2020年8月14日金曜日

秀吉の金、利休の侘び数奇

  センゴク権兵衛、182話と183話の感想。

 八代将軍足利義政の政治からの逃避が生んだ侘びを美徳とする東山文化。
 それから百年が経ち、日陰の慰めは白日に晒され、隆盛時代となった。
 その寵児こそ千宗易である。小一郎と共に豊臣政権で重きをなす彼は当然武人ではない。その彼が筆頭格である。百年の乱世が終わった今、義政の怨嗟の所業か、武の必要性は薄まり、文化が時代を飲み込もうとしていた。

 古田織部は苛立っていた。にわかな文化人が多数出てくることに。宗易の真似をし、我慢と侮蔑と他者への馬乗りの道具と堕したと言い、侘び数奇は終わったと言う。
 そんな彼に茶杓が届けられる。見て欲しいとの事だった。織部は文句を言いながらも茶杓を見る。その見事さに見入り、宗易に取り次ぐ事にした。
 宗易の屋敷には多くの人が集っていた。そこに織部からの紹介で茶筅がもたらされた。なんと、この茶筅島津の一族の物であった。
 茶筅は宗易も評価し、江山の名が与えられた。島津は感激し、家宝とすると言う。
 このように、東は伊達、西は島津まで宗易を師と仰いでいたのだ。

 天正十八年九月朔日。
 秀吉が京に凱旋した。泰平の世を実現した秀吉に民衆は大歓迎する。
 京の町ではすでに竹の花入れが売られていた。その隣には黒い楽焼。すべて宗易から発した流行りである。それは宗易がお墨付きを与えれば大判でも買えないものに化けるのであった。
 秀吉のお付きの者は奇縁と言う。合戦に厭いて始まった侘びの東山殿が合戦の終焉とともに文化に於いて黄金の北山殿を凌駕戦せんとしている、と。
 秀吉はそれを笑って聞いているのだった。

 城に帰った秀吉。その下に歩けるようになった鶴松が現れる。鶴松を抱き上げ、言う。
 盂蘭盆会に鶴松から頂いた黄金五十枚をみんな家来に配った、と。当然、幼い鶴松が主体的にやった訳ではないだろう。そう言う名目で配り、鶴松に忠誠を誓わせるのだ。
 同じことを都鄙貴賤、関係なく行う。多くの黄金を集め、配る。それが何の心配もなく豊臣家をまとめる方策であった。
 そんな中で気になるのは宗易。秀吉は彼の事を剣呑に思っていた。

 秀吉は織部と細川忠興を呼んだ。
 彼らに関東で入手した宗二の秘伝書、及び宗易門下のあらゆる茶会記の写し、出席者名簿の提出を求めたのだ。
 織部と忠興の二人は秀吉が茶の湯への興味が一段と増した、そう理解していた。

 秀吉は指圧を受けながら、おねと政務を執っていた。おねは小一郎への見舞を訊ねる。これに対して疲れた顔を見せたら見舞にならないので、有馬で休んだ後と返答する。
 秀吉は奉行衆と評定したき儀があった。しかし奉行衆は奥州検地があり、出来なかった。
 おねと酒を呑み細い月を見る秀吉。口からは剣呑の言葉が何度もでる。おねは泰平の世に相応しくないと窘める。
 それでも秀吉は剣呑の言葉を口にする。

 豊臣政権を揺るがす波はこの翌年に訪れるのであった。

 仙石家では小諸への移封の準備の真っ最中であった。にも拘わらず、権兵衛はなぜか風呂の湯加減を見ていた。
 おもてなしの予行、と言う事で招き風呂の練習をしていたのだ。これには孫あらため彦三も呆れてしまう。しかも、権兵衛は風呂の才能のみを買われて大名に復帰したと言う始末である。
 彦三曰く、毛利輝元の元に秀吉の御成があったとの事。この事より秀吉の今後の政策は御成行脚で諸大名や天下万民に豊臣の権勢を知らしめる、そう彦三は分析していた。
 その為のおもてなしであった。ちなみに権兵衛は風呂で能をすることを考えていた。しかも何故か家老の森が素っ裸で舞う始末である。
 彦三は言う。粗相があれば合戦で大敗するが如きの恥である、と。
 次に失敗して再びの復帰はありえない。だからこそ権兵衛に言う。勇壮より風雅の世、武功より礼儀、と。十一月の宗易の茶宴もあるから、しっかりと学んで来るよう釘を刺した。

