センゴク権兵衛、175話の感想。
尾藤の首桶を見て、サジは讃岐への復帰を諦め、帰るよう権兵衛に言う。
しかし、権兵衛は一人で行く。そしてサジに迷惑をかけない為に一旦縁を切ると言った。
権兵衛は秀吉に一言、言いたかったのだ。
神子田も尾藤も半兵衛のお気に入りであった。秀吉が変な道を歩もうとしている。だから止めなくては成らない。それが秀吉に対する恩返しである。
だから、首が飛んでも行くしかない、のだ。
その覚悟を聞き、サジはお供する、と申し出るのであった。
信雄に改易の指示がもたらされる。当然、信雄は反発する。信雄にとって三河遠江への移封の固辞は加増を遠慮した、謙りの意思であった。
信雄は徳川と共に合戦も有り得る、そう脅す。しかし、使者の富田は合戦の世は終わった、と断言する。そして、手紙なら小姫への慰めの手紙が先、と言う。
信雄からの人質である小姫、家康からの人質である長丸。二人は婚約していた。しかし秀吉はこれを破棄した。それは家康も了承済みであった。
さらに言えば、家康の口添えで信雄の切腹が取り消され、改易に減刑された。そう富田は申した。
信雄は言う。意味はわかっているのか、と。
信長が如き所業を繰り返せば、豊臣は滅ぶ、と。
家康は思う、寧ろ滅亡の芽を摘むために追いやられたのだ、と。
既に、豊臣政権内での生存闘争が始まっているのだ。
七月下旬、権兵衛は豊臣家が陣を張る星の谷までやって来た。
権兵衛はお伽衆の桑原や木下らに出迎えられる。小諸拝領のお礼と考えられたのだ。そして忠告される。物申さず、遠慮や謙りもしないように、と。
怪訝な顔になる権兵衛に古田が言う。信雄が加増を拒否し改易になったと。
権兵衛は言う。讃岐が欲しいと言ったら不味いか、と。当然、お伽衆は唖然とするのであった。
と、言うわけで最終章の始まりですね。桃山波濤偏ですって。
権力闘争が中心みたいですが、どこまで書くのかな?それこそ、秀吉の死亡まで書けるけど。鶴松の死去、秀頼の誕生、秀次の切腹までは書くかな?その辺で政権が固まるし。
そして、信雄の移封拒否。まさか加増の辞退でもあったとは知らなかった。それだと、バカ殿ではなくなるね。まぁ、センゴクの信雄も無能風ではあるけど。
なかなか、再評価されない信雄もそのうちされるのかな?
あと、奉行衆だとおもっていたけどお伽衆だったの!?すっかり勘違いしてました。
それと古田さん、名前が判明しましたね。予想通りでしたけど。へうげもののイメージ強いけど、センゴクの織部も癖が強いですね。
さて、権兵衛は秀吉に対してどうするのか。次回も楽しみですね。
2020年5月24日日曜日
新たなる争いの始まり
先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。
さて、美濃に戻った権兵衛たち。今後どうするか、評定をしていた。
既に残すは奥州の仕置きのみ、合戦無き世の稼ぎをどうするのかが重要であった。
相も変わらず、権兵衛は惚けた事を言ってばかり。だが、流れとしては作事で稼ぐ、と言う事であった。無用ノ介は海賊停止令から、豊臣政権が海外との貿易をしようと考えていると看破する。そして、船の作事こそが仙石家の生きる道と説く。かつては海賊大名と呼ばれ、九鬼氏などにも伝手があるのだから、と。
周囲の者は感心するが、権兵衛は全く理解してない模様。だが、船を作る事には食いついた。船作りを宣言するのだった。
が、そんな中、秀吉からの書状が届いた。なんでも、信州の小諸を与える、との事であった。
信州小諸五万石。豊臣の奉行衆には寝耳に水であった。
小諸は春頃の浅間山噴火で疲弊してた。その上、前城代の依田が在地の雄として慕われたいた。権兵衛の他に堀尾や中村に任せようとしたが、二人は難色を示した。
だから秀吉は、面の皮の厚い権兵衛に決めたと言う。
更に、理由はある。今後の惣無事の方針は人掃い。所在明らかにない者を村や郡の中に抱え込む事だ。果たして権兵衛が大人しく村の中に納まるか。秀吉は奉行衆に千人切りでもしかねん、と言ったのはお主らと問う。
奉行の一人は討伐と言う道もあるのでは、と問う。秀吉は言う、権兵衛は兵五百は集めよう、それならば討伐軍は兵一万だ。そして奉行衆に訊ねる、一万で討伐能うものはいるか、と。奉行衆が答えに窮すると、兵力を上げ、三万ならどうだ、と再び訊ねる。奉行衆は、ぐうの音も出ないと言うしかなかった。
兵数万でも権兵衛と戦うのは骨が折れる。ならば大名として抱えるのが安上がりだ、そう秀吉は結論づけた。当然、反対する者はいなかった。
そんな中、秀吉に報告がもたらされる。それを聞くと秀吉は、粛清の世にならざるを得んか、と言う。
織田信雄が三河遠江への国替えを拒んでいたのだ。
武による闘争は幕を閉じ、政権内での権力闘争の時代が幕を開けようとしていた。
秀吉は小田原城で奥州仕置きの準備を始めていた。
そんな中で信雄の転封問題について周囲の評価が富田からもたらされた。
密室で二人になり、報告を聞く。どうやら周りには信雄の乱心に見えているのだと言う。秀吉は問う、減封、改易、切腹、どこまでやれる、と。富田はなんとか改易に持っていくと、たどたどしく答えた。
これを聞き、信雄の改易を決定。そして、織田家当主は秀信とした。
秀吉は危惧していた。意外と信雄が有能だったのだ。特に取次として何度も実績を作っている。
取次を通して大名との結束が強まれば、信雄を頭にした反発が起きかねない。
秀吉はこのままでは鶴松に政権委譲できない、そう考えていた。
権兵衛は小諸拝領の礼をサジに頼もうとした。しかし、出発直前に中止し自分で行くと言い出した。権兵衛は寺僧から小諸は一郡であり、大名復帰である事を知ったからである。
そして、権兵衛はどうせ復帰であるなら、讃岐にしてほしい、そう願う為に自ら行くことにしたのだ。
それは讃岐衆に報いたい、その心からであった。
権兵衛は大勝して秀吉がご機嫌良く、願いを簡単に聞いてくれる。そう楽観していた。
だが、それも道中ですれ違った首桶で吹っ飛んでしまった。
首桶は味方のもの、粛清されたのである。名前は尾藤、であった。
秀吉の籠の前に出てきたのは、僧体の尾藤だった。赦して欲しかったのだろう。
秀吉は叱責する。赦免してほしければ、軍の先手に加わり陰の奉公すべし。落城後の斯様な仕方は言語道断で悪き次第、と。
