2020年3月15日日曜日

北の伊達者

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 まだ五月であった。
 しかし秀吉は小田原城の陥落は年内は難しいと考えていた。勝負は来年、そこで妥協なしの降伏開城で決着を望んでいた。
 この頃の秀吉の書状には味方に対する温情がある一方、敵の撫で斬りを求める残虐性があった。相反する二面性があった。

 前田利家と浅野長吉の二人に面会する者がいた。伊達政宗である。
 浅野は政宗が恩赦されるか、処罰されるかは分からない。秀吉の心一つと言う。
 だが政宗はそれより、背後の花入れに気を取られていた。政宗はそれが利休の新作なのではと思ったのだ。
 話を聞かない政宗を注意する前田と浅野。しかし、自分は「いだて」と言い、逆に花入について聞こうとするのだった。

 秀吉は諸将の慰撫の為に宴を開いたり、様々な遊興の店を開かせた。
 如何に退屈に耐えるか、楽しく遊んだ側の勝ち。そんな合戦であった。
 秀吉も茶々と遊ぶ。そこには、茶々や鶴松を労わる優しい秀吉がいた。
 
 一方、竜子に対しては真逆であった。
 茶々をかどわかす真似は程々に、と説教をすると、秀吉は頬に平手を食らわした。
 そして強引な攻めに出る。
 竜子は城兵を皆殺しにして何が惣無事か、と言う。
 秀吉は言う、日本で一番賢いのが自分であり、日本をどうするか唯一憂いている。だからこそ、涙を呑んで皆殺しにしないといけない。殺し合いが続かぬように、鶴松の為にも。そう傲慢に、竜子を攻めつつ言うのだった。

 そして六月に入る。
 北条だけではない、豊臣陣営からも欠落者が相次いでいた。
 そんなおりに政宗が会見の支度が出来た、との報告が上がった。

 伊達家は北条家と同盟を結んでいた。しかし、迷った末豊臣に加わる決意をしたのだ。
 しかし、遅参と葦名氏を攻めた惣無事令違反。この二つは処刑されても致し方なきものだった。
 秀吉は奉行衆に巨細を聞いた。何故、遅れたのか、何故それほど臣従を渋る程に優柔不断なのに、かくも堂々と惣無事違反を行ったのか、そう問う。
 曰く、惣無事違反は見解の相違。そして遅参は装束選びとの事。参陣も大量の衣装櫃と共にしていて、今の今まで夥しい数の中から今生の一着を選んでいたとの事であった。
 秀吉は興味を覚える。鄙の大名が都の貴人相手に選りすぐりの装束を披露する事に。

 付け髭をした秀吉は椅子に座る。諸将が集った会見の場。そこに政宗が現れる。
 どんなバサラ衣装で登場するか期待する秀吉。そこに現れたのは白装束の政宗であった。

 秀吉は死装束か、と言う。しかし政宗は否と答えた。
 都の天上人にお披露目すべく、田舎大名伊達左京大夫めが身命懸けて「美」を追求した装束にごさる、そう政宗は言うのだった。
 秀吉は頭に飾られた花を見る。サルスベリであった。
 これは、政宗が秀吉の器量を見極めようとしている。そう推察する。それは若いころの自分と同じであった。
 秀吉は髭を取り、腹を割って話そう、と言う。
 秀吉は美や幽玄は慰めにすぎぬと切って捨てる。花より実、政こそが本、美は二の次。秀吉は政宗の才覚を見て処断を決めると言った。
 まずは惣無事違反。政宗の弁明、それに対する諸氏への裏取り調査。それらを総合した結果、政宗の訴えに嘘はなし、と結論付けた。秀吉はこの違反を黙認する事とした。
 次に秀吉は遅参の理由について問いただす。
 政宗も腹を割って話すと言う。その理由は北条と豊臣、どちらが勝つか見定めていたのだ。
 政宗の見立ては豊臣の富が勝るか、北条の法が勝るかの勝負であった。
 富は大波の如く猛烈に世を動かす力を有する。しかし一所には止まらぬ無常の力である。一方、法は国の在り方を艱難辛苦し磨き上げた智の結晶。謂わば苦と智を代々積み重ねて揺ぎ無き大山となしたものである、と。
 秀吉は言う。なのに何故、豊臣への臣従を決断したか、と。
 それを問いたいのは政宗の方だと、叫ぶ。
 奥州探題伊達家十七代、築きし山は四百数十年、齢二十四なれど抱きし大山は五百年に届かんとす。それが何故、僅か一代、成り上がりにかくも平伏せねばならぬのか。
 そう政宗は声を張り上げ言う。
 秀吉が睨み、近習が刀に手を掛ける。一触即発である。
 そんな中、他の諸将と共に政宗の言葉を聞いていた家康は、この言葉をむしろ秀吉への褒め言葉と捉えていた。嘘か本音かは分からぬけど、大仰に、そして神妙に秀吉を称えていた。そして、僅か五年で百十万石を平らげた男、幾千幾万の手段の中から一つの真解を導くもの。家康は政宗を幽玄の智を備えし者と見る。
 そして、豊臣を選んだのだ。家康はそう思った。
 
