2017年12月25日月曜日

無言

 先週はヤンマガが休刊で今週はセンゴク権兵衛が休載でした。

 そんな訳で先々週が今年最後のセンゴクですね。では、その感想を。


 九州での敗報は、権兵衛の所領讃岐まで届いた。
 正室の藤は孫と今後の事を協議。権兵衛の子らを実家のある美濃へと逃がすことにした。
 しかし、長女葛は四郎の事を父から聞くまでは動かないと言った。
 だが、内心不安を抱える母の姿を見て、姉弟達と美濃に行くことを決意する。

 藤は更に、川坊や大平に処分の事やその後の家臣達の再就職の斡旋を話す。

 そんな中、主権兵衛が帰城する。
 出迎えに赴く藤を始めとする家来衆。孫は藤に、叱責でも罵倒でもいい何か言葉を掛けて欲しい。無言だけはいけないと言う。


 帰って来た権兵衛は憔悴しきっていた。
 誰も、何も言えないまま。城の奥へと進み、藤は黙って付き従う。


 無言のまま飯をかっ食らう権兵衛。藤はその側に座るだけであった。



 もの寂しさのある回でした。
 権兵衛は未だ立ち直っておらず。誰も声を掛けられない。
 果たしてこの後、どう挽回するのか。仙石家の今後は。

 そんな感じで年明けを待たねばなりませんね。

2017年12月10日日曜日

落日

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。



 元親の考えと権兵衛の勘は一致していた。
 敵大将の家久の元に行くのが逃げ延びる道だと。
 
 一方で家久は、自分に殺到する二人を返り討ちにしようと采を振るう。
 しかし、予想外。いや、元親の目論見通りの動きが現れる。それは島津の兵が家久を守ろうと殺到したのだ。
 押し合い圧し合い、敵味方の区別が無くなってしまった。
 そんな中、権兵衛は鎧も脱ぎ捨て逃げ去ってしまう。
 追撃する事も出来たが、家久の熱は冷めてしまっていた。すでに神は家久の元を去ったのだ。


 何とか逃げ延びた権兵衛。しかし失ったものは多すぎた。そして気付く。自分は稲葉山の頃から何も変わってない、と。


 九州の騒乱から離れた畿内。秀吉は太政大臣の位を承った。
 意気揚々と京から大坂へと戻る秀吉であった。

 大坂城に戻ると直ぐ奉行達が集まってくる。堺を任せられた三成始め、多くの奉行がそれぞれ報告する。そんな中、おねが不在の報告があった。
 
 早速、秀吉は側室を集め宴を催す。おねが不在だからか、無礼講の騒がしいものになった。その宴の最中に浅野が新たな報告をする。曰く、秀吉の弟が現れた、と。秀吉は少し間を開け、浅野に命じる。母と謁見させ、知らないまたは動揺したら首を刎ねよ、と。
 秀吉はその者が甘い汁を啜ろうと現れた、そう思っていたのだ。

 浅野は頭を抱えて奉行の詰め所に戻った。彼はこれが吉報と思い知らせたのだ。そしてもう一つ悪い知らせもあったのだ。
 奉行達はどうするか、悩んだ。しかし、長束は遅れれば遅れるほど秀吉は怒ると言い、今すぐ伝えるべきだと言う。

 浅野は直ぐに秀吉の元に行き、伝えた。それは九州で仙石らが敗北した知らせだった。
 秀吉は般若の顔になり、仙石の名を呟いた。


 一方権兵衛らは船の上だった。しかし皆意気消沈していた。



 なんか、立ち直りそうに無いほど権兵衛が凹んでいるんだけど。小田原までどう立ち直るのかとかやるのかな?
 この後の事も考えると、権兵衛はどうするのかな。今のままだと自害でもしそうだけど。

 一方秀吉もだいぶ怖くなっているね。秀吉自身には自覚なさそうだし。
 と同時に天下人の業も感じるね。

 戸次川も終わり、権兵衛の物語も大きな山場を越えました。次の山場までどうなるか…楽しみです。

2017年11月26日日曜日

生き残る本能

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。


 家久は軍を渦のように動かし仙石隊を追い詰めていく。
 その中心、先端を家久自ら士気し権兵衛らを絡め取る。
 権兵衛は絶体絶命の危機に陥っていた。

 一方、元親はその渦から外れていた。配下の者は権兵衛を卑怯者と言い、このまま退却するよう求めた。そんな彼らを元親は一喝し、卑怯でなければ生き残れると言う。そして、生き残る為に退却を決定した。

 後ろには家久、前に屈強な島津兵。権兵衛は何とか突破を試みるも、彼らに組み伏されてしまった。

 家臣達は何とか主君の権兵衛を助けようとする。だが相手は島津兵、そう簡単にはいかなかった。だが、しぶとい権兵衛は自力で振り解く。
 しかし、既に理性を失ったか、久次を味方と解らず斬ろうとしてしまう。何とか、砂治や覺右衛門が止めるが。今度は家久に向かって走り出してしまう。
 乱心したか。いや、今の権兵衛は生存の本能だけで動いている。それを知っている家臣達は、戸惑いつつもこれに続く。

 家久は、向かって来た権兵衛を討とうとした。しかし何と、背後から元親が攻撃してきたのだった。権兵衛を助ける為か、いや違う。家久は気付く、この渦の中心こそが脱出口であると。



 元親が加勢かと思ったら、そうじゃないんですね。二人共、そこが脱出口と考えた訳ですね。権兵衛は野生の勘ですけど。
 必殺の家久に対し、生き残る勘に長ける権兵衛。そう言えば、引田の戦いでも元親の必殺の策から逃げおおせてましたね。そうすると何か因果がありますね。
 いよいよ大詰めですね。次回も楽しみです。