だが、秀吉は赦そうとした。したのだが、その前に尾藤は泣いて追い縋って来た。長きを共にした、同情心に訴えようとした。
そして、斬ってしまったのだ。秀吉は内心半兵衛に許しを請うのであった。
権兵衛は困惑するしかなかった。
権兵衛の大名復帰は割とあっさり、ですね。ただ、この後秀吉に会うのか、讃岐の事を言うのか、次週が楽しみですね。
あと、依田の名前がさらっと出てきましたね。依田さんはいろいろ活躍の多い人ですから、もっとスポットライトが当たって欲しいです。若くして亡くなったのがおしいですね。
そして尾藤。いろいろと悲しいです。秀吉も許そうとはしてた見たいですけど…権兵衛と違って、自身を顧みる機会がなかったんでしょうか。
それにしても、豊臣政権は脆弱ですね。これは結局最後までそうでしたね。もしかしたら、これが秀吉の限界なのかもしれません。才能があるからこそ、盤石な体制を作れなかった、みたいな。
新章は、権力闘争がメインになるのでしょうか。一体どこまで描かれるのか、楽しみです。
さて、美濃に戻った権兵衛たち。今後どうするか、評定をしていた。
既に残すは奥州の仕置きのみ、合戦無き世の稼ぎをどうするのかが重要であった。
相も変わらず、権兵衛は惚けた事を言ってばかり。だが、流れとしては作事で稼ぐ、と言う事であった。無用ノ介は海賊停止令から、豊臣政権が海外との貿易をしようと考えていると看破する。そして、船の作事こそが仙石家の生きる道と説く。かつては海賊大名と呼ばれ、九鬼氏などにも伝手があるのだから、と。
周囲の者は感心するが、権兵衛は全く理解してない模様。だが、船を作る事には食いついた。船作りを宣言するのだった。
が、そんな中、秀吉からの書状が届いた。なんでも、信州の小諸を与える、との事であった。
信州小諸五万石。豊臣の奉行衆には寝耳に水であった。
小諸は春頃の浅間山噴火で疲弊してた。その上、前城代の依田が在地の雄として慕われたいた。権兵衛の他に堀尾や中村に任せようとしたが、二人は難色を示した。
だから秀吉は、面の皮の厚い権兵衛に決めたと言う。
更に、理由はある。今後の惣無事の方針は人掃い。所在明らかにない者を村や郡の中に抱え込む事だ。果たして権兵衛が大人しく村の中に納まるか。秀吉は奉行衆に千人切りでもしかねん、と言ったのはお主らと問う。
奉行の一人は討伐と言う道もあるのでは、と問う。秀吉は言う、権兵衛は兵五百は集めよう、それならば討伐軍は兵一万だ。そして奉行衆に訊ねる、一万で討伐能うものはいるか、と。奉行衆が答えに窮すると、兵力を上げ、三万ならどうだ、と再び訊ねる。奉行衆は、ぐうの音も出ないと言うしかなかった。
兵数万でも権兵衛と戦うのは骨が折れる。ならば大名として抱えるのが安上がりだ、そう秀吉は結論づけた。当然、反対する者はいなかった。
そんな中、秀吉に報告がもたらされる。それを聞くと秀吉は、粛清の世にならざるを得んか、と言う。
織田信雄が三河遠江への国替えを拒んでいたのだ。
武による闘争は幕を閉じ、政権内での権力闘争の時代が幕を開けようとしていた。
秀吉は小田原城で奥州仕置きの準備を始めていた。
そんな中で信雄の転封問題について周囲の評価が富田からもたらされた。
密室で二人になり、報告を聞く。どうやら周りには信雄の乱心に見えているのだと言う。秀吉は問う、減封、改易、切腹、どこまでやれる、と。富田はなんとか改易に持っていくと、たどたどしく答えた。
これを聞き、信雄の改易を決定。そして、織田家当主は秀信とした。
秀吉は危惧していた。意外と信雄が有能だったのだ。特に取次として何度も実績を作っている。
取次を通して大名との結束が強まれば、信雄を頭にした反発が起きかねない。
秀吉はこのままでは鶴松に政権委譲できない、そう考えていた。
権兵衛は小諸拝領の礼をサジに頼もうとした。しかし、出発直前に中止し自分で行くと言い出した。権兵衛は寺僧から小諸は一郡であり、大名復帰である事を知ったからである。
そして、権兵衛はどうせ復帰であるなら、讃岐にしてほしい、そう願う為に自ら行くことにしたのだ。
それは讃岐衆に報いたい、その心からであった。
権兵衛は大勝して秀吉がご機嫌良く、願いを簡単に聞いてくれる。そう楽観していた。
だが、それも道中ですれ違った首桶で吹っ飛んでしまった。
首桶は味方のもの、粛清されたのである。名前は尾藤、であった。
秀吉の籠の前に出てきたのは、僧体の尾藤だった。赦して欲しかったのだろう。
秀吉は叱責する。赦免してほしければ、軍の先手に加わり陰の奉公すべし。落城後の斯様な仕方は言語道断で悪き次第、と。
だが、秀吉は赦そうとした。したのだが、その前に尾藤は泣いて追い縋って来た。長きを共にした、同情心に訴えようとした。
そして、斬ってしまったのだ。秀吉は内心半兵衛に許しを請うのであった。
権兵衛は困惑するしかなかった。
権兵衛の大名復帰は割とあっさり、ですね。ただ、この後秀吉に会うのか、讃岐の事を言うのか、次週が楽しみですね。
あと、依田の名前がさらっと出てきましたね。依田さんはいろいろ活躍の多い人ですから、もっとスポットライトが当たって欲しいです。若くして亡くなったのがおしいですね。
そして尾藤。いろいろと悲しいです。秀吉も許そうとはしてた見たいですけど…権兵衛と違って、自身を顧みる機会がなかったんでしょうか。
それにしても、豊臣政権は脆弱ですね。これは結局最後までそうでしたね。もしかしたら、これが秀吉の限界なのかもしれません。才能があるからこそ、盤石な体制を作れなかった、みたいな。
新章は、権力闘争がメインになるのでしょうか。一体どこまで描かれるのか、楽しみです。
2020年5月10日日曜日
北条最後の日
センゴク権兵衛、172話の感想。
遂に、秀吉の天下一統は成った。
そんな中、フロイスら宣教師は勝利を称えつつも、陰で魔王ルシフェルと例えていた。
その様な話が、権兵衛の耳にも入る。とは言え「るしへる」が何を指すのかは分からなかった。他にも噂がある、秀吉の勝利は嘘、であると。まだまだ、人々は天下一統を信じられなかったのである。
