2021年12月12日日曜日

滴り落ちる露

  センゴク権兵衛、227話から235話の感想。

 権兵衛の妻、お藤の死去。耄碌する秀吉。その死と救い。そして関ケ原へのお話でした。関ケ原はエピローグでそんなに話数はかけないようです。既に二年飛びましたし。

 仙石夫妻の最期。不思議な支え合いであった感じです。互いに振り回し、振り回されていてそれが情を更に深いものにしています。
 
 そして秀吉。その最期を見るに、主であった信長に褒められたかったのかな、って思いました。それが故に自分を評価する事が出来なかった。確固たる自信を持てなかったのかも知れませんね。
 ただ、そう考えると秀次とも似ているのかな。秀次も秀吉の力になりたかったし。
 最期の最期に、漸く自分が創る世が光り輝いて良かった思いますよ。
 周りの人々はこの先苦労しかないけど。

 そして二年が過ぎて関ケ原へ。
 政治闘争も面白かったので、じっくりやって欲しかったので残念でした。
 何とか、外伝でやってくれないかな。
 上杉征伐に出陣するも、真田の無断帰陣に上方からは三成の挙兵。
 こんな混沌とした状況に権兵衛はどうするのか?楽しみです。

 遂にセンゴクの物語もエピローグです。
 関ケ原は権兵衛中心に書く感じでしょうか。最終回まで刮目してみたいですね。

2021年9月26日日曜日

終われぬ者

  センゴク権兵衛、219話から226話の感想。

 秀次事件は収まったものの、その余波はそこかしこに燻ぶった。
 浅野長吉は他の奉行から距離を取り、家康に益々接近する。
 権兵衛も距離を取る事になる。そしてお江が秀忠に輿入れする時の護衛役を承った事により家康、秀忠との仲が深まる。

 一方、明は貿易を拒否し、秀吉を日本国王にする事で講和を図る。
 三成ら奉行衆は根回しをするも、不首尾。小西と共に秀吉の説得に当たる。
 怪異が続いていた事を天から叱責と捉え、秀吉はこれを受諾する。

 これにて講和が纏まるはずであった。

 しかし、秀吉は泰平の世が色褪せて見えてしまった。

 一人、三成を呼び再出兵を告げる。秀吉もまた、戦を終える事が出来ない一人であった。

 
 簡潔に纏めて、こんな感じです。
 秀吉が再出兵を決意するところは権兵衛の戸次川を思い出しますね。
 他にも、石川五右衛門や彼に組した者。泰平の世に希望が見出せぬ者たち、その筆頭が秀吉である。これでは安定した政権は築けないですね。
 そして、三成にとっては一番否定したい考えを主君が持った不幸、そう見えてしまいます。
 秀吉の想いは呪いの様にも見えます。その先が関ケ原、でしょうか。

 秀次事件の後、表面上は何事も無く収まった。けれど、確実にその後の崩壊の種は蒔かれました。そして再出兵は確実に崩壊への舵取りとなりました。
 秀吉は確実に、天から背いてしまった。自分で天に従うべし、と言っていたのに。

 秀吉の死まで三年余り。夢幻の世もあと少しです。

2021年7月11日日曜日

亀裂、そして崩壊の足音が聞こえる

  久しぶりのセンゴク権兵衛の感想。
 213話から218話を簡単に書きます。

 秀吉側では秀次事件ですね。
 秀吉と秀次の確執。高野山に蟄居した秀次が切腹してしまい、他の大名を抑える為に暴君に成らざるを得なかった秀吉。って感じです。秀次の切腹は最近の研究を反映してますね。
 原因はと言うと、秀吉が秀次を最期まで愚か者と見なしていた。って感じかな。秀次も成長してるのに、秀吉は子供として見ていなかったし。そう考えると、疑似親子で秀吉にとっては何時までも秀次がバカ息子、に見えてたのかな。
 秀次も精神が追い詰められていたけど、その原因は秀吉になるし。結局、秀吉の他者への接し方が事件を引き起こしたのかな。出来るか人か出来ない人かで判断する、ってのは作中で周りに言われているし。人たらしとは、って感じもしますね。まぁ、人の気持ちを真に理解出来てない、って見方も出来るけど。
 兎に角、暴君として振る舞う事で乗り越え様とするけど、果たして…って感じです。

 一方、権兵衛側では領国経営に四苦八苦してます。
 風呂興行で、民心を捕え城下町への移住を促したいのだが、結果は芳しくない。
 権兵衛は何で拒むのか解らない。が、自分が居城に帰ると自分の家はいいな、と言う。
 奥方の藤はそれが理由と諭す。
 そんな感じで、まぁ前途多難な感じ。
 そして、上洛してる中で秀次事件を聞く。五右衛門捕物で民衆が騒乱を望んでいるのを知るからこそ、悪しき方に縁が流れていると権兵衛は考える。
 権兵衛の話を読むと、何となく秀吉も同じなのかな、とも思える。秀吉も既に贅沢を喜んでいない、のに秀次に真心と言い贅沢を押し付ける。秀次も、また自分と同じように贅沢を望んでない、そう考えられていない。そうも思える。
 すると、権兵衛と似た者同士なのでは。利休が言っていたように、本の少し理解できる友なのだから。そう考えてしまうんですよね。
 権兵衛には指摘してくれる者がいる。しかし、秀吉にはいない。それに古径和尚の薫陶もない。
 そんな似てるようで違う、二人なのかな、と思うんですよね。

