2017年3月20日月曜日

西へ

 ドラゴンズ、オープン戦の調子悪いですね。
 今年も厳しい戦いになりそうです。

 先週と先々週のセンゴク権兵衛の感想。


 秀吉の外交転換。それは家康と密約が出来たからであった。
 血気に逸る家臣達を止める為に、秀吉に態と兵を起こさせ時勢の不利を説き、秀吉と和解する。そう言う筋書きだ。
 その際批判の矢面に立たされるのが秀吉との取次、石川数正だ。この話、数正も了承しており、彼が秀吉の元に出奔する所まで手筈を整えていた。

 これにて東は片が付き、西の島津に矛先を向けるのだった。


 帰りの船でその話をする権兵衛。四郎は驚きつつも、又九州へ諜報に行きたいと申し出るのである。どこまでも真っ直ぐな男である。


 そんな中、秀吉の養子於次丸が死去する。
 さらに蜂須賀小六も。

 小六が亡くなった事により対島津を誰かに引き継ぐ事となる。
 秀吉は権兵衛を指名する。
 しかし問題があった。軍の指揮なら兎も角、取次が出来る訳がない。そう三成達は危惧した。だが、秀吉は一考し取次も任せるのだった。


 そんな権兵衛に最初の仕事が来る。
 元親に糾弾書を送り届けるのである。なんでも、明智光秀の娘を匿い、反秀吉の為に東奔西走したのだと言う。
 権兵衛は秀吉が、自分の下に元親を付ける為と考える。しかしこんな書状を出したらどうなるか分からない。それは権兵衛たちも元親に思う所があるからだ。
 しかし、権兵衛の元に来た使者は、元親はそう言う御仁ではないと言う。


 十河存保こと三好三郎と連れ立って元親の元に行く一行。
 まずは石谷の娘で信親室が紹介され、光秀とは関係無いと家臣の谷から説明される。
 そして、元親親子の間へ。
 緊張の中、元親は秀吉からの文を読む。そして冷静に権兵衛の下に付く事を受け入れたのだった。


 
 一応は成功?信親がまだ何か言いそうだけど。

 驚いたのは正装した三郎ですね。誰やねん感すごかった。
 
 後は、秀吉が権兵衛に取次させたのは、何かやらかしてくれると期待してかね?対長宗我部の時の様に。

 それにしても権兵衛、三郎、元親が三人とも先の戦いで消化不良気味なのは戸次川での伏線なのかな?

2017年3月5日日曜日

時は戻り

 手短に、先週と今週のセンゴク権兵衛の感想を。


 凄惨を極めた家久による追撃。
 その報を聞き、最初は高を括っていた宗麟であったが、味方の血で体を温め帰ったと聞き、その恐ろしさを認め撤退する。

 一方、島津の被害も多かった。その事もあり忠平は家久に此処までしないでもと言う。しかし、家久の頭には宗麟の首を取る事しかなかった。


 耳川の敗北により大友の勢力は減退。一方、その隙をみて龍造寺が勢力拡大する。所謂九州三国鼎立である。


 肥後攻略を勧める島津の元に、肥前の有馬氏が援軍を求めてきた。対する相手は龍造寺隆信である。だが、島津に出せる兵は少なく家久の部隊を送るぐらいだった。


 しかし、家久は大勝。隆信の首を取るのである。


 こうして、九州の均衡は破られた。



 権兵衛の元に、四郎が戻り、九州の情勢を報告する。

 既に宗麟は秀吉に仲裁を求め、秀吉も惣無事令の名の下に仲裁しようとしていた。

 報告を受けた権兵衛は四郎を伴い秀吉に面会に行く。

 権兵衛は対徳川が先だ、そう思い九州は後回しになる。そう考えていた。だが秀吉は九州を先に叩くと言うのだった。


 島津過去編終わりましたね。なんか家久が勘の武将って感じでした。なんとなく権兵衛に近いようでそうで無いような。

 ちなみに、時期としては家康の上洛がこの辺りであったはずだから来週はそれをやるのかな?で、対島津に切り替わったとか。
 この着実に、その時、近づいてる感。凄いワクワクしますよ。次回も楽しみです。


 そう言えば、四郎が葛にビー玉贈っていたけど…この二人どうなるんだろう?そこも気になるけどね。