権兵衛達、仙石家は作事に勤しんでいた。ちなみに、共に戦った牢人衆も一緒であった。台所事情を知る川坊は不満であった。しかし権兵衛は東西津々浦々から集まっていて、色んな知恵を持っている、と言う。これからの天下静謐の世で、作事で食っていく。そう権兵衛は宣言する。権兵衛の目には秀吉の創る世が輝いて見えたのだ。
七月十日、氏直は家康の陣に赴いた。
新たな関東の支配者に吾妻鏡を託した。それはほぼ完本であり、家康を驚かせる。
氏直は言う。天下万民を治める手立てになる、と。盤石な豊臣政権でも、銭の病で瓦解するかもしれない。氏直は家康に、その時この書より学びて豊臣を支えて頂きたい、と託す。それは、禄寿応穏の考えであり、日ノ本の民を守って欲しいと言う願いであった。
氏直の高潔な志。家康は北条討伐を買って出た己の無知と愚かさを思い知る。そしてこの苦衷を己が胸に秘めるのである。
氏直は続けて言う。国はいずれ滅び、また新たな国が出来る。その度に国の風呂敷を畳まねばならぬ王が出る。氏直の人間をかけた大名職は、その折りに流れる血を最も少なくする事であった。何も悔いはなかった。
そして最後に一つ願いを言う。民に交じって北条最後の日を見たい、と。
翌十一日、氏政が自刃した。齢五十三。
辞世の句は「ふきとふく 風なうらみそ 花の春 もみぢの残る 秋あらばこそ」
更に翌十二日。
氏直は北条最後の虎印判の起請文を飲んだ。
坊主に扮して城下を歩く氏直。そこでは北条の旗を焼こうとしていた人々がいた。氏直は呼び止められ、経を読んでほしいと頼まれる。
氏直は燃やすより、衣の生地に使うのが良いと提案する。すると皆それに賛成した。そりこそ供養になる、と。
喜ぶ人々、曰く誰が殿様になろうと小田原者は北条の民、との事だ。
更に城へと行こうとする。しかし子供たちに止められてしまう。曰く、法度で民衆は入れないとの事だ。
氏直は訊ねる。城のてっぺんに登って小田原の城下を見下ろしたくないか、と。
本当にいいのかと聞く子供たち。それに対して、一生に一度ぐらいは法度を破っても構わないと答えた。
子供たちは城へ行く氏直の後を追うのであった。
北条氏綱の五箇条の御書置の第一条にこうある。
大将によらず 諸将までも義を専らに守るべし 天運尽き果て滅亡を致すとも 義理にt違えまじきと心得なば 末世に後ろ指ささるる恥辱はあるまじく候 義を守りての滅亡と義を拾っての栄華とは天地格別にて候、と。
これにて、小田原合戦編終了なり。
遂に小田原合戦編終了です。とは言え次回から新シリーズだそうです。
まだ、権兵衛が大名に復帰出来てないので、その辺りなのかな。そうなると小諸城に入城するのが最終回なのかな?
そんな中でも、氏直の思いやそれを継ぐ家康。また秀吉に対するフロイス評とか、豊臣政権が必ずしも前途洋々ではない描写が入ってきます。権兵衛は安心しているみたいだけど。
今後センゴクシリーズがどう展開されるか楽しみですね。
関ケ原編やって欲しいけどね。そういえば関ケ原と言えば、一次資料から追うと、家康対三成ではなくなるんですってね。むしろ輝元が暗躍してたり、三成蟄居後の石田家は親家康だったり、清正も一時反家康になってたり。その辺りを元にした作品を見てみたいですね。誰も知らない関ケ原の物語が出来そうですよね。
それでは、次回のセンゴクも楽しみにしています。
遂に、秀吉の天下一統は成った。
そんな中、フロイスら宣教師は勝利を称えつつも、陰で魔王ルシフェルと例えていた。
その様な話が、権兵衛の耳にも入る。とは言え「るしへる」が何を指すのかは分からなかった。他にも噂がある、秀吉の勝利は嘘、であると。まだまだ、人々は天下一統を信じられなかったのである。
権兵衛達、仙石家は作事に勤しんでいた。ちなみに、共に戦った牢人衆も一緒であった。台所事情を知る川坊は不満であった。しかし権兵衛は東西津々浦々から集まっていて、色んな知恵を持っている、と言う。これからの天下静謐の世で、作事で食っていく。そう権兵衛は宣言する。権兵衛の目には秀吉の創る世が輝いて見えたのだ。
七月十日、氏直は家康の陣に赴いた。
新たな関東の支配者に吾妻鏡を託した。それはほぼ完本であり、家康を驚かせる。
氏直は言う。天下万民を治める手立てになる、と。盤石な豊臣政権でも、銭の病で瓦解するかもしれない。氏直は家康に、その時この書より学びて豊臣を支えて頂きたい、と託す。それは、禄寿応穏の考えであり、日ノ本の民を守って欲しいと言う願いであった。
氏直の高潔な志。家康は北条討伐を買って出た己の無知と愚かさを思い知る。そしてこの苦衷を己が胸に秘めるのである。
氏直は続けて言う。国はいずれ滅び、また新たな国が出来る。その度に国の風呂敷を畳まねばならぬ王が出る。氏直の人間をかけた大名職は、その折りに流れる血を最も少なくする事であった。何も悔いはなかった。
そして最後に一つ願いを言う。民に交じって北条最後の日を見たい、と。
翌十一日、氏政が自刃した。齢五十三。
辞世の句は「ふきとふく 風なうらみそ 花の春 もみぢの残る 秋あらばこそ」
更に翌十二日。
氏直は北条最後の虎印判の起請文を飲んだ。
坊主に扮して城下を歩く氏直。そこでは北条の旗を焼こうとしていた人々がいた。氏直は呼び止められ、経を読んでほしいと頼まれる。
氏直は燃やすより、衣の生地に使うのが良いと提案する。すると皆それに賛成した。そりこそ供養になる、と。
喜ぶ人々、曰く誰が殿様になろうと小田原者は北条の民、との事だ。
更に城へと行こうとする。しかし子供たちに止められてしまう。曰く、法度で民衆は入れないとの事だ。
氏直は訊ねる。城のてっぺんに登って小田原の城下を見下ろしたくないか、と。
本当にいいのかと聞く子供たち。それに対して、一生に一度ぐらいは法度を破っても構わないと答えた。
子供たちは城へ行く氏直の後を追うのであった。
北条氏綱の五箇条の御書置の第一条にこうある。
大将によらず 諸将までも義を専らに守るべし 天運尽き果て滅亡を致すとも 義理にt違えまじきと心得なば 末世に後ろ指ささるる恥辱はあるまじく候 義を守りての滅亡と義を拾っての栄華とは天地格別にて候、と。
これにて、小田原合戦編終了なり。
遂に小田原合戦編終了です。とは言え次回から新シリーズだそうです。
まだ、権兵衛が大名に復帰出来てないので、その辺りなのかな。そうなると小諸城に入城するのが最終回なのかな?