 秀吉は立ち上がり、刀を抜く。
 広く世を見渡せば幾千万もの人間がある。その中には一人、五百年の山を五年で築く者もおる。そう言って秀吉は刀で政宗の肩を叩くのだった。
 秀吉は言う。家臣になれ、と。才ある悪タレを活かせる者は秀吉だけだ、と。
 家康は思う。此度の合戦は負けるべき、と。秀吉に付け入る隙なし、と。

 秀吉の智謀は秀吉自身の目算を越えていた。六月初旬にはすでに北条の心は折れかけていた。
 六月十二日には氏政の母と氏政の継室が死去。下旬には徳川方が小田原城の福門寺曲輪を攻略。周辺の支城も次々に陥落。そして石垣山城の完成。
 応仁の乱より百余年。戦国時代が終焉を迎えようとしていた。


 まさかの伊達政宗登場。これは、小田原後も連載続行なのか?期待していいのかな?
 関ケ原みたいです。

 家康の政宗評が高いですね。これから付き合い長くなるからね。
 ちなみに、家康の言動をみると、伊達、北条と組んで反旗を翻す事も考えていたのかな?噂があるとは言ってたけど、そんな描写なかったけどね。
 政宗はかなり一癖も二癖もありそうですね。政宗だし。かなりマイペースそうだし、政宗っぽいよね。
 そう言えば、創作物で初めての、いだて、呼びかな?だて呼びが定着し過ぎて変えにくいのか、あまり見ないし。
 そういや、のぶかつ、も、のぶお、が当時の読みだ。って変わったんだっけ。戻ったともいえるけど。
 まぁ、名前の読みはちゃんと伝わらなければ分からないからね。あとはひらがなで書いたものが見つかるとかね。

 緊迫感のある政宗との会見。そして戦国の終焉がもう目の前です。
 このまま連載終了なのか、それともさらに続くのか、楽しみにその時を待ちたいと思います。

2020年3月1日日曜日

暴走する正しさ

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 氏直は籠城戦の憂さ晴らしの為の遊興を推奨した。
 しかし、一部の民衆は一致団結を標榜し黒ずくめの服で取り締まりを始めてしまった。彼らは検断人の様に遊興を禁止し、間者と思わしき者を殺害した。

 城の外に逃れる者で始める。高札の老僧は城外でそれを見ていた。

 さて、権兵衛は陣を引き払う事にした。家臣達が勝手に宴会した所為もあって、金がなくなったのだ。
 だが、家臣からは不満の声が上がる。主に、これから見世物や遊女が集まるから離れたくないのだが。
 中には殿下から拝領した金団扇を売ろうとの声まで出た。権兵衛は一瞬考えるも、すぐに否定する。家臣達もまた。
 とにかく、徳川の使番も外され、怪我の手当てもあるので、明朝小田原から退くことにする。また、権兵衛は殿下に真心は伝わった、と言う。権兵衛は秀吉を見て、以前の情深さは残していると感じた。ただ、天下人故に縁故の贔屓をすれば世間から疎んじられてしまう。それでは天下は悪しき縁の流れに向かう。と、権兵衛は古渓和尚の真似をしていった。

 権兵衛と二人っきりになった鷲見は言う。
 何だかんだ納得している、と。人様に何言われようと、胸張って生きてくだけの心の旗を立てただろう。そう言った。
 鷲見は権兵衛が元気になったのを喜び、残る人生は乱世の終わりを見届けようと言う。
 そんな二人に高札の老僧が話しかける。乱世の終わりに疑問を呈す様に。
 だが、老僧はそんな話の続きはせず、干し飯一椀にて不老長寿の秘伝を教えると言う。なんでも、諸国遍参し古堂に不老不死の秘密を記しているとの事である。
 権兵衛と鷲見には心当たりがありすぎる話であった。
 二人は腹八分目と言い。世話になった気がするから好きなだけ干し飯をやると言う。
 だが、老僧は八分目でいいと言う。そして、不惑過ぎたれば腹八分目に生きていく事と言うのだった。

