日

大洋を睥睨する策

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 駿府にて、小西と毛利吉成の二人と秀吉は密議を開始する。
 他言無用の三人のみで秘する事。もし一人とて漏れたら…死は免れない。
 しかし、秀吉は案じるな、と言う。何故なら秀吉は二人を最も信頼しているからである。
 吉成は古参の内で最も実直である。無茶をさせ黄母衣衆から不平不満が続出した時も一言も文句を言わなかった。そう秀吉は話す。
 吉成は疑問に思う。どうやってその事を知ったのかと。
 秀吉は答える。長年、間諜を放っている、と。黄母衣衆、馬廻りのみならず、奉行、御伽、寺社、公家、女衆、宣教師、秀吉は各所に間諜を忍ばせていたのだ。
 さて、一方の小西。これまた、秀吉は小西が不平を漏らす事を知っている。
 だが、信用している。何故なら、小西が最も銭の理屈を知っているからだ。
 銭は正直である。好きも嫌いも是非もない。ただ得する道を選ぶ。そう秀吉は語る。

 そして本題に入る。
 それは唐入りを早める事であった。
 外海船の進歩を待とうと考えたが、間者から奉行衆は気進まないらしいと聞いている。実際、理屈をこねて先送りしようとしていた。秀吉は未知の国に行く事が不安なのだろうと考える。そして思う、自分が乱れた日ノ本をまとめた、様に見えるのだろうと。
 小西と吉成は困惑する。そうではないのか、と。
 秀吉はハッキリと否定する。信長の様に初めから土地と銭と家臣を持っている大名が国をまとめるとは訳が違う、と。
 何もない根無し草な秀吉。例えるなら、突如天から落ちたった一人で倭国に立った。無一文から伝手を作り武士となり、兵を増やし、遂にはすべてを平らげた。秀吉にとっては全国統一と言うよりは倭国征服であった。
 だから未知の国を平らげる事は倭国でも唐でも秀吉にとっては同じ心持ちであった。
 その上で、唐入りの難しさも秀吉は重々承知していた。なので秀吉の最終目標は貿易であった。唐に入り、暴れ回り、大明王朝を畏怖させて通商の約束を取り付ける事であった。
 小西は訊ねる、通商にこぎつければ自分の役目は終わり、かと。
 秀吉は、無論、と答える。
 小西は更に訊ねる。何故、急ぐのか、と。
 暫くは日ノ本のみで銭を回せる、そう小西は考えていた。十年前、小西は信長政権が高転びすると予見していた。それは銭不足が起きるからである。それを秀吉は米を貨幣となす事で回避し、さらに大豊作による米価の暴落を金配りにて統制する。
 この二つの策で諸国の食い詰め牢人も国内の銭回りで抱え込める、小西はそう見立てていた。
 しかし、秀吉は反論する。暫くは現状のままで、それこそが数多の大国の敗因だと。
 事を成すには何事も人より先を考えなければならない。世の者達は合戦が強い者が偉いと思っている。それは秩序よりも優先される。この考えが変わらないと若手奉行衆が諸大名を統制する事など能わない。
 だから銭が必要である。武断者を文治者が統制するには貿易で銭を稼ぐ他ないのだ。
 豊臣一族や側近衆が他の大名より領土が小さくても銭回りで優位に立つ事が必須。そうして畿内に経済圏を築いた。
 しかし、治部が忍城攻めを失敗し、徳川に対して小牧長久手で攻めきれなかった。その為、徳川に大領を与えなければならなかったし、畿内の経済圏の外である関東に追いやるしかなかったのだ。
 故に、貿易を急いているのだった。
 日ノ本から唐天竺にまたがる長大な通商圏奪取策。秀吉は遂にその全貌を明らかにする

 初めに、秀吉は外交の極意を教える。
 まず、小西に一番大切な物を見せるように言う。小西が渡したのはロザリオ。それを手にした秀吉はいきなり火にくべていいかと聞き、当然小西は拒否する。次に初花との交換を提案する。これには心を動かされるも、やはり拒否する。と、ここまで秀吉はさらに大切な物を隠していると看過し、それを出すように小西に催促する。小西が出したのはイコン、聖母マリヤとキリストの絵である。秀吉は言う、ロザリオとイコンどちらかを焼けと言ったらどうするか、と。小西は絞り出すようにロザリオと答える。
 秀吉は言う。これこそ外交、だと。
 ロザリオを小西に返し、説明する。
 二つの手段を組み合わせる必要がある、と言う。一つは、小さな要求から飲ませて、徐々に大きい要求を飲ませる手段。もう一つは敢えて飲めない要求を突き付けて、譲歩と言う形で何とか飲める要求を合意させる手段である。
 前者は徳川、後者は北条に使った手段である。
 そこで秀吉が描いた唐入りはと言うと。先ずは、唐に入り暴れ回り飲めない要求を突きつける。そして明が拒否したところに譲歩案。真の目的の寧波の開港と貿易の約定を取り付けるのだ。
 そこで重要なのはいかに豊臣家が強大か示威する事。そしてさらにその先の通商圏奪取の策を披露する。
 唐、天竺、安南、呂宋、高山の五カ国同時脅嚇である。それは脅威の伝播を狙ったものであった。五カ国同時に脅威の種を撒き、それぞれが他国が怯える様子を伝え聞き、更に恐れが増していく。それは唐入りの戦況と共に更に膨れ上がる。
 一国でも恐怖に屈したら脅威の仮象は実体となり、一斉に豊臣の要求を飲む事になる。
 日ノ本から寧波を軸に遠く天竺、その先南蛮まで。秀吉の脳裏には世の果てまで結ぶ一大航路が出来ているのだ。
 さて、何故この話が三人だけの秘密なのか。それは敵を畏怖するほどの合戦は味方が決死でなければいけないからである。もし外交譲歩を促すための威嚇と知られてしまえば生ぬるい合戦になってしまう。
 秀吉は改めて二人に言う。他言無用だと。そして両名に片方に怠慢があれば密告するよう互いの監視体制を敷く。
 そして秀吉は事が成就すれば、初花、新田、楢柴の全てを渡すと約した。何故なら世の最果てまでの宝が秀吉の物になるからである。

 富士を見て秀吉は言う。天下万民に聚楽の夢をば見せ給うぞ、と。

 一方権兵衛は、竹で花入れを作っていた。小諸に行かなければ実入りが分からないからである。権兵衛は初年は二万石ぐらいと考えていたのだ。しかし、家臣達は花入れぐらい買おうと言う。そんな中、通りかかった藤は言う。今、都では竹の花入れが珍重されている、と。その情報は戦の情報よりも早く伝わっていたのだ。
 だが、仙石家の者たちはそれよりも合戦の話だった。

 合戦の世は終わり、文化の時代が花開こうとしていた。高尚な武士の無常観を体現するものとして嗜まれた詫び寂びが人口に膾炙するようになってくる。
 今や、利休の新物というだけで高値で取引される対象となっていた。
 価値転換の時が来たのである。

 
 広大な秀吉の通商策でしたね。アジアの海を回遊する海のシルクロード、って感じです。
 毛利吉成って誰?って思ったら勝永のお父さんなんですね。元は森さんで毛利家の許可を貰って、九州陣の後ぐらいに毛利に改名したんだっけ。ここで出るなんて以外ですね。
 そして小西さん。この辺が朝鮮出兵の伏線になるのかな。しかし上手くいったかは……貿易に関して何もなかったから二回目の出兵に繋がったのかな。この辺りは日本国王がどうたら、で秀吉がキレた、みたいな事しか知らないんだよね。センゴクはそこまで行くのかな?関ケ原も見たいけど。

 外交の手段は、色んな交渉事での極意でもあるんですよね。基本中の基本かも。だからどこに着地点を見出すか、ですね。まぁ、一歩たりとも譲らない、って事も多いからこじれるんですよね。

 はてさて、先の先を見ている秀吉。政権の安定化も考えていますが、現実は死後に家康に奪われます。この最終章でその原因も語られるのでしょうか。楽しみです。

2020年7月5日日曜日

新たな時代新たな戦い

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉との謁見を終え、帰る権兵衛とサジ。サジはどうだったか、と訊ねる。
 権兵衛は一応は納得していた。尾藤を斬るつもりはなかった、その言葉が聞けたからだ。
 サジはでは何故斬ったのか聞くが、権兵衛はそこまでガサツではないから聞けない、と答えるのであった。
 権兵衛は言う。秀吉は何かに怯えている、そう見えた、と。それは失態する前の自分に似ていた。そうして全てを失った。でもその苦しみにもなれ、怖いモノもなくなる。
 秀吉は失敗した事が無いから失う事を恐れている。そう権兵衛は感じたのだ。
 サジは一理あると言う。そして上から目線でイラっとする、と突っ込む。
 秀吉も昔は失敗しても、一からやり直して今以上に出世する、そんな事言っていた。でもそうでは無くなった。それは齢の所為かもしれなかった。
 権兵衛は思う。端っこの端っこからでも秀吉を見守るのが恩返しなのかも、と。

