2021年1月31日日曜日

一つの決断、一つの終焉

  センゴク権兵衛、200話の感想。

 漢城陥落後、秀吉は小西と相談が肝要との書状を出した。
 小西が唱える慎重策を選んだのだ。
 しかし、国内向けの書状は違った。明を支配し、秀次と後陽成天皇を北京に移す。秀吉は寧波を拠点とし、天竺までも切り取る、と。壮大過ぎる計画であった。
 秀吉は自信過剰と自信過小の板挟み状態であった。

 権兵衛は湯殿の普請をしていた。秀吉に急かされた為、懸造で作っていたが、正澄に怒られてしまう。権兵衛は秀吉が渡海するまでの間、と言うと正澄はその件は小声で、と声を潜めるのであった。
 森は権兵衛に訊ねる、秀吉の渡海が近いか、と。権兵衛は日和と順風次第だ、と答える。
 命が有れば自分たちも渡らねばならない。だが、権兵衛はあまり心配してなかった。何故なら秀吉の命令で死んだ事は無く、合戦ならば秀吉が出馬すれば、ほぼ負けはなかったからだ。
 そんな権兵衛を秀吉は呼び出した。そして、共に海を見る。秀吉は権兵衛に波の様子を聞く。権兵衛は海賊衆なら問題ない、と答える。
 しかし、海賊、ではない。此度の渡海は豊臣政権の威容を示さなければいけない。一艘たりとも遭難させたくなかった。
 それを聞くと権兵衛は、無茶と答える。そして半分遅れず上陸できれば上出来、だと。
 秀吉はそれが元水軍の意見だな、と言い。権兵衛に渡海の評定があるから廊下で侍るよう命じる。
 権兵衛は秀吉が迷っていると感じた。

 六月二日に渡海計画の談合が行われる。
 此度の談合は家康と利家の二人が誘い合わせて開いたのだ。
 大名衆からはその二人。そして奉行衆からは三成が出席した。この時奉行衆の柱石、浅野長吉は一時謹慎を蒙っていた。その理由は渡海に反対した為だと言う。そして家康もその事を知っているのだった。
 が、それでも家康は渡海の反対、消極策を主張したのだ。
 一方、三成は積極策を主張する。その理由は朝鮮との連絡に片道半月かかる為である。
 しかし、家康は船頭の話をする。船頭は今月来月は不慮の風がある、と言っている。もし万が一があれば天下相果てる、と。
 だが、三成は渡海を延期すれば十中八九苦境に陥ると言う。朝鮮国王は逃亡した。だが、朝鮮国王と和談がなければ明と交渉も出来ない。それどころか二カ国同時に戦う羽目になる。更に海路は未だに把握出来ておらず、五月七日には玉浦にて朝鮮水軍に敗れていた。これでは兵糧を行き渡らせる事ままならない。
 三成は重ねて言う。自分は本来唐入りには反対であった、と。だが、秀吉の才覚を信じるが故に賛成した。これまで幾度も敗勢に勝利を見出した秀吉だからこそ、渡海なしの勝利などありえない、そう断言する。
 それに対して家康は泣いて訴えた。自分と利家が先に行くと言って。
 三成は理に合わぬ、と言うが利家に真心も計数で量る気か、と制された。
 廊下で侍る権兵衛は思う。随分と怖い大名様になった、と。以前とは違う、人を制する涙、だと。

 秀吉の出した答えは、渡海の延期であった。

 それは渡海の失敗を恐れ、遁逃したのだ。そして、この場を制したのは家康であった。史上最も静かで、かつ大いなる博打に勝利したのだ。


 さらっと石田正澄が出てきましたな。三成のお兄さんが。
 さて、いよいよ、秀吉にも陰りが出始めた、って感じです。もう少し前からあった気がしますが、分かりやすく、一歩引いてしまった感じがします。
 秀吉の決断は間違えではないです。けれど、成功をも手放した、感じですね。もう、神憑り的な才知はもう期待出来ないのかな?って。
 一方で家康が台頭しましたね。というか、バトンタッチと言う感じでもありますね。ここからは家康が天下人に相応しい実績を重ねるのかな。そんな予感もします。
 一つのターニングポイントを迎えた豊臣政権であるけれど、まだあります。その先に待ち受けるのは……次回も楽しみですね。

2021年1月17日日曜日

頂点の暗闇

  センゴク権兵衛、198と199話の感想。

 徳川と前田に喧嘩騒動があった五月上旬。その時にはすでに首都漢城を奪取していたのだ。
 それは秀吉すら、予期していなかった。落城の報せはまだ届かず、秀吉は渡海の準備をしていた。その一環で近習の増員をする。その一人として権兵衛を近習にすると言う。周りの者は躊躇するも、三成は秀吉の意図を理解し、賛成する。何をしでかすか分からないから、傍に置く。そして、猪武者への対応を奉行衆が学ぶ。それが秀吉の考えだった。