2017年11月12日日曜日

それぞれの決断

 今週は休載だったので、先週のセンゴク権兵衛の感想になります。


 退却を決めた権兵衛。そこで次の字は組織的な退却を進言する。しかし、権兵衛は最早そんな事が出来る時では無いと考えた。そして、各自思いのままに逃げるよう下知するのだった。
 そんな権兵衛を見て次の字は愚将だ、と言った。しかしそれでも権兵衛を慕うなら共に逃げよと言い、自分も従った。


 一方、信親は防戦一方であった。はぐれた四郎を探すが、兵より無残な姿となったと聞かされた。
 此処が最期と思ったか、父の信親に逃げるよう兵に伝言を頼む。兵は戸惑うが、自分もじきに逃げると言って兵を行かせた。

 信親は自分は大将の器では無いと言う。それは逃げるべき時を間違えたからだ。
 しかし兵は言う。最期の時にも従う者達がこんなにいると。

 彼らは土佐者の意地を胸に、島津に最期の突撃を敢行した。
 兵の三割がなくなれば壊滅する。そんな中、信親隊は千のうち七百余りが討ち取られた。
 そして信親もまた、討ち取られたのであった。


 権兵衛と信親、対照的な場面ですね。大将は必ず生き残るもの、ってのが思い出されます。
 四郎は……討ち死になのかな。まさか生きてるって事は無いよね。寂しいですね。

 これで戸次川の戦いも終局。権兵衛解任後の九州は簡単に済ませるのかな。
 センゴクの物語も最後が近づいている気がします。

2017年10月29日日曜日

終極へ

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 理性より感情。四郎も信親も、その為に逃げずに戦う事を決めた。
 そして二人協力して戦う。例え圧倒的に不利であっても。

 権兵衛のいる本陣は混乱していた。権兵衛自身が、自分より長宗我部を選んだ四郎を一発殴ると言い、錯乱していた。家臣たちは退却すべきと言いつつも、戦うならその下知に従うと言う。権兵衛の決断を受け入れると言って、下知を迫る。しかし、権兵衛の錯乱状態は収まらない。


 その時、戦場に二人の意志が舞う。

 一人は家久。何故、戦いに来たのか、何故我を目覚めさせたのか。
 そう問うていた。

 一人は十河。ただ権兵衛の名を呼んだ。
 それ以上は何も語らずに。


 その意志に背を押されたのか、権兵衛は決断した。
 退却、と。


 奮戦していた四郎と信親。だが、四郎は落馬してしまう。そんな彼の脳裏に仙石家での記憶が蘇る。まるで走馬灯の様に。
 気づけば、自分に飛びかかる薩摩兵が見える。そして視界は暗転する。


 凄い気になる所で次回につづく、だよ。
 四郎は戦死してしまうのか?もし助かるとするなら代わりに死ぬのは……なんですかね?どちらにしよ次回にはわかるのね。

 あっさり退場したとおもった十河は権兵衛の退却の後押しをしたのかね。なんにしても権兵衛にとっては重い決断ですね。


 そろそろ戸次川の戦いも終わりそうですね。この感じだと来年ぐらいには小田原編なのかな?長かった権兵衛の話にも終わりが近づいている気がしますね。

2017年10月15日日曜日

櫛の歯が抜け落ちるが如く

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 家久は渦を巻くように軍を動かす。次に襲い掛かるは十河軍であった。

 突然の事に狼狽する権兵衛。それでも十河を助けようとする。と、そこに援軍が現れる。長宗我部元親である。
 権兵衛は十河を助けようとするが、元親に止められる。今は全軍退却すべき時、権兵衛より年長だからこそ必要である。そう元親は言う。
 押し黙る権兵衛。それを肯定と捉えて退き太鼓を叩かせる。

 十河存保は討ち取られた。しかし、悔いはなかった。こんな凄い戦を見られ、その中で散っていくのだから。


 そして家久は次に信親に狙いを定める。

 信親は嫡男の座を重荷に思っていた。豊臣との戦いで臣下を斬った事を悔いていた。
 だからこそか、此処で死力を尽くし戦っていた。

 そんな中、配下から逃げるように言われる。その男は元々信親に嫉妬していた。だが、戦いを経て信親を好きになっていた。だから逃げて欲しいと言うのだ。
 しかし、信親は逃げようとしなかった。

 
 田宮隊にも退き太鼓が聞こえる。敵が土佐勢を襲っている隙に逃げようと配下の者が言う。しかし、四郎はどうしても、それをしたくなかった。

 結局、田宮隊は四散し逃げる。そして四郎は配下に兜を権兵衛に届けさせ、一人信親の加勢に赴く。
 それは葛に卑怯な姿を見せたく無いからであった。そして……

 加勢に来た四郎に信親は何故来たのか、と問う。それに対し、四郎は以前信親から聞いた言葉を返す。戦が終われば仙石と長宗我部は友になれる、と。


 四郎にフラグが立った、のかな。最新刊が九州上陸前で、権兵衛の元で死んだ者達を偲ぶところだったので、余計辛いです。何とか生き残って欲しい。

 三郎の方はあっさりでしたね。かなりアクの強いキャラでしたから寂しいですね。それでも激しい戦の中で死ねたのは幸せだったのかな、と思ったり。

 次回はいよいよ、ですが。どの様な最期になるか楽しみです。描写も多かったですしね。

2017年10月1日日曜日

神降りし戦場

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 家久は、太鼓を鳴らし兵に神降りさせる。士気は最高潮に達し、遂に出陣する。

