2020年4月5日日曜日

法の国に残るもの、銭の国の行く末

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 六月初旬、家康と信雄により開城交渉が進められていた。
 朝敵北条だが、信雄は敵意が沸かず、寧ろ惻隠の情が沸くと言う。
 自分も家康も北条も秀吉に煮え湯を呑まされた同士ではないか、そう家康に言うのであった。
 信雄の見立てでは、氏直は降伏開城の心積もりと見る。しかし、周囲への説得が困難であると考える。北条の統治が善政である程に降伏の説得が難儀である、と。

 六月二十四日、韮山城が開城。家康は韮山城城主氏規に北条降伏の説得を託すのであった。
 だが、交渉は続くされど進まず。

 氏規は氏直に説く。
 応仁の乱より百二十年余り、北条家は百年をかけて法の大国を築いた。一方で、幾百万幾千万の人の中からそれを凌駕する天才が生まれた、と。
 氏直は言う。支城はほぼ全て陥落。更に前代未聞の城が突如現れた。
 その威容を見て降伏に傾く者、それでも猶徹底抗戦を唱える者、両方現れた。このままでは民衆が対立の末に同士討ちになる。そう氏直は危惧する。
 氏直は北条の家名も自分の身も残すことは出来ないと考えている。唯一の望みは民の心に何かが残るか否かであった。
 正しき側が負けると知った時、神仏を信じる心をも失った時、民はどうなるか。
 百年で築いた法も用無し。法は国の在り方を示すもの、北条家そのものであった。その法も術なく豊臣の銭に負けたのだ。
 宗瑞は新しき法の国を創った。しかし、その国も古くなり、一方で機内に新しき政権が生まれた。新しきが古きに勝つ、我らの国は滅ぶるべくして滅ぶ。
 民の心に何が残ろうか。

 氏規は聞く。敵の一夜城を見たのか、と。氏直は見ずともわかる、と言う。
 氏規は更に聞く、一夜城を見る民衆の目を見たか、と。
 返事を待たずに立ち上がる。見ずともわかるとは悪い口ぐせよ、そう言って氏規は氏直を外に連れ出した。

 氏規は言う。全ての民衆が心折れて降伏に傾いたのか、魔の城を見て憎悪の念に駆られているのか。民衆の中には敵の一夜城の美しさに目を奪われた者もおる、と。
 氏規は氏直に見るように促す。
 豊臣の一夜城、悪逆なる敵が卑しき銭を撒き咲かせし花にござる、そう氏規は言った。
 民衆の一部は心が傾くどころか動いている。善悪敵味方を越えて人の為す力に感動しているのだ。心に何も残らないはずがない。
 汚れた心で咲かせし花がかくも美しい、いわんや清き心で咲かせし花が誰の目にも留まらない事などありえない。
 虎の印判を捺されし北条の法、その法に育まれし民衆、民そのものが清き花。
 民は氏直程賢しくないが、氏直より厚みのある心の襞を持っている。
 故に、時に暴走してしまう、そう氏規は締めくくった。

 氏直は父、氏政に会う決断をした。

 氏政の下に赴いた氏直。驚いた事に既に氏政は来るのを待っていた。しかも屋外にて。
 案内された先は屋根の上であった。氏政はかつて宗瑞が屋根の上で東に行けと天のお示しを受けた話をする。神仏を信じぬ氏直は大方、室町殿の京兆あたりに命じられたのでは、そういいながら屋根に設えた椅子に座る。
 氏政は初めからそのつもりで虎朱印を受け取ったのか、そう聞いた。
 氏直は氏綱公遺訓第一条の一節を持ち出し言う、義を捨ての栄華より義を守り滅亡すべし、と。
 氏政は越度があったのは自分だと言った。自分は愚かな当主であり、花一輪すら捨てられない。見渡せば数えきれないほどの花があるのに。もっと早く豊臣の傘下に入るべきだったと猛省する。
 しかし、氏直は言う。それで北条家を保ったとしても、やがて民衆の心が離れ、いずれにせよ北条家は潰えた、と。なぜなら、自分が花一輪大事にしない当主だから、と。
 氏政は言う。日本一評定をして来ただろう、しかし親子の会話は初めてだ、と。
 北条家を守る為、働いて来たが法の学びを怠ってしまった、民を導くのは難しい、そう呟く。故に聞く、文庫に入り浸り法を学んでいた氏直に。
 氏直は答える。鎌倉執権家が滅びた要因。それは式目の第五条の一文により滅んだ、と。
 その法は年貢の不払いについてであった。少額なら速やかに払え、しかし多額であれば三年の内に払うべし。困窮者救済が為の三年猶予であった。しかし、銭に賢しき富裕者がその一文に付け入ったのだ。
 富裕者はこぞって年貢の三年猶予を申し出て富を蓄える。その富を貸与して利息分を更に蓄える。そして三年後に年貢を払い、また三年の猶予を申し出る。そうして富をまし商人の地位が上がり、逆に御家人は没落する。それが執権家の滅亡の原因となったのだと。
 そして時は経ち、室町殿が治世。
 京の都は土倉の時代。幕府は土倉に課税する。しかし、庇護もした為土倉はそれまで頼っていた寺社と手切れした。
 さらに数多の人から銭を集め経営する合銭により莫大な富を手に入れた。これにより、貧富拡大の混乱が起こる。そこに、一揆に徳政令要求、権門勢家の強欲、大飢饉。
 もはや法も役目を果たさず、その挙句が応仁の乱であった。
 因果であるか、大乱を境に数多の土倉は姿を消してしまった。
 そのころの京で政を執っていたのが細川政元であり、宗瑞であった。
 政元は土倉と手を結んだが、宗瑞はそれを嫌い東に向かった。政元と土倉は衰退したが、宗瑞は新たな国を創る事に成功した。法の国北条である。
 銭の病は法一文の隙に付け入るもの。それをさせまいと代々法を積み上げてきたのである。
 長く語った氏直。
 氏政は言う、されど銭の病は殲滅に至らぬ、と。
 氏直は言う、応仁の乱の終わる頃、堺商人が遣明船を出している。海の外から銭の病がやってくる。その力を利用したのが織田信長であり、豊臣秀吉なのだ。
 得心のいった氏政。そして氏直に言う。いずれ豊臣も銭の病で滅びる、と。
 氏直はそれが見る事が出来ぬのが心残りと言う。
 氏政は笑った。そしてこれが親子の会話か、と朗らかに言うのであった。

 
 なかなか読み応えのある回でした。
 これまでの銭と法の話の集大成、って感じがします。
 法を守るものより、法の抜け道を見つける者が富を稼げるとは今も通じる事ですよね。
 銭と言う強すぎる力。一度、流れが止まれば為政者は高転びしてしまいます。信長から秀吉と人は変わっても、その恐ろしさは変わりませんね。
 一応、秀吉の生きている間は大丈夫だったけどね。
 さぁ、いよいよ北条降伏であります。ただ、この先の事を考えると、徳川が北条の後継者、になるのかな。そうなれば、二人が見えなかった先が、家康により実現する、のかな。
 次回も楽しみです。

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