2020年11月29日日曜日

各々の苦境

  先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 二年に亘り奥州と京を往来していた奉行衆も漸く中央の政務に専念出来るようになった。
 そんな奉行衆に待ち受ける問題は、鶴松の死にから始まった唐入りと関白委譲であった。
 余りに早すぎる事態の推移。それは国内の統治がなおざりに見えた。もし、大規模な一揆でも起きれば政権が倒れてしまう。そんな危機感もあった。
 だからこそ、伊達政宗のような悪漢は見せしめにしなければいけなかった、そう三成は言う。浅野は三成の強硬な姿勢を憂慮する。しかし、三成は私利私欲ではなく、天下御政道の輔弼に尽くす為であり、その一念に反する身勝手な者に憎悪するからだ、と言う。
 とまれ、これより輔弼するのは秀次である、そう増田は三成に聞くが、無言であった。
 大谷も主君に器量が無くても輔弼するのが惣無事の政道ではないか、と言う。三成は、今はそう思っておく、と俯き答えるばかりであった。

 秀吉は秀次に教訓状を与えた。
 内容は、武に油断なく法度を難く、仁義礼智信を嗜む。茶湯鷹狩並びに女遊びは程々にすべし。と、基本的な事であった。秀吉は要は自分の真似をするな、と軽く言う。
 難しくはない。だが、これを二十、三十年と続けるのは容易ではない。最初はよくても数年で酒色に溺れる者は多数いるし、秀吉も何人も見てきた。
 だが、秀吉は秀次を信じる、と言い。鼎を支える者も、秀保、金吾、秀家、秀忠と多くいると言う。が、その本音は秀次の代わりなどいくらでもいる、であった。つまり、威しであった。

 秀吉は関白を譲り太閤となる。そして天正二十年。この年は十二月八日に改元され文禄となる。その正月である、遂に唐入りの命令が諸将に下る。

 しかし、多くの者は不満であった。遠い異国の地、準備期間の短さ、生きて帰れるかも分からない。いっそ故郷で自害した方がましだ、そんな者もおった。
 だが、誰も反対しなかった。諸将は密告を恐れ、互いに信頼できず、結託できなかったのだ。
 その様な話はイエズス会の宣教師も入手していた。そして異例の出世で小西に嫉妬する大名も多いと、心配の言葉を掛けた。
 小西は秀吉の力なら唐入りも成就するのでは、と言い。武功を立てたら、秀吉の死後、秀次に布教の赦しを得る、と約束する。

 秀吉は諸将を鼓舞する演説をする。
 大言壮語は秀吉自身の心の高まりか。しかし、諸将は、奉行衆は、奥の者たちは、気持ちは一緒であろうか。それぞれが別のものを腹に抱えているのではないだろうか。

 秀吉の命で名護屋は一大都市に変貌した。そこを拠点に唐入りが始まった。


 西国大名が次々と渡海。釜山を占拠すると、次々に北進を開始した。
 だが、秀吉は進軍は遅かった。眼病に腹痛、そして行路混雑の為であった。四月半ばでも九州に至ってない。
 西国だけでなく、東国の諸将も名護屋へと向かっていた。それは権兵衛も同じ四月半ばには豊前の小倉まで来ていた。
 味方の勝報が届くと兵士たちもいきり立つ。が、権兵衛は自分たちは後発隊。合戦が終わった後、落城した城の陣番になって一揆に備える役割と心得ていた。
 ただ、言葉が分からないから一揆か平伏かの判断を漢字による筆談に頼ろうとしていた。律儀に一揆に来ましたって書かないと突っ込まれたが。
 小倉は権兵衛たちが戸次川の敗北で通った場所。本人は茫然自失で覚えてはなかったが。それでも今まで殺し合いをした敵同士がみんな味方で集まる、その事が感慨深かった。
 後ろには真田もいる。挨拶をした権兵衛曰く、落ち着いた感じで、誠実そうな、家康に似た雰囲気との事であった。

