2018年10月28日日曜日

独立国への道

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 
 関東にて太田道灌が暗殺された。
 京にいる管領細川政元は屋根の上から関東を見る。異才の政元は関東の混迷を感じ取り、伊勢盛頼に新九郎を呼ぶように頼む。
 屋根の上に登る新九郎。政元は太田道灌の死、そして関東の混迷を語る。そしてそれを救うのは今川だと断言する。新九郎の姉が今川に嫁いでる事から、輔弼関東を救うよう命じる。新九郎は問う、ならば京を救うのは誰かと。政元は自分だと断言した。
 政元は土倉を被官とし、銭の知恵にて京を救おうと考えた。その上で、新九郎が土倉を好いてないのも承知していると。
 新九郎は今川の輔弼を拝命し、その後に京に戻ると返事した。

 盛頼に土地を買ってもらい、郎党と共に関東に下向する銭の算段をする。しかし、盛頼は新九郎がいなくなる事を不安視する。新九郎は言う、万民の財と命をまさに穏やかに保つ事が世の救済になると。即ち禄寿応穏、と。
 悪党たちと牛王宝印紙により盟を結び、関東へ下向する。そして今川家の下、瞬く間に出世する。

 甥でもある今川家当主氏親に問われる、その知恵は何処から湧くのか、と。新九郎曰く、遊びと。この世を遊び場と考え、庭を駆け回るが如く愉しむと。そして自分が愉しみからこそ、苦しんでる万民を救いたいと言う。

 そして明応二年。細川政元が新将軍を立て、前将軍を追放する明応の政変が勃発した。これが、戦国大名、北条早雲の誕生のキッカケになったのだ。

 新九郎は政変を期に出家し、宗瑞と名乗る。
 以前は悪党だった、家臣達にこれからの方針を話す。宗瑞は政元が銭の力での救済を試みたと考え、そしてそれは、応仁の乱の繰り返しにならないと言う。そして京の復興を諦め、関東の救済を目指す事にした。

 
 時は進んで、北条征伐前の北条家の評定。
 家臣達は家祖宗瑞の関東応穏を持ち出し、それを脅かす豊臣と戦うべきと言う。
 しかし氏直は言う。そのために下剋上と言う悪逆を行なった、と。なので豊臣のみを凶徒と言うのは公正ではないと。
 そして言う、敵への憎悪で政の目を曇らすな、と。宗瑞はよく似つかれし者を鎮魂したのだと。そして言う、徹底抗戦は駄目だ。交渉の為の戦と。

 
 時は戻って、宗瑞達のいる善得寺城。
 関東に独立国を作ろうとする宗瑞。無論、家臣達はなんと悪どい事と驚き慌てる。
 しかし、宗瑞は言う。政変により日ノ本は下剋上の群雄割拠になる。だからこそ自分たちが一番マトモな国を創るべきだと。
 無論、可能な限り公正な手を取る事にする。それは関東の諸将の複雑な関係が可能とするのだ。彼らの欲するものを見極め、敵にしたり味方にしたりして自分たち以外の諸将を潰えさすのだ。
 
 そうして、伊豆の堀越公方領に侵攻を開始する。無論、大義名分を持って。
 伊豆を掌握した後は、扇谷、山内、両上杉家の内乱に乗じ、勢力を伸ばしていく。
 豪放な決断力と繊麗な政略はまさに一足早く生まれ出た戦国大名であった。

 関東は宗瑞の遊び場となったのである。

 そして時は過ぎた。すでに宗瑞は隠居していた。そして息子で現当主の氏綱と話していた。氏綱は印に禄寿応穏と刻んだ物を見せる。自分一代で父の言葉が消えぬよう形に残したのだ。
 宗瑞は幸運に思う。自分は創業の才、そして息子には守成の才があった事に。
 しかし、時が立ち、世情が変われば悪に駆逐される時が来るかもしれない。だから宗瑞は言う。一代に一度だけ、正しさの為に非道を行うことを赦すと。そしてその時、この虎の印を使うよう言うのだった。