 小諸は権兵衛の領地となる。
 家康が関わったのは人脈を広げる為だけではなかった。それは北条家の二の舞を避ける為であった。そう、正信に語る。
 家康は北条征伐の原因の一つに真田の横行があった、と見ていた。その為、権兵衛の小諸を緩衝地帯にしたかったのだ。更に、嫌疑を蒙った時には権兵衛を頼みに上方への往来が容易くするためでもあった。
 正信は問う。それほど権兵衛は信頼を置けるのか、と。
 家康は答える。恩は売った。それを平気で反故にする武人ならば秀吉も赦免などしない、と。
 家康は続ける。愚者が生き残る術は多くを知る事ではない。唯一の大切なことを見極めそれを守ること。彼奴はそれを体得しておると信じる。
 そして、彼奴なら自分たちに微塵も野心の無き事を信じてくれよう、と。

 権兵衛は帰還した。そして大名復帰を報告するのだが、なかなか言いあぐねていた。
 家臣達は言う。覚悟していると。そして万が一の時は反乱軍を起こす、と。
 さすがにこれには権兵衛も物騒だと言い。遂に伝える。
 小諸で大名に復帰する、と。

 藤たち奥の者は接ぎ木をしていた。これで食い扶持を稼ごうとしていたのだ。
 繊細な作業が続く中、広間から大声が響くのだ。
 皆を叱りに行く藤。そこで見たものは喜び叫ぶ皆であった。
 藤は思う、また多忙の日々が始まると。

 権兵衛は古渓にお礼の品を送る。弟子は古渓の慧眼を誉めるが古渓は方便だと言う。
 門弟にしたくないから後押ししただけだと。

 関東の知行割りが終わった。
 その一か月前、肥前国でイエズス会全体協議会が開かれていた。議題は日本での内戦であった。イエズス会を敵と認識する者が勝利すれば、我々に破滅がもたらされる可能性があるのだ。
 パシオは我々を味方とする領域を要塞と化し、身の安全を確保する事を提案する。
 これに対しオルガンティノの反論する。宣教師追放令から三年、現段階で加虐はされてない。さらに貿易は認められている。実質、追放令は空洞化している、と言う。
 そして最優先課題はフランシスコ会の進出である。
 教皇が変わり、フランシスコ会出身の新教皇はスペイン国王の要請により、フランシスコ会の日本進出を認めた。これにより前教皇により担保されていたイエズス会の日本布教独占が崩れたのだ。
 場はざわめく。しかし主導のヴァリニャーノはフランシスコ会との話は長きに亘る論争になる。と言い止める。そして喫緊の脅威に対しての軍備は不回避、と結論付けた。
 イエズス会とフランシスコ会。その背後のポルトガル、スペイン。そしてその対立を利用しようとする秀吉の思惑が交差していく事になるのだった。

 奥州仕置も終えて、駿府に向かう秀吉。そこでとある評議が開かれる予定であった。
 その途上、早馬でお寧から手紙が届く。鶴松の病気が快方に向かっている報せだった。秀吉は言う。興福寺に懇ろに祈祷させたのが効いたのだろうと。秀吉は寺に、存亡をかけて治せ、と発破をかけていたのだ。
 秀吉は駿府の評議で豊臣政権を確実なものにしようと考えていた。鶴松が何ら案ずることなく生きていく国を創るために。

 そんな評議に召集された一人に小西行長がいた。彼は大名復帰祝いに権兵衛の元を訪れていたのだが、表情は暗かった。
 小西は聞く、秀吉のご機嫌の取り方を。だが、権兵衛は知らん、と言う。そして機嫌は機嫌次第だろう、とも言った。そしてるしへる殿下とか言って和ませれば、と。
 小西は取り乱す。そんな事、秀吉に言ってないだろうな、と。そして言う、その言葉を頭から捨てろ、と。
 小西の相談は続く。自分がキリシタン大名だと言う事。そして小西家が父の代から貿易を担っている事。その為、此度古今未曾有の重責を秀吉は任せようとしている、と。権兵衛にならその重みが伝わる、と。
 権兵衛がかって背負ったものより大きな重責。失敗は赦されない。
 そして、出世するほど息苦しくて仕方ない、そう吐露する。
 権兵衛は言う。取り返しがつかない失敗をしながら、図々しく生きている卑怯者がここにいるだろう、と。
 小西の気が晴れた。小西は権兵衛に礼を言う「ニヒル」の者よ、と。

 権兵衛は見事に大名復帰、そして秀吉の考える政権がどうなるか、って感じですね。
 前回、汗を掻いていた家康ですが、今回は平静ですね。描写は少なかったけど、真田が暗躍していたのかな。ともかく、万が一のセーフティーラインを手に入れた、ってとこですかね。
 古径和尚の言葉は謙遜なのかな。まぁ半分本気かも。権兵衛が僧には…なれないでしょうね。
 そしてイエズス会。海外事情も絡めつつ、唐入りに突入するのかな。勿論、そこまで連載が続くのか分かりませんからね。今回の最終章がどこまで描くのかさっぱり分からないからね。
 そして小西。すっかり権兵衛と仲良しですね。
 権兵衛の言葉に救われた小西。彼が担う重責とは何なんでしょうか。
 そして、秀吉の考える政権の形とは。次回も楽しみですね。

2020年6月21日日曜日

仲裁と新たな借り

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉の元に来た権兵衛。しかし、要件が小諸より讃岐が欲しい。だった為、皆は取次をしたくなく、たらい回しにする。

 秀吉は浅野長政と話していた。無事に信雄を追いやり、次に東国で台頭するのは家康と見ていた。その目付に関東公方を使おうと考えていた。
 浅野は家康が信用能わぬのか、と尋ねる。しかし、秀吉はそうではない、と言う。あくまで自分が死んだ後の心配だ、と。
 秀次は家康の指導を受けている。目付役は難しい。頼りにするのは三成ら奉行衆の若手である。
 鶴松を頭に、家康と秀次の二頭体制。そこに鶴松直轄の奉行衆が取次や目付をする。それが秀吉が考える、死後の政権体制であった。
 しかし、此度の合戦で、若手奉行衆の合戦下手が露呈したのだ。
 忍城攻めで多大な損害を出してしまった三成。その為、総大将が浅野に代わっていたのだ。
 水攻めは秀吉の指示。三成の越度ではない、とは言え大名の取り纏めがし辛くなったは確かである。
 秀吉は取次の任をこなす中で成長を期待するのであった。

 そんな中に権兵衛が小諸より讃岐が欲しいとの報告が入った。
 秀吉はあきれ、切腹を申し付けて来い、と言う。そうすれば泣いて詫びに来るだろうと思って。

 が、権兵衛は無理に会いに来ようとする。
 秀吉は、権兵衛が何に怒っているのか、それを聞くために呼ぶことを決めた。

 既に浅野は去っている。部屋には秀吉と権兵衛だけの二人になった。

 権兵衛は改めて、讃岐を所望した。しかし、秀吉は何が不満か聞くのだった。
 権兵衛は言う。秀吉が皆に恐れられている事。そして、それが進むと、べしゃりとおべっかで出世するんでよ、と言う輩ばかりになってしまうと、かつての秀吉の真似をして物申した。
 そして再び、讃岐を所望する。
 微妙にずれている事もあり、秀吉は頭を抱える。せっかく考えた政権構想がポロポロ崩れ落ちそうだ、と嘆く。
 権兵衛は言う。人の頭で組んだものは脆い、と。時には人智を越えた敵に出会う、と。
 秀吉は言う。合戦で負けた事を人智を越えた敵の所為にするな、と。
 そして続ける。信長に比べれば、自分はどんなに優しいか、と。
 そうして始まったのは信長への愚痴と、過去の思い出話だった。
 他の客人が来ているのに、長々と続けるのであった。これには権兵衛も少々あきれ気味であった。
 終わったのは足利の使者が来たことを聞いた時だった。
 これ以上、権兵衛に対応している暇はない、と言い、頭を冷やせと命じる。でなければ切腹だとも。
 そして言う。此度、権兵衛を小諸城主にしたのは、さる者からの提案であった、と。
 そのさる者、とは家康であった。

 会見を終え、サジと風呂に入る権兵衛。結局、尾藤の件は言えなかった。サジはそれを聞き、物申すと言ったのだから言わないと、と圧をかける。サジはその言葉に感じ入ったからである。
 権兵衛は覚悟を決め、次は物申す、と誓う。