 戦の空気がガラリと変わった。
 信親はまるで時化の前のようだと感じた。

 豊臣軍の将は皆、それに気付き追い首をやめさせる。
 退路を確保していた元親は、この異変に前線へ出ることを決めた。

 
 嵐の如く、進軍を開始する家久。その眼は戦場を俯瞰していた。狙うは敵将、最初にその眼が捕らえたのは……

 
 桑名であった。家久隊は突撃と共に矢を放ってきた。そう、味方に矢が当たってもお構いなしに。
 正に鬼であった。桑名隊は蹂躙される。桑名は何とか信親に撤退を伝えようとした。側近が死に、その目が射抜かれようと、伝えようとした。だが、それも虚しく討ち取られてしまう。

 首は捨て置く。この突撃での定めである。家久は桑名の首に手を合わせると、その場に置き、次の目標を定める。その眼が捉えし次の敵将は誰か。


 多分次回は対十河だと思いますけど。
 それはそうと、鬼島津な回でしたね。恐ろしいほど強い。戦の流れを一変させましたね。
 この後、討ち死にが多くなるけど、気になるのは権兵衛の配下の面々。オリキャラも多いから、と言うかほぼ、この戦でどうなるか心配ですね。覺は大丈夫なんだっけ?
 
 次回も楽しみです。

2017年9月10日日曜日

勝利は目前……

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 仙石隊の横槍に合わせる様に信親隊が攻撃を仕掛ける。その両脇を桑名、十河の両隊が固める。
 攻守は完全に逆転し、豊臣軍が島津軍を押し始めた。

 それを見た鶴賀城の城兵は勇気づけられた。そして、味方を鼓舞する為鬨の声を上げるのだった。

 島津にとっては完全に誤算であった。しかも背後を襲った部隊が長宗我部元親に敗れていた。もはや利あらず、島津軍は退却するのだった。

 権兵衛達の大勝利。

 
 かに見えた。



 本陣の家久の元に敗報が届けられる。しかし家久は自若泰然とし、出陣しようとする。
 家臣達は押し留め、一度態勢を立て直すべしと言う。しかし彼の目は変わっていた。

 神降りした家久が遂に出陣するのだ。



 まるでこのまま勝利しそうな展開でしたね。
 一度は押しに押したけど…軍神家久がどうするのか、楽しみですね。

 そう言えば、元親は退路の確保で前線にいないだよね。そして権兵衛達は前線…戸次川の戦い、クライマックスまであと少しですね。

2017年9月3日日曜日

釣り野伏、反撃、そして

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 もはや敗北は避けられぬ。しかし、信親は奮闘する。必ず、父元親が退路を確保すると。

 一方、元親は背後の伏兵の排除に動く。信親を心配する部下に、息子なら大丈夫だと言い退路の確保に務める。

 権兵衛は伏兵ありきなのに動揺する兵に驚きを隠せなかった。とは言えやる事は一つである。信親の援護の為全軍を鼓舞する。

 劣勢である信親の部隊。権兵衛を非難する兵を窘め、再び奮起する。ここは死地では無いと。


 崩れ行く信親隊を支えようと桑名、十河が敵に殺到する。それに答える様に自分を誇示し奮戦する信親。
 十河に支持され、信親の元に来た四郎は敵部隊が無い隙間を発見する。そう、信親が囮になった事で空いた隙間だ。
 それに気付くと同時に背後から声が掛けられる。主君、仙石秀久である。
 彼もまた、その勘で嗅ぎ当てたのだ。
 仙石隊はその隙間より敵に横槍を掛ける。ついに島津軍は崩れ始めた。

 豊臣軍の反撃が始まったのだ。



 結果は知っているのでなんとも……
 これが最後の攻勢なのかな。
 それにしても信親が目立ってますね。四国征伐と合わせて考えると、人生を全うしようとしてる感があります。
 彼らの最期は決まっています。さぁ、どうなるのか楽しみです。

2017年8月20日日曜日

家久の掌

 お盆やら何やらで遅くなった、センゴク権兵衛の感想を。

 今回と前回のを。


 信親は勇猛果敢に敵陣へと切り込む。その勢いに島津軍は圧倒される。

 これぞ好機と十河や桑名も攻勢を掛ける。

 味方優勢の報を聞く権兵衛。背後からの伏兵は未だ出ない事もあり、砂治と覚を残し前線に出る事とした。

 一方、元親はこの報を聞き、不安に成っていた。囮では無いかと。逸る部下を諌め、持ち場を離れなかった。


 そう、全ては島津必勝の釣り野伏の罠の中であった。


 島津が押されいる。それでも総大将家久は静かに仮眠を取っていた。そして、豊臣軍が小川を越えた報が届くや否や、眼を見開き、その采を振るった。

 合図と共に伏兵が現れる。権兵衛たちが警戒した背後だけでは無い。側面、そして逃げる前方にも伏兵を排していたのだった。逃げていた伊集院隊も反転して攻撃に加わる。三方が敵、そして残りの西は川である。完全に包囲されたのであった。

 信親は鉄砲で反撃しようとした。しかし島津は臆する事無く向かってくる。
 もはや、彼らの頭には敗戦の二文字が浮かぶのであった。


 という訳で攻勢から一気に敗北濃厚になりましたね。伏兵は警戒してても、此処まで大規模とは予想してませんでしたからね。あっても背後から。
 これは義弘の援軍が良かったですね。ただ、援軍無くても島津が押し切りそうだけど。

