2021年7月11日日曜日

亀裂、そして崩壊の足音が聞こえる

  久しぶりのセンゴク権兵衛の感想。
 213話から218話を簡単に書きます。

 秀吉側では秀次事件ですね。
 秀吉と秀次の確執。高野山に蟄居した秀次が切腹してしまい、他の大名を抑える為に暴君に成らざるを得なかった秀吉。って感じです。秀次の切腹は最近の研究を反映してますね。
 原因はと言うと、秀吉が秀次を最期まで愚か者と見なしていた。って感じかな。秀次も成長してるのに、秀吉は子供として見ていなかったし。そう考えると、疑似親子で秀吉にとっては何時までも秀次がバカ息子、に見えてたのかな。
 秀次も精神が追い詰められていたけど、その原因は秀吉になるし。結局、秀吉の他者への接し方が事件を引き起こしたのかな。出来るか人か出来ない人かで判断する、ってのは作中で周りに言われているし。人たらしとは、って感じもしますね。まぁ、人の気持ちを真に理解出来てない、って見方も出来るけど。
 兎に角、暴君として振る舞う事で乗り越え様とするけど、果たして…って感じです。

 一方、権兵衛側では領国経営に四苦八苦してます。
 風呂興行で、民心を捕え城下町への移住を促したいのだが、結果は芳しくない。
 権兵衛は何で拒むのか解らない。が、自分が居城に帰ると自分の家はいいな、と言う。
 奥方の藤はそれが理由と諭す。
 そんな感じで、まぁ前途多難な感じ。
 そして、上洛してる中で秀次事件を聞く。五右衛門捕物で民衆が騒乱を望んでいるのを知るからこそ、悪しき方に縁が流れていると権兵衛は考える。
 権兵衛の話を読むと、何となく秀吉も同じなのかな、とも思える。秀吉も既に贅沢を喜んでいない、のに秀次に真心と言い贅沢を押し付ける。秀次も、また自分と同じように贅沢を望んでない、そう考えられていない。そうも思える。
 すると、権兵衛と似た者同士なのでは。利休が言っていたように、本の少し理解できる友なのだから。そう考えてしまうんですよね。
 権兵衛には指摘してくれる者がいる。しかし、秀吉にはいない。それに古径和尚の薫陶もない。
 そんな似てるようで違う、二人なのかな、と思うんですよね。

 さていよいよ、豊臣政権は苦境に入ります。次週以降も楽しみですね。