 そして二度目の会見。他の諸将は関わりになりたくなく、皆権兵衛の見えない所へと去る。そんな中、会見に同席するものがいた。そう権兵衛を推薦した家康であった。
 仲裁に来た家康。そんな家康に対して権兵衛は仲裁をしない方がいいと言う。秀吉が怒れば家康にとばっちりが行くかもしれぬからだ。
 家康は思い出す、権兵衛が物申す猪武者だと。人脈を拡大の為の仲裁であった。そして思い至る、こやつこそ最も下手に関わってはいけない者だと。
 さらに確認をとる権兵衛。家康は粗相があれば斬ればよい、と考え仲裁する事にした。
 秀吉は権兵衛に問う、その不満は自分に対するものか、と。
 権兵衛は答える。不満は尾藤の処断である、と。同志が気分次第で斬られた。それを聞いたら大名など割りに合わない。そして、割に合わない大名をやるなら、戦死した讃岐国衆に報いる為に讃岐の大名になりたい、と。
 家康は秀吉の考えに沿って権兵衛を処罰しようと考える。しかし、秀吉は家康の意見を訊ねるのだった。
 家康は驚いた。下手をすれば自分の首が飛ぶ。汗を掻き、秀吉の様子を窺いつつでた言葉は遺憾の意、であった。
 秀吉は同感、と言う。権兵衛にはキチンとは伝わらなかった。
 秀吉は言う、権兵衛なんぞの為に家康が心労している、と。
 秀吉は日ノ本の惣無事を第一義にしていると家康は言う。そして、不条理に見えても大いなる思慮遠望の下でなされていると続ける。
 家康は権兵衛に近づき、小諸で納得するよう頼む。その手は肩を、顔は笑顔だった。
 だが、内心は怒っていた。自らの首を賭ける羽目になった事を。そして借りは必ず返すよう、思っていた。
 権兵衛はその言葉の外にある圧力を感じ、小諸で了承するしかなかった。

 家康が退室し、権兵衛もまた退室しようとする。そこに秀吉は声を掛ける。尾藤の件はやりすぎた、と。殺すつもりはなかた、それだけは言っとく。そう権兵衛に言うのだった。

 
 なんと言うか、やはり、権兵衛と話している時の秀吉は憑き物が落ちている感じがしますね。まさに旧友って感じです。虎渓和尚が必要と言った事も頷けます。
 一方で家康。簡単に斬り捨てると言うとこに恐ろしさがありますね。とは言え、久しぶりに感情が露わになりましたね。小牧長久手後は泰然としてましたし。
 家康が言った借りは関ケ原に繋がるんでしょうか。今が最終章ですので返されないまま終わるかもしれませんね。

 と、言うわけでこれで無事に小諸拝領、になるのかな。これで権兵衛の物語は一つの区切り、ですかね。あとは豊臣政権下での政争ですかね。どういう展開になるか、楽しみです。

2020年6月7日日曜日

新たな戦いの時代

 センゴク権兵衛、175話の感想。

 尾藤の首桶を見て、サジは讃岐への復帰を諦め、帰るよう権兵衛に言う。
 しかし、権兵衛は一人で行く。そしてサジに迷惑をかけない為に一旦縁を切ると言った。
 権兵衛は秀吉に一言、言いたかったのだ。
 神子田も尾藤も半兵衛のお気に入りであった。秀吉が変な道を歩もうとしている。だから止めなくては成らない。それが秀吉に対する恩返しである。
 だから、首が飛んでも行くしかない、のだ。
 その覚悟を聞き、サジはお供する、と申し出るのであった。

 信雄に改易の指示がもたらされる。当然、信雄は反発する。信雄にとって三河遠江への移封の固辞は加増を遠慮した、謙りの意思であった。
 信雄は徳川と共に合戦も有り得る、そう脅す。しかし、使者の富田は合戦の世は終わった、と断言する。そして、手紙なら小姫への慰めの手紙が先、と言う。
 信雄からの人質である小姫、家康からの人質である長丸。二人は婚約していた。しかし秀吉はこれを破棄した。それは家康も了承済みであった。
 さらに言えば、家康の口添えで信雄の切腹が取り消され、改易に減刑された。そう富田は申した。
 信雄は言う。意味はわかっているのか、と。
 信長が如き所業を繰り返せば、豊臣は滅ぶ、と。

 家康は思う、寧ろ滅亡の芽を摘むために追いやられたのだ、と。
 既に、豊臣政権内での生存闘争が始まっているのだ。

 七月下旬、権兵衛は豊臣家が陣を張る星の谷までやって来た。
 権兵衛はお伽衆の桑原や木下らに出迎えられる。小諸拝領のお礼と考えられたのだ。そして忠告される。物申さず、遠慮や謙りもしないように、と。
 怪訝な顔になる権兵衛に古田が言う。信雄が加増を拒否し改易になったと。
 権兵衛は言う。讃岐が欲しいと言ったら不味いか、と。当然、お伽衆は唖然とするのであった。

 
 と、言うわけで最終章の始まりですね。桃山波濤偏ですって。
 権力闘争が中心みたいですが、どこまで書くのかな?それこそ、秀吉の死亡まで書けるけど。鶴松の死去、秀頼の誕生、秀次の切腹までは書くかな?その辺で政権が固まるし。

 そして、信雄の移封拒否。まさか加増の辞退でもあったとは知らなかった。それだと、バカ殿ではなくなるね。まぁ、センゴクの信雄も無能風ではあるけど。
 なかなか、再評価されない信雄もそのうちされるのかな?

 あと、奉行衆だとおもっていたけどお伽衆だったの!?すっかり勘違いしてました。
 それと古田さん、名前が判明しましたね。予想通りでしたけど。へうげもののイメージ強いけど、センゴクの織部も癖が強いですね。

 さて、権兵衛は秀吉に対してどうするのか。次回も楽しみですね。

2020年5月24日日曜日

新たなる争いの始まり

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 さて、美濃に戻った権兵衛たち。今後どうするか、評定をしていた。
 既に残すは奥州の仕置きのみ、合戦無き世の稼ぎをどうするのかが重要であった。
 相も変わらず、権兵衛は惚けた事を言ってばかり。だが、流れとしては作事で稼ぐ、と言う事であった。無用ノ介は海賊停止令から、豊臣政権が海外との貿易をしようと考えていると看破する。そして、船の作事こそが仙石家の生きる道と説く。かつては海賊大名と呼ばれ、九鬼氏などにも伝手があるのだから、と。
 周囲の者は感心するが、権兵衛は全く理解してない模様。だが、船を作る事には食いついた。船作りを宣言するのだった。
 が、そんな中、秀吉からの書状が届いた。なんでも、信州の小諸を与える、との事であった。

 信州小諸五万石。豊臣の奉行衆には寝耳に水であった。
 小諸は春頃の浅間山噴火で疲弊してた。その上、前城代の依田が在地の雄として慕われたいた。権兵衛の他に堀尾や中村に任せようとしたが、二人は難色を示した。
 だから秀吉は、面の皮の厚い権兵衛に決めたと言う。
 更に、理由はある。今後の惣無事の方針は人掃い。所在明らかにない者を村や郡の中に抱え込む事だ。果たして権兵衛が大人しく村の中に納まるか。秀吉は奉行衆に千人切りでもしかねん、と言ったのはお主らと問う。
 奉行の一人は討伐と言う道もあるのでは、と問う。秀吉は言う、権兵衛は兵五百は集めよう、それならば討伐軍は兵一万だ。そして奉行衆に訊ねる、一万で討伐能うものはいるか、と。奉行衆が答えに窮すると、兵力を上げ、三万ならどうだ、と再び訊ねる。奉行衆は、ぐうの音も出ないと言うしかなかった。
 兵数万でも権兵衛と戦うのは骨が折れる。ならば大名として抱えるのが安上がりだ、そう秀吉は結論づけた。当然、反対する者はいなかった。
 そんな中、秀吉に報告がもたらされる。それを聞くと秀吉は、粛清の世にならざるを得んか、と言う。
 織田信雄が三河遠江への国替えを拒んでいたのだ。

 武による闘争は幕を閉じ、政権内での権力闘争の時代が幕を開けようとしていた。


 秀吉は小田原城で奥州仕置きの準備を始めていた。
 そんな中で信雄の転封問題について周囲の評価が富田からもたらされた。
 密室で二人になり、報告を聞く。どうやら周りには信雄の乱心に見えているのだと言う。秀吉は問う、減封、改易、切腹、どこまでやれる、と。富田はなんとか改易に持っていくと、たどたどしく答えた。
 これを聞き、信雄の改易を決定。そして、織田家当主は秀信とした。

 秀吉は危惧していた。意外と信雄が有能だったのだ。特に取次として何度も実績を作っている。
 取次を通して大名との結束が強まれば、信雄を頭にした反発が起きかねない。
 秀吉はこのままでは鶴松に政権委譲できない、そう考えていた。

 権兵衛は小諸拝領の礼をサジに頼もうとした。しかし、出発直前に中止し自分で行くと言い出した。権兵衛は寺僧から小諸は一郡であり、大名復帰である事を知ったからである。
 そして、権兵衛はどうせ復帰であるなら、讃岐にしてほしい、そう願う為に自ら行くことにしたのだ。
 それは讃岐衆に報いたい、その心からであった。
 権兵衛は大勝して秀吉がご機嫌良く、願いを簡単に聞いてくれる。そう楽観していた。
 だが、それも道中ですれ違った首桶で吹っ飛んでしまった。