 大ピンチの権兵衛たち。このあとどうなるか。元親はどう動くか。来週のセンゴクが楽しみです。

2017年7月23日日曜日

兵力差

 今週と来週はセンゴク休載、ですって。


 と言う訳で、先週のセンゴク権兵衛の感想。


 緊張漂う豊臣軍。一方、家久は物見から敵の数を聞いていた。それは自身の想像よりも少なかった。

 これより前、進軍に手間取っていた島津義珍(義弘)は自軍より一万を家久への援軍としてよこした。これは、対大友の主攻を自身から家久に移したも同然であった。
 故に、家久の軍は倍以上に増えていた。当然、豊臣軍を遥かに凌ぐ数である。

 家久は日没まで何刻か聞き、それまでに豊臣を殲滅すると言う。

 ついに、家久軍動く。第一陣は伊集院隊。向かうは敵左翼、十河隊である。

 十河は敵が予想以上にいる事に驚き、後備の権兵衛に援軍を求める。
 四郎からの伝令を聞き、権兵衛はまず後ろを確認する。敵の伏兵が現れて無いか、である。しかし、伏兵は姿を見せない。
 そこで、部下に伏兵を警戒するように言い、自分は前線への援軍として赴く事にした。


 遂に戦闘が始まった。そんな中信親は武者震いしていた。
 自分は戦いが好きだ。そう思うのだった。



 いきなり兵力差がついて、負けそうな感じですね。まぁ、負けるんだけど。
 結果は分かっているけど、どうそこへ繋げるか楽しみです。
 信親のフラグ多そうだけど、十河のフラグも出て欲しいな。権兵衛とは、結構長いしね。

2017年7月9日日曜日

危険な策

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。


 鏡城に入城した権兵衛率いる豊臣軍。そこで、鶴ケ城の城主の死亡と島津が軍を引いた事を知る。
 明らかに誘っている。取り敢えず、元親の発案により付近の地形を見る事にする。
 付近に詳しい戸次によると、川の渡しの向こう側、山の裏手が窪地になっていると言う。鏡城側からは見えず、絶好の兵の隠し場所である。
 十中八九、伏兵がいる。ではどうするか。そこで権兵衛はとんでもない事を言う。伏兵を無視して進軍するのだ。
 長宗我部達は反対する。山と川、そして島津軍に囲まれるだけでは無いか、と。
 しかし、権兵衛は伏兵がバレれば敵は次の策を取る。そうなるより、手の内が分かる策に飛び込む方が良い、と。また最初から奇襲されると分かっていれば敵に遅れは取らない。そして、権兵衛は今までも同じ死地を抜けてきた。そう長宗我部と戦った引田の時もである。
 そんな権兵衛に十河と大友は乗る気であった。
 元親らは不安であった。しかし、権兵衛が考えを翻す事はなかろう。それならば一つ策を提案する。
 それは、前陣を従とし後陣を主とする策である。後陣で伏兵を素早く処理し、前陣と合流して正面の敵を撃破する策だ。
 これを権兵衛は採択し、陣立ても決まった。態と敵の策に飛び込む、危険な戦いが始まろうとしてた。

 自軍に戻り説明する権兵衛。後陣の仙石隊と前陣十河隊、その間の連絡役として田宮四郎を任命する。十河からの推薦でもあった。そして、奇しくも信親の隣の陣となった。


 この戦い、本来なら鶴ケ城からの横槍がある豊臣軍が有利である。
 しかし、城主が戦死、落城寸前の状況、そして城下の焼き討ちなどにより、それは叶わぬこととなっている。
 圧倒的に豊臣軍が不利なのだ。


 寒中の渡河を開始する権兵衛達。渡河中に襲われる事を警戒する兵士たち。
 対岸には時折人影が見えるもそれだけである。
 四郎や権兵衛は敵の間者と考えるが、何もしてこない。態と渡らせようとしている、そう権兵衛は考える。
 かつて秀吉から聞いた、何かに突き動かさる、と言う言葉。権兵衛は今それを実感していた。

 無事に全軍渡り終え、陣を敷く。すると、敵の狼煙が四方から上がる。遠くからは鎧の音が聞こえる。鬼が出るかスサノオが出るか、開戦の時はすぐそこであった。


 なかなかクレージーな策でした。確かに次どう出るか分からないよりは…ですけど危険過ぎますよね。後、権兵衛が挙げた合戦、全部負け戦だし。
 そして、敵も分かって渡河させてる感じがします。家久と権兵衛二人の邂逅がどうなるのか楽しみです。

2017年6月25日日曜日

いざ出陣

 最近、中日の調子が良くて嬉しいです。


 今週は休載でしたので、先週のセンゴク権兵衛の感想。


 意地とか、義心とかでは無い。ただ戦う。それのみだった。
 元から戦う気であった十河は同意する。だが元親は不満であった。
 長宗我部勢は命に従わぬ事も視野に話し合うと、その場を後にする。権兵衛は、当然であると、彼らを見送った。

 元親は、信親が同意する、と思い。秀吉の命に従うように諭す。それは元親が秀吉と謁見した時に思ったことだった。秀吉の天下は長くない、と。
 今は、秀吉の命に従い、その時まで雌伏する。それが元親の出した答えだった。
 そして、信親はそれに従い歳を重ねるよりも、今戦いと言うのであった。