 さていよいよ、豊臣政権は苦境に入ります。次週以降も楽しみですね。

2021年5月23日日曜日

皆の不安と不満

  センゴク権兵衛、210話から212話の感想。

 210話
 未だ捕まらぬ、五右衛門。伏見城は夜間封鎖する事になる。
 玄以に呼び出される権兵衛。玄以から見せられたのは五右衛門本人からの矢文であった。
 そこには、今宵城内に侵入すると書いてあった。そして、火薬を以て秀吉と共に爆死するつもりであったが、火薬庫を落とされた為に脇差一本で参る、そう予告されていた。
 権兵衛は火薬庫を落としておいてよかった、と思う。
 そんな文は字面文面から教養の高さを感じられた。
 二人の下に五郎部が現れる。曰く、既に五右衛門が侵入しているとの事であった。
 通行手形の変更を通達したところ、番兵の数名に狼狽した者がいた。自白させると、五右衛門に偽造の手形を渡していたとの事だった。
 とまれ、既に城中は封鎖した為、犯人を追い詰めている事は確かだった。
 さて、内通していたのは皆若衆である上に金銭目当てではない、と言う。権兵衛も頭目たちの住み家もどれも贅沢している様子はなかった、と言う。非常に、奇妙であった。
 
 城内が封鎖され、権兵衛たちは下水を調べる事にした。
 そして、それは大当たりであった。暗い下水の中で五右衛門と遭遇する。
 だが、五右衛門は大人しかった。権兵衛はすまぬ、と言い座ると権兵衛も座った。そして権兵衛は派手な爆死でなく、一番しょうもない結果になったと言い、脇差を出させた。
 権兵衛は五右衛門に人を従わせる才がある、と言う。そして、仕官して真面目にしてたら自分より出世したはずだ。それが何故、こんな下水で捕まる外道を選んだのか聞く。
 五右衛門は言う。合戦の世は終わり、後は死ぬまで同じ日が続くと答える。
 城中の若い番兵は戦う場も無く、死ぬまで番兵を続けるだけだと。だから五右衛門に託した秀吉の死を。それは信長が死んだ日のような天地がひっくり返るような血の滾りを求めたのだ。
 五右衛門にとっては静謐の世はドブみたいなもの。期待したのだ、ドブの中からでも何事か起こせるかもしれぬ、と。
 権兵衛には返す言葉は思いつかなかった。代わりに言う、五右衛門の言う期待が自分たちには不安である事を。
 五右衛門はさらに問う、期待より不安が勝る地位についたら繰り返しの日々が生き易くなるのかと。
 権兵衛はわからん、と答えるしかなかった。
 
 そして五右衛門らは煮殺しの刑になった。

 211話。
 文禄三年八月二十四日。三条河原にて石川五右衛門一党を成敗。
 玄以の下に呼ばれた権兵衛。此度はより過酷な煮殺しの処断であった。その為に権兵衛の心労を慮り、暇の許可を秀吉から得るようにし、小諸にもどって静養するように申し付けるのだった。さらに、奥方への土産として香まで与えるのであった。

 次に向かうは秀吉の下。その前に三成や増田が現れる。そして長居しないように言うのであった。理由は秀吉もまた心労であったからだ。その為に政治が滞っていた。
 そんな奉行衆に権兵衛は政治はどうなってるのか訊ねるが、仔細を言えるわけない、と一蹴される。

 秀吉の部屋へと入る権兵衛。その声色から機嫌がよくないのを察する。
 自分が明るくなくては、そう思い。そこの香炉の千鳥が鳴いて五右衛門の所在を教えてくれた、と語る。
 が、秀吉には通じず。香炉を褒美に欲しいなら素直に言えと言われてしまう。権兵衛は明るく答え。香を頂いたついでに香炉も欲しいと言う。
 ついで、とは言えぬほどの名器であるが、秀吉は権兵衛に与える事にした。そして言う、権兵衛はお気楽、だと。
 そうして、権兵衛は退出しようとする。が、何を思ったのか振り返りまたも、政治の今の状況を聞く。当然、教える訳がなかった。そんな秀吉を見て、権兵衛は天下人は大変そうだ、と言うのだった。
 頭の痛い発言。だが、秀吉は権兵衛の為に忙しい時間を割くことにし、座らせ、語る。
 もし、誰にも指図されず何でも思うがままで天下人が羨ましいと言ってたらどうなってか分からんぞ、と言う。
 そして、語り始める。
 暗殺未遂が一度や二度ではなかった。素性の知れん奴らがよく分からん理由で命を狙いに来る怖さ。民衆の為に良かれと政に苦心しても感謝ではなく落首で文句を言ってくる。愛想無く争うばかりの輩を安寧に導かなければならない。
 見たことのない美女、贅を尽くした御膳、絢爛な建物。誰しも羨む暮らしぶり。だが、それらを前にして欲も衰え、食指も動かなくなることが、いかにやるせないことか。
 道ですら安心して歩けない。かつて野盗に怯えていた頃の方がまだ良かった。
 貧しかったが、家に帰って母のうすい粥を皆で食い、運よく獲れた雉が入っていた日の喜び、幸せを思い出す。
 子を授かり漸く人並の幸せを得た。民衆に比べればいかに尽くし甲斐があるか。しかし、天下人である以上、愛情を注ぐことすら容易ではない。母の粥の如き幸せを我が子に与えられるのだろうか、何事も無き同じ日々を送る幸せを。
 信長が織田信長を辞する事能わず果てたのと同じく、自分も豊臣秀吉として果てざるを得ないだろう。
 凡庸なお前が羨ましい、馬鹿のゴンベエめが。
 そう最後に言うと秀吉は寝てしまった。
 三成と増田が駆け付ける。権兵衛は寝てるから静かにするよう言う。
 権兵衛は思う。秀吉は民衆から諸大名、果ては外海の者まで恐れる豊臣秀吉と言う怪物になった。しかし、それでも寝相は昔のままであった。
 そして、直に話せる機会はあと何回あるのだろう、そう思った。
 久々の秀吉の安眠に三成と増田は礼を言う。毎度の如く、聞くに堪えない話のお蔭、と言う。それに怒った権兵衛は、千鳥の香炉が鳴いて盗賊を捕まえた話をする。
 二人は内心想像以上に聞くに堪えぬ話と思うのだった。