 その夜、信州伊那の大名、毛利秀頼のもとに信州の国衆が集まった。勿論権兵衛もだ。
 曰く、佐竹と宿の優先順で争論になり、義宜に直談判をしようとしたら士衆に散々に突き叩かれたのであった。
 このままでは面目丸つぶれ、ゆえに信州国衆に同心を申し出るのであった。
 が、味方同士の争い。打ち首にされかねない。権兵衛でも、その事は分かった。当然、数正や昌幸がうまく宥めてくれる事を期待する。
 だがしかし、真っ先に同意するのであった。他の国衆も次々に同意してしまった。
 権兵衛は、全員打ち首にはならないだろう、そう考えて同意をするしかなかった。
 
 一番最後に同意したから、喧嘩の先導をしなければならなくなった。
 その話を持ち帰ると、当然皆動揺する。家老の森も正気の沙汰じゃない、と言う。
 権兵衛は全員打ち首にはならない、と言う。しかし、それは見せしめで一人くらい打ち首になる可能性があった。
 権兵衛も有り得る、と考え、誰が見せしめになるか熟考する。
 信州国衆と関東勢の中で最も一番喧嘩を主導しそうな大名、それは。
 仙石権兵衛秀久、自分自身である。

 昌幸は理解していた。権兵衛の打ち首で手打ちになる、と。
 しかし、そうならなくても権兵衛の戦ぶりを見ておきたい。切らんとて切り能わぬ、縁の繋がりし隣国の大名であるのだから。

 かくして翌日の昼に佐竹勢への抵抗が試みられるのであった。


 と、言うわけでとうとう始まりましたね朝鮮出兵が。なんか早くも空中分解しそうなぐらい皆の心がバラバラですけどね。
 三成も不穏な感じですよね。まさか、秀吉自身が天下の御政道を歪めてるとか考えてないですよね。そうでなくても、不満多そうだけど。
 浅井もなんか感じ取ってるみたいだけど。
 あと、茶々は復活したのかな。化粧してたけど。秀頼誕生の伏線かな?
 そして、秀次。秀吉は代わりはいる、って言ったけどいませんでしたね。後の歴史見てみると。秀吉自身の限界が来ている、そんな話を聞いたので少しずつ綻びが出ているのかな。
秀吉自身は逃げきれたけど、政権は…ですよね。

 さて、権兵衛の方はと言うと。巻き込まれた上に命の危険が迫っていますね。この辺の事は何とかなったみたいなので、どう描かれるか楽しみですね。
 それにしても権兵衛の昌幸評、騙されてますよ。後、ある意味家康に似ているはあっているけどね。そういえば昌幸少し太った感じしますね。前回出たのは武田が滅びるところでしたっけ?なんにしても久しぶりですね。

 と、まぁ、全体的に不穏な感じですけど、次回も楽しみですね。

2020年11月15日日曜日

後戻り出来ぬ道へ

  今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 秀吉はポルトガル領となっていたインド副王に宛てた書簡案を作成した。
 その内容は恫喝的であり、事前に入手したイエズス会は驚く。官兵衛や前田玄以と密談し、秀吉の真意を聞き、事後の事を協議した。
 だが、事実は諸人の予想を遥かに超える。