 首桶は味方のもの、粛清されたのである。名前は尾藤、であった。

 秀吉の籠の前に出てきたのは、僧体の尾藤だった。赦して欲しかったのだろう。
 秀吉は叱責する。赦免してほしければ、軍の先手に加わり陰の奉公すべし。落城後の斯様な仕方は言語道断で悪き次第、と。
 だが、秀吉は赦そうとした。したのだが、その前に尾藤は泣いて追い縋って来た。長きを共にした、同情心に訴えようとした。
 そして、斬ってしまったのだ。秀吉は内心半兵衛に許しを請うのであった。

 権兵衛は困惑するしかなかった。

 
 権兵衛の大名復帰は割とあっさり、ですね。ただ、この後秀吉に会うのか、讃岐の事を言うのか、次週が楽しみですね。
 あと、依田の名前がさらっと出てきましたね。依田さんはいろいろ活躍の多い人ですから、もっとスポットライトが当たって欲しいです。若くして亡くなったのがおしいですね。

 そして尾藤。いろいろと悲しいです。秀吉も許そうとはしてた見たいですけど…権兵衛と違って、自身を顧みる機会がなかったんでしょうか。

 それにしても、豊臣政権は脆弱ですね。これは結局最後までそうでしたね。もしかしたら、これが秀吉の限界なのかもしれません。才能があるからこそ、盤石な体制を作れなかった、みたいな。

 新章は、権力闘争がメインになるのでしょうか。一体どこまで描かれるのか、楽しみです。

2020年5月10日日曜日

北条最後の日

 センゴク権兵衛、172話の感想。

 遂に、秀吉の天下一統は成った。
 そんな中、フロイスら宣教師は勝利を称えつつも、陰で魔王ルシフェルと例えていた。

 その様な話が、権兵衛の耳にも入る。とは言え「るしへる」が何を指すのかは分からなかった。他にも噂がある、秀吉の勝利は嘘、であると。まだまだ、人々は天下一統を信じられなかったのである。
 権兵衛達、仙石家は作事に勤しんでいた。ちなみに、共に戦った牢人衆も一緒であった。台所事情を知る川坊は不満であった。しかし権兵衛は東西津々浦々から集まっていて、色んな知恵を持っている、と言う。これからの天下静謐の世で、作事で食っていく。そう権兵衛は宣言する。権兵衛の目には秀吉の創る世が輝いて見えたのだ。

 七月十日、氏直は家康の陣に赴いた。
 新たな関東の支配者に吾妻鏡を託した。それはほぼ完本であり、家康を驚かせる。
 氏直は言う。天下万民を治める手立てになる、と。盤石な豊臣政権でも、銭の病で瓦解するかもしれない。氏直は家康に、その時この書より学びて豊臣を支えて頂きたい、と託す。それは、禄寿応穏の考えであり、日ノ本の民を守って欲しいと言う願いであった。
 氏直の高潔な志。家康は北条討伐を買って出た己の無知と愚かさを思い知る。そしてこの苦衷を己が胸に秘めるのである。
 氏直は続けて言う。国はいずれ滅び、また新たな国が出来る。その度に国の風呂敷を畳まねばならぬ王が出る。氏直の人間をかけた大名職は、その折りに流れる血を最も少なくする事であった。何も悔いはなかった。
 そして最後に一つ願いを言う。民に交じって北条最後の日を見たい、と。

 翌十一日、氏政が自刃した。齢五十三。
 辞世の句は「ふきとふく 風なうらみそ 花の春 もみぢの残る 秋あらばこそ」

 更に翌十二日。
 氏直は北条最後の虎印判の起請文を飲んだ。
 坊主に扮して城下を歩く氏直。そこでは北条の旗を焼こうとしていた人々がいた。氏直は呼び止められ、経を読んでほしいと頼まれる。
 氏直は燃やすより、衣の生地に使うのが良いと提案する。すると皆それに賛成した。そりこそ供養になる、と。
 喜ぶ人々、曰く誰が殿様になろうと小田原者は北条の民、との事だ。

 更に城へと行こうとする。しかし子供たちに止められてしまう。曰く、法度で民衆は入れないとの事だ。
 氏直は訊ねる。城のてっぺんに登って小田原の城下を見下ろしたくないか、と。
 本当にいいのかと聞く子供たち。それに対して、一生に一度ぐらいは法度を破っても構わないと答えた。
 子供たちは城へ行く氏直の後を追うのであった。

 北条氏綱の五箇条の御書置の第一条にこうある。
 大将によらず 諸将までも義を専らに守るべし 天運尽き果て滅亡を致すとも 義理にt違えまじきと心得なば 末世に後ろ指ささるる恥辱はあるまじく候 義を守りての滅亡と義を拾っての栄華とは天地格別にて候、と。

 これにて、小田原合戦編終了なり。


 遂に小田原合戦編終了です。とは言え次回から新シリーズだそうです。
 まだ、権兵衛が大名に復帰出来てないので、その辺りなのかな。そうなると小諸城に入城するのが最終回なのかな?

 そんな中でも、氏直の思いやそれを継ぐ家康。また秀吉に対するフロイス評とか、豊臣政権が必ずしも前途洋々ではない描写が入ってきます。権兵衛は安心しているみたいだけど。
 今後センゴクシリーズがどう展開されるか楽しみですね。
 関ケ原編やって欲しいけどね。そういえば関ケ原と言えば、一次資料から追うと、家康対三成ではなくなるんですってね。むしろ輝元が暗躍してたり、三成蟄居後の石田家は親家康だったり、清正も一時反家康になってたり。その辺りを元にした作品を見てみたいですね。誰も知らない関ケ原の物語が出来そうですよね。
 それでは、次回のセンゴクも楽しみにしています。

2020年4月26日日曜日

仕置きと沙汰

 センゴク権兵衛、170話171話の感想。


 北条家の降伏は目前であった。しかし、秀吉はさらにその先をみていた。

 利休の新作の花入れ、それを秀吉は傑作と評価した。ヒネリが利いている、と言い、その訳を竹で出来ているから仕入れ値はタダあり、それを城を売ってでも入手したい者がいると言う。
 しかし、茶々はこれが利休が選びに選んだ物であると言う。茶々は美に関してはまだまだ知らぬ事が多く、勉強中であった。しかし、良さを見出そうと花入れをまじまじと見る。
 そんな彼女を何故か乳母の大蔵卿は止めようと別の話題を振る。
 茶々は反発し、美が分かると言い。花入れをそして挿してある花を誉める。それは唐の珍品、サルスベリ、であった。
 秀吉は笑う。だからこそのヒネリであった。
 それは信長の様に高転びしないよう諫言している。そう秀吉は受け取った。
 しかし、秀吉が見るのはその先。天下一統は夢の始まりであった。
 秀吉は利休の花入れを庭に投げ捨てる、その顔は笑っていた。

 家康は官兵衛に相談していた。信雄が開城交渉を急いている、と。
 このままでは、秀吉の怒りを被る。家康は最後の詰めは秀吉の使者の官兵衛が相応しいと考えていた。
 しかし、困難は北条の一族家臣郎党、民衆をいかに殺さぬよう処すべきかであった。すでに秀吉は、下々まで干し殺しにすべし、との法度を出しているのだから。

 結果、越度も見込んだ法度。秀吉の一存次第とした。
 当然、氏直は承服できない。これでは、日ノ本は秀吉の心次第でどうなるか分からない。そう官兵衛に問い詰める。
 しかし、官兵衛には返す言葉がなかった。これ以外に北条の者達を救う手立てはなかった。だから官兵衛は氏直に頭を下げた。
 氏直は、承知した。官兵衛のやるせなさを知ったからだ。

 七月五日、遂に氏直は出頭した。
 その姿はみすぼらしかった。それは民衆の北条への忠誠心を瓦解させる為でもあった。
 氏直の予想通り、民衆は情けなく思い、失望し、避難する。更に石を投げる者もいた。
 黒ずくめの衆は石を投げた者を捕えようと言うが、女頭はそれを止め、見届けるよう言う。弟が問う、北条のお殿様は立派なお姿か、と。女頭は答える、氏政に劣らず立派な姿、と。

 氏直は自分の命と引き換えに人々の助命をした。
 秀吉は官兵衛に問う、その沙汰を承諾するのが統治に効率がいいのか、と。官兵衛は答える、流言策の成否が不明故に分からぬ、と。
 秀吉は大村にこれまで調べた北条と合戦に関する巨細の提出を命じる。さらに官兵衛に家康と共に北条兵の解放と武装解除を命じ、桑原には町人、農民の解放を命じた。

 夜、茶々と共に部屋に籠る。中には大量の書類があった。
 奉行衆に任せたいが、各地の統治に出向いているから、秀吉一人でやる事にしたのだ。驚く茶々は他の家臣に任せるよう言うが、秀吉は自分一人のほうが正確で速いと言ってのけるのだった。
 茶々は、書類で気になる事を秀吉に質問していた。だが、茶々を気遣い、寝るよう言う秀吉。しかし、茶々はお寧の様に政に関わる事もある、と言い作業を手伝う。
 茶々は書類仕事に没頭する秀吉に叔父信長の影を見る。信長と同じようにこういうのが好きなのだと。
 