 212話。
 五右衛門の処刑の少し前。伏見に太閤堤が完成し、京と大和を結ぶ経済大動脈が繋がった。
 九月九日には秀次が伏見へと来る。秀吉は堤を見せ、これで大坂、京、大和が結ばれたと言う。そして、それぞれお拾い、秀次、秀保の三人で天下の銭回りを担うことを託す。
 だが、懸念も残る。いくら富を増やしても血に飢える武士は多い。その為、秀次に武威を備えて欲しい、と言う。
 だが、秀次には山中城での武功がある。しかし、秀吉にはそれでは足りぬと思っていた。そして、秀吉の思惑は秀次の渡海であった。それを感じ取った秀次は自ら、渡海を切り出さなくてはいけなくなった。
 あくまで権威付けの渡海。その上での朝鮮南部の確保による講和を早める為であった。

 秀次は不満はより深く、暗くなっていた。何度も渡海を口にして、その実態は能三昧。秀次にはそう見えるのだ。
 日明講和は未だ成らざるまま。この十か月後に政権を揺るがす事件が起こるのであった。

 権兵衛は小諸に帰省していた。家臣達が忙しく動く中、権兵衛は地図と睨めっこしていた。いくら戦乱が終わったとは言え、備えはしなければならない。
 それは城下町の備えであった。城だけでなく町村も守らなくてはいけない。小田原の総構や京の御土居の様に。
 権兵衛は点在する村を城下に集めようと考えていた。しかし、家臣たちは集住までする必要性を感じて無かった。それに言った権兵衛も何となくの勘でしかなかった。
 権兵衛の何となく。それは北国街道の先、隣国の真田昌幸であった。喧嘩直前の据わった目を見て恐い、と感じるようになったのだ。

 が、勘定方は却下する。さらに、村々に行っても断られる。無用の介に相談しようと思ったが、既に勘定方を手伝っている為に断られる。

 権兵衛は座禅を組む。
 これが安寧。五右衛門が言っていた事。
 戦乱の時は村も協力的で、周囲に頼られた。だが、合戦がなくなると大名すら必要にされなくなる。そう考える。
 そして思い至る。自分が何で小諸と結ばれたのかと。それが見えて来たのだ。

 文禄、慶長年間は浅間山の噴火活動が活発であった。その麓の小諸領は目に見えて疲弊していった。そんな中、この地を近世城下町に発展させる大名が、仙石秀久なのであった。


 五右衛門、権兵衛の知り合いかな、と思ったけど別にそんな事はなかったみたいです。
 五右衛門と権兵衛の年が近いが為に思うところがあったみたいですね。
 それにしても、安寧が必ずしも皆が受け入れられるものではなく。若ければこれ以上の出世も見込めなくなるって事ですしね。だからと言って戦乱がいいのかと言うと……
 秀吉も結構まいっています。天下人として、人の親として、相容れないものを両立しなければいけないんでしょうね。少々、虚しさも感じられますね。
 ただ、皆の前では出さない、からこそ秀次も病んでいってますね。信頼関係ボロボロじゃないですか。
 そんな不穏な中、権兵衛の国造りが始まる。のかな。一度逃散されていたような。
 ともかく、次回も楽しみです。

2021年4月18日日曜日

京の都の光と闇

 センゴク権兵衛、208話209話の感想。

 伏見にて、秀吉が秀次を引見。日本の五分の四を与える旨を伝えた。
 秀次の懸念に対して、廃嫡する気はない、と言う。そして、拾と秀次の娘を縁組する、そう伝える。こうして、拾は秀次の養子になり、関白職を彼に譲ればよい、と。
 続いて話題は、秀次が多くの学者より学んでいる事に及ぶ。しかし、秀吉は経験から物事を知る事も大切だと言う。秀次が、さりとて、と言うと秀吉はそれが駄目だと言う。学識に溺れる者は人の意見にさりとて、と言い異議を立てる。周囲の意見を聞かなければならない、と叱る。秀次は言いたい事を飲み込むしかなかった。

 会談の後、御伽衆に秀次の遊興の数を訊ねる。この年の九月までに十六回、月に二度ほどである。秀吉は多い、と考える。しかし、遊興は交誼の為でもあり、職務と捉える事が出来る。
 秀吉は前関白だから心労の程は察しがつくと言うが。

 その後、秀次は伊豆熱海にて四十日もの湯治をする。
 心労の理由は弟の死や実子の夭死と考えられる。

 諸大名の下に新たな秀吉の命が下る。それは伏見城、大坂城の普請であった。
 当然、権兵衛の下に命が下る。権兵衛が担当するのは伏見の隠居所であった。

 文禄二年の後半は国内の諸将にとっては安寧の期間であった。
 三成ら奉行衆は聚楽の周りに屋敷が宛がわれて、久々の国内政治に取り掛かった。
 家康ら有力大名は京で遊興を重ねて交誼形成に勤しんだ。

