2021年4月18日日曜日

京の都の光と闇

 センゴク権兵衛、208話209話の感想。

 伏見にて、秀吉が秀次を引見。日本の五分の四を与える旨を伝えた。
 秀次の懸念に対して、廃嫡する気はない、と言う。そして、拾と秀次の娘を縁組する、そう伝える。こうして、拾は秀次の養子になり、関白職を彼に譲ればよい、と。
 続いて話題は、秀次が多くの学者より学んでいる事に及ぶ。しかし、秀吉は経験から物事を知る事も大切だと言う。秀次が、さりとて、と言うと秀吉はそれが駄目だと言う。学識に溺れる者は人の意見にさりとて、と言い異議を立てる。周囲の意見を聞かなければならない、と叱る。秀次は言いたい事を飲み込むしかなかった。

 会談の後、御伽衆に秀次の遊興の数を訊ねる。この年の九月までに十六回、月に二度ほどである。秀吉は多い、と考える。しかし、遊興は交誼の為でもあり、職務と捉える事が出来る。
 秀吉は前関白だから心労の程は察しがつくと言うが。

 その後、秀次は伊豆熱海にて四十日もの湯治をする。
 心労の理由は弟の死や実子の夭死と考えられる。

 諸大名の下に新たな秀吉の命が下る。それは伏見城、大坂城の普請であった。
 当然、権兵衛の下に命が下る。権兵衛が担当するのは伏見の隠居所であった。

 文禄二年の後半は国内の諸将にとっては安寧の期間であった。
 三成ら奉行衆は聚楽の周りに屋敷が宛がわれて、久々の国内政治に取り掛かった。
 家康ら有力大名は京で遊興を重ねて交誼形成に勤しんだ。

 十一月二十八日、秀吉は尾張に来ていた。そしてその衰退を目の当たりにする。
 治めるのは秀次。最初は彼に文句が募る。だが、すぐに心労の秀次を責めてはいけないと自戒する。
 秀次の憎悪が拾に向けられたら由々しき事。秀吉が死ねば拾を助ける事は叶わないからだ。
 講和を待ち、政権を安定させる。そうすれば秀次など居ても居なくても構わない。だが、今はその時ではない、今は必要なのだ。そう言い聞かせる。

 いつの間にか、伏見の隠居所は城郭への拡張が決まっていた。権兵衛たち諸将は未だに領地に帰れなかった。

 諸将の安寧とは裏腹に、民衆からの視座からは畿内の治安は悪化していた。大名の大半が名護屋にいた為だろうか。辻斬りが横行したり、怪しげな者が大坂城内の女房衆と醜行したり、その刑罰により女房衆が処刑されたりする。
 盗賊団も跋扈し京、大坂では毎日夜が明けると死体が散乱していた。
 そしてその、盗賊団の長は石川五右衛門と言った。
 秀吉は所司代の前田玄以に追補を命じる。そして、権兵衛はその玄以に呼び出されるのであった。

 
 検断方の五郎部に案内される権兵衛。流石検断方か、権兵衛について色々調べているようで、奥方が山膳翁に接ぎ木を教わった話をする。
 さて、玄以の下に連れて来られた権兵衛。理由は、盗賊を捕まえるて欲しいとの事であった。
 賊は頭目が十五人程、そして頭目一人につき手下が数十人。合して五百から千人規模で、これは大名並みの兵力である。しかもその頭目たちが元海賊や山賊、さらに忍もいて神出鬼没なのである。多くの諸大名の力を借りたいが、唐入りを鑑みるに連携は容易でない。しかも追補に失敗すれば政権の権威が落ちてしまう。だからこそのすでに権威が地に落ちてる権兵衛の出番であった。
 無論、追補の為の元手は玄以が出す。ので権兵衛は快諾するのであった。
 
 権兵衛は森、不知地、無用の介を呼び、五郎部と会わせる。当然、五郎部はその三人の事も調べていたのだった。
 五郎部が四人に盗賊団について詳しい話をする。一昨年の人掃令にて諸国の逐電、逃散者は凡その所在は把握していた。無論、五右衛門党の十五人の頭目も。
 山海に潜む輩を討伐するのは甚だ難儀である。ここに権兵衛を抜擢したもう一つの理由があった。淡路にて海賊を率い、紀州では山賊となり、小田原では闇夜の河を渡り虎口を陥落。権兵衛はいつどこでも誰とでも戦い、かつ死ぬことはないから、である。