そんな中でも、氏直の思いやそれを継ぐ家康。また秀吉に対するフロイス評とか、豊臣政権が必ずしも前途洋々ではない描写が入ってきます。権兵衛は安心しているみたいだけど。
今後センゴクシリーズがどう展開されるか楽しみですね。
関ケ原編やって欲しいけどね。そういえば関ケ原と言えば、一次資料から追うと、家康対三成ではなくなるんですってね。むしろ輝元が暗躍してたり、三成蟄居後の石田家は親家康だったり、清正も一時反家康になってたり。その辺りを元にした作品を見てみたいですね。誰も知らない関ケ原の物語が出来そうですよね。
それでは、次回のセンゴクも楽しみにしています。
2020年4月26日日曜日
仕置きと沙汰
センゴク権兵衛、170話171話の感想。
北条家の降伏は目前であった。しかし、秀吉はさらにその先をみていた。
利休の新作の花入れ、それを秀吉は傑作と評価した。ヒネリが利いている、と言い、その訳を竹で出来ているから仕入れ値はタダあり、それを城を売ってでも入手したい者がいると言う。
しかし、茶々はこれが利休が選びに選んだ物であると言う。茶々は美に関してはまだまだ知らぬ事が多く、勉強中であった。しかし、良さを見出そうと花入れをまじまじと見る。
そんな彼女を何故か乳母の大蔵卿は止めようと別の話題を振る。
茶々は反発し、美が分かると言い。花入れをそして挿してある花を誉める。それは唐の珍品、サルスベリ、であった。
秀吉は笑う。だからこそのヒネリであった。
それは信長の様に高転びしないよう諫言している。そう秀吉は受け取った。
しかし、秀吉が見るのはその先。天下一統は夢の始まりであった。
秀吉は利休の花入れを庭に投げ捨てる、その顔は笑っていた。
家康は官兵衛に相談していた。信雄が開城交渉を急いている、と。
このままでは、秀吉の怒りを被る。家康は最後の詰めは秀吉の使者の官兵衛が相応しいと考えていた。
しかし、困難は北条の一族家臣郎党、民衆をいかに殺さぬよう処すべきかであった。すでに秀吉は、下々まで干し殺しにすべし、との法度を出しているのだから。
結果、越度も見込んだ法度。秀吉の一存次第とした。
当然、氏直は承服できない。これでは、日ノ本は秀吉の心次第でどうなるか分からない。そう官兵衛に問い詰める。
しかし、官兵衛には返す言葉がなかった。これ以外に北条の者達を救う手立てはなかった。だから官兵衛は氏直に頭を下げた。
氏直は、承知した。官兵衛のやるせなさを知ったからだ。
七月五日、遂に氏直は出頭した。
その姿はみすぼらしかった。それは民衆の北条への忠誠心を瓦解させる為でもあった。
氏直の予想通り、民衆は情けなく思い、失望し、避難する。更に石を投げる者もいた。
黒ずくめの衆は石を投げた者を捕えようと言うが、女頭はそれを止め、見届けるよう言う。弟が問う、北条のお殿様は立派なお姿か、と。女頭は答える、氏政に劣らず立派な姿、と。
氏直は自分の命と引き換えに人々の助命をした。
秀吉は官兵衛に問う、その沙汰を承諾するのが統治に効率がいいのか、と。官兵衛は答える、流言策の成否が不明故に分からぬ、と。
秀吉は大村にこれまで調べた北条と合戦に関する巨細の提出を命じる。さらに官兵衛に家康と共に北条兵の解放と武装解除を命じ、桑原には町人、農民の解放を命じた。
夜、茶々と共に部屋に籠る。中には大量の書類があった。
奉行衆に任せたいが、各地の統治に出向いているから、秀吉一人でやる事にしたのだ。驚く茶々は他の家臣に任せるよう言うが、秀吉は自分一人のほうが正確で速いと言ってのけるのだった。
茶々は、書類で気になる事を秀吉に質問していた。だが、茶々を気遣い、寝るよう言う秀吉。しかし、茶々はお寧の様に政に関わる事もある、と言い作業を手伝う。
茶々は書類仕事に没頭する秀吉に叔父信長の影を見る。信長と同じようにこういうのが好きなのだと。
農民たちが田畑に戻される。そこには秀吉の姿もあった。農民に対し、手を取り労いの言葉を掛ける。しかも、衣服が汚れるのを気にせずに田に足を踏み入れるのだ。
当然、農民たちの歓声が響き渡る。
官兵衛は感嘆すると共に思う、その胃袋は日ノ本のみで満たされるのか、と。
秀吉の沙汰が下る。
北条氏政、氏照。大道寺政繁、松田憲秀の四名が切腹。氏直は助命であった。
氏直は納得出来なかった。が、同時に公平であると見なした。
そして、当然奉行衆との評定があったと考えていた。
しかし、官兵衛は言う。秀吉一人で考えた、と。
氏直は悟る。長きに亘る我が闘争は怪物の肥大化を食い止める時間稼ぎには役に立ったかもしれぬ、と。
城下では黒づくめの衆が土下座をしていた。未だに降伏に納得のいかない者達がいたのだ。女頭は説得するも、黒づくめの衆が痛めつけた者の身内もいたのだ、納得が行くはずが無い。
息子が大怪我させられた女衆。その者たちに女頭は命を差し出そうとする。女衆の一人が地面から抜かれた制札で殴ろうとする。
が、しなかった。制札を読めるのは女頭くらい、だから新しい殿様に虐められんようにしてくれ、と言う。
その制札には一言、不殺生、と書かれていた。
立てられた不殺生の制札。これを見て老僧は良法と言うのだった。
と、これにて小田原合戦終了、ですね。
秀吉の恐ろしさが存分に出ていましたよね。まさに破格の才です。当然その才は日本だけで納まるはずなく……官兵衛や、利休もかな?心配しているけど、どうなるか。結果は分かってるのだけど、センゴクで描いてくれるのかな?
