センゴク権兵衛、200話の感想。
漢城陥落後、秀吉は小西と相談が肝要との書状を出した。
小西が唱える慎重策を選んだのだ。
しかし、国内向けの書状は違った。明を支配し、秀次と後陽成天皇を北京に移す。秀吉は寧波を拠点とし、天竺までも切り取る、と。壮大過ぎる計画であった。
秀吉は自信過剰と自信過小の板挟み状態であった。
権兵衛は湯殿の普請をしていた。秀吉に急かされた為、懸造で作っていたが、正澄に怒られてしまう。権兵衛は秀吉が渡海するまでの間、と言うと正澄はその件は小声で、と声を潜めるのであった。
森は権兵衛に訊ねる、秀吉の渡海が近いか、と。権兵衛は日和と順風次第だ、と答える。
命が有れば自分たちも渡らねばならない。だが、権兵衛はあまり心配してなかった。何故なら秀吉の命令で死んだ事は無く、合戦ならば秀吉が出馬すれば、ほぼ負けはなかったからだ。
そんな権兵衛を秀吉は呼び出した。そして、共に海を見る。秀吉は権兵衛に波の様子を聞く。権兵衛は海賊衆なら問題ない、と答える。
しかし、海賊、ではない。此度の渡海は豊臣政権の威容を示さなければいけない。一艘たりとも遭難させたくなかった。
それを聞くと権兵衛は、無茶と答える。そして半分遅れず上陸できれば上出来、だと。
秀吉はそれが元水軍の意見だな、と言い。権兵衛に渡海の評定があるから廊下で侍るよう命じる。
権兵衛は秀吉が迷っていると感じた。
六月二日に渡海計画の談合が行われる。
此度の談合は家康と利家の二人が誘い合わせて開いたのだ。
大名衆からはその二人。そして奉行衆からは三成が出席した。この時奉行衆の柱石、浅野長吉は一時謹慎を蒙っていた。その理由は渡海に反対した為だと言う。そして家康もその事を知っているのだった。
が、それでも家康は渡海の反対、消極策を主張したのだ。
一方、三成は積極策を主張する。その理由は朝鮮との連絡に片道半月かかる為である。
しかし、家康は船頭の話をする。船頭は今月来月は不慮の風がある、と言っている。もし万が一があれば天下相果てる、と。
だが、三成は渡海を延期すれば十中八九苦境に陥ると言う。朝鮮国王は逃亡した。だが、朝鮮国王と和談がなければ明と交渉も出来ない。それどころか二カ国同時に戦う羽目になる。更に海路は未だに把握出来ておらず、五月七日には玉浦にて朝鮮水軍に敗れていた。これでは兵糧を行き渡らせる事ままならない。
三成は重ねて言う。自分は本来唐入りには反対であった、と。だが、秀吉の才覚を信じるが故に賛成した。これまで幾度も敗勢に勝利を見出した秀吉だからこそ、渡海なしの勝利などありえない、そう断言する。
それに対して家康は泣いて訴えた。自分と利家が先に行くと言って。
三成は理に合わぬ、と言うが利家に真心も計数で量る気か、と制された。
廊下で侍る権兵衛は思う。随分と怖い大名様になった、と。以前とは違う、人を制する涙、だと。
秀吉の出した答えは、渡海の延期であった。
それは渡海の失敗を恐れ、遁逃したのだ。そして、この場を制したのは家康であった。史上最も静かで、かつ大いなる博打に勝利したのだ。
さらっと石田正澄が出てきましたな。三成のお兄さんが。
さて、いよいよ、秀吉にも陰りが出始めた、って感じです。もう少し前からあった気がしますが、分かりやすく、一歩引いてしまった感じがします。
秀吉の決断は間違えではないです。けれど、成功をも手放した、感じですね。もう、神憑り的な才知はもう期待出来ないのかな?って。
一方で家康が台頭しましたね。というか、バトンタッチと言う感じでもありますね。ここからは家康が天下人に相応しい実績を重ねるのかな。そんな予感もします。
一つのターニングポイントを迎えた豊臣政権であるけれど、まだあります。その先に待ち受けるのは……次回も楽しみですね。