 農民たちが田畑に戻される。そこには秀吉の姿もあった。農民に対し、手を取り労いの言葉を掛ける。しかも、衣服が汚れるのを気にせずに田に足を踏み入れるのだ。
 当然、農民たちの歓声が響き渡る。
 官兵衛は感嘆すると共に思う、その胃袋は日ノ本のみで満たされるのか、と。

 秀吉の沙汰が下る。
 北条氏政、氏照。大道寺政繁、松田憲秀の四名が切腹。氏直は助命であった。
 氏直は納得出来なかった。が、同時に公平であると見なした。
 そして、当然奉行衆との評定があったと考えていた。
 しかし、官兵衛は言う。秀吉一人で考えた、と。
 氏直は悟る。長きに亘る我が闘争は怪物の肥大化を食い止める時間稼ぎには役に立ったかもしれぬ、と。

 城下では黒づくめの衆が土下座をしていた。未だに降伏に納得のいかない者達がいたのだ。女頭は説得するも、黒づくめの衆が痛めつけた者の身内もいたのだ、納得が行くはずが無い。
 息子が大怪我させられた女衆。その者たちに女頭は命を差し出そうとする。女衆の一人が地面から抜かれた制札で殴ろうとする。
 が、しなかった。制札を読めるのは女頭くらい、だから新しい殿様に虐められんようにしてくれ、と言う。
 その制札には一言、不殺生、と書かれていた。

 立てられた不殺生の制札。これを見て老僧は良法と言うのだった。

 
 と、これにて小田原合戦終了、ですね。
 秀吉の恐ろしさが存分に出ていましたよね。まさに破格の才です。当然その才は日本だけで納まるはずなく……官兵衛や、利休もかな?心配しているけど、どうなるか。結果は分かってるのだけど、センゴクで描いてくれるのかな?
 氏直もよかったですね。どこか厭世的で儚さがありました。その中で成長がありよかったです。他の創作物だと氏政ばかり出ますからね。その代わりセンゴクは氏政の影が薄かったけど。一応、過去編とかで厳格で情に厚い人って感じでしたね。
 さて、あとは権兵衛への沙汰ですかね。そしてその先は……
 関ケ原編、熱望しますよ。お願いします。

2020年4月5日日曜日

法の国に残るもの、銭の国の行く末

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 六月初旬、家康と信雄により開城交渉が進められていた。
 朝敵北条だが、信雄は敵意が沸かず、寧ろ惻隠の情が沸くと言う。
 自分も家康も北条も秀吉に煮え湯を呑まされた同士ではないか、そう家康に言うのであった。
 信雄の見立てでは、氏直は降伏開城の心積もりと見る。しかし、周囲への説得が困難であると考える。北条の統治が善政である程に降伏の説得が難儀である、と。

 六月二十四日、韮山城が開城。家康は韮山城城主氏規に北条降伏の説得を託すのであった。
 だが、交渉は続くされど進まず。

 氏規は氏直に説く。
 応仁の乱より百二十年余り、北条家は百年をかけて法の大国を築いた。一方で、幾百万幾千万の人の中からそれを凌駕する天才が生まれた、と。
 氏直は言う。支城はほぼ全て陥落。更に前代未聞の城が突如現れた。
 その威容を見て降伏に傾く者、それでも猶徹底抗戦を唱える者、両方現れた。このままでは民衆が対立の末に同士討ちになる。そう氏直は危惧する。
 氏直は北条の家名も自分の身も残すことは出来ないと考えている。唯一の望みは民の心に何かが残るか否かであった。
 正しき側が負けると知った時、神仏を信じる心をも失った時、民はどうなるか。
 百年で築いた法も用無し。法は国の在り方を示すもの、北条家そのものであった。その法も術なく豊臣の銭に負けたのだ。
 宗瑞は新しき法の国を創った。しかし、その国も古くなり、一方で機内に新しき政権が生まれた。新しきが古きに勝つ、我らの国は滅ぶるべくして滅ぶ。
 民の心に何が残ろうか。

 氏規は聞く。敵の一夜城を見たのか、と。氏直は見ずともわかる、と言う。
 氏規は更に聞く、一夜城を見る民衆の目を見たか、と。
 返事を待たずに立ち上がる。見ずともわかるとは悪い口ぐせよ、そう言って氏規は氏直を外に連れ出した。

 氏規は言う。全ての民衆が心折れて降伏に傾いたのか、魔の城を見て憎悪の念に駆られているのか。民衆の中には敵の一夜城の美しさに目を奪われた者もおる、と。
 氏規は氏直に見るように促す。
 豊臣の一夜城、悪逆なる敵が卑しき銭を撒き咲かせし花にござる、そう氏規は言った。
 民衆の一部は心が傾くどころか動いている。善悪敵味方を越えて人の為す力に感動しているのだ。心に何も残らないはずがない。
 汚れた心で咲かせし花がかくも美しい、いわんや清き心で咲かせし花が誰の目にも留まらない事などありえない。
 虎の印判を捺されし北条の法、その法に育まれし民衆、民そのものが清き花。
 民は氏直程賢しくないが、氏直より厚みのある心の襞を持っている。
 故に、時に暴走してしまう、そう氏規は締めくくった。

 氏直は父、氏政に会う決断をした。

 氏政の下に赴いた氏直。驚いた事に既に氏政は来るのを待っていた。しかも屋外にて。
 案内された先は屋根の上であった。氏政はかつて宗瑞が屋根の上で東に行けと天のお示しを受けた話をする。神仏を信じぬ氏直は大方、室町殿の京兆あたりに命じられたのでは、そういいながら屋根に設えた椅子に座る。
 氏政は初めからそのつもりで虎朱印を受け取ったのか、そう聞いた。
 氏直は氏綱公遺訓第一条の一節を持ち出し言う、義を捨ての栄華より義を守り滅亡すべし、と。
 氏政は越度があったのは自分だと言った。自分は愚かな当主であり、花一輪すら捨てられない。見渡せば数えきれないほどの花があるのに。もっと早く豊臣の傘下に入るべきだったと猛省する。
 しかし、氏直は言う。それで北条家を保ったとしても、やがて民衆の心が離れ、いずれにせよ北条家は潰えた、と。なぜなら、自分が花一輪大事にしない当主だから、と。
 氏政は言う。日本一評定をして来ただろう、しかし親子の会話は初めてだ、と。
 北条家を守る為、働いて来たが法の学びを怠ってしまった、民を導くのは難しい、そう呟く。故に聞く、文庫に入り浸り法を学んでいた氏直に。
 氏直は答える。鎌倉執権家が滅びた要因。それは式目の第五条の一文により滅んだ、と。
 その法は年貢の不払いについてであった。少額なら速やかに払え、しかし多額であれば三年の内に払うべし。困窮者救済が為の三年猶予であった。しかし、銭に賢しき富裕者がその一文に付け入ったのだ。
 富裕者はこぞって年貢の三年猶予を申し出て富を蓄える。その富を貸与して利息分を更に蓄える。そして三年後に年貢を払い、また三年の猶予を申し出る。そうして富をまし商人の地位が上がり、逆に御家人は没落する。それが執権家の滅亡の原因となったのだと。
 そして時は経ち、室町殿が治世。
 京の都は土倉の時代。幕府は土倉に課税する。しかし、庇護もした為土倉はそれまで頼っていた寺社と手切れした。
 さらに数多の人から銭を集め経営する合銭により莫大な富を手に入れた。これにより、貧富拡大の混乱が起こる。そこに、一揆に徳政令要求、権門勢家の強欲、大飢饉。
 もはや法も役目を果たさず、その挙句が応仁の乱であった。
 因果であるか、大乱を境に数多の土倉は姿を消してしまった。
 そのころの京で政を執っていたのが細川政元であり、宗瑞であった。
 政元は土倉と手を結んだが、宗瑞はそれを嫌い東に向かった。政元と土倉は衰退したが、宗瑞は新たな国を創る事に成功した。法の国北条である。
 銭の病は法一文の隙に付け入るもの。それをさせまいと代々法を積み上げてきたのである。
 長く語った氏直。
 氏政は言う、されど銭の病は殲滅に至らぬ、と。
 氏直は言う、応仁の乱の終わる頃、堺商人が遣明船を出している。海の外から銭の病がやってくる。その力を利用したのが織田信長であり、豊臣秀吉なのだ。
 得心のいった氏政。そして氏直に言う。いずれ豊臣も銭の病で滅びる、と。
 氏直はそれが見る事が出来ぬのが心残りと言う。
 氏政は笑った。そしてこれが親子の会話か、と朗らかに言うのであった。

 
 なかなか読み応えのある回でした。
 これまでの銭と法の話の集大成、って感じがします。
 法を守るものより、法の抜け道を見つける者が富を稼げるとは今も通じる事ですよね。
 銭と言う強すぎる力。一度、流れが止まれば為政者は高転びしてしまいます。信長から秀吉と人は変わっても、その恐ろしさは変わりませんね。
 一応、秀吉の生きている間は大丈夫だったけどね。
 さぁ、いよいよ北条降伏であります。ただ、この先の事を考えると、徳川が北条の後継者、になるのかな。そうなれば、二人が見えなかった先が、家康により実現する、のかな。
 次回も楽しみです。

