2016年11月20日日曜日

讃岐の大名

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想です。


 長宗我部家は秀吉に降伏する事となった。
 谷忠兵衛は主君の夢を奪った、として切腹するつもりだった。しかし元親は言う。
 土佐一国から再び信親が立ち上がる、それを見て自らの楽しみとすると。
 それを聞き忠兵衛は切腹を止めるのであった。

 
 土佐一国を安堵された元親。残りの四国の領土を秀吉は仕分けする。
 仙石権兵衛秀久は、先に四国に入り元親の四国統一を邪魔した。それが今回の勝因の一つだ、と秀吉は考えた。しかし、三成や吉継は引田では大敗したと言い、減俸するが妥当だと。その二人の言葉を聞きその場にいた小六にも聞く。小六は常に前に出るから、現場の人間には励みになると言う。
 秀吉はそれを聞き、戦があるうちは前に出る奴を評価せねばならん。それに借金は武功で返せとも言った。そう結論を付け、彼に讃岐十万石を与えた。
 そして阿波一国を小六に与えようとした。しかし、小六は息子に与えて欲しいと願い出た。自分は半分隠居の身となり秀吉の側近くで仕えると。
 秀吉はこれに了承するも内心、小六も前に出なくなったと嘆くのであった。


 伊予は小早川隆景に与えられた。そして三好三郎は十河城を与えられ、名を十河存保に改名する。また森村吉は仙石の名を与えられて、仙石家臣となる。


 後日、元親から届いた書状にはきちんと闕字が用いられていたのだった。


 
 讃岐領有した権兵衛は宇田津に近い聖通寺城を本拠とした。そこに奥方の藤や家臣の萩原孫太郎や仙石左近と共に船で急行していた。全ては権兵衛が浪費しないよにだ。

 そして再開した仙石一家。取り敢えずお金の使い道と讃岐領有の祝いの宴をする事に。
 軍事の増強や、町づくりをしたくても技術者がいないという問題が出たりもしたが、結局酒に呑まれてグダグダになってしまった。
 そこに娘の葛が注意しに入ってくる。ついでに金毘羅さんに寄付したらと提案する。逐電した者に戻って欲しいのでは、と誂う者もいたが、村吉は名案だと言う。曰く、長宗我部元親も最初は寄付をしたと。寺社は当然町を持ち、経済活動の拠点である。その上、周辺の人達にも顔が利く。これは名案とばかりに使い道が決まるのだった。


 そんな喧騒から離れていた田宮四郎。その元に書状が届く。それは父から一番上の兄が戦死したとの知らせであった。そして、家督相続の為の呼び出しでもあった。



 と言うわけで、四国征伐終了と、讃岐にいった仙石家ですね。
 相も変わらず仙石家は騒々しいですね。それと四郎はどうなるのやら。

 小六はこれで引退、と。秀吉は前に出るのが~と言ってたけど、寧ろ時代の変化からって気がします。直前に秀吉がいった「戦があるうちは」って発言で。このセリフ怖さもありますからね。権兵衛改易の伏線にもなりそうだし。

 九州征伐はもう少し後になりそうですが、楽しみにしつつ待ちましょうね。

2016年11月6日日曜日

決着

 先週と先々週のセンゴク権兵衛の感想です。


 羽柴軍は徹底的に元親との決戦を避け、支城を虱潰しにする戦法を取る。
 一方、伊予方面でも毛利軍が侵攻を進めていた。

 順調に進む征伐。しかし、三好三郎はそれに不満を持っていた。
 それは、彼が元親との決戦を望んでいたからである。三郎と一緒にいる権兵衛もその気持ちは理解できた。
 そんな中考える、今回の戦を。長宗我部家の台所を支えていた木材、その売り先は畿内である羽柴家。前回の紀州でも木材が絡んでいた。
 そう、木材を抑える為今回の戦があるのでは、権兵衛はそう考えるのだった。


 一方の長宗我部家では軍議が開かれる。そう降伏か抗戦かの軍議である。
 香宗我部親泰達重臣は降伏を説く。しかし、信親は徹底抗戦を主張する。
 親泰達は、信親の心情を理解しつつも、降伏すべしと言う。だが信親は譲らない。

 そこで、元親が口を開く。今回の戦では幾つかの城を見捨てると言う戦法を取ったし、取らざるを得なかった。そしてその事で民衆の心が長宗我部から離れてしまった。これでは徹底抗戦した所で、領国の回復は難しいと。

 そして、関兵衛の離反が元親の指示だったと告げる。


 全てを知った信親は降伏を受け入れるのだった。



 これで決着……かな?
 信親はここで完全燃焼出来なかった分、戸次川で発散するって感じになりそう。そう考えると三郎も……。

 これで四国編完了だと、その時はもうすぐそこなのか。なにかワクワクしてきますね。