2018年9月30日日曜日

終わりと始まり

 今回と前回のセンゴク権兵衛の感想。

 天満宮を参詣していた権兵衛の耳にも戦の噂が入った。権兵衛は、状況次第で戦が無くなるかもしれないと考え、冷静さを保とうとする。しかし、もし現実の者になれば直ぐに駆けつけようと考えた。

 確かに、権兵衛の考えた通り、北条は臣従の道を探っていた。そして北条の上洛が確実となった。
 その情報を手に入れた堺の商人、今井と津田は利休と小西行長の父、隆佐の元に駆けつける。
 もし、北条征伐が中止されれば、すでに仕入れた物品を丸抱えとなり大赤字になる。どうするべきか、隆佐と利休に相談する。
 しかし、隆佐はバテレン追放令以来秀吉とは距離を置いていた。そして利休は、秀吉は真心での統治を始めていると言う。それは、商人の理屈である取引とは異なるもので、取引は吹き飛んでしまうと。
 今井と津田は声を荒げる。もし調達を手控えて、戦時に不足が出れば懲罰される。だが、万全の体制を整えて中止になれば、日の本全土の兵を養えるほど物品を自分たちだけで売り捌けと言うのかと。
 隆佐の一喝で、落ち着きを取り戻す二人。そして言う、無事北条征伐が始まるよう祈るのだと。

 そんな中で北条が名胡桃城を奪取する。名胡桃城を含む沼田領は長らく北条と真田の係争地だった。それを秀吉が沼田領の分割で裁定したのだった。
 北条にも言い分があったが、それでも秀吉の裁定を覆したのは間違いなかった。
 この事に板部岡は激高する。そして現地で様々な流言が飛び交っていると聞き、他の大名家か、もしくは北条自身か、兎に角誰かが噂を流し混乱させてると考えた。

 噂を流したのは武家ではなかった。隆佐が手の者に流させたのだ。無事に北条征伐が始まる様に。

 その一報を聞いた秀吉は早速、北条征伐に乗り出す。自分が怒っている様にした書状を出すよう命令する。が、少し考え一応北条に弁解を求める書状を出すことにした。これは民衆に怒りのまま戦をしたと思われない為であった。

 そうして遂に始まる北条征伐。権兵衛にとって待望の戦であるが、参拝が目標に達していないので困惑しているのだった。

 北条領でも戦の支度が始まった。その為に掲げられた高札。その前に初代より北条家を見続けた老僧が居った。老僧を知っていた氏規は当主氏直と面会するよう勧め、老僧はそれに従った。
 城内の書庫。そこで政務をしていた氏直。車に乗り家臣に押されて老僧の前に現れた。
 老僧は豊臣との戦について問う。氏直は、余り戦をする気はなかった。しかし、父や叔父らは戦う気が強く、氏直には止める事は出来なかった。
 そして、評定の刻となり、家臣に支えられて退出していく。
 老僧は、氏直が早雲に匹敵する才覚の持ち主、そう見ていた。

 応仁の乱が終結してしばらくたった頃。後の北条早雲、伊勢新九郎盛時は幕臣として京に居た。借金をし、そしてまた一族の伊勢盛頼に金をせびる。盛頼は恥かしいと嘆く。しかし新九郎は灰燼に帰した京の町を見て、幕府の方が恥ずかしいのではと思った。
 新九郎が女に服を整えられていた。女は、新九郎が強く聡明である、と。そして、書物を読み勉強する様に進めるのだった。

 
 北条の過去編が始まりましたね。何話くらいになるのかな?ガッツリやるとそれだけで一つの作品になるからね。物凄く強そうな新九郎がいいですよね、今後が楽しみです。

 秀吉は、鶴松が生まれて落ち着いてきましたね。漸く周りを見れるようになりました。ただ、先の歴史を知っていると……辛いですね。
 権兵衛は相変わらず。なんか賢さが戻ってる気がしますが。一応、賢さは上がっているんですよね、多分。

 まぁ、ともかく北条過去編、楽しみですね。

2018年9月9日日曜日

新たなる時代へ

 今週と先週ノセンゴク権兵衛の感想。

 聚楽第落首事件により多くの者が処刑された。
 処刑後、采配した三成と増田が雑談する。その中で三成は、天下静謐に向かえば向かうほど血は流れると言い、恨みも奉行が被ると言う。そして、天下静謐を謳った竹中半兵衛はとんだ食わせ者だったと。
 増田は三成によくやっていると言い、三成は秀吉に向いていると言われたからやっている、そう言った。