 新九郎の遊び場、の話は桶狭間戦記で出た話ですね。氏親は久しぶりの登場、ですね。まぁ、本編というなら初登場なのか。
 政元はまさに天狗、といった感じでかなり異才を放ってます。そして、彼が戦国を加速させるんですよね。この後、出番なさそうですけど。
 そんな風に拡大した北条家。その根底にあるのは銭を悪と見て、公正さを行うですかね。そしてこの印の存在。やはり、激突は必至ですね。
 
 そういえば、氏政がまだ出てきてないんですよね。どのように描かれるか、今後の展開共々愉しみです。

2018年10月14日日曜日

訴訟をめぐり

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 新九郎の元に盛頼が逃げてくる。曰く、寺より領地を返せと強訴を受けているのだ。当然、領地は正式に受け取ったものである。なんとか新九郎に助けて欲しいのだ。
 だが、新九郎はそれでどんな見返りがあるのか問う。盛頼は自分が奉公衆になったら京の復興する、と約束する。

 新九郎は盛頼に協力する事にする。まずは強訴を収め、相論に持ち込むにする。盛頼曰く、粗暴な見た目な新九郎なら口で言い負かす方にする、との事であった。
 新九郎を慕う悪党足軽を従え、強訴を収めようとする。そんな中、寺側の土倉が相論を提案する。新九郎はそれを飲む。そして、寺側が大型の神輿を自分たちの寺まで返すよう言うと、新九郎一人で運んでしまう。
 盛頼の考え通り、寺側は伊勢側を口で丸め込もうと考えたのだ。

 相論の準備の為に、備中へと旅立つ新九郎。お供には悪党達も付いてきた。
 今回の諍い。それは、伊勢氏が寄進した土地を、代替わりして困窮した為返して貰ったものであった。契約上はなんの落ち度も無い。しかし、新九郎は公平とは言えないのではと考えていた。

 さて、備中に着くと予想外の事が起きていた。ボヤ騒ぎに乗じて書類が全て盗難していたのだ。新九郎は目当てのものだけ盗めばいいのに、これでは政務が滞り民が困ると言った。
 悪党達に犯人の捕縛を頼み、一分の隙きもなく新九郎は相論に挑む。


 声高く、伊勢氏を批判する寺側。それに対し、時には認め、時には反論する。理路整然とした新九郎の弁論は伊勢氏有利に動いていた。そして、証文を盗んだ犯人を連れてくる。追い詰められた寺側の土倉は人の沙汰など当てにならぬ、神仏に判断して貰うべしと言い、参籠祈請で決着を付けると言う。土倉が寺に籠もっている三日間、鼻血が出るやネズミ被害などの仏罰があれば伊勢氏の勝ち、何もなければ寺の勝ち、である。
 盛頼はここまで来てなぜ、と断ろうとする。しかし新九郎はこれを受け入れる。

 新九郎は、土倉こそが黒幕であると看過した。そして、この世は銭に賢しき者が牛耳っていると考え、なんとかしなければ、と思うのであった。
 さて、仏罰など無いと考える悪党足軽たち。それは新九郎も同じであった。罰は人が下さなければと言う。そこで、土倉の籠もる寺にちょっかいをかけるよう悪党達に頼む。鼻血でも出せば、失敗するからだ。

 一方、土倉もそれを承知で影武者や僧兵を雇い、襲撃に備える。
 そうして、悪党と僧兵が争う中、影武者を立てた土倉は悠々自適に女と事におよんでいた。しかし、新九郎にはお見通しであった。さなかに乱入し、土倉の首を刎ねたのだ。

 
 知略武勇、更に政治にも長けてる新九郎、って感じですね。まさにチートって感じです。まぁだからこそ戦国大名の始祖と言われるのですけどね。
 京の復興を夢見て、そして銭の支配を嫌っている人物像はその後の対豊臣の北条の遠因でもあるのかな?
 この過去編、どこまでやるのか含めて今後も楽しみです。