 十河は大仏殿の灰を酒に混ぜ、権兵衛と共に飲んでいた。十河は三好の家風は恙無くとは真逆と言う。


 仙石、十河、そして長宗我部も進撃軍に加わる。そしてなんと大友義統も。
 彼は、自分が出れば島津は自分を狙うと考え、囮として加わったのだ。
 
 権兵衛は彼らを率い鶴ケ城へと進軍開始する。


 一方鶴ケ城では城主が戦死していた。だが家久は城を落とさず、来援する敵を待っていた。


 権兵衛達は鏡山城に入場する。目の前には戸次川と鶴ケ城。その時は目前である。


 元親が、秀吉の天下は短いと見立てていたのは面白かったですね。
 それに対する信親の思いも、いいですね。

 さて遂にその時ですね。一週お預けで、さて来週楽しみですね。

2017年6月11日日曜日

権兵衛の戦

 交流戦、なんとか五割で乗り切って欲しいですね。
 それにしても中日、調子いいですね。これならAクラスも夢じゃないね。


 先週と今週のセンゴク権兵衛。


 府内に戻った権兵衛。しかしそこは、かつての安土の様に混乱の坩堝だった。
 権兵衛は騒いだり、盗みをした者を斬ると言い。実際に盗みを働いた者を斬ろうとした。
 しかし、義統はそれを止めようとする。権兵衛は彼の性格から止めるのを予想していた。そして、斬るのを止め、どうしてこうなったのか、義統に反省を求めたのだった。

 混乱を収めた権兵衛は十河と合流する。そして今後の事を元親に相談するのだった。

 元親は唯一良い事があったと言う。それは島津が本国に攻め入った事であった。これにて、秀吉の惣無事令が大義を成すのである。言外に権兵衛らに期待をしていた事を成し遂げたのである。
 後は、府内のみを守り、秀吉の到着を待つだけである。
 しかし、それは臼杵の宗麟を見捨てる事でもあった。元親は言う、当主はあくまで義統である。そして、親は子の為に、その身を犠牲にしても惜しくない、と。

 そんな中、信親が帰還する。ほとんど戦闘無く戻ることが出来た信親。それは仙石家家臣、田宮四郎のおかげであると言った。
 四郎共々、無事に帰還した信親達。権兵衛は礼の言葉を言い、頭を下げるのであった。


 そうこうしている内に、秀吉から書状が届く。内容は権兵衛らへの叱責であり、軽々しく動くな。そう書かれていた。
 同じ内容の書状が宗麟にも届けられた。しかし宗麟は、島津の怖さを知らぬ、と不満であった。

 権兵衛は斎藤から、島津の進軍状況を聞いていた。後の義弘こと、義珍は途中で足止めを食らっていた。一方家久の軍が鶴ケ城まで迫っていた。
 斎藤曰く、本当に恐ろしいのは家久では、と。かつて家久と会った光秀もその才を評価し、須佐之男の如くと言われたそうだと。
 権兵衛は興味を持つも、斎藤に戦うなと諭されるのだった。

 
 十河、長宗我部らと共に軍議をする。しかし答えは出ていた。府内での防衛戦である。十河は、敵の家久の軍とは数が互角と言う。だが権兵衛は反論する。今の戦は上を伺ってのものであると。
 元親はもとより防衛戦と考えており、権兵衛に賛同する。
 かくして、軍議は終わった。


 一人物見櫓に登る権兵衛。もうすぐ天下一統、戦も終わる。そしてこれまでの事を反芻する。そして強敵を前に戦わないでいる自分の事を……


 元親は有り得ないと言った。再び軍議を開いた権兵衛に元親は問う。権兵衛の考える戦とは何か、と。
 権兵衛は言う。色んな武将がその中で輝いたり、没落したり。そして、生きるために戦うのだと。


 
 なんだか真田丸での戦の中でしか生きられぬ者って感じですね。
 権兵衛や三郎は、四国攻めで不完全燃焼でした。なのでこの最後かもしれぬ戦でしっかりと戦いたいんですね。しかも、須佐之男とも称される強敵ですからね。
 元親は反対でしょうが、信親はどうなんでしょう。彼もまた四国攻めで不完全燃焼でしたからね。同意するのかな?

 いよいよ戸次川の戦いです。如何にして戦い抜くのか楽しみです。

2017年5月21日日曜日

内に外に

 中日、四連勝ですってー
 ちょっとは上向いて来たのかな?


 とりあえあず、先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 権兵衛は、義統の粛清を思い留めさせた。
 兎にも角にも、大友家中はバラバラである。

 権兵衛は義統から贈られた馬を四郎に与え、大友家臣への挨拶周りに出かける。

 去勢されて無く、暴れる馬に苦労する四郎。まるで馬忠だ、と漏らす。すると、たまたま通り掛かった信親がその言葉に興味を持つ。仙石家の中に三国志を知っているものがいるのかと。

 信親は身分を隠し、長宗我部家臣と偽り四郎と話す。
 先日、権兵衛、十河と会見した時、権兵衛にこんなに領土を減らされて悔しく無いのかと言われた。信親はどの口が、と思いつつもその裏表の無さに笑いたくなったが、家臣の手前そうも出来ず苦虫を噛み潰した様な表情をした、と。

 四郎も話す。権兵衛が、信親に熱いもの感じ、好感を得ていると。

 落馬した時、最初は信親が伸ばした助けの手を拒否した四郎だが、話している内にそれを受けいれた。

 そして信親は言う。戦後は仙石秀久と長宗我部信親は仲良くなれると。


 豊前にて反乱が起きた。
 権兵衛達は早速軍議を開始する。
 権兵衛は早速鎮圧に向かうと言う。一方、元親は守りに徹しる事を提案する。
 そこで権兵衛は自分と三郎が鎮圧に向かい、元親に府内の守りを頼む事にする。
 これには元親も同意した。
 そこに信親が意見する。仙石と長宗我部のわだかまりを説くべく、鎮圧に向かうは仙石と長宗我部で、十河勢が守りに残ると。