 十一月二十八日、秀吉は尾張に来ていた。そしてその衰退を目の当たりにする。
 治めるのは秀次。最初は彼に文句が募る。だが、すぐに心労の秀次を責めてはいけないと自戒する。
 秀次の憎悪が拾に向けられたら由々しき事。秀吉が死ねば拾を助ける事は叶わないからだ。
 講和を待ち、政権を安定させる。そうすれば秀次など居ても居なくても構わない。だが、今はその時ではない、今は必要なのだ。そう言い聞かせる。

 いつの間にか、伏見の隠居所は城郭への拡張が決まっていた。権兵衛たち諸将は未だに領地に帰れなかった。

 諸将の安寧とは裏腹に、民衆からの視座からは畿内の治安は悪化していた。大名の大半が名護屋にいた為だろうか。辻斬りが横行したり、怪しげな者が大坂城内の女房衆と醜行したり、その刑罰により女房衆が処刑されたりする。
 盗賊団も跋扈し京、大坂では毎日夜が明けると死体が散乱していた。
 そしてその、盗賊団の長は石川五右衛門と言った。
 秀吉は所司代の前田玄以に追補を命じる。そして、権兵衛はその玄以に呼び出されるのであった。

 
 検断方の五郎部に案内される権兵衛。流石検断方か、権兵衛について色々調べているようで、奥方が山膳翁に接ぎ木を教わった話をする。
 さて、玄以の下に連れて来られた権兵衛。理由は、盗賊を捕まえるて欲しいとの事であった。
 賊は頭目が十五人程、そして頭目一人につき手下が数十人。合して五百から千人規模で、これは大名並みの兵力である。しかもその頭目たちが元海賊や山賊、さらに忍もいて神出鬼没なのである。多くの諸大名の力を借りたいが、唐入りを鑑みるに連携は容易でない。しかも追補に失敗すれば政権の権威が落ちてしまう。だからこそのすでに権威が地に落ちてる権兵衛の出番であった。
 無論、追補の為の元手は玄以が出す。ので権兵衛は快諾するのであった。
 
 権兵衛は森、不知地、無用の介を呼び、五郎部と会わせる。当然、五郎部はその三人の事も調べていたのだった。
 五郎部が四人に盗賊団について詳しい話をする。一昨年の人掃令にて諸国の逐電、逃散者は凡その所在は把握していた。無論、五右衛門党の十五人の頭目も。
 山海に潜む輩を討伐するのは甚だ難儀である。ここに権兵衛を抜擢したもう一つの理由があった。淡路にて海賊を率い、紀州では山賊となり、小田原では闇夜の河を渡り虎口を陥落。権兵衛はいつどこでも誰とでも戦い、かつ死ぬことはないから、である。

 権兵衛は今までの人脈を使い、各方面に人を分けて十五人の頭目を一網打尽にする策をとった。
 権兵衛自身が担当するのは京の頭目が隠れ住む古堂であった。
 厳重な守りになってる古堂、背後は河である。権兵衛はまず、最初に搦手の岸下の河原に竿を転げさせる事を毎晩やらせる。態と気付かせ、反撃させる事で鉄砲の有無を調べる。そして、敵が警戒しなくなったら攻め時である。権兵衛が正面を攻め、別動隊が搦手から攻め梯子を使って屋根に火をかけるのだ。これは、釣り天井に火薬を隠しているという権兵衛の見立てである。周辺は固い御影石なので、地下に作る事はあり得ぬ、そう考えたのだ。

 各方面一斉に攻め入る。権兵衛の担当の古堂は見立て通り、釣り天井に火薬を隠していた。派手に爆破する古堂。見事に権兵衛は盗賊たちを捕える。

 しかし、首魁五右衛門と一部を取り逃がす。そして次に彼らが姿を現すのは伏見であった。


 まさかの五右衛門登場である。確かに、その話はあるけど、やるとは思わなかった。
 秀吉の治世が必ずしも上手く行ってない、唐入りの所為もありそうだけど。そんな中現れた盗賊団が五右衛門。ある意味、秀吉の失政の象徴でもあるのかな?
 豊臣政権は様々な面で綻びがあった。民衆から見たら、決して良い政権でなかった、そういうのは最近の研究で結構言われてますね。その辺りを纏めた本もあるし。
 いろんな意味で変わらなければいけない政権だったのかな、と思いますね。

 そんな豊臣政権のもう一つの悩みは秀次でしょう。秀吉は労わっているつもりでも、全く伝わりません。目に光が無くて怖いよ。
 しかも、替えが効く人物と思っている。これでは決裂するしかないですよね。
 そう言えば、センゴクの秀吉は才能がある人を愛する、って感じに書かれている。だから長久手で敗戦した秀次はそこから外れてしまったのかな?後を託すには十二分、と思うけどな。
 因みに、才能の有無に関わらず愛しているのが権兵衛なんだろうね。権兵衛と話す時だけ普通の人に成れてる気がする。

 兎にも角にも、次週も楽しみです。

2021年4月4日日曜日

沈む船と産まれる男子

  センゴク権兵衛、の感想。

 205話
 明の勅使の歓待が始まる。相伴したのは小西と三成ら奉行衆であった。
 歓待は終始和やかに進む。廊下で侍る権兵衛はこれを意外に感じていた。
 
 権兵衛は出てきた小西に声を掛けるも疲れた顔で袖にされる。
 三成達奉行衆は権兵衛の無礼を不問にした。朝鮮での事を考えれば、マシに思えるのだろう。

 自陣に戻った権兵衛は家老たちと話し合う。
 朝鮮での苦戦を感じ取り、兵糧の算段を無用ノ介に頼む。そして外交交渉を聞く。
 両国朝廷、豊臣政権の正統性、等々問題も多く、その上幾人もの人を介しなければならない。その上で、最初の案で合意の可能性が見い出せるものでなくては、戦は長引く。そう無用ノ介は結論付けた。
 権兵衛はそれを聞き、寂しい話と言った。
 交渉が長引いて、秀吉の天寿が尽きて、唐入りも中止。そんな期待を皆がする流れになれば、天下人とはあまりにも孤独ではないか、と。
 権兵衛自身が期待しているのでは、と言われ否定する。しかし、考えれば考える程に迷いは深くなり、思うかもしれぬ、と思う。権兵衛はいずれ思う事になると思うとより、寂しい話と考えるのだった。
 