 当時の秀吉の方針は秩序安定策と見られていた。
 それはフロイスの日本史にも書かれていた。到達した栄華から失墜する恐れのあるような遠大な企図は考えていない、と。
 その日、快気祝いと称し、秀吉は鶴松と茶々と共に寝る。秀吉は寝てる鶴松に語る。物騒な世は終わり。鶴松の治世は真心を以って優しき国にするように、と。

 宗易が茶会の準備をしていた。宗易は故事に倣い、肩衝の上に茶杓を乗せたり、袋の緒を短く結んだりした。そして黒茶碗を下げた。彼の準備を見ていた神谷と球首座は疑問に思い訊ねる。答えて曰く、秀吉が嫌いだから、と。神谷はさらに質問する。では何故台子に置いたのかと。
 宗易は言う。自分が至高と思う物を置いた。しかしやはり、秀吉の仰せの通り良き物に非ずと示す為、と。
 神谷達はなんたるおもてなし、心遣いと感嘆する。しかし、宗易の心の内はどうであっただろうか。

 聚楽第にて朝会があった。亭主は秀吉、お点前は宗易。客は黒田官兵衛と針屋宗和と津田宗凡であった。何気ない茶会、そのはずであった。この時は誰も安寧に亀裂を生ずるなど思っていなかった。
 茶入飾りの隙間に野菊が一本飾られていた。それは秀吉のささやかなおもてなし、であった。針屋や津田は誉める。が、宗易にとっては我慢のならぬものであった。
 応仁の乱以降、政道からの逃避として珠光紹鴎により磨かれし侘び数奇。百年の研鑽による美の型。それが百年も下らぬ国盗りをしてきた蛮族の長の児戯と同列にされる。その事に我慢がならなかった。
 故に、宗易はその野菊を抜き、捨てるのであった。
 それは宗易の意思とは関係なかった。無意識に下衆なものを自ずと遠ざけてしまった。
 茶会が終わり、秀吉は素直に謝った。児戯だったと。そして更なるご教授を願うのであった。
 宣教師が日本人の特性について書き残している。
 感情を表すことに甚だ慎み深く、胸中に抱く感情を抑制している。互いに残忍な敵であっても明るい表情を以て礼儀を欠くことはない。それは極端であり、彼を殺害しようと決意するとその仇にたいしてより親睦さを示し、相手がもっとも油断した時に鋭利で思い刀に手をかけ斬りつけるのである。
 秀吉と宗易の運命は今、決まったのだ。


 権兵衛パートは相変わらず呑気ですね。孫改め彦三はこのまま仙石家に居つくのかな。家老までボケ担当になってるから、今後心配ですね。まぁ、やらかすんですけどね。

 で、利休と秀吉。波濤偏の最初はこの二人の話かな。後は、小一郎の事、鶴松の事、そして朝鮮出兵って感じかな。ホントどこで終わるかわからないや。
 経済を牛耳りたい秀吉にとって、利休の影響力は無視できない、って感じですね。茶道具の価値を利休が決めるとなると、黄金を握る秀吉でも太刀打ちできなくなるし。その先には高転びが待っているし。だから邪魔になったのかな。
 そして利休は秀吉を美の世界に邪魔、と思ってますね。て、言うか見下してもいるのかな。利休にとっては政治の世界が入ってきて欲しくないっぽいですね。そう考えるとこの時の隆盛をどう思っているのか…って感じます。
 美を中心に置いた秀吉と利休の対立はあまり見なかったので期待です。話がどう展開し、利休の切腹に繋がるのか、楽しみです。