 権兵衛はそれを聞き入れ、行動に移す。
 そして見事に反乱を鎮圧する。


 そんな中、秀吉から軽々しく動くな、と言う書状が届くのだった。


 権兵衛は三郎に、秀吉は逆に揉め事を起こして欲しいのでは、と語る。三郎はそんな馬鹿なと考えるのだった。

 またしても危急の事態が訪れる。今度は筑前方面で反乱である。
 そして再び軍機である。此度も前回同様鎮圧に向かおうとするが、元親が反対する。此度は相手が悪いと。
 今回の相手は秋月。この騒乱で筑前筑後中心に勢力を広げた雄である。
 そこで豊前の黒田官兵衛を動かすべきではと言う。だが権兵衛は、寧ろ筑前を捨て置き豊後に侵入したら横槍をつける、と言ってくるのではと推察する。
 まっとうな策で三郎は驚き、そうすべきか、となるがそうはいかない。すでに大友家中はバラバラ。そんな事をしている内に謀反が連鎖すればどうしようもなくなる。
 その上、当主義統はやる気満々である。
 どちらにせよ危険。それならば前に出るのが仙石権兵衛だった。

 元親は考える。秋月も四方に敵を抱えている。一方向なら兵力は互角になる。となれば当然長宗我部の支援が必要になる。
 そんな中信親は、秋月は名将道雪と戦った者。良い経験になると言った。

 かくして、筑前への出陣が決まった。
 そして、その最中、予見通りに島津が豊後に攻め入った。
 義統からその報を聞いた権兵衛は直ぐに退却を決める。そして豊前の官兵衛に援護を求める馬を飛ばそうとする。しかし道を知る者が居なかった。そこへ四郎が現れ、道は知っているから自分が行くと言う。既に馬を操れる様になっている四郎に権兵衛は伝言を頼むのであった。
 殿は信親が名乗り出た。権兵衛は嫡男だからと断ろうとした。しかし、元親があえて困難に望ませるべしと言った為、好意に甘える事にした。
 果たして無事戻る事が出来るだろうか。



 純粋な信親だからこそ、裏表の無い権兵衛を気に入ったんですね。結構助け船もだしてるし。
 今週、先週と似たような展開ですが、それほど大友内部はゴタゴタってことですね。そして面倒臭い義統……前途多難で、実際にこの先は…ではありますが、先を楽しみにしましょう。

2017年5月7日日曜日

交易地府内

 今週は休載だったので、先週のセンゴク権兵衛の感想です。


 九州豊後国府内に到着した権兵衛を始めとした先遣隊。
 権兵衛達、仙石家の者達は、諜報活動をしている斎藤の店へと赴いた。
 意外に繁盛している店に驚きつつも、早速府内の案内を命じる。最も、権兵衛が象とか見てみたいだけだが。

 府内は大友の本拠地として栄えていた。南蛮貿易の拠点でもある商いの街である。
 しかし、それ故に防御は脆弱であり。隠居の宗麟、当主の義統は別の城に詰めている有様であった。
 その上、キリスト教の問題もあった。善悪を二分するキリスト教は家中を二つに引き裂いてしまった。
 当主、義統は優柔不断であり。キリスト教への改宗と棄教繰り返す体たらくでもあった。

 そんな大揺れの大友。寧ろよく此処まで持ち堪えたと言えよう。


 先遣隊の大将として、宗麟と義統に謁見する権兵衛。所が、二人共あちらが話を聞くべきと譲り合ってしまう。一応当主なので、権兵衛は義統と会見する。


 所が、義統は権兵衛の話を聞かずに、長々と耳川の合戦の話をする。その上、言葉の中に南蛮語が混じるのだった。
 面倒になったのか聞き流し始める権兵衛。
 しかし、義統は縁戚である田原が島津に通じていると言い。そして誅すと言うのだった。



 なんか色んな意味でダメっぽそうな義統が出てきましたね。凄いキャラ濃そうですし。
 
 府内へと来ましたが、色々と前途多難そうで……権兵衛大丈夫なのかな?
 まぁ、大丈夫じゃなかったんだけどね。

 運命の合戦も近そうですし、ワクワクしますね。

2017年4月23日日曜日

運命の地へ

 今週と先週のセンゴク感想。


 奥方の藤より、葛の婿候補を見てくるよう下知される四郎。
 モヤモヤを抱えつつ相手を見てくるが……

 鼻持ちならない奴であった。
 相応しくない。そう思ったが、これも仙石家の為。ましてや、自分が婿などなれない。
 そう思い、藤に相応しいと報告する。
 すると、藤はそれを四郎が葛に報告するように言う。

 葛に報告するも、見透かされ、自ら確かめると言う。そして、四郎を護衛に任命する。
 そして、葛は自分の本名を四郎に明かすのだった。


 葛の婿は四郎に決まった。藤は葛の心が四郎に向いてる事を見抜いていた。更に四郎が田宮家を継いだ事により、田宮家を取り込む事も出来る。そこでちょっかいを出したと言う事だ。
 その話を聞き、舌を巻く権兵衛。しかし何処か浮かぬ顔だった。
 孫太郎は訝しむ。寧ろ権兵衛こそが可愛がっていたのでは、と。それに対して久次は言う。殿は今迄、多くの部下を亡くしている。可愛がっている程に。だから深く踏み込みたくないのだろうと。

 遂に秀吉の九州征伐が始まる。
 先遣隊として派遣されるのは権兵衛達、四国勢。
 今回は久次も従軍するのだった。
 そして、田宮党は……権兵衛は最初渋ったが……四郎が指揮を采ることになった。


 四郎と葛が結婚とは…ビックリですね。あのモノローグが本当になったよ。

 さて、考えて見れば次の戦いで戦死者が出てもおかしくない。てか出そうなのか。特に今回は死亡フラグっぽい感じがして……
 久次や四郎は大丈夫なのかな。

 あと、高橋紹運や宗茂も出ましたね。既に高屋城で戦死しましたけど。
 宗茂はこの後出番あるのかな?あると嬉しいけど。

2017年4月9日日曜日

呉越同舟

 開幕して間もないのに最下位確信って感じでつらいです。
 ドラゴンズの危機なのだ!