 権兵衛は今までの人脈を使い、各方面に人を分けて十五人の頭目を一網打尽にする策をとった。
 権兵衛自身が担当するのは京の頭目が隠れ住む古堂であった。
 厳重な守りになってる古堂、背後は河である。権兵衛はまず、最初に搦手の岸下の河原に竿を転げさせる事を毎晩やらせる。態と気付かせ、反撃させる事で鉄砲の有無を調べる。そして、敵が警戒しなくなったら攻め時である。権兵衛が正面を攻め、別動隊が搦手から攻め梯子を使って屋根に火をかけるのだ。これは、釣り天井に火薬を隠しているという権兵衛の見立てである。周辺は固い御影石なので、地下に作る事はあり得ぬ、そう考えたのだ。

 各方面一斉に攻め入る。権兵衛の担当の古堂は見立て通り、釣り天井に火薬を隠していた。派手に爆破する古堂。見事に権兵衛は盗賊たちを捕える。

 しかし、首魁五右衛門と一部を取り逃がす。そして次に彼らが姿を現すのは伏見であった。


 まさかの五右衛門登場である。確かに、その話はあるけど、やるとは思わなかった。
 秀吉の治世が必ずしも上手く行ってない、唐入りの所為もありそうだけど。そんな中現れた盗賊団が五右衛門。ある意味、秀吉の失政の象徴でもあるのかな?
 豊臣政権は様々な面で綻びがあった。民衆から見たら、決して良い政権でなかった、そういうのは最近の研究で結構言われてますね。その辺りを纏めた本もあるし。
 いろんな意味で変わらなければいけない政権だったのかな、と思いますね。

 そんな豊臣政権のもう一つの悩みは秀次でしょう。秀吉は労わっているつもりでも、全く伝わりません。目に光が無くて怖いよ。
 しかも、替えが効く人物と思っている。これでは決裂するしかないですよね。
 そう言えば、センゴクの秀吉は才能がある人を愛する、って感じに書かれている。だから長久手で敗戦した秀次はそこから外れてしまったのかな?後を託すには十二分、と思うけどな。
 因みに、才能の有無に関わらず愛しているのが権兵衛なんだろうね。権兵衛と話す時だけ普通の人に成れてる気がする。

 兎にも角にも、次週も楽しみです。

2021年4月4日日曜日

沈む船と産まれる男子

  センゴク権兵衛、の感想。

 205話
 明の勅使の歓待が始まる。相伴したのは小西と三成ら奉行衆であった。
 歓待は終始和やかに進む。廊下で侍る権兵衛はこれを意外に感じていた。
 
 権兵衛は出てきた小西に声を掛けるも疲れた顔で袖にされる。
 三成達奉行衆は権兵衛の無礼を不問にした。朝鮮での事を考えれば、マシに思えるのだろう。

 自陣に戻った権兵衛は家老たちと話し合う。
 朝鮮での苦戦を感じ取り、兵糧の算段を無用ノ介に頼む。そして外交交渉を聞く。
 両国朝廷、豊臣政権の正統性、等々問題も多く、その上幾人もの人を介しなければならない。その上で、最初の案で合意の可能性が見い出せるものでなくては、戦は長引く。そう無用ノ介は結論付けた。
 権兵衛はそれを聞き、寂しい話と言った。
 交渉が長引いて、秀吉の天寿が尽きて、唐入りも中止。そんな期待を皆がする流れになれば、天下人とはあまりにも孤独ではないか、と。
 権兵衛自身が期待しているのでは、と言われ否定する。しかし、考えれば考える程に迷いは深くなり、思うかもしれぬ、と思う。権兵衛はいずれ思う事になると思うとより、寂しい話と考えるのだった。
 
 秀吉の和平案。それはこれまでの経験に裏打ちされた、敢えて多めに要求し、譲歩案で決着させるものだった。
 明国皇女降嫁、高麗下半国割譲、貿易権獲得の三つを要求して、拒否されたら一番受け入れられる貿易権獲得で手打ちにする、その腹積もりだ。
 秀吉は領土と言う花を捨て実をとった。それこそが豊臣秀吉と自分に言い聞かせる。
 すべてはこの刻の為に天は自分を地に遣わした。ここまで来たのも天の導き。
 疎まれ蔑まれてきた自分が衆生に愛され崇め奉られる、そう思うのだった。