 五月初旬。秀吉は京から淀殿を始めとする諸大名の女房衆を小田原に呼び寄せた。北条と同じく、包囲戦の憂さ晴らしである。民衆の前に現れた京極竜子に皆は歓声を浴びせた。ちなみに、それは淀殿以上で淀殿は不満であった。

 小田原城内では黒ずくめの衆が検断を行っていた。そんな豊臣の間者が捕らわれ、殺される。彼らの頭は言う、顔はキレイに、と。お殿様に小汚い首を献上出来ないから。
 頭は女性であった。それは以前、上杉に攻められた時に氏政に禁制を求めた村人の一人。氏政に花を渡した幼子の成長した姿であった。
 彼女は願掛けする。立派な正しい北条様が戦に勝つように、そしてお殿様にお目通りできるように。

 氏政は市中に出る。身分を隠して見回るのだった。田畑を見て耕作してる民に困り事を聞くのだった。そんな中、民は氏政に水を進める。御付きの二人は緊張し、自分が飲むと言う。しかし、氏政は何の疑いも無く水を頂き、飲み干した。
 再び歩き出した後、御付きの者は飲むフリをするように言う。毒を警戒しているのだ。
 しかし、氏政は言う。間者と良民の違いが目を見てわからぬか、と。

 城下を回る氏政の目に黒ずくめの一団が目に入る。御付きの者曰く、字を知らぬ民の代わりに目安に届け出をする村衆との事。また不正の検断も自らしている、と。
 見ると、ちょうど不正な者を懲らしめているところであった。御付きの者は素性を調べられる事を恐れて離れるよう氏政に言う。しかし、氏政には見逃せぬ事であった為に逆に彼らに近づいてしまう。
 御付きの者が止める中、氏政は彼らに程々にするように言う。彼らは蔵に米を蓄えた傾国の凶徒と言う。しかし氏政はやりすぎと言い、裁きは法の手続きに則らねばならんと訴えた。
 黒ずくめの衆は彼らを訝し、素性を調べようとする。そんな中、頭の姉御が皆を制止させる。再び巡りあった氏政に頭の姉御は泣き崩れ、あの時と同じように花を渡した。
 頭の姉御は言う。御国の為に、正しい御国のために悪い輩をたくさん処罰しました、機物にしました、と。
 氏政に言う、御国を守って下さい、と。そして間者の首を見せるのだった。
 氏政はあいわかった、忝し。と言うほかなかった。

 雨が降り始めた。雨宿りしている氏政は思う。正しき国が最後に辿り着く先は如何な国なのか、と。そう先代たちに尋ねたかった。

 氏政の母や継室の元にも一人息子を失ったもの話が伝えられている。曰く、北条のお役に立ったのであればこれ以上の喜びはない、と。継室はすでに悲しみに耐えられなくなっていた。二人は六月十二日に亡くなっている。自害の可能性もある、と。

 五月下旬。堀久太郎は海蔵寺にいた。後世には秀吉は関東を秀政に与えようとした、そんな逸話が出来た。それ程の才人であった。
 久太郎は思い出していた、権兵衛と出会った時の事を。
 権兵衛と同世代で同じ美濃の出身。片や名人、片や改易牢人。道は異なれど互いに信長秀吉の縁に結ばれし武者の遠行となる。
 机に突っ伏した久太郎。机からは土鈴が転がり落ちる。
 享年三十八である。


 と言うわけで、堀久の最期です。感慨深いものがありますね。権兵衛とは対照的な人物でしたし、因縁も多かったですからね。悲しいです。
 土鈴があったって事は権兵衛は帰る前に会ったのかな?それとも人を介して渡したのかな。最期の会話が有ってもよかったのに。

 小田原城内は正義が暴走した、って感じですね。そして、まさか、回想で登場した村娘が再登場するなんて思わなかった。氏政と再会出来てよかったですが、氏政自身は複雑でしたでしょうね。正しさがあらぬ方に行ってしまった、と。
 この後どうなるのでしょう。

 後、権兵衛が小田原から退いているから、本格的な挽回はまだまだ後なのかな。どういう経緯で小諸を与えられるかも気になりますね。
 次回も楽しみです。