 秀吉の和平案。それはこれまでの経験に裏打ちされた、敢えて多めに要求し、譲歩案で決着させるものだった。
 明国皇女降嫁、高麗下半国割譲、貿易権獲得の三つを要求して、拒否されたら一番受け入れられる貿易権獲得で手打ちにする、その腹積もりだ。
 秀吉は領土と言う花を捨て実をとった。それこそが豊臣秀吉と自分に言い聞かせる。
 すべてはこの刻の為に天は自分を地に遣わした。ここまで来たのも天の導き。
 疎まれ蔑まれてきた自分が衆生に愛され崇め奉られる、そう思うのだった。

 206話
 秀吉の和平案が関白秀次の元に送られた。
 条件は先の三案に更に朝鮮王子の差出も加わっていた。が、要は同じ貿易権を獲得する為に勘合貿易を復活させる妥協案に最終的に落とし込むのだ。
 これを見た田中吉政は秀吉の意図を理解し、ゼニに名誉、それに豊臣の正統性の三つの利益がある、と言う。ただ、領土を求めていた大名には失態者から領土を召し上げ配分するしかなかった。
 秀次は秀吉は誰よりも知恵があると言う。だが、不勉強だと。
 唐国の知識の積み上げ、議論の厚さ、そして数々対外交渉。それは豊臣家の比ではなかった。秀次は秀吉の外交策に明は釣られないと考えた。
 だが、秀次は関白の権限で却下はする事は出来なかった。そのような鼎の軽重を問う真似を。
 和平案は勅許を得て、明の使節に渡された。

 使節も帰り。秀吉も上機嫌であった。完成が遅れた鉄甲船に関しても不問に、寧ろ労った。

 だが、その頃京では刃傷沙汰が起こっていた。それも秀次の小姓と御弓衆が口論の末にであった。
 茶々の懐妊で秀次の周辺は騒がしく、緊迫していたのだ。当然、秀次も心をざわつかせるのであった。

 いよいよ、鉄甲船のお披露目が名護屋であった。秀吉だけでなく、多くの者が見物する。
 が、その船は沈没してしまった。
 まるでこの先の豊臣政権を暗示するかのように。

 そして、遂に、八月三日に後の豊臣秀頼が誕生するのだ。

 207話
 和平の返事を待つ間、朝鮮から諸大名を帰還させる事になった。勿論、現地に在番する大名もいた。
 彼らの帰還は九月の初旬から中旬。秀吉は彼らを出迎えて、その後に大坂戻る予定を立てる。
 秀吉は唐入りを成功、と言い。他の者達も九月の末までに陣払いの支度をするように命ずるのだった。
 権兵衛も陣に戻り、皆に指示をする。一応勝った、との事なので家臣達は勝鬨を上げるのだった。

 夜、秀吉の屋敷にも鬨の声が聞こえた。秀吉は一緒にいる竜子に聞く。皆、何に喜んでいるのか、と。唐入りが成功裏に終わりそうな事なのか、唐入りに行かずに済んだ事なのか。
 秀吉は竜子に縋る。自分は万民が為に唐入りをしたのだと。そして実が得られたら自分の行動が正しかったとわかる、と。
 秀吉は、寧々は出家従っているし、茶々は政をまだ知らない、と言って竜子だけだと言う。それを聞き、竜子は今秀吉を絞め殺せば万民を救えるのか、それとも乱世に逆戻りするのか、考える。
 肌を重ねつつ思う。猿楽だと。この子猿の采一つで、日ノ本、明、南蛮までも振り回される、と。

 八月九日、に茶々の出産の報せが入る。
 すると、渡海勢の凱旋も待たずに早々と、大坂に帰ってしまったのだ。
 権兵衛達も同じく帰る事になった。当然、家臣達からは驚きの声が出る。
 権兵衛は色々思う事はあるだろうが、一兵も死なずに逃散しなかった事を誉める。そして、名護屋の都で学んだ事を小諸で生かし、城下を作るのが自分達の務めだと言う。
 一年余りの名護屋での在陣は終わった。

 八月二十五日に秀吉は大坂に帰着し、産まれた赤子に対面する。
 その無垢さに秀吉は感動する。この子さえいれば何人に憎まれても孤独ではない、そう思った。
 秀吉は、後始末をしっかりとつけたか、と聞く。そして肯定の言葉が返るとならば良いと言う。

 そして、大坂に秀吉が戻った事を暗い顔で聞いた男がいた。そう秀次である。

 
 秀次さんが闇落ちしそうですね。
 とまれ、今までセンゴクを考えると乱心はしない、と思いますが。
 徹底的に二人はすれ違うのかな?とにかく、豊臣政権もいよいよ終わりが始まりましたね。鉄甲船が沈むのと同時に秀頼が誕生って凄い皮肉と言うか、潰れますぞって感じがして少し物悲しいですね。それこそ、権兵衛の言う通り寂しいですね。