 206話
 秀吉の和平案が関白秀次の元に送られた。
 条件は先の三案に更に朝鮮王子の差出も加わっていた。が、要は同じ貿易権を獲得する為に勘合貿易を復活させる妥協案に最終的に落とし込むのだ。
 これを見た田中吉政は秀吉の意図を理解し、ゼニに名誉、それに豊臣の正統性の三つの利益がある、と言う。ただ、領土を求めていた大名には失態者から領土を召し上げ配分するしかなかった。
 秀次は秀吉は誰よりも知恵があると言う。だが、不勉強だと。
 唐国の知識の積み上げ、議論の厚さ、そして数々対外交渉。それは豊臣家の比ではなかった。秀次は秀吉の外交策に明は釣られないと考えた。
 だが、秀次は関白の権限で却下はする事は出来なかった。そのような鼎の軽重を問う真似を。
 和平案は勅許を得て、明の使節に渡された。

 使節も帰り。秀吉も上機嫌であった。完成が遅れた鉄甲船に関しても不問に、寧ろ労った。

 だが、その頃京では刃傷沙汰が起こっていた。それも秀次の小姓と御弓衆が口論の末にであった。
 茶々の懐妊で秀次の周辺は騒がしく、緊迫していたのだ。当然、秀次も心をざわつかせるのであった。

 いよいよ、鉄甲船のお披露目が名護屋であった。秀吉だけでなく、多くの者が見物する。
 が、その船は沈没してしまった。
 まるでこの先の豊臣政権を暗示するかのように。

 そして、遂に、八月三日に後の豊臣秀頼が誕生するのだ。

 207話
 和平の返事を待つ間、朝鮮から諸大名を帰還させる事になった。勿論、現地に在番する大名もいた。
 彼らの帰還は九月の初旬から中旬。秀吉は彼らを出迎えて、その後に大坂戻る予定を立てる。
 秀吉は唐入りを成功、と言い。他の者達も九月の末までに陣払いの支度をするように命ずるのだった。
 権兵衛も陣に戻り、皆に指示をする。一応勝った、との事なので家臣達は勝鬨を上げるのだった。

 夜、秀吉の屋敷にも鬨の声が聞こえた。秀吉は一緒にいる竜子に聞く。皆、何に喜んでいるのか、と。唐入りが成功裏に終わりそうな事なのか、唐入りに行かずに済んだ事なのか。
 秀吉は竜子に縋る。自分は万民が為に唐入りをしたのだと。そして実が得られたら自分の行動が正しかったとわかる、と。
 秀吉は、寧々は出家従っているし、茶々は政をまだ知らない、と言って竜子だけだと言う。それを聞き、竜子は今秀吉を絞め殺せば万民を救えるのか、それとも乱世に逆戻りするのか、考える。
 肌を重ねつつ思う。猿楽だと。この子猿の采一つで、日ノ本、明、南蛮までも振り回される、と。

 八月九日、に茶々の出産の報せが入る。
 すると、渡海勢の凱旋も待たずに早々と、大坂に帰ってしまったのだ。
 権兵衛達も同じく帰る事になった。当然、家臣達からは驚きの声が出る。
 権兵衛は色々思う事はあるだろうが、一兵も死なずに逃散しなかった事を誉める。そして、名護屋の都で学んだ事を小諸で生かし、城下を作るのが自分達の務めだと言う。
 一年余りの名護屋での在陣は終わった。

 八月二十五日に秀吉は大坂に帰着し、産まれた赤子に対面する。
 その無垢さに秀吉は感動する。この子さえいれば何人に憎まれても孤独ではない、そう思った。
 秀吉は、後始末をしっかりとつけたか、と聞く。そして肯定の言葉が返るとならば良いと言う。

 そして、大坂に秀吉が戻った事を暗い顔で聞いた男がいた。そう秀次である。

 
 秀次さんが闇落ちしそうですね。
 とまれ、今までセンゴクを考えると乱心はしない、と思いますが。
 徹底的に二人はすれ違うのかな?とにかく、豊臣政権もいよいよ終わりが始まりましたね。鉄甲船が沈むのと同時に秀頼が誕生って凄い皮肉と言うか、潰れますぞって感じがして少し物悲しいですね。それこそ、権兵衛の言う通り寂しいですね。

 唐入りは一時中断だけど、次の嵐はもう吹き始めています。
 果たして秀吉はどうするのか、そして権兵衛は?次回も楽しみです。