2018年5月27日日曜日

船と南蛮と

 今週のセンゴク権兵衛の感想。


 九州で行われる長期の茶会。その中で商人や黒田官兵衛らと対明貿易について語りあう。
 
 江南より中華統一をした明。その経済の中心地が寧波である。
 しかも、明では銀が主要通貨になっていた。丁度、石見銀山の経営を毛利と共同で当たることになったばかりである
 その銀で生糸を買い、儲ける。その際の明側の貿易港が寧波だ。しかし問題があった。
 それは、距離であり、海を渡らねばならぬ、と言うことだ。
 春と秋の季節風の時期しか渡れない上に、難破する事もあり得る。日本の船、和船では定期的で安定的な航路になりにくいのである。
 朝鮮経由の道もある。だが、朝鮮がこれに乗る気では無いのである。当時、生糸を通貨にしてた朝鮮はこれが増える事による経済混乱を憂いていた。そして儒教の教えに反するのではとも。さらには明から銀の朝貢を増やせと圧力がかかる懸念、などなど。
 とにかく、朝鮮経由は難しかった。

 では、解決策は、と言うと。
 一つは、卓越した航海技術を持つ倭寇を取り込む事。
 そしてもう一つは船の改良である。
 高速で安定性があり、遠浅でも航行出来る船。そう、南蛮船のような船である。
 
 まさに渡りに船であった。その時秀吉は大型の南蛮船を買おうとしていたのだ。
 それを元に、多数の大型船を建造する、そう秀吉は明言する。
 多数の大型船による明との貿易。もし明が拒絶するなら戦も辞さない、と秀吉は言うのであった。

 
 だが、予定は狂ってしまった。急遽、南蛮が大型船は無理だと言い始めたのだ。
 曰く、博多の海は大型船が入れないくらい海底が浅いと。
 その知らせに秀吉は他の候補地の長崎は平戸は、と問う。すると長崎はすでにバテレンの領地になっていると。

 再びの茶会。そこで南蛮からの船の購入を諦め、独自の工夫で海を渡れる船を作ると秀吉は言う。そして、博多の海の水深を測定する事を決める。
 慌てる博多の商人に秀吉は、貿易港変更もあり得ると告げた。

 そんな中、秀吉はバテレン追放令を発するのであった。



 まるっと秀吉回でした。
 いろいろな理由が語れれるバテレン追放令。センゴクでは教皇領を問題に出してきましたか。これも定説外しかな?貿易問題に絡めつつって感じでしたね。

 そういえば、日本の船は竜骨が無いんですよね。その為、西洋の船みたいに外洋を渡れないとか。鉄砲みたいに広まった技術もあるのに、船に関してはあんまり取り入れられてないんだよね。なんでだろう。その後の幕府の規制があったにせよ。

 まぁ、兎にも角にも、為になる回でした。

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