氏直もよかったですね。どこか厭世的で儚さがありました。その中で成長がありよかったです。他の創作物だと氏政ばかり出ますからね。その代わりセンゴクは氏政の影が薄かったけど。一応、過去編とかで厳格で情に厚い人って感じでしたね。
さて、あとは権兵衛への沙汰ですかね。そしてその先は……
関ケ原編、熱望しますよ。お願いします。
北条家の降伏は目前であった。しかし、秀吉はさらにその先をみていた。
利休の新作の花入れ、それを秀吉は傑作と評価した。ヒネリが利いている、と言い、その訳を竹で出来ているから仕入れ値はタダあり、それを城を売ってでも入手したい者がいると言う。
しかし、茶々はこれが利休が選びに選んだ物であると言う。茶々は美に関してはまだまだ知らぬ事が多く、勉強中であった。しかし、良さを見出そうと花入れをまじまじと見る。
そんな彼女を何故か乳母の大蔵卿は止めようと別の話題を振る。
茶々は反発し、美が分かると言い。花入れをそして挿してある花を誉める。それは唐の珍品、サルスベリ、であった。
秀吉は笑う。だからこそのヒネリであった。
それは信長の様に高転びしないよう諫言している。そう秀吉は受け取った。
しかし、秀吉が見るのはその先。天下一統は夢の始まりであった。
秀吉は利休の花入れを庭に投げ捨てる、その顔は笑っていた。
家康は官兵衛に相談していた。信雄が開城交渉を急いている、と。
このままでは、秀吉の怒りを被る。家康は最後の詰めは秀吉の使者の官兵衛が相応しいと考えていた。
しかし、困難は北条の一族家臣郎党、民衆をいかに殺さぬよう処すべきかであった。すでに秀吉は、下々まで干し殺しにすべし、との法度を出しているのだから。
結果、越度も見込んだ法度。秀吉の一存次第とした。
当然、氏直は承服できない。これでは、日ノ本は秀吉の心次第でどうなるか分からない。そう官兵衛に問い詰める。
しかし、官兵衛には返す言葉がなかった。これ以外に北条の者達を救う手立てはなかった。だから官兵衛は氏直に頭を下げた。
氏直は、承知した。官兵衛のやるせなさを知ったからだ。
七月五日、遂に氏直は出頭した。
その姿はみすぼらしかった。それは民衆の北条への忠誠心を瓦解させる為でもあった。
氏直の予想通り、民衆は情けなく思い、失望し、避難する。更に石を投げる者もいた。
黒ずくめの衆は石を投げた者を捕えようと言うが、女頭はそれを止め、見届けるよう言う。弟が問う、北条のお殿様は立派なお姿か、と。女頭は答える、氏政に劣らず立派な姿、と。
氏直は自分の命と引き換えに人々の助命をした。
秀吉は官兵衛に問う、その沙汰を承諾するのが統治に効率がいいのか、と。官兵衛は答える、流言策の成否が不明故に分からぬ、と。
秀吉は大村にこれまで調べた北条と合戦に関する巨細の提出を命じる。さらに官兵衛に家康と共に北条兵の解放と武装解除を命じ、桑原には町人、農民の解放を命じた。
夜、茶々と共に部屋に籠る。中には大量の書類があった。
奉行衆に任せたいが、各地の統治に出向いているから、秀吉一人でやる事にしたのだ。驚く茶々は他の家臣に任せるよう言うが、秀吉は自分一人のほうが正確で速いと言ってのけるのだった。
茶々は、書類で気になる事を秀吉に質問していた。だが、茶々を気遣い、寝るよう言う秀吉。しかし、茶々はお寧の様に政に関わる事もある、と言い作業を手伝う。
茶々は書類仕事に没頭する秀吉に叔父信長の影を見る。信長と同じようにこういうのが好きなのだと。
農民たちが田畑に戻される。そこには秀吉の姿もあった。農民に対し、手を取り労いの言葉を掛ける。しかも、衣服が汚れるのを気にせずに田に足を踏み入れるのだ。
当然、農民たちの歓声が響き渡る。
官兵衛は感嘆すると共に思う、その胃袋は日ノ本のみで満たされるのか、と。
秀吉の沙汰が下る。
北条氏政、氏照。大道寺政繁、松田憲秀の四名が切腹。氏直は助命であった。
氏直は納得出来なかった。が、同時に公平であると見なした。
そして、当然奉行衆との評定があったと考えていた。
しかし、官兵衛は言う。秀吉一人で考えた、と。
氏直は悟る。長きに亘る我が闘争は怪物の肥大化を食い止める時間稼ぎには役に立ったかもしれぬ、と。
城下では黒づくめの衆が土下座をしていた。未だに降伏に納得のいかない者達がいたのだ。女頭は説得するも、黒づくめの衆が痛めつけた者の身内もいたのだ、納得が行くはずが無い。
息子が大怪我させられた女衆。その者たちに女頭は命を差し出そうとする。女衆の一人が地面から抜かれた制札で殴ろうとする。
が、しなかった。制札を読めるのは女頭くらい、だから新しい殿様に虐められんようにしてくれ、と言う。
その制札には一言、不殺生、と書かれていた。
立てられた不殺生の制札。これを見て老僧は良法と言うのだった。
と、これにて小田原合戦終了、ですね。
秀吉の恐ろしさが存分に出ていましたよね。まさに破格の才です。当然その才は日本だけで納まるはずなく……官兵衛や、利休もかな?心配しているけど、どうなるか。結果は分かってるのだけど、センゴクで描いてくれるのかな?