 話は変わって、今週と先週のセンゴク感想。


 鯨肉で饗される権兵衛と十河。和やかに進むかと思われた。だが、そこに信親が酌に現れる。そして、鯨は土佐人が命を掛けて獲ってると強い口調で言う。

 打って変わって、場は緊迫する。


 秀吉の真意はやはり、島津と権兵衛を争わせる事にあった。
 そんな秀吉の懸念は元親。温和な彼と関わり、権兵衛は影響される事を危惧したのだ。
 だからこそ、必要以上に仲が深まらぬよう、糾弾状を持たせたのだ。


 凍りつく酒宴。権兵衛は、それなら美味そうに食わねば、と言いよく噛み締めて食べる。
 そんな彼を見て、元親は言う。秀吉は、我らを強大な敵と戦わせようとしている、と。



 大友宗麟はすでに秀吉と面会。対島津の出兵を懇願していた。
 一方、島津は和睦を探るも、家臣達は抗戦を叫ぶのだった。

 そんな九州で斎藤と四郎は反物屋に化けて、情報収集をしていた。
 集まる情報から斎藤は、島津は大友との直接対決を避け、筑前筑後方面の制圧に向かうと予測した。


 島津、羽柴の激突は避けれれなくなり、権兵衛も渡海する事になる。家臣達は心配するも権兵衛はやる気満々。先の元親からの質問にも、好戦的な返事をしていた。
 そんな中、官兵衛が現れる。島津への和平は露骨に大友有利な物だった。そして、権兵衛にはきちんとした対応を求める。それは言外に島津と争えと言うものだった。
 無論、権兵衛も心得たものであった。


 そんな中、四郎達が斥候から帰る。すっかり美丈夫となった四郎。しかし葛からの扱いは相変わらず。今回は土産が無いのに起こるのだった。


 一方、権兵衛は妻の藤から相談される。それは葛の結婚についてだった。


 いよいよ戸次川の戦いです。
 この感じだと、権兵衛は暗に戦えって言われているけど…この後どうなるか楽しみですね。
 あと、信親は喜々として戦いそうなんだよね、三好三郎もだけど。四国での戦いでは不完全燃焼だしね。

 そして、葛の結婚……これってもしかして……次回でどうなるかわかりますよね?

2017年3月20日月曜日

西へ

 ドラゴンズ、オープン戦の調子悪いですね。
 今年も厳しい戦いになりそうです。

 先週と先々週のセンゴク権兵衛の感想。


 秀吉の外交転換。それは家康と密約が出来たからであった。
 血気に逸る家臣達を止める為に、秀吉に態と兵を起こさせ時勢の不利を説き、秀吉と和解する。そう言う筋書きだ。
 その際批判の矢面に立たされるのが秀吉との取次、石川数正だ。この話、数正も了承しており、彼が秀吉の元に出奔する所まで手筈を整えていた。

 これにて東は片が付き、西の島津に矛先を向けるのだった。


 帰りの船でその話をする権兵衛。四郎は驚きつつも、又九州へ諜報に行きたいと申し出るのである。どこまでも真っ直ぐな男である。


 そんな中、秀吉の養子於次丸が死去する。
 さらに蜂須賀小六も。

 小六が亡くなった事により対島津を誰かに引き継ぐ事となる。
 秀吉は権兵衛を指名する。
 しかし問題があった。軍の指揮なら兎も角、取次が出来る訳がない。そう三成達は危惧した。だが、秀吉は一考し取次も任せるのだった。


 そんな権兵衛に最初の仕事が来る。
 元親に糾弾書を送り届けるのである。なんでも、明智光秀の娘を匿い、反秀吉の為に東奔西走したのだと言う。
 権兵衛は秀吉が、自分の下に元親を付ける為と考える。しかしこんな書状を出したらどうなるか分からない。それは権兵衛たちも元親に思う所があるからだ。
 しかし、権兵衛の元に来た使者は、元親はそう言う御仁ではないと言う。


 十河存保こと三好三郎と連れ立って元親の元に行く一行。
 まずは石谷の娘で信親室が紹介され、光秀とは関係無いと家臣の谷から説明される。
 そして、元親親子の間へ。
 緊張の中、元親は秀吉からの文を読む。そして冷静に権兵衛の下に付く事を受け入れたのだった。


 
 一応は成功?信親がまだ何か言いそうだけど。

 驚いたのは正装した三郎ですね。誰やねん感すごかった。
 
 後は、秀吉が権兵衛に取次させたのは、何かやらかしてくれると期待してかね?対長宗我部の時の様に。

 それにしても権兵衛、三郎、元親が三人とも先の戦いで消化不良気味なのは戸次川での伏線なのかな?

