2018年3月18日日曜日

聖地へ

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 高野山にやって来た権兵衛。しかし、大門がある所には柱しかなかった。

 当時の高野山は続く乱世と、権力者信長秀吉に睨まれた為に荒れていたのだ。

 様々な人々が、素性を隠して集まる聖地。何とも混沌とした場所である。
 そんな中に南朝のご落胤と言っている者がいた。その声に権兵衛は聞き覚えがあった。
 嘗て、仙石家に仕え逐電した堀田右馬であった。
 堀田は逐電した事を咎められると思い、白を切る。しかし、権兵衛が気にしてない事が解った為、認め、高野山を案内する。

 荒れているとは言え、奥の院はそんな事無く、聖域を保っている。堀田が解説しつつ、橋を二つ超える。そして最後の橋の前に立つ。曰く、これを超えると現世のしがらみが解ける。しかし、しがらみが大きいと進めなく、代わりに川に入って渡る事によって開放されるのだ。
 だが権兵衛は進まない。彼は業を背負って生きていきたいからである。


 一方、秀吉の元には博多の商人が来ていた。遂に秀吉の九州入りが決定したのである。そして、九州平定後は博多を貿易拠点とする計画であった。

 茶々より平手打ちで気合を貰い出陣する。


 宿坊、増福院に向かう権兵衛と堀田。堀田は嘗ての権兵衛が怖いと言う。だが権兵衛には心当たりが無い。続けて堀田はガツガツした所が怖いと言う。そして今はそんな事は無いと。

 宿坊に着き、堀田と別れる。そして宿坊には権兵衛を非難する落書があった。
 怒りに耐える権兵衛。その手には妻の髪。藤が自分も業を半分背負う、そう言って渡した者だった。

 それから数日。家臣だった、佃と草川が訪ねて来た。
 なんでも、やはり仙石家に仕えたいと思い、やって来たのだと言う。
 そして、讃岐で斎藤に会いある物を手渡された。それを権兵衛に渡す為でもあった。それは田宮四郎の遺髪であった。


 斎藤は今や殆ど商人であり、商機を嗅ぎ取り北九州へと向かうのだが。その九州ではいよいよ豊臣の大軍が上陸する。数多きらめく将の数々。その大軍を前に島津は退却をしなければならなくなった。



 そういえば、最新刊では色々と書き下ろされていましたね。四郎や十河の最期とか。大友さんの出番は無かったけど。

 さて、先週今週は、まさかの右馬の再登場でしたね。本願寺から此処に流れていたんですね。まぁ、仲直り?出来たしよかったのかな。
 この後、どう権兵衛が立ち直るか楽しみです。
 そして、ここからは九州征伐が中心になるのかな?そこも楽しみです。

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