氏直もよかったですね。どこか厭世的で儚さがありました。その中で成長がありよかったです。他の創作物だと氏政ばかり出ますからね。その代わりセンゴクは氏政の影が薄かったけど。一応、過去編とかで厳格で情に厚い人って感じでしたね。
さて、あとは権兵衛への沙汰ですかね。そしてその先は……
関ケ原編、熱望しますよ。お願いします。
2020年4月5日日曜日
法の国に残るもの、銭の国の行く末
先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。
六月初旬、家康と信雄により開城交渉が進められていた。
朝敵北条だが、信雄は敵意が沸かず、寧ろ惻隠の情が沸くと言う。
自分も家康も北条も秀吉に煮え湯を呑まされた同士ではないか、そう家康に言うのであった。
信雄の見立てでは、氏直は降伏開城の心積もりと見る。しかし、周囲への説得が困難であると考える。北条の統治が善政である程に降伏の説得が難儀である、と。
六月二十四日、韮山城が開城。家康は韮山城城主氏規に北条降伏の説得を託すのであった。
だが、交渉は続くされど進まず。
氏規は氏直に説く。
応仁の乱より百二十年余り、北条家は百年をかけて法の大国を築いた。一方で、幾百万幾千万の人の中からそれを凌駕する天才が生まれた、と。
氏直は言う。支城はほぼ全て陥落。更に前代未聞の城が突如現れた。
その威容を見て降伏に傾く者、それでも猶徹底抗戦を唱える者、両方現れた。このままでは民衆が対立の末に同士討ちになる。そう氏直は危惧する。
氏直は北条の家名も自分の身も残すことは出来ないと考えている。唯一の望みは民の心に何かが残るか否かであった。
正しき側が負けると知った時、神仏を信じる心をも失った時、民はどうなるか。
百年で築いた法も用無し。法は国の在り方を示すもの、北条家そのものであった。その法も術なく豊臣の銭に負けたのだ。
宗瑞は新しき法の国を創った。しかし、その国も古くなり、一方で機内に新しき政権が生まれた。新しきが古きに勝つ、我らの国は滅ぶるべくして滅ぶ。
民の心に何が残ろうか。
氏規は聞く。敵の一夜城を見たのか、と。氏直は見ずともわかる、と言う。
氏規は更に聞く、一夜城を見る民衆の目を見たか、と。
返事を待たずに立ち上がる。見ずともわかるとは悪い口ぐせよ、そう言って氏規は氏直を外に連れ出した。
氏規は言う。全ての民衆が心折れて降伏に傾いたのか、魔の城を見て憎悪の念に駆られているのか。民衆の中には敵の一夜城の美しさに目を奪われた者もおる、と。
氏規は氏直に見るように促す。
豊臣の一夜城、悪逆なる敵が卑しき銭を撒き咲かせし花にござる、そう氏規は言った。
民衆の一部は心が傾くどころか動いている。善悪敵味方を越えて人の為す力に感動しているのだ。心に何も残らないはずがない。
汚れた心で咲かせし花がかくも美しい、いわんや清き心で咲かせし花が誰の目にも留まらない事などありえない。
虎の印判を捺されし北条の法、その法に育まれし民衆、民そのものが清き花。
民は氏直程賢しくないが、氏直より厚みのある心の襞を持っている。
故に、時に暴走してしまう、そう氏規は締めくくった。
氏直は父、氏政に会う決断をした。
氏政の下に赴いた氏直。驚いた事に既に氏政は来るのを待っていた。しかも屋外にて。
案内された先は屋根の上であった。氏政はかつて宗瑞が屋根の上で東に行けと天のお示しを受けた話をする。神仏を信じぬ氏直は大方、室町殿の京兆あたりに命じられたのでは、そういいながら屋根に設えた椅子に座る。
氏政は初めからそのつもりで虎朱印を受け取ったのか、そう聞いた。
氏直は氏綱公遺訓第一条の一節を持ち出し言う、義を捨ての栄華より義を守り滅亡すべし、と。
氏政は越度があったのは自分だと言った。自分は愚かな当主であり、花一輪すら捨てられない。見渡せば数えきれないほどの花があるのに。もっと早く豊臣の傘下に入るべきだったと猛省する。
しかし、氏直は言う。それで北条家を保ったとしても、やがて民衆の心が離れ、いずれにせよ北条家は潰えた、と。なぜなら、自分が花一輪大事にしない当主だから、と。
氏政は言う。日本一評定をして来ただろう、しかし親子の会話は初めてだ、と。
北条家を守る為、働いて来たが法の学びを怠ってしまった、民を導くのは難しい、そう呟く。故に聞く、文庫に入り浸り法を学んでいた氏直に。
氏直は答える。鎌倉執権家が滅びた要因。それは式目の第五条の一文により滅んだ、と。
その法は年貢の不払いについてであった。少額なら速やかに払え、しかし多額であれば三年の内に払うべし。困窮者救済が為の三年猶予であった。しかし、銭に賢しき富裕者がその一文に付け入ったのだ。
富裕者はこぞって年貢の三年猶予を申し出て富を蓄える。その富を貸与して利息分を更に蓄える。そして三年後に年貢を払い、また三年の猶予を申し出る。そうして富をまし商人の地位が上がり、逆に御家人は没落する。それが執権家の滅亡の原因となったのだと。
そして時は経ち、室町殿が治世。
京の都は土倉の時代。幕府は土倉に課税する。しかし、庇護もした為土倉はそれまで頼っていた寺社と手切れした。
さらに数多の人から銭を集め経営する合銭により莫大な富を手に入れた。これにより、貧富拡大の混乱が起こる。そこに、一揆に徳政令要求、権門勢家の強欲、大飢饉。
もはや法も役目を果たさず、その挙句が応仁の乱であった。
因果であるか、大乱を境に数多の土倉は姿を消してしまった。
そのころの京で政を執っていたのが細川政元であり、宗瑞であった。