 権兵衛は秀吉の近習となり。空いた日は湯殿普請をする事となった。
 皆、喜んでいたが、森は近習になれば渡海するはず、いつ日ノ本に帰れるか心配であった。
 権兵衛は長くて一年と考えていた。さらに言えば本当に唐や天竺に行くのか疑問だった。葛の再婚の為にも早めに帰りたかったのだ。
 無用ノ介は言う。過去を顧みると遠征半年を過ぎると逃散者が増大する。一年以上の遠征なら政権崩壊の危機もあり得る。
 権兵衛は物騒な事を言うな、タマに正しいことを言うから、と言う。すると無用ノ介は間違ったことがあったか、権兵衛に恩を受けたこと以外で、と返した。
 権兵衛は言う、ややこしいことだと。そして古渓和尚の教えに従って、ややこしい問題は「あきらめる」と宣言する。
 意味は自暴自棄になる事ではない。ちゃんと見る、と言う事である。あきらかに見るが即ち諦め、そう無用ノ介は補足した。
 今は見るしかない、秀吉の周りで起きている事を。そして生きて帰れないなら逃散して牢人に戻ればいい、そう言う。自分たちは海賊でも山賊でもやって来た、と。

 前田利家の陣に家康が現れた。先の喧嘩沙汰の件で、である。利家は動揺しつつも、会うしかない、と腹をくくる。万が一の為の銭の用意はあるのだから。
 当然、室内で待っていると利家は思っていた。しかし、家康は門前で待っていた。平伏して、だ。これには利家も平伏するしかなかった。しかも、前田が水をとったのが原因なのに、水は分かち合うもの、と言い自分たちに否があると言うのだ。

 場所を室内移し、二人は話す。家康は利家の誠実さが伝わったと言い、利家も言葉をそっくりお返しすると返事をした。
 家康は続ける。戦国大名ゆえに人を見ては信用能うか能わぬか見極める。もしかしたら、陰で徳川前田を仲違いさせようと画策してる者おるかもしれぬ、と。
 利家も思うところがあった。秀吉の周りには色んな人が集まっている。その中に野心を抱くもがおるかもしれぬ、と。
家康と利家の仲は深まった。それは家康の人たらしの才であった。一体誰から学んだのであろうか。


 渡海した部隊は漢城で半月に亘り評定を行った。
 小西は朝鮮との国交を回復した上での唐入りが上意であり、統治が先決を考えていた。しかし清正は長々とした談合を迷惑とし、秀吉の早期渡海による唐入り敢行こそが上意と考えていた。
 戦略の相違が不協和音を奏でさせた。それだけではない、秀吉からの書状もこの状態を加速させた。
 結局、戦況は万全と言えず、その為に安全策をとる。諸将が朝鮮国八道にそれぞれ派遣され統治が優先された。
 そんな現地の状況を知らず、半月遅れで漢城陥落の報せが秀吉に伝えられる。
 家臣も秀吉も大喜びであった。

 そのはずだった。

 内心、秀吉は不安であった。もし、高麗が服属拒否するなら、大明国は都を包囲すれば自分の外交策に屈するか。
 秀吉の戦略は制海権をとり、海を渡り、河を遡り、北京を包囲し外交的譲歩を得る事であった。しかし、北京を海の近くと誤認していた。それは地形の把握が不十分であったのだ。
 外海について見分も舟も足らない。不安であった。しかし、皆が喜ぶ姿をみると自分が天下万民を聚楽に導かなければならない、そう強く思う。

 秀吉は湯屋の普請場に行き権兵衛に何時完成するか聞く。だが、まだ曲輪も出来ていなかった。権兵衛は懸造にするか、聞くと二つ返事でそれでいいと言う。そして崩れたら全員打ち首、と。突如の豹変であった。しかし、権兵衛はむしろ何かに怯えている、そう森に言うのだった。
 皆、秀吉を止めたり、苦言を呈する者はいなかった。
 鶴松の死を紛らわせる為の、性急な唐入りだった。秀吉の思惑を超えて、出来過ぎなくらい事が運んでしまった。もはや停止など出来るはずもない。
 皆、秀吉が能わぬもののない天下人と思い込んでいた。秀吉は皆に応えなければならなかった。能わぬもののない、天下人になるしかなかった。
 その瞳からは光が失われていた。


 あれほど万能感があった秀吉が、一人の人になっていますね。これが頂点に立つ恐ろしさ、何でしょうか。誰が彼を救うのか。それこそが友である権兵衛の役目になるのかな?
 一方で家康は着実に地盤固めをしていますね。すでに次を見据えているのか。
 朝鮮でも各将の間にひびが入っていますね。これが関ケ原への伏線になるんですよね。関ケ原も見たいところですね。
 壊れそうな秀吉。一体この先どうなるのか、次回も楽しみです。