 唐入りは一時中断だけど、次の嵐はもう吹き始めています。
 果たして秀吉はどうするのか、そして権兵衛は?次回も楽しみです。

 

2021年3月7日日曜日

紆余曲折の果てに

   センゴク権兵衛の感想。

 201話
 秀吉、そして家康利家の渡海は延期になる。代わりに渡海するのは三成ら奉行衆。 
 しかし、秀吉からの書状は勇ましく、且つ判断を三成達に任せるものであった。現地での混乱は目に見えていた。
 権兵衛は独り言と称し、無用ノ介と話、頭を整理する。
 朝鮮との和談もままなるのに、明攻めを促す。泥沼の戦いになるニオイがするのだ。
 権兵衛は思う、秀吉は自信と不安が繰り返している、それらが才人である、と。
 無用ノ介は賭けに出たと言い、上手く行けば明との直接交渉、駄目なら奉行衆の判断での慎重策、と。
 しかし、権兵衛はそれは無理、現地軍は言う事を聞かない、と答える。理由は自分がそうだから、である。
 とまれ、これで権兵衛の頭は整理された。

 秀吉の来春の渡海、これを延期せしむ事態が発生する。
 七月二十二日の大政所の死去である。急ぎ、名護屋から京に戻ったが、母の死に目には会えなかった。
 秀吉は悲しみに暮れ、自責の念に駆られるのであった。

 朝鮮の状況は悪かった。戦に勝っても、統治は難し。
 兵糧の少なさ、寒さ、兵の少なさ、統治も儘ならない。
 三成、増田、大谷は秀吉にありのまま伝えるか迷うのであった。

 202話
 朝鮮と明が合流し、戦線の膠着は続く。そして八月には小西が明との交渉に臨む事となる。
 そして、五十日間の停戦が決定した。
 そんな中秀吉はずっと畿内に逗留。更に、伏見に隠居所を建てようとしていた。
 その噂は名護屋の権兵衛の耳まで入った。それは無用ノ介の見立て通りであり、港さえ押さえれば渡海する必要はない、そう権兵衛は考える。
 そんな中で身投げ騒動があった。しかも死んだのは皆好色漢ばかりであった。茶々もまた、独自に動いていたのだ。

 十一月、漸く秀吉は名護屋に戻って来た。来春こそ渡海か、皆思っていた。
 さて、権兵衛は完成した湯屋を秀吉に披露した。そして十一月十八日、従五位下越前守に叙された。ちなみにこの頃から秀久から秀康に改名していた。
 天正二十年十二月八日を以て天正から文禄への改元される。
 そして秀吉の心境も変わる。表向きは唐入りに積極的だったのが表向きすら消極的になったのだ。それは唐入り策の成功を容易とみたか、それともかつての将軍の如く現実の直視を拒んだのであろうか。

 現実は過酷である。朝鮮では最前線に明の大軍が迫っていた。
 停戦後、再交渉をするのも不調。準備を整えた明、朝鮮連合軍は文禄二年正月に平壌に攻め寄せたのだ。
 しかし、秀吉は明が侘び入れに来る、と思っていた。いや、そう思いたかったのかもしれなかった。小西も秀吉も疲れ、明側の誤情報に縋ったのかもしれない。

 203話
 このころより秀吉は能に耽溺していった。見るだけでなく自らシテを演じたりもした。
 そんな中、竜子より茶々の加減が悪いと聞かされる。そして、大坂に戻り有馬の湯治をするよう進言する。秀吉はそれを了承する。
 秀吉にはまだ伝えていない、茶々の懐妊の兆しがある事は。
 明の使節を自らの能でもてなそうと秀吉は考えていた。

 しかし、現実は過酷であった。
 朝鮮では不安要素が増えていた。疫病に通信途絶、水軍や反乱軍も発生していた。
 更に、戦線縮小を三成達が考えても清正は応じなかった。その上での小西軍の敗北である。
 豊臣軍の空中分解もありえた。そんな中で迎えたのが碧蹄館の戦いである。小早川隆景と立花宗茂の活躍により激戦の末に勝利。その後は一進一退の戦いとなった。
 そんな報告も秀吉の下には遅れて伝わるのであった。秀吉の楽観は崩れ去った。
 現地でも漢城の死守せども維持は困難になり、放棄を話会うようになる。
 秀吉の渡海する気は失せ、朝鮮南部の確保へ舵を切り始めた。

 しかし、秀吉の思いとは裏腹に歴史は進む。
 豊臣軍の強さを実感した明も和睦を模索し始めたのだ。その上、一部の廷臣は寧波での貿易を許可しようとしていたのだ。
 ここにわずかな道がつながった、秀吉の東アジア貿易権獲得の野望が。
 三月十五日に小西は再び、明と交渉する。その中で決められたのは三点。一つ、朝鮮王子の返還。一つ、豊臣は漢城から釜山まで撤退、明は開城まで撤退。一つ、明から日本への使節派遣。
 だが、正式な使節の派遣は難しと見られ、皇帝の勅許無しの偽の使節であった。
 兎にも角にも、泥沼化しそうな唐入りは講和に向けた新たな転機を迎えようとしていた。