政元は土倉と手を結んだが、宗瑞はそれを嫌い東に向かった。政元と土倉は衰退したが、宗瑞は新たな国を創る事に成功した。法の国北条である。
銭の病は法一文の隙に付け入るもの。それをさせまいと代々法を積み上げてきたのである。
長く語った氏直。
氏政は言う、されど銭の病は殲滅に至らぬ、と。
氏直は言う、応仁の乱の終わる頃、堺商人が遣明船を出している。海の外から銭の病がやってくる。その力を利用したのが織田信長であり、豊臣秀吉なのだ。
得心のいった氏政。そして氏直に言う。いずれ豊臣も銭の病で滅びる、と。
氏直はそれが見る事が出来ぬのが心残りと言う。
氏政は笑った。そしてこれが親子の会話か、と朗らかに言うのであった。
なかなか読み応えのある回でした。
これまでの銭と法の話の集大成、って感じがします。
法を守るものより、法の抜け道を見つける者が富を稼げるとは今も通じる事ですよね。
銭と言う強すぎる力。一度、流れが止まれば為政者は高転びしてしまいます。信長から秀吉と人は変わっても、その恐ろしさは変わりませんね。
一応、秀吉の生きている間は大丈夫だったけどね。
さぁ、いよいよ北条降伏であります。ただ、この先の事を考えると、徳川が北条の後継者、になるのかな。そうなれば、二人が見えなかった先が、家康により実現する、のかな。
次回も楽しみです。
六月初旬、家康と信雄により開城交渉が進められていた。
朝敵北条だが、信雄は敵意が沸かず、寧ろ惻隠の情が沸くと言う。
自分も家康も北条も秀吉に煮え湯を呑まされた同士ではないか、そう家康に言うのであった。
信雄の見立てでは、氏直は降伏開城の心積もりと見る。しかし、周囲への説得が困難であると考える。北条の統治が善政である程に降伏の説得が難儀である、と。
六月二十四日、韮山城が開城。家康は韮山城城主氏規に北条降伏の説得を託すのであった。
だが、交渉は続くされど進まず。
氏規は氏直に説く。
応仁の乱より百二十年余り、北条家は百年をかけて法の大国を築いた。一方で、幾百万幾千万の人の中からそれを凌駕する天才が生まれた、と。
氏直は言う。支城はほぼ全て陥落。更に前代未聞の城が突如現れた。
その威容を見て降伏に傾く者、それでも猶徹底抗戦を唱える者、両方現れた。このままでは民衆が対立の末に同士討ちになる。そう氏直は危惧する。
氏直は北条の家名も自分の身も残すことは出来ないと考えている。唯一の望みは民の心に何かが残るか否かであった。
正しき側が負けると知った時、神仏を信じる心をも失った時、民はどうなるか。
百年で築いた法も用無し。法は国の在り方を示すもの、北条家そのものであった。その法も術なく豊臣の銭に負けたのだ。
宗瑞は新しき法の国を創った。しかし、その国も古くなり、一方で機内に新しき政権が生まれた。新しきが古きに勝つ、我らの国は滅ぶるべくして滅ぶ。
民の心に何が残ろうか。
氏規は聞く。敵の一夜城を見たのか、と。氏直は見ずともわかる、と言う。
氏規は更に聞く、一夜城を見る民衆の目を見たか、と。
返事を待たずに立ち上がる。見ずともわかるとは悪い口ぐせよ、そう言って氏規は氏直を外に連れ出した。
氏規は言う。全ての民衆が心折れて降伏に傾いたのか、魔の城を見て憎悪の念に駆られているのか。民衆の中には敵の一夜城の美しさに目を奪われた者もおる、と。
氏規は氏直に見るように促す。
豊臣の一夜城、悪逆なる敵が卑しき銭を撒き咲かせし花にござる、そう氏規は言った。
民衆の一部は心が傾くどころか動いている。善悪敵味方を越えて人の為す力に感動しているのだ。心に何も残らないはずがない。
汚れた心で咲かせし花がかくも美しい、いわんや清き心で咲かせし花が誰の目にも留まらない事などありえない。
虎の印判を捺されし北条の法、その法に育まれし民衆、民そのものが清き花。
民は氏直程賢しくないが、氏直より厚みのある心の襞を持っている。
故に、時に暴走してしまう、そう氏規は締めくくった。
氏直は父、氏政に会う決断をした。
氏政の下に赴いた氏直。驚いた事に既に氏政は来るのを待っていた。しかも屋外にて。
案内された先は屋根の上であった。氏政はかつて宗瑞が屋根の上で東に行けと天のお示しを受けた話をする。神仏を信じぬ氏直は大方、室町殿の京兆あたりに命じられたのでは、そういいながら屋根に設えた椅子に座る。
氏政は初めからそのつもりで虎朱印を受け取ったのか、そう聞いた。
氏直は氏綱公遺訓第一条の一節を持ち出し言う、義を捨ての栄華より義を守り滅亡すべし、と。
氏政は越度があったのは自分だと言った。自分は愚かな当主であり、花一輪すら捨てられない。見渡せば数えきれないほどの花があるのに。もっと早く豊臣の傘下に入るべきだったと猛省する。
しかし、氏直は言う。それで北条家を保ったとしても、やがて民衆の心が離れ、いずれにせよ北条家は潰えた、と。なぜなら、自分が花一輪大事にしない当主だから、と。
氏政は言う。日本一評定をして来ただろう、しかし親子の会話は初めてだ、と。
北条家を守る為、働いて来たが法の学びを怠ってしまった、民を導くのは難しい、そう呟く。故に聞く、文庫に入り浸り法を学んでいた氏直に。
氏直は答える。鎌倉執権家が滅びた要因。それは式目の第五条の一文により滅んだ、と。
その法は年貢の不払いについてであった。少額なら速やかに払え、しかし多額であれば三年の内に払うべし。困窮者救済が為の三年猶予であった。しかし、銭に賢しき富裕者がその一文に付け入ったのだ。
富裕者はこぞって年貢の三年猶予を申し出て富を蓄える。その富を貸与して利息分を更に蓄える。そして三年後に年貢を払い、また三年の猶予を申し出る。そうして富をまし商人の地位が上がり、逆に御家人は没落する。それが執権家の滅亡の原因となったのだと。