 処断を見た権兵衛。だが、今回の事は仕方がない、そう考えた。特に夫婦の営みを揶揄されれば自分も只では済まさないだろうと共の者たちに言う。
 そして、次の縁を結ぶ為、子が生まれた頃を狙って茶々に面会する事にした。

 正月の挨拶が出来なかった秀長は、淀城の修築を命じられていた。
 そんな中、茶々と面会する。側室の第一位に躍り出る事、後継者の母になる事、そんな立場になり感情を抑える事の不安を秀長に語る。そして、もしもの時は止めてくれと言った。
 しかし、秀長はそれは難しいと言う。
 すでに、一族家臣が居て養わなければならない。だから、いつでも諫言出来るとは約束出来なかったのだ。
 そして言う。無垢な赤子と接すれば、猜疑心と離れる事が出来ると。


 そうして、5月27日。鶴松、幼名棄が誕生する。
 喜ぶ秀吉は、鶴松を嫡男と呼ぶ。ここに秀吉の後継者の順位は一変する。そして秀吉の隠居と後継を巡る桃山時代が幕を開けたのだ。

 そしてこの吉事は関東への凶事に変わる事となる。


 鶴松の誕生を祝う為、権兵衛は淀城の茶々の元を訪れる。
 お互いの第一印象は悪くなく、意外と話が盛り上がる。特に、権兵衛が信長と話している様だと言えば、茶々は大きく笑うのだった。
 しかし、大野は権兵衛の事を好ましく思わなかった。
 結局、秀吉への取次は出来なかった。しかし、権兵衛は良い縁を繋げた事で一つ全身したと思った。

 鶴松が生まれた事により、秀吉はご機嫌であった。先達って九州に追放した古溪を呼び戻したのだ。
 これを見て奉行は、一つの提案をするのだった。
 鶴松が淀城から大坂城へ移る。その時、奉行衆は秀吉に訴え出る。嫡男鶴松の為にも、南蛮貿易は十年後の安定を見た長期計画にすべきと。
 奉行達は様々な困難を語り、早期の実現は無謀だと訴える。却下されるかもしれない、特に今までの秀吉なら、その思いが奉行達にはあった。しかし、秀吉は快諾。鶴松の為に長期計画に移す事を決意する。
 だが、そうなると国内の銭廻りが悪くなる、大名に与える土地も無い。どうするか、秀吉は奉行衆に問う。すると、奉行衆は秀吉と同じ考えと言う。
 そう関東への出兵だ。

 家康の元に忠勝、康政そして正信がいる。忠勝が妹婿の長束から清水港の借り受けを聞いてきたと言う。そう、徳川の元にも秀吉の北条征伐の噂が届いていたのだ。それも、戦後、徳川が関東に、東海は豊臣領になるのだと。
 家康はこれに従うと言い、そして同時に北条の取次もしっかりこなし無駄な戦がなければそれで良いと言う。
 しかし、康政は危惧する。徳川の転封は規定事項、もし北条との戦がなければ徳川はどこに行くのか。東北か九州か、はたまた国外か。忠勝は、それならば近い関東が良いと言う。
 だが、家康は欲を棄て、懸命に働くだけだ、そういう。
 以前の博打好きから変わってしまった家康に、忠勝や康政は不満げであった。一方、家康の真意を知っている正信は複雑な顔していた。

 こうして、規定事項とも言える北条征伐が始まるのだった。


 と、言うわけでいよいよ、北条討伐が開始ですね。
 すでに規定事項になって居ますけど、名胡桃城事件は描くのかな。もしかした、昌幸に北条を挑発するように命令するのかも。

 権兵衛の今後の動きも楽しみですね。徳川に陣借りするので、もう二、三の縁を結ぶのかな。兎に角、大挽回の時が来ましたね。

 そして、秀吉も後継争い。まさに豊臣政権が崩壊する原因ですからね。ここまで描くなら北条戦後も期待します。というか、普通に関ヶ原まで行きそうな予感もありますね。

 いよいよ、権兵衛の人生の大勝負。今後が楽しみでなりませんね。