2020年11月15日日曜日

後戻り出来ぬ道へ

  今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 秀吉はポルトガル領となっていたインド副王に宛てた書簡案を作成した。
 その内容は恫喝的であり、事前に入手したイエズス会は驚く。官兵衛や前田玄以と密談し、秀吉の真意を聞き、事後の事を協議した。
 だが、事実は諸人の予想を遥かに超える。

 鶴松が夭折したのである。

 苦しみと寂しさに苛まれる秀吉。その怒りの矛先は、子が欲しいと言った茶々に向けられようとした。
 そして、二日後には有馬へ湯治へと行き、十日間大坂、京に戻らなかった。
 大政所はお寧に言う。気遣うべきは秀吉ではなく茶々、と。
 秀吉は何でも出来たゆえに、理不尽な事が起きると人の所為にする、と。
 茶々を見舞うお寧。しかし、茶々は奥に引き籠ってしまっていた。
 茶々の侍女は不満であり不安であった。秀吉が何もしないからである。
 まるで、病気に勝てない子を産んだり、子供を欲しがった茶々が悪い、そう言われているようで。さらに、浅井出身故の肩身の狭さも感じていた。
 お寧はきっぱりと約束する。たとえ、秀吉が死んでも浅井家の方々を無下にしないと。
 そんな中、現れたのは竜子であった。京極家出身の彼女には茶々は家臣の姫。なので、茶々と話に来たのだ。
 茶々の部屋に入ると竜子はお市の形見の懐刀を預かる。そして言う。あんなゲスの為に自決なんて勿体ない、と。
 そして秀吉はイザとなったらケツをまくる男と言い切る。続けて世の男は全てそう、とも言った。いつか、茶々にもわかると言い、部屋を出た。
 茶々は母と交わした勝負を思い出す。母に負けない美しい人間の為に。

 温泉に浸かる秀吉。その脳裏には以前言った言葉が蘇る。
 お天道さんがお前がやらにゃあならんとせっついてくる。
 遂に、秀吉は唐入りを決断するのだった。

 唐入りの拠点を名護屋に秀吉は定めた。しかし、そこは何もない荒野。諸将は気が進まなかった。
 しかし、秀吉の決意は固く。名護屋の地を都にしようと考えていた。
 理由は三つ。先ず、前線基地と共に憩いの地にすること。そして諸大名に港湾貿易の都市作りの見本とすること。
 そして、交渉してくる国々に対し、国力を見せつける事。辺鄙に至るまで黄金輝く絢爛の地と思わせ、日本に敵わぬと思い知らせる為に。
 秀吉は自分の考えに絶対の自信を持っていた。と、同時に困難さも知っていた。だが、奉行衆ならば不可能を可能にする。そしてその力を諸大名に見せつける事となるのだ。
 さらに五カ国同時脅嚇も開始。インドに先んじてスペイン領フィリピンに通告する。
 この書簡には事実と異なる事が書かれ、威していた。それはすでに朝鮮が帰服している事である。すでに事態は後戻り出来ない点を越えていた。

 そして、権力機構の再編が行われた。
 小一郎の養子、秀保。秀吉の養子、金吾。家康の三男、長丸。この三人が参議へと昇官したのだ。これは大身大名と同格であった。
 秀吉は家康と二人っきりで会っていた。無論、今後の政治の話である。
 秀吉は国内統治の為に若手が政権を担うように人事を動かしていた。それは自分たちが外海へ出る為であった。秀吉は家康に共に唐へ行くことを誘う。反論は難しく、家康は共に行くとしか言えなかった。
 そして、さらに重要な事を伝える。大陸で命が尽きる事を考え、関白を退く事。そして、秀次を次の関白にして天下の政を担わせる、と。そして、家康にも天下宰相を退き、唐入りに専念するように言う。無論、成功すればより高い地位を用意する、と確約する。

 家康は自信に言い聞かせる。むしろ良かった、と。天下宰相など、身に余る地位だと。粛清の危難を免れた、と。
 唐より必ず生きて帰る。何年、何十年と秀次に平伏し続ける。怒りを腹に溜め込むのだ。いつの日か、事を成す刻に躊躇わぬ為に。
 そう涙を流しながら、腹の中に飲み込むのだった。

 
 家康の心境は本能寺の変直後と似てますね。あの時も寧ろ喜ぶべし、と飲み込んだからね。まぁ、今回は前回の比ではなさそうですけどね。
 鶴松の死により、歯車は勢いよく回り始めましたね。ただ、暴走してるようにも思えますけど…どうなのか。これもまた、何かにせっつかれている、でしょうか。
 新たな政権構想ですけど、不安なところもあります。実際、この後また変更されてるし。
 この後、朝鮮出兵と共に、政権闘争を行うのかな。そうすると、関ケ原まで行けそうな…行って欲しいな。家康も報われますし。
 はてさて、豊臣政権の行く末はどうなるのか。来週も楽しみですね。

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