2020年5月10日日曜日

北条最後の日

 センゴク権兵衛、172話の感想。

 遂に、秀吉の天下一統は成った。
 そんな中、フロイスら宣教師は勝利を称えつつも、陰で魔王ルシフェルと例えていた。

 その様な話が、権兵衛の耳にも入る。とは言え「るしへる」が何を指すのかは分からなかった。他にも噂がある、秀吉の勝利は嘘、であると。まだまだ、人々は天下一統を信じられなかったのである。
 権兵衛達、仙石家は作事に勤しんでいた。ちなみに、共に戦った牢人衆も一緒であった。台所事情を知る川坊は不満であった。しかし権兵衛は東西津々浦々から集まっていて、色んな知恵を持っている、と言う。これからの天下静謐の世で、作事で食っていく。そう権兵衛は宣言する。権兵衛の目には秀吉の創る世が輝いて見えたのだ。

 七月十日、氏直は家康の陣に赴いた。
 新たな関東の支配者に吾妻鏡を託した。それはほぼ完本であり、家康を驚かせる。
 氏直は言う。天下万民を治める手立てになる、と。盤石な豊臣政権でも、銭の病で瓦解するかもしれない。氏直は家康に、その時この書より学びて豊臣を支えて頂きたい、と託す。それは、禄寿応穏の考えであり、日ノ本の民を守って欲しいと言う願いであった。
 氏直の高潔な志。家康は北条討伐を買って出た己の無知と愚かさを思い知る。そしてこの苦衷を己が胸に秘めるのである。
 氏直は続けて言う。国はいずれ滅び、また新たな国が出来る。その度に国の風呂敷を畳まねばならぬ王が出る。氏直の人間をかけた大名職は、その折りに流れる血を最も少なくする事であった。何も悔いはなかった。
 そして最後に一つ願いを言う。民に交じって北条最後の日を見たい、と。

 翌十一日、氏政が自刃した。齢五十三。
 辞世の句は「ふきとふく 風なうらみそ 花の春 もみぢの残る 秋あらばこそ」

 更に翌十二日。
 氏直は北条最後の虎印判の起請文を飲んだ。
 坊主に扮して城下を歩く氏直。そこでは北条の旗を焼こうとしていた人々がいた。氏直は呼び止められ、経を読んでほしいと頼まれる。
 氏直は燃やすより、衣の生地に使うのが良いと提案する。すると皆それに賛成した。そりこそ供養になる、と。
 喜ぶ人々、曰く誰が殿様になろうと小田原者は北条の民、との事だ。

 更に城へと行こうとする。しかし子供たちに止められてしまう。曰く、法度で民衆は入れないとの事だ。
 氏直は訊ねる。城のてっぺんに登って小田原の城下を見下ろしたくないか、と。
 本当にいいのかと聞く子供たち。それに対して、一生に一度ぐらいは法度を破っても構わないと答えた。
 子供たちは城へ行く氏直の後を追うのであった。

 北条氏綱の五箇条の御書置の第一条にこうある。
 大将によらず 諸将までも義を専らに守るべし 天運尽き果て滅亡を致すとも 義理にt違えまじきと心得なば 末世に後ろ指ささるる恥辱はあるまじく候 義を守りての滅亡と義を拾っての栄華とは天地格別にて候、と。

 これにて、小田原合戦編終了なり。


 遂に小田原合戦編終了です。とは言え次回から新シリーズだそうです。
 まだ、権兵衛が大名に復帰出来てないので、その辺りなのかな。そうなると小諸城に入城するのが最終回なのかな?

 そんな中でも、氏直の思いやそれを継ぐ家康。また秀吉に対するフロイス評とか、豊臣政権が必ずしも前途洋々ではない描写が入ってきます。権兵衛は安心しているみたいだけど。
 今後センゴクシリーズがどう展開されるか楽しみですね。
 関ケ原編やって欲しいけどね。そういえば関ケ原と言えば、一次資料から追うと、家康対三成ではなくなるんですってね。むしろ輝元が暗躍してたり、三成蟄居後の石田家は親家康だったり、清正も一時反家康になってたり。その辺りを元にした作品を見てみたいですね。誰も知らない関ケ原の物語が出来そうですよね。
 それでは、次回のセンゴクも楽しみにしています。

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