2017年3月5日日曜日

時は戻り

 手短に、先週と今週のセンゴク権兵衛の感想を。


 凄惨を極めた家久による追撃。
 その報を聞き、最初は高を括っていた宗麟であったが、味方の血で体を温め帰ったと聞き、その恐ろしさを認め撤退する。

 一方、島津の被害も多かった。その事もあり忠平は家久に此処までしないでもと言う。しかし、家久の頭には宗麟の首を取る事しかなかった。


 耳川の敗北により大友の勢力は減退。一方、その隙をみて龍造寺が勢力拡大する。所謂九州三国鼎立である。


 肥後攻略を勧める島津の元に、肥前の有馬氏が援軍を求めてきた。対する相手は龍造寺隆信である。だが、島津に出せる兵は少なく家久の部隊を送るぐらいだった。


 しかし、家久は大勝。隆信の首を取るのである。


 こうして、九州の均衡は破られた。



 権兵衛の元に、四郎が戻り、九州の情勢を報告する。

 既に宗麟は秀吉に仲裁を求め、秀吉も惣無事令の名の下に仲裁しようとしていた。

 報告を受けた権兵衛は四郎を伴い秀吉に面会に行く。

 権兵衛は対徳川が先だ、そう思い九州は後回しになる。そう考えていた。だが秀吉は九州を先に叩くと言うのだった。


 島津過去編終わりましたね。なんか家久が勘の武将って感じでした。なんとなく権兵衛に近いようでそうで無いような。

 ちなみに、時期としては家康の上洛がこの辺りであったはずだから来週はそれをやるのかな?で、対島津に切り替わったとか。
 この着実に、その時、近づいてる感。凄いワクワクしますよ。次回も楽しみです。


 そう言えば、四郎が葛にビー玉贈っていたけど…この二人どうなるんだろう?そこも気になるけどね。

2017年2月19日日曜日

追撃戦開始

 来週には球春到来ですね。
 今年のドラゴンズはどうなるやら……最下位脱出は絶対達成して欲しいです。


 先週、今週のセンゴク権兵衛。


 前哨戦に負けた大友軍。将の一人、田北は積極攻勢を主張する。だが、総大将田原含める諸将は反対する。だが田北の決意は硬かった。
 田北は大友が大きくなった事により、守りに入ったり、利によって動く者が増えたと考えていた。家宝の倉をも焼く。そしてその忠節と共に島津に攻め掛かる。

 田北、そして彼を守る様に大友軍が島津先鋒に殺到する。
 その勢い削ぎ難く、此処に島津先鋒は壊滅する。

 城下で始まった戦闘。家久は、まだ気では無い、と見て動かない。

 一方、その頃島津本陣では加持祈祷が執り行われる。
 そして、十二分に士気を高め、動き出す。
 目指すは大友軍である。

 
 薩摩の痩せた大地。そんな土地を収める島津、自然他国に例を見ない特異な統治をする事となる。それが伍。所謂五人一組で連帯責任を負わせる統治である。
 だからこそ彼らは死に物狂いで突き進む。故に精強、頑強。

 それは先鋒を蹴散らした大友にも凌ぐこと出来ず。彼は大敗北を喫するのであった。

 島津の勝利。だが高城にいた者達は違った。
 家久の判断が遅れ、何もできなかったのだ。このままでは連帯責任で全員罰せられる。
 家久は高く笑った後、表情を一変させ、狂気と共に大友宗麟を討つと言い、追撃を開始する。
 此処より追撃戦、耳川の戦いが始まるのだった。




 この辺りで回想は終わりなのかな?沖田畷はやってるからね。
 それでも、島津の大友領侵攻は書きそうだけどね。
 
 豊薩合戦色々凄まじい所がありますよね。なんだかんだ言って大国、ギリギリの所で島津の猛攻を耐えましたからね。宗麟含め諸将の抵抗は激しいですから。
 仙石権兵衛の本番、早く読みたいですね。

2017年1月29日日曜日

島津の戦い

 サボっていたらもう一月が終わりそうに……

 取り敢えず、三週分のセンゴク権兵衛の感想でも。


 紹巴に気に入られた家久は、畿内のあちこちを一緒に見て回る。
 そんな中、織田家の家臣と面会する。
 叡山の麓、坂本の領主明智光秀である。頭の中で信長と合戦したと聞き、興味を持ち、互いに頭の中で織田家対島津家の戦をする事を提案する。
 家久は快諾し、光秀と家久の頭の中で合戦が繰り広げられた。結局、敗北したのは島津だった。
 光秀曰く、なぜ総大将信長の首を狙わないか、と。家久は、信長は年を取り、九州まで来れないと答えた。
 しかし、光秀は気付いていた。家久は信長を誘き出そうしていると。そして、光秀はそうならない様に手を打っていたのだ。

 最後に伊勢神宮を参拝し、薩摩に戻る家久。
 その後九州の情勢は大きく動く事となる。

 島津忠平(義弘)が木崎原で、寡兵かつその八割を失っているにも関わらず、伊東氏に勝利したのだ。
 伊東は大友を頼り豊後に落ち延びる。
 島津は周辺の状況も鑑みて、大友と戦うことは可能と判断。敵対を表明する。
 一方、大友宗麟は大軍勢を編成し日向への侵攻を開始するのだった。

 家久は高城を守備していた。そこに大友の大軍が現れ、包囲を開始する。
 島津は次兄忠平の提案により奇襲を決定する。家久には事前に忠平が将棋の角の様に睨むべしと伝えていた。

 結果、家久の睨みにより大友軍は連携が出来ずに各個撃破されたのだった。


 と言う訳で、耳川の戦いが始まりましたね。この過去編は何処までやるのでしょうか。やろうと思えば、大友が秀吉に助けを求める所まで出来るけど……

 そう言えば、家久と権兵衛が上洛中に会うかな、と思ったけど会いませんでしたね。
 光秀との事は…本能寺の所にも繋がりそうな感じでしたね。