2020年3月15日日曜日

北の伊達者

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 まだ五月であった。
 しかし秀吉は小田原城の陥落は年内は難しいと考えていた。勝負は来年、そこで妥協なしの降伏開城で決着を望んでいた。
 この頃の秀吉の書状には味方に対する温情がある一方、敵の撫で斬りを求める残虐性があった。相反する二面性があった。

 前田利家と浅野長吉の二人に面会する者がいた。伊達政宗である。
 浅野は政宗が恩赦されるか、処罰されるかは分からない。秀吉の心一つと言う。
 だが政宗はそれより、背後の花入れに気を取られていた。政宗はそれが利休の新作なのではと思ったのだ。
 話を聞かない政宗を注意する前田と浅野。しかし、自分は「いだて」と言い、逆に花入について聞こうとするのだった。

 秀吉は諸将の慰撫の為に宴を開いたり、様々な遊興の店を開かせた。
 如何に退屈に耐えるか、楽しく遊んだ側の勝ち。そんな合戦であった。
 秀吉も茶々と遊ぶ。そこには、茶々や鶴松を労わる優しい秀吉がいた。
 
 一方、竜子に対しては真逆であった。
 茶々をかどわかす真似は程々に、と説教をすると、秀吉は頬に平手を食らわした。
 そして強引な攻めに出る。
 竜子は城兵を皆殺しにして何が惣無事か、と言う。
 秀吉は言う、日本で一番賢いのが自分であり、日本をどうするか唯一憂いている。だからこそ、涙を呑んで皆殺しにしないといけない。殺し合いが続かぬように、鶴松の為にも。そう傲慢に、竜子を攻めつつ言うのだった。

 そして六月に入る。
 北条だけではない、豊臣陣営からも欠落者が相次いでいた。
 そんなおりに政宗が会見の支度が出来た、との報告が上がった。

 伊達家は北条家と同盟を結んでいた。しかし、迷った末豊臣に加わる決意をしたのだ。
 しかし、遅参と葦名氏を攻めた惣無事令違反。この二つは処刑されても致し方なきものだった。
 秀吉は奉行衆に巨細を聞いた。何故、遅れたのか、何故それほど臣従を渋る程に優柔不断なのに、かくも堂々と惣無事違反を行ったのか、そう問う。
 曰く、惣無事違反は見解の相違。そして遅参は装束選びとの事。参陣も大量の衣装櫃と共にしていて、今の今まで夥しい数の中から今生の一着を選んでいたとの事であった。
 秀吉は興味を覚える。鄙の大名が都の貴人相手に選りすぐりの装束を披露する事に。

 付け髭をした秀吉は椅子に座る。諸将が集った会見の場。そこに政宗が現れる。
 どんなバサラ衣装で登場するか期待する秀吉。そこに現れたのは白装束の政宗であった。

 秀吉は死装束か、と言う。しかし政宗は否と答えた。
 都の天上人にお披露目すべく、田舎大名伊達左京大夫めが身命懸けて「美」を追求した装束にごさる、そう政宗は言うのだった。
 秀吉は頭に飾られた花を見る。サルスベリであった。
 これは、政宗が秀吉の器量を見極めようとしている。そう推察する。それは若いころの自分と同じであった。
 秀吉は髭を取り、腹を割って話そう、と言う。
 秀吉は美や幽玄は慰めにすぎぬと切って捨てる。花より実、政こそが本、美は二の次。秀吉は政宗の才覚を見て処断を決めると言った。
 まずは惣無事違反。政宗の弁明、それに対する諸氏への裏取り調査。それらを総合した結果、政宗の訴えに嘘はなし、と結論付けた。秀吉はこの違反を黙認する事とした。
 次に秀吉は遅参の理由について問いただす。
 政宗も腹を割って話すと言う。その理由は北条と豊臣、どちらが勝つか見定めていたのだ。
 政宗の見立ては豊臣の富が勝るか、北条の法が勝るかの勝負であった。
 富は大波の如く猛烈に世を動かす力を有する。しかし一所には止まらぬ無常の力である。一方、法は国の在り方を艱難辛苦し磨き上げた智の結晶。謂わば苦と智を代々積み重ねて揺ぎ無き大山となしたものである、と。
 秀吉は言う。なのに何故、豊臣への臣従を決断したか、と。
 それを問いたいのは政宗の方だと、叫ぶ。
 奥州探題伊達家十七代、築きし山は四百数十年、齢二十四なれど抱きし大山は五百年に届かんとす。それが何故、僅か一代、成り上がりにかくも平伏せねばならぬのか。
 そう政宗は声を張り上げ言う。
 秀吉が睨み、近習が刀に手を掛ける。一触即発である。
 そんな中、他の諸将と共に政宗の言葉を聞いていた家康は、この言葉をむしろ秀吉への褒め言葉と捉えていた。嘘か本音かは分からぬけど、大仰に、そして神妙に秀吉を称えていた。そして、僅か五年で百十万石を平らげた男、幾千幾万の手段の中から一つの真解を導くもの。家康は政宗を幽玄の智を備えし者と見る。
 そして、豊臣を選んだのだ。家康はそう思った。
 
 秀吉は立ち上がり、刀を抜く。
 広く世を見渡せば幾千万もの人間がある。その中には一人、五百年の山を五年で築く者もおる。そう言って秀吉は刀で政宗の肩を叩くのだった。
 秀吉は言う。家臣になれ、と。才ある悪タレを活かせる者は秀吉だけだ、と。
 家康は思う。此度の合戦は負けるべき、と。秀吉に付け入る隙なし、と。

 秀吉の智謀は秀吉自身の目算を越えていた。六月初旬にはすでに北条の心は折れかけていた。
 六月十二日には氏政の母と氏政の継室が死去。下旬には徳川方が小田原城の福門寺曲輪を攻略。周辺の支城も次々に陥落。そして石垣山城の完成。
 応仁の乱より百余年。戦国時代が終焉を迎えようとしていた。


 まさかの伊達政宗登場。これは、小田原後も連載続行なのか?期待していいのかな?
 関ケ原みたいです。

 家康の政宗評が高いですね。これから付き合い長くなるからね。
 ちなみに、家康の言動をみると、伊達、北条と組んで反旗を翻す事も考えていたのかな?噂があるとは言ってたけど、そんな描写なかったけどね。
 政宗はかなり一癖も二癖もありそうですね。政宗だし。かなりマイペースそうだし、政宗っぽいよね。
 そう言えば、創作物で初めての、いだて、呼びかな?だて呼びが定着し過ぎて変えにくいのか、あまり見ないし。
 そういや、のぶかつ、も、のぶお、が当時の読みだ。って変わったんだっけ。戻ったともいえるけど。
 まぁ、名前の読みはちゃんと伝わらなければ分からないからね。あとはひらがなで書いたものが見つかるとかね。

 緊迫感のある政宗との会見。そして戦国の終焉がもう目の前です。
 このまま連載終了なのか、それともさらに続くのか、楽しみにその時を待ちたいと思います。

2020年3月1日日曜日

暴走する正しさ

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 氏直は籠城戦の憂さ晴らしの為の遊興を推奨した。
 しかし、一部の民衆は一致団結を標榜し黒ずくめの服で取り締まりを始めてしまった。彼らは検断人の様に遊興を禁止し、間者と思わしき者を殺害した。

 城の外に逃れる者で始める。高札の老僧は城外でそれを見ていた。

 さて、権兵衛は陣を引き払う事にした。家臣達が勝手に宴会した所為もあって、金がなくなったのだ。
 だが、家臣からは不満の声が上がる。主に、これから見世物や遊女が集まるから離れたくないのだが。
 中には殿下から拝領した金団扇を売ろうとの声まで出た。権兵衛は一瞬考えるも、すぐに否定する。家臣達もまた。
 とにかく、徳川の使番も外され、怪我の手当てもあるので、明朝小田原から退くことにする。また、権兵衛は殿下に真心は伝わった、と言う。権兵衛は秀吉を見て、以前の情深さは残していると感じた。ただ、天下人故に縁故の贔屓をすれば世間から疎んじられてしまう。それでは天下は悪しき縁の流れに向かう。と、権兵衛は古渓和尚の真似をしていった。

 権兵衛と二人っきりになった鷲見は言う。
 何だかんだ納得している、と。人様に何言われようと、胸張って生きてくだけの心の旗を立てただろう。そう言った。
 鷲見は権兵衛が元気になったのを喜び、残る人生は乱世の終わりを見届けようと言う。
 そんな二人に高札の老僧が話しかける。乱世の終わりに疑問を呈す様に。
 だが、老僧はそんな話の続きはせず、干し飯一椀にて不老長寿の秘伝を教えると言う。なんでも、諸国遍参し古堂に不老不死の秘密を記しているとの事である。
 権兵衛と鷲見には心当たりがありすぎる話であった。
 二人は腹八分目と言い。世話になった気がするから好きなだけ干し飯をやると言う。
 だが、老僧は八分目でいいと言う。そして、不惑過ぎたれば腹八分目に生きていく事と言うのだった。