 204話
 文禄二年五月、いよいよ直接交渉が迫っていた。
 秀吉は正澄からの報告を聞き、勅使に対し粗相をする者いないよう今後も監視するよう申し付ける。そして在陣衆に御触を出す。明国に悪口を言う者は処罰する、と。更に花押まで署名させてだ。秀吉はこの交渉に賭けていたのだ。
 だが、辻褄合わせが必要であった。積極的に征明を煽ったのだ、諸将の目を逸らす必要があった。秀吉は不要な将を罰することで目を逸らさせる事にした。その標的にされたのは大友吉統、島津忠辰、波多親の三人である。皆、改易処分となった。
 交渉の準備は進んでいた。鉄甲船の出来の目途が付き、これまた、明の勅使の心を攻める手段が増えた。しかし、同時に偽の勅使、明に侘び入れの意がない、と言う誤算も孕んでいた。
 そんな中、茶々の懐妊正式にねねに伝わる。それは当然、その周りにも。
 男女の別は分からない。それでも、男子なれば政権の行方に影響はある。懐妊を伝え聞いた秀次は動揺しつつ、お祝いしなければならなかった。

 五月中旬、遂に小西、三成と共に勅使が上陸する。彼らは偽とは言え、日明貿易容認派である、この一筋の光明を携えた使者と五月二十三日に接見するのだ。
 その前日の二十二日に秀吉は茶々の懐妊を知る。だが、その返事はそっけなく、秀吉は自分一人が天下の為に働いている、そう思うのであった。
 いよいよ接見の時。秀吉の外交手腕に全てが懸かっていた。


 と、言うわけで四話分です。
 かなり迷走した唐入り。だが、歴史の歯車は秀吉の思い通りに動きそうです。やはりまだ、神に愛されているのか、とも思いますが当然我々はその後も知っています。鶴松の死により半ば暴走したように始まり、躁鬱を繰り返した果てに見えるのは何でしょうか。
 この後は秀頼の誕生もあり、豊臣政権は自壊し始めます。ここが、秀吉最後の輝きになるのでしょうか。次回も楽しみです。

2021年1月31日日曜日

一つの決断、一つの終焉

  センゴク権兵衛、200話の感想。

 漢城陥落後、秀吉は小西と相談が肝要との書状を出した。
 小西が唱える慎重策を選んだのだ。
 しかし、国内向けの書状は違った。明を支配し、秀次と後陽成天皇を北京に移す。秀吉は寧波を拠点とし、天竺までも切り取る、と。壮大過ぎる計画であった。
 秀吉は自信過剰と自信過小の板挟み状態であった。

 権兵衛は湯殿の普請をしていた。秀吉に急かされた為、懸造で作っていたが、正澄に怒られてしまう。権兵衛は秀吉が渡海するまでの間、と言うと正澄はその件は小声で、と声を潜めるのであった。
 森は権兵衛に訊ねる、秀吉の渡海が近いか、と。権兵衛は日和と順風次第だ、と答える。
 命が有れば自分たちも渡らねばならない。だが、権兵衛はあまり心配してなかった。何故なら秀吉の命令で死んだ事は無く、合戦ならば秀吉が出馬すれば、ほぼ負けはなかったからだ。
 そんな権兵衛を秀吉は呼び出した。そして、共に海を見る。秀吉は権兵衛に波の様子を聞く。権兵衛は海賊衆なら問題ない、と答える。
 しかし、海賊、ではない。此度の渡海は豊臣政権の威容を示さなければいけない。一艘たりとも遭難させたくなかった。
 それを聞くと権兵衛は、無茶と答える。そして半分遅れず上陸できれば上出来、だと。
 秀吉はそれが元水軍の意見だな、と言い。権兵衛に渡海の評定があるから廊下で侍るよう命じる。
 権兵衛は秀吉が迷っていると感じた。

 六月二日に渡海計画の談合が行われる。
 此度の談合は家康と利家の二人が誘い合わせて開いたのだ。
 大名衆からはその二人。そして奉行衆からは三成が出席した。この時奉行衆の柱石、浅野長吉は一時謹慎を蒙っていた。その理由は渡海に反対した為だと言う。そして家康もその事を知っているのだった。
 が、それでも家康は渡海の反対、消極策を主張したのだ。
 一方、三成は積極策を主張する。その理由は朝鮮との連絡に片道半月かかる為である。
 しかし、家康は船頭の話をする。船頭は今月来月は不慮の風がある、と言っている。もし万が一があれば天下相果てる、と。
 だが、三成は渡海を延期すれば十中八九苦境に陥ると言う。朝鮮国王は逃亡した。だが、朝鮮国王と和談がなければ明と交渉も出来ない。それどころか二カ国同時に戦う羽目になる。更に海路は未だに把握出来ておらず、五月七日には玉浦にて朝鮮水軍に敗れていた。これでは兵糧を行き渡らせる事ままならない。
 三成は重ねて言う。自分は本来唐入りには反対であった、と。だが、秀吉の才覚を信じるが故に賛成した。これまで幾度も敗勢に勝利を見出した秀吉だからこそ、渡海なしの勝利などありえない、そう断言する。
 それに対して家康は泣いて訴えた。自分と利家が先に行くと言って。
 三成は理に合わぬ、と言うが利家に真心も計数で量る気か、と制された。
 廊下で侍る権兵衛は思う。随分と怖い大名様になった、と。以前とは違う、人を制する涙、だと。

 秀吉の出した答えは、渡海の延期であった。

 それは渡海の失敗を恐れ、遁逃したのだ。そして、この場を制したのは家康であった。史上最も静かで、かつ大いなる博打に勝利したのだ。


 さらっと石田正澄が出てきましたな。三成のお兄さんが。
 さて、いよいよ、秀吉にも陰りが出始めた、って感じです。もう少し前からあった気がしますが、分かりやすく、一歩引いてしまった感じがします。
 秀吉の決断は間違えではないです。けれど、成功をも手放した、感じですね。もう、神憑り的な才知はもう期待出来ないのかな?って。
 一方で家康が台頭しましたね。というか、バトンタッチと言う感じでもありますね。ここからは家康が天下人に相応しい実績を重ねるのかな。そんな予感もします。
 一つのターニングポイントを迎えた豊臣政権であるけれど、まだあります。その先に待ち受けるのは……次回も楽しみですね。