 鶴松が夭折したのである。

 苦しみと寂しさに苛まれる秀吉。その怒りの矛先は、子が欲しいと言った茶々に向けられようとした。
 そして、二日後には有馬へ湯治へと行き、十日間大坂、京に戻らなかった。
 大政所はお寧に言う。気遣うべきは秀吉ではなく茶々、と。
 秀吉は何でも出来たゆえに、理不尽な事が起きると人の所為にする、と。
 茶々を見舞うお寧。しかし、茶々は奥に引き籠ってしまっていた。
 茶々の侍女は不満であり不安であった。秀吉が何もしないからである。
 まるで、病気に勝てない子を産んだり、子供を欲しがった茶々が悪い、そう言われているようで。さらに、浅井出身故の肩身の狭さも感じていた。
 お寧はきっぱりと約束する。たとえ、秀吉が死んでも浅井家の方々を無下にしないと。
 そんな中、現れたのは竜子であった。京極家出身の彼女には茶々は家臣の姫。なので、茶々と話に来たのだ。
 茶々の部屋に入ると竜子はお市の形見の懐刀を預かる。そして言う。あんなゲスの為に自決なんて勿体ない、と。
 そして秀吉はイザとなったらケツをまくる男と言い切る。続けて世の男は全てそう、とも言った。いつか、茶々にもわかると言い、部屋を出た。
 茶々は母と交わした勝負を思い出す。母に負けない美しい人間の為に。

 温泉に浸かる秀吉。その脳裏には以前言った言葉が蘇る。
 お天道さんがお前がやらにゃあならんとせっついてくる。
 遂に、秀吉は唐入りを決断するのだった。

 唐入りの拠点を名護屋に秀吉は定めた。しかし、そこは何もない荒野。諸将は気が進まなかった。
 しかし、秀吉の決意は固く。名護屋の地を都にしようと考えていた。
 理由は三つ。先ず、前線基地と共に憩いの地にすること。そして諸大名に港湾貿易の都市作りの見本とすること。
 そして、交渉してくる国々に対し、国力を見せつける事。辺鄙に至るまで黄金輝く絢爛の地と思わせ、日本に敵わぬと思い知らせる為に。
 秀吉は自分の考えに絶対の自信を持っていた。と、同時に困難さも知っていた。だが、奉行衆ならば不可能を可能にする。そしてその力を諸大名に見せつける事となるのだ。
 さらに五カ国同時脅嚇も開始。インドに先んじてスペイン領フィリピンに通告する。
 この書簡には事実と異なる事が書かれ、威していた。それはすでに朝鮮が帰服している事である。すでに事態は後戻り出来ない点を越えていた。

 そして、権力機構の再編が行われた。
 小一郎の養子、秀保。秀吉の養子、金吾。家康の三男、長丸。この三人が参議へと昇官したのだ。これは大身大名と同格であった。
 秀吉は家康と二人っきりで会っていた。無論、今後の政治の話である。
 秀吉は国内統治の為に若手が政権を担うように人事を動かしていた。それは自分たちが外海へ出る為であった。秀吉は家康に共に唐へ行くことを誘う。反論は難しく、家康は共に行くとしか言えなかった。
 そして、さらに重要な事を伝える。大陸で命が尽きる事を考え、関白を退く事。そして、秀次を次の関白にして天下の政を担わせる、と。そして、家康にも天下宰相を退き、唐入りに専念するように言う。無論、成功すればより高い地位を用意する、と確約する。

 家康は自信に言い聞かせる。むしろ良かった、と。天下宰相など、身に余る地位だと。粛清の危難を免れた、と。
 唐より必ず生きて帰る。何年、何十年と秀次に平伏し続ける。怒りを腹に溜め込むのだ。いつの日か、事を成す刻に躊躇わぬ為に。
 そう涙を流しながら、腹の中に飲み込むのだった。

 
 家康の心境は本能寺の変直後と似てますね。あの時も寧ろ喜ぶべし、と飲み込んだからね。まぁ、今回は前回の比ではなさそうですけどね。
 鶴松の死により、歯車は勢いよく回り始めましたね。ただ、暴走してるようにも思えますけど…どうなのか。これもまた、何かにせっつかれている、でしょうか。
 新たな政権構想ですけど、不安なところもあります。実際、この後また変更されてるし。
 この後、朝鮮出兵と共に、政権闘争を行うのかな。そうすると、関ケ原まで行けそうな…行って欲しいな。家康も報われますし。
 はてさて、豊臣政権の行く末はどうなるのか。来週も楽しみですね。