 五月初旬。秀吉は京から淀殿を始めとする諸大名の女房衆を小田原に呼び寄せた。北条と同じく、包囲戦の憂さ晴らしである。民衆の前に現れた京極竜子に皆は歓声を浴びせた。ちなみに、それは淀殿以上で淀殿は不満であった。

 小田原城内では黒ずくめの衆が検断を行っていた。そんな豊臣の間者が捕らわれ、殺される。彼らの頭は言う、顔はキレイに、と。お殿様に小汚い首を献上出来ないから。
 頭は女性であった。それは以前、上杉に攻められた時に氏政に禁制を求めた村人の一人。氏政に花を渡した幼子の成長した姿であった。
 彼女は願掛けする。立派な正しい北条様が戦に勝つように、そしてお殿様にお目通りできるように。

 氏政は市中に出る。身分を隠して見回るのだった。田畑を見て耕作してる民に困り事を聞くのだった。そんな中、民は氏政に水を進める。御付きの二人は緊張し、自分が飲むと言う。しかし、氏政は何の疑いも無く水を頂き、飲み干した。
 再び歩き出した後、御付きの者は飲むフリをするように言う。毒を警戒しているのだ。
 しかし、氏政は言う。間者と良民の違いが目を見てわからぬか、と。

 城下を回る氏政の目に黒ずくめの一団が目に入る。御付きの者曰く、字を知らぬ民の代わりに目安に届け出をする村衆との事。また不正の検断も自らしている、と。
 見ると、ちょうど不正な者を懲らしめているところであった。御付きの者は素性を調べられる事を恐れて離れるよう氏政に言う。しかし、氏政には見逃せぬ事であった為に逆に彼らに近づいてしまう。
 御付きの者が止める中、氏政は彼らに程々にするように言う。彼らは蔵に米を蓄えた傾国の凶徒と言う。しかし氏政はやりすぎと言い、裁きは法の手続きに則らねばならんと訴えた。
 黒ずくめの衆は彼らを訝し、素性を調べようとする。そんな中、頭の姉御が皆を制止させる。再び巡りあった氏政に頭の姉御は泣き崩れ、あの時と同じように花を渡した。
 頭の姉御は言う。御国の為に、正しい御国のために悪い輩をたくさん処罰しました、機物にしました、と。
 氏政に言う、御国を守って下さい、と。そして間者の首を見せるのだった。
 氏政はあいわかった、忝し。と言うほかなかった。

 雨が降り始めた。雨宿りしている氏政は思う。正しき国が最後に辿り着く先は如何な国なのか、と。そう先代たちに尋ねたかった。

 氏政の母や継室の元にも一人息子を失ったもの話が伝えられている。曰く、北条のお役に立ったのであればこれ以上の喜びはない、と。継室はすでに悲しみに耐えられなくなっていた。二人は六月十二日に亡くなっている。自害の可能性もある、と。

 五月下旬。堀久太郎は海蔵寺にいた。後世には秀吉は関東を秀政に与えようとした、そんな逸話が出来た。それ程の才人であった。
 久太郎は思い出していた、権兵衛と出会った時の事を。
 権兵衛と同世代で同じ美濃の出身。片や名人、片や改易牢人。道は異なれど互いに信長秀吉の縁に結ばれし武者の遠行となる。
 机に突っ伏した久太郎。机からは土鈴が転がり落ちる。
 享年三十八である。


 と言うわけで、堀久の最期です。感慨深いものがありますね。権兵衛とは対照的な人物でしたし、因縁も多かったですからね。悲しいです。
 土鈴があったって事は権兵衛は帰る前に会ったのかな?それとも人を介して渡したのかな。最期の会話が有ってもよかったのに。

 小田原城内は正義が暴走した、って感じですね。そして、まさか、回想で登場した村娘が再登場するなんて思わなかった。氏政と再会出来てよかったですが、氏政自身は複雑でしたでしょうね。正しさがあらぬ方に行ってしまった、と。
 この後どうなるのでしょう。

 後、権兵衛が小田原から退いているから、本格的な挽回はまだまだ後なのかな。どういう経緯で小諸を与えられるかも気になりますね。
 次回も楽しみです。

2020年2月16日日曜日

それぞれの対面

 センゴク権兵衛、162話と163話の感想。

 黄母衣衆の伊東が権兵衛を呼びに来た。秀吉が本営に来るよう遣わしたのだ。
 だが、権兵衛の様子は普段と変わらない。むしろ、徒歩で行くこと知り馬を貸し出そうとした者を、殿下の期限が分からぬ内は関わらぬ方がいい、と気遣う。
 伊東は権兵衛に恐くないのか、と尋ねる。権兵衛は心配は心配じゃが、と答えるのみだった。

 秀吉は奉行衆より話を聞いた。奉行衆の判断は、勝手な行動から九州陣の反省は見えない。天下静謐の世の妨げにもなるので、苛烈な処断もやむを得ない、であった。
 だが、秀吉は言う。彼奴も泣いて平伏するだろう。それを無下に斬り捨てれば天下の聞こえも悪い、と。
 なので、権兵衛の平伏を見てから沙汰をする、と。

 そんな中で権兵衛が入って来る。

 秀吉の本心は赦免であった。だが、秀吉は天下人である。自分の威信を微かでも傷付ければ厳罰に処さざるを得ないのだ。
 だから早く泣いて謝って欲しかった。しかし、権兵衛は昔の用に命令を待ってる顔でいる。その上、何の御用で、と聞いてくるのであった。
 秀吉にも予想外の展開であった。更に御用とは、と聞いてくるので、その前に言う事があるだろう、と促す。
 しかし、堪忍料の一万石の礼を述べる。秀吉が赦したわけではない。そう言うと、権兵衛は恩を忘れるなと言ったのは秀吉だと言い、更にどうやって恩返しすればいいと聞いて来た。
 完全に秀吉の思惑は崩れてしまった。早川口での戦いの話題を出しても権兵衛は、手前勝手の合戦で恩返しには至らないと言う。
 困った秀吉は、金の団扇を下賜する為に呼んだ、そう言う事にした。
 礼を言う権兵衛に、秀吉は赦したわけではない、と再三言うのである。

 帰って来た権兵衛に伊東は肝が据わっていると言うのであった。

 権兵衛はずっと秀吉が心配だった。古渓和尚も秀吉の世の生末が悪くなる可能性を指摘したいた。だが権兵衛は今回の謁見で分かった。秀吉の根は悪い人ではない。だから天下はいい感じになる、と。

 
 北条軍が軍議を行っている。そこには支城の落城の報が次々と入る。
 更に玉縄城の北条氏勝が豊臣の案内役を務めている。そんな噂まで入って来た。
 家臣達は降伏した城主の自刃を徹底するよう進言するも、氏直はそれを拒む。
 また、民衆の動揺も広がっており、民衆の厳戒なる統制も求められるも拒む。
 曰く、民が心の余裕を失えば疑心暗鬼が増すだけである。そして、米の貯め込みが起これば、米余りと米不足の格差から内部闘争に陥ってしまうと。
 しかし、山角は今は有事、内政は二の次、三の次、と氏直に迫るのだ。

 そんな中、笠原が現れる。氏直は人払いをして、二人っきりになる。
 既に松田より氏直は仔細を聞いていた。氏直は笠原を許すつもりであった。虎口を一時取られただけなのだから。
 しかし、笠原の考えは違った。一時的にも陥落した事を一大事とみていた。この報が流布されれば、北条兵の名を貶むると同時に国中に動揺が伝播すると。
 笠原は言う。民兵も諸士もよく戦った。敗因は自分の失策である、と。
 氏直は答える。失策は死罪に及ぶ咎に非ず、と。
 笠原は報いたかった。北条の為に誇り高く死した者を敗者にしたくなかった。
 だから、提案する。此度は笠原が敵と内通し、敵を城内に引き入れた事にしたい、と。自分の悪名が広がる程、北条兵の名の失墜を食い止められる。そう言うのだった。
 これは天啓の如く降って来た策。そして、その時氏直の心とも繋がった、そう感じた。氏直も自分と同じ心持で戦っている、笠原は言うのであった。
 氏直は笠原の策を受け入れ、反逆者として死罪を言い渡すのであった。
 嘗て、氏直は笠原を臆病となじり、それが笠原の武田への寝返りに繋がった。
 氏直はそれを反省し、彼を友と呼び、詫びたのだ。

 そうして、松田親子は内通の嫌疑により、憲秀は監禁、笠原は死罪になった。

 しかし、別の伝承があった。小田原合戦後、僧となり伊豆国蔵六寺を開山。寛永三年に六十歳の生涯を全うしたと寺伝が残っている。

 
 と、言うわけで早川口攻め編終了です。
 権兵衛と秀吉の謁見はよかったですね。完全に秀吉が飲まれていたし。
 素の秀吉が出せるのも、権兵衛ぐらいなのかな?権兵衛が側近になれば丁度バランス取れて、豊臣政権も安泰しそうだけど……

 そして氏直と笠原。こちらもよかった。それに北条と豊臣で対にしたのかな。
 氏直はすでに戦後見つめているのかな?ただ、そうすると氏政は何を考えているんだろう。そちらも知りたいですね。
 因みに、笠原のその後はどちらとも取れる感じにしましたか。センゴクとしては出家したと考える方がいいのかな?