2021年1月17日日曜日

頂点の暗闇

  センゴク権兵衛、198と199話の感想。

 徳川と前田に喧嘩騒動があった五月上旬。その時にはすでに首都漢城を奪取していたのだ。
 それは秀吉すら、予期していなかった。落城の報せはまだ届かず、秀吉は渡海の準備をしていた。その一環で近習の増員をする。その一人として権兵衛を近習にすると言う。周りの者は躊躇するも、三成は秀吉の意図を理解し、賛成する。何をしでかすか分からないから、傍に置く。そして、猪武者への対応を奉行衆が学ぶ。それが秀吉の考えだった。

 権兵衛は秀吉の近習となり。空いた日は湯殿普請をする事となった。
 皆、喜んでいたが、森は近習になれば渡海するはず、いつ日ノ本に帰れるか心配であった。
 権兵衛は長くて一年と考えていた。さらに言えば本当に唐や天竺に行くのか疑問だった。葛の再婚の為にも早めに帰りたかったのだ。
 無用ノ介は言う。過去を顧みると遠征半年を過ぎると逃散者が増大する。一年以上の遠征なら政権崩壊の危機もあり得る。
 権兵衛は物騒な事を言うな、タマに正しいことを言うから、と言う。すると無用ノ介は間違ったことがあったか、権兵衛に恩を受けたこと以外で、と返した。
 権兵衛は言う、ややこしいことだと。そして古渓和尚の教えに従って、ややこしい問題は「あきらめる」と宣言する。
 意味は自暴自棄になる事ではない。ちゃんと見る、と言う事である。あきらかに見るが即ち諦め、そう無用ノ介は補足した。
 今は見るしかない、秀吉の周りで起きている事を。そして生きて帰れないなら逃散して牢人に戻ればいい、そう言う。自分たちは海賊でも山賊でもやって来た、と。

 前田利家の陣に家康が現れた。先の喧嘩沙汰の件で、である。利家は動揺しつつも、会うしかない、と腹をくくる。万が一の為の銭の用意はあるのだから。
 当然、室内で待っていると利家は思っていた。しかし、家康は門前で待っていた。平伏して、だ。これには利家も平伏するしかなかった。しかも、前田が水をとったのが原因なのに、水は分かち合うもの、と言い自分たちに否があると言うのだ。

 場所を室内移し、二人は話す。家康は利家の誠実さが伝わったと言い、利家も言葉をそっくりお返しすると返事をした。
 家康は続ける。戦国大名ゆえに人を見ては信用能うか能わぬか見極める。もしかしたら、陰で徳川前田を仲違いさせようと画策してる者おるかもしれぬ、と。
 利家も思うところがあった。秀吉の周りには色んな人が集まっている。その中に野心を抱くもがおるかもしれぬ、と。
家康と利家の仲は深まった。それは家康の人たらしの才であった。一体誰から学んだのであろうか。


 渡海した部隊は漢城で半月に亘り評定を行った。
 小西は朝鮮との国交を回復した上での唐入りが上意であり、統治が先決を考えていた。しかし清正は長々とした談合を迷惑とし、秀吉の早期渡海による唐入り敢行こそが上意と考えていた。
 戦略の相違が不協和音を奏でさせた。それだけではない、秀吉からの書状もこの状態を加速させた。
 結局、戦況は万全と言えず、その為に安全策をとる。諸将が朝鮮国八道にそれぞれ派遣され統治が優先された。
 そんな現地の状況を知らず、半月遅れで漢城陥落の報せが秀吉に伝えられる。
 家臣も秀吉も大喜びであった。

 そのはずだった。

 内心、秀吉は不安であった。もし、高麗が服属拒否するなら、大明国は都を包囲すれば自分の外交策に屈するか。
 秀吉の戦略は制海権をとり、海を渡り、河を遡り、北京を包囲し外交的譲歩を得る事であった。しかし、北京を海の近くと誤認していた。それは地形の把握が不十分であったのだ。
 外海について見分も舟も足らない。不安であった。しかし、皆が喜ぶ姿をみると自分が天下万民を聚楽に導かなければならない、そう強く思う。

 秀吉は湯屋の普請場に行き権兵衛に何時完成するか聞く。だが、まだ曲輪も出来ていなかった。権兵衛は懸造にするか、聞くと二つ返事でそれでいいと言う。そして崩れたら全員打ち首、と。突如の豹変であった。しかし、権兵衛はむしろ何かに怯えている、そう森に言うのだった。
 皆、秀吉を止めたり、苦言を呈する者はいなかった。
 鶴松の死を紛らわせる為の、性急な唐入りだった。秀吉の思惑を超えて、出来過ぎなくらい事が運んでしまった。もはや停止など出来るはずもない。
 皆、秀吉が能わぬもののない天下人と思い込んでいた。秀吉は皆に応えなければならなかった。能わぬもののない、天下人になるしかなかった。
 その瞳からは光が失われていた。


 あれほど万能感があった秀吉が、一人の人になっていますね。これが頂点に立つ恐ろしさ、何でしょうか。誰が彼を救うのか。それこそが友である権兵衛の役目になるのかな?
 一方で家康は着実に地盤固めをしていますね。すでに次を見据えているのか。
 朝鮮でも各将の間にひびが入っていますね。これが関ケ原への伏線になるんですよね。関ケ原も見たいところですね。
 壊れそうな秀吉。一体この先どうなるのか、次回も楽しみです。