2020年5月24日日曜日

新たなる争いの始まり

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 さて、美濃に戻った権兵衛たち。今後どうするか、評定をしていた。
 既に残すは奥州の仕置きのみ、合戦無き世の稼ぎをどうするのかが重要であった。
 相も変わらず、権兵衛は惚けた事を言ってばかり。だが、流れとしては作事で稼ぐ、と言う事であった。無用ノ介は海賊停止令から、豊臣政権が海外との貿易をしようと考えていると看破する。そして、船の作事こそが仙石家の生きる道と説く。かつては海賊大名と呼ばれ、九鬼氏などにも伝手があるのだから、と。
 周囲の者は感心するが、権兵衛は全く理解してない模様。だが、船を作る事には食いついた。船作りを宣言するのだった。
 が、そんな中、秀吉からの書状が届いた。なんでも、信州の小諸を与える、との事であった。

 信州小諸五万石。豊臣の奉行衆には寝耳に水であった。
 小諸は春頃の浅間山噴火で疲弊してた。その上、前城代の依田が在地の雄として慕われたいた。権兵衛の他に堀尾や中村に任せようとしたが、二人は難色を示した。
 だから秀吉は、面の皮の厚い権兵衛に決めたと言う。
 更に、理由はある。今後の惣無事の方針は人掃い。所在明らかにない者を村や郡の中に抱え込む事だ。果たして権兵衛が大人しく村の中に納まるか。秀吉は奉行衆に千人切りでもしかねん、と言ったのはお主らと問う。
 奉行の一人は討伐と言う道もあるのでは、と問う。秀吉は言う、権兵衛は兵五百は集めよう、それならば討伐軍は兵一万だ。そして奉行衆に訊ねる、一万で討伐能うものはいるか、と。奉行衆が答えに窮すると、兵力を上げ、三万ならどうだ、と再び訊ねる。奉行衆は、ぐうの音も出ないと言うしかなかった。
 兵数万でも権兵衛と戦うのは骨が折れる。ならば大名として抱えるのが安上がりだ、そう秀吉は結論づけた。当然、反対する者はいなかった。
 そんな中、秀吉に報告がもたらされる。それを聞くと秀吉は、粛清の世にならざるを得んか、と言う。
 織田信雄が三河遠江への国替えを拒んでいたのだ。

 武による闘争は幕を閉じ、政権内での権力闘争の時代が幕を開けようとしていた。


 秀吉は小田原城で奥州仕置きの準備を始めていた。
 そんな中で信雄の転封問題について周囲の評価が富田からもたらされた。
 密室で二人になり、報告を聞く。どうやら周りには信雄の乱心に見えているのだと言う。秀吉は問う、減封、改易、切腹、どこまでやれる、と。富田はなんとか改易に持っていくと、たどたどしく答えた。
 これを聞き、信雄の改易を決定。そして、織田家当主は秀信とした。

 秀吉は危惧していた。意外と信雄が有能だったのだ。特に取次として何度も実績を作っている。
 取次を通して大名との結束が強まれば、信雄を頭にした反発が起きかねない。
 秀吉はこのままでは鶴松に政権委譲できない、そう考えていた。

 権兵衛は小諸拝領の礼をサジに頼もうとした。しかし、出発直前に中止し自分で行くと言い出した。権兵衛は寺僧から小諸は一郡であり、大名復帰である事を知ったからである。
 そして、権兵衛はどうせ復帰であるなら、讃岐にしてほしい、そう願う為に自ら行くことにしたのだ。
 それは讃岐衆に報いたい、その心からであった。
 権兵衛は大勝して秀吉がご機嫌良く、願いを簡単に聞いてくれる。そう楽観していた。
 だが、それも道中ですれ違った首桶で吹っ飛んでしまった。

 首桶は味方のもの、粛清されたのである。名前は尾藤、であった。

 秀吉の籠の前に出てきたのは、僧体の尾藤だった。赦して欲しかったのだろう。
 秀吉は叱責する。赦免してほしければ、軍の先手に加わり陰の奉公すべし。落城後の斯様な仕方は言語道断で悪き次第、と。
 だが、秀吉は赦そうとした。したのだが、その前に尾藤は泣いて追い縋って来た。長きを共にした、同情心に訴えようとした。
 そして、斬ってしまったのだ。秀吉は内心半兵衛に許しを請うのであった。

 権兵衛は困惑するしかなかった。

 
 権兵衛の大名復帰は割とあっさり、ですね。ただ、この後秀吉に会うのか、讃岐の事を言うのか、次週が楽しみですね。
 あと、依田の名前がさらっと出てきましたね。依田さんはいろいろ活躍の多い人ですから、もっとスポットライトが当たって欲しいです。若くして亡くなったのがおしいですね。

 そして尾藤。いろいろと悲しいです。秀吉も許そうとはしてた見たいですけど…権兵衛と違って、自身を顧みる機会がなかったんでしょうか。

 それにしても、豊臣政権は脆弱ですね。これは結局最後までそうでしたね。もしかしたら、これが秀吉の限界なのかもしれません。才能があるからこそ、盤石な体制を作れなかった、みたいな。

 新章は、権力闘争がメインになるのでしょうか。一体どこまで描かれるのか、楽しみです。

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