 ともかく、これで早川口も終わり。後は北条降伏に物語は進むのかな。
 小田原戦がどう決着するのか楽しみです。

2020年1月26日日曜日

後始末

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 仙石隊の勝鬨が響く。それは寺で療養中の堀久太郎の元まで聞こえた。
 
 仙石隊は続いて焼き働きを行う。ただし、民衆には手を出さず、捕虜も無用と権兵衛は命じた。

 鷲見は旗を探していた。虎口に立てるべき旗が何処かにいったからだ。森は心の旗を立てている、等と冗談を言っている。
 そんな中、岡田が現れる。生きていたのだ。曰く、二人が信用出来なかったから死ぬに死にきれんのだ、と。
 二人は、土下座して謝る他なかった。

 旗は牢人衆が見つけていた。彼らは旗を仙石隊に届ける事にする。
 そして、本間を称えた。しかし、本間は臆病だったから、と言う。そんな彼に牢人衆はさらに言う、臆病さを誇れ、と。
 本間はそんな彼らをまた称えるのであった。

 仙石隊に戻った旗。
 権兵衛はそれを立てたら退却する、と言った。ざわつく部下達。なぜ、虎口を落としたのか権兵衛に聞く。権兵衛は旗を立てる為、そう答える。そして問う、不満か、と。
 誰も不満に思う者はいなかった。

 早川の虎口に無の旗印が翻った。

 そんな中で妙算が帰ろうとしていた。もうすでに皆、覆面の下の正体を知っていたので止める。あろうことか、妙算が当主になっても良いと言う始末。
 残念ながら、権兵衛にはしっかり聞こえている。ばれた者達はそそくさとその場を離れるのだった。
 権兵衛は妙算に小さい筒を渡す。戸次川の戦死者の菩提寺を記したものであった。妙算からの要望であった。
 権兵衛は手負いと共に先に退けと言う。そして、身に着けた土鈴を渡す。
 権兵衛は銭にはならんと言う。しかし妙算は、天下国家はその下らない土の取り合いで星の数ほど殺し合ってきたと言う。
 妙算は更に言う。天下人に再び会うなら、このまんまじゃロクな死に方しないと言ってやんな、と。
 権兵衛は今更ながら理解する。妙算は天下国家から争いをなくす事を考えていた、途方もない大馬鹿だと。
 妙算は言う。だから気が合ったんじゃねぇか、と。
 二人は合掌を交わす。

 久太郎は語る。草木には実と花が成る。実は種にも食糧にもなる。しかし花は美しくも何の役にも立たない。久太郎は実にならんと働いていた。
 しかし、僅かな人生においては花こそ甲斐があるのではないか。
 信長を花と散らせた逆徒の心も、今は分かるかもしれない。

 権兵衛はまた一つ土鈴を千切り、渡す事を考えた。

 久太郎は、権兵衛を祝う。気味良き徒花、と。

 仙石隊は帰陣した。
 そんな中に萩原孫太郎が現れた。今は酒匂彦三と名乗っている。
 そして、此度の顛末を聞き、驚くのであった。

 ただ、一つ問題があった。今回の合戦働きはヤマイヌの計の陽動策だった。
 にも関わらず、抜け駆けし、虎口攻めをしてしまったのだ。池田、黒田、徳川の三家は待ち惚けを食らってしまったのだ。
 それを聞き孫改め彦三は、不参加だった代わりに謝罪に回る事にした。
 因みに、現家老の森は彦三を家老代に任命して任せるのだった。

 まずは池田家。仙石家にも折り目正しき者がおるようで安心した、と言われる。
 そして赦された。
 照政にとって徳川は父と兄の仇である。だがしかし、今後の世情を考えるなら私怨、私戦は停止すべき。むしろ徳川と縁が出来た事を喜んでいた。

 次に黒田家。官兵衛はすでにこうなる事も予想済みであった。
 権兵衛には文句はあるようだったが、彦三のような折り目正しき者がおるようで安心した、そう言った。

 彦三は仙石隊の評判が気になってくる。案内している者曰く、海賊や山賊のような感じだとか。

 最後は徳川家。出てきたのは本多佐渡守である。
 既に、仔細は伝わっていた。そして家康に具申した結果、不問にする、との事であった。
 ただし、一つだけ条件があった。権兵衛を軍使にした事について、なかった事にしてほしい、と。彦三は快く引き受け、徳川家に迷惑を掛けぬと言うのであった。

 あとは秀吉の意向だけである。
 家康は考えていた。温情か不寛容か、それにより今後の豊臣政権の指針が見える、と。

 早雲寺に奉行衆らが集まっていた。その中には権兵衛と歌会で会った男もいた。
 話し合っているのは今回の仙石権兵衛の働きについてだった。賛否両論ある中で、大村がある種の畏れを抱いている、と言う。
 関東征伐が発令された時の数多の武者の騒ぎよう。彼らはもはや合戦を止める事能わざる者どもではないかと。以前起こった、大坂での千人切り事件も、また同じではないか、と。
 九州での失敗の反省無き仙石家の者ども、このまま野放しにして良いのか。

 そんな緊迫した中、秀吉が現れる。秀吉が出した命は一つ。明朝、仙石権兵衛を呼ぶ。ただそれだけであった。

 明朝決まる運命。しかし権兵衛は今は只々、深き眠りに付くだけであった。

 
 遂に旗が立ち、虎口攻めも終わった。しかし、まだ後始末が残っています。
 秀吉と会った時に妙算の言葉言うのかな?下手したら切られそうだけど。

 妙算とはこれが最期の別れになるのかな。それにしても、戦を無くす方法を考えていたとは、そして権兵衛もまた…ですかね。小田原以降書かれるなら、このあたりの心情も書くのかな?続くかは分からないけど。

 そして孫も再登場。皆に代わり謝罪に回ります。
 それにしても、鷲見と森はすっかりギャグキャラですね。締める時は締めるけど。
 仇の徳川と縁を結んだ池田、権兵衛の事は分かっている黒田、そして寛容を見せた徳川。それぞれがプラス面を見つけたんでしょうね。官兵衛だけはなさそうだけど。

 そして、戦を止める事が出来ない者たち……
 これは大坂の陣まで問題になる事ですね。そしてその後も…
 その対策が唐入りになるのかな。ただ、小田原で最終回なら書かれない事になるけど。

 そして遂に秀吉との対面。どうなるか楽しみです。
 ついでに、小田原終わったら外伝として関ケ原編と大坂編やって下さい。

2020年1月5日日曜日

虎口を落とす

 センゴク権兵衛、159話の感想。

 須田は笠原を堀底へと落とした。
 そんな中、権兵衛達の部隊が雪崩れ込む。一方、虎口の外では堀隊が太鼓と空砲を鳴らしていた。敵を狼狽させるためであった。

 陥落間近であった。ここまで眺めていた秀吉だったが、急に馬に乗り本陣へと帰ろうとする。曰く、天下国家の事業がある。たかが虎口一つ、塵芥の牢人衆に係わっている場合ではない、と。

 牢人達が、それぞれ協力し合い、力を出し合い、敵を蹴散らしていく。
 当然、権兵衛達の配下もそうであった。

 堀底へ落ちた笠原は落胆する。半分の正規兵を放置したまま、寡兵の敵に敗れようとしている事に。

 権兵衛の前に須田が立ち塞がる。須田は権兵衛が大将か、と尋ねる。だが、権兵衛は違うと言った。須田は直ぐに気付く、指揮者不在だからこその合戦ぶりだったと。
 それを聞き、権兵衛は彼の賢さに気付く。合戦が無くなっても食い扶持がある、そう言った。
 だが、須田の覚悟は決まっていた。

 笠原は見ていた、須田が討ち取られる所を。そして気付く、勝てた戦だったと。幾度も勝つ機会があったと。
 自らの将器を過信し、徒に我が命にのみに従わせた。それが為に兵は存分に戦う事能わずに負けたのだ。
 そして、悟る。指揮者が為すべきなのは、我が兵が背負う恥を我が身で一身に背負う事である、と。

 笠原は全軍に叫ぶ、退却と。その声は虎口中に響いた。
 退き太鼓も鳴り、その後に虎口に響いたのは、攻め手仙石隊を始めとする牢人衆の歓声であった。


 遂に決着ですね。
 そして、権兵衛の挽回の物語も終着地ですね。稲葉山陥落から始まったセンゴクのお話も遂にここまで来ましたか。感無量です。ただ、北条との戦はまだ続きますが。

 敵将笠原は漸く、将たるが何か理解する事が出来ました。けど、今後挽回出来るのかな?もしかして、豊臣と講和を結ぶ切っ掛けになったりするのかな?

 兎にも角にも、権兵衛の挽回の為の戦いも終結、次回も楽しみです。