そして時は経ち、室町殿が治世。
京の都は土倉の時代。幕府は土倉に課税する。しかし、庇護もした為土倉はそれまで頼っていた寺社と手切れした。
さらに数多の人から銭を集め経営する合銭により莫大な富を手に入れた。これにより、貧富拡大の混乱が起こる。そこに、一揆に徳政令要求、権門勢家の強欲、大飢饉。
もはや法も役目を果たさず、その挙句が応仁の乱であった。
因果であるか、大乱を境に数多の土倉は姿を消してしまった。
そのころの京で政を執っていたのが細川政元であり、宗瑞であった。
政元は土倉と手を結んだが、宗瑞はそれを嫌い東に向かった。政元と土倉は衰退したが、宗瑞は新たな国を創る事に成功した。法の国北条である。
銭の病は法一文の隙に付け入るもの。それをさせまいと代々法を積み上げてきたのである。
長く語った氏直。
氏政は言う、されど銭の病は殲滅に至らぬ、と。
氏直は言う、応仁の乱の終わる頃、堺商人が遣明船を出している。海の外から銭の病がやってくる。その力を利用したのが織田信長であり、豊臣秀吉なのだ。
得心のいった氏政。そして氏直に言う。いずれ豊臣も銭の病で滅びる、と。
氏直はそれが見る事が出来ぬのが心残りと言う。
氏政は笑った。そしてこれが親子の会話か、と朗らかに言うのであった。
なかなか読み応えのある回でした。
これまでの銭と法の話の集大成、って感じがします。
法を守るものより、法の抜け道を見つける者が富を稼げるとは今も通じる事ですよね。
銭と言う強すぎる力。一度、流れが止まれば為政者は高転びしてしまいます。信長から秀吉と人は変わっても、その恐ろしさは変わりませんね。
一応、秀吉の生きている間は大丈夫だったけどね。
さぁ、いよいよ北条降伏であります。ただ、この先の事を考えると、徳川が北条の後継者、になるのかな。そうなれば、二人が見えなかった先が、家康により実現する、のかな。
次回も楽しみです。
2020年3月15日日曜日
北の伊達者
先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。
まだ五月であった。
しかし秀吉は小田原城の陥落は年内は難しいと考えていた。勝負は来年、そこで妥協なしの降伏開城で決着を望んでいた。
この頃の秀吉の書状には味方に対する温情がある一方、敵の撫で斬りを求める残虐性があった。相反する二面性があった。
前田利家と浅野長吉の二人に面会する者がいた。伊達政宗である。
浅野は政宗が恩赦されるか、処罰されるかは分からない。秀吉の心一つと言う。
だが政宗はそれより、背後の花入れに気を取られていた。政宗はそれが利休の新作なのではと思ったのだ。
話を聞かない政宗を注意する前田と浅野。しかし、自分は「いだて」と言い、逆に花入について聞こうとするのだった。
秀吉は諸将の慰撫の為に宴を開いたり、様々な遊興の店を開かせた。
如何に退屈に耐えるか、楽しく遊んだ側の勝ち。そんな合戦であった。
秀吉も茶々と遊ぶ。そこには、茶々や鶴松を労わる優しい秀吉がいた。
一方、竜子に対しては真逆であった。
茶々をかどわかす真似は程々に、と説教をすると、秀吉は頬に平手を食らわした。
そして強引な攻めに出る。
竜子は城兵を皆殺しにして何が惣無事か、と言う。
秀吉は言う、日本で一番賢いのが自分であり、日本をどうするか唯一憂いている。だからこそ、涙を呑んで皆殺しにしないといけない。殺し合いが続かぬように、鶴松の為にも。そう傲慢に、竜子を攻めつつ言うのだった。
そして六月に入る。
北条だけではない、豊臣陣営からも欠落者が相次いでいた。
そんなおりに政宗が会見の支度が出来た、との報告が上がった。
伊達家は北条家と同盟を結んでいた。しかし、迷った末豊臣に加わる決意をしたのだ。
しかし、遅参と葦名氏を攻めた惣無事令違反。この二つは処刑されても致し方なきものだった。
秀吉は奉行衆に巨細を聞いた。何故、遅れたのか、何故それほど臣従を渋る程に優柔不断なのに、かくも堂々と惣無事違反を行ったのか、そう問う。
曰く、惣無事違反は見解の相違。そして遅参は装束選びとの事。参陣も大量の衣装櫃と共にしていて、今の今まで夥しい数の中から今生の一着を選んでいたとの事であった。
秀吉は興味を覚える。鄙の大名が都の貴人相手に選りすぐりの装束を披露する事に。
付け髭をした秀吉は椅子に座る。諸将が集った会見の場。そこに政宗が現れる。
どんなバサラ衣装で登場するか期待する秀吉。そこに現れたのは白装束の政宗であった。
秀吉は死装束か、と言う。しかし政宗は否と答えた。
都の天上人にお披露目すべく、田舎大名伊達左京大夫めが身命懸けて「美」を追求した装束にごさる、そう政宗は言うのだった。
秀吉は頭に飾られた花を見る。サルスベリであった。
これは、政宗が秀吉の器量を見極めようとしている。そう推察する。それは若いころの自分と同じであった。
秀吉は髭を取り、腹を割って話そう、と言う。
秀吉は美や幽玄は慰めにすぎぬと切って捨てる。花より実、政こそが本、美は二の次。秀吉は政宗の才覚を見て処断を決めると言った。
まずは惣無事違反。政宗の弁明、それに対する諸氏への裏取り調査。それらを総合した結果、政宗の訴えに嘘はなし、と結論付けた。秀吉はこの違反を黙認する事とした。
次に秀吉は遅参の理由について問いただす。
政宗も腹を割って話すと言う。その理由は北条と豊臣、どちらが勝つか見定めていたのだ。
政宗の見立ては豊臣の富が勝るか、北条の法が勝るかの勝負であった。
富は大波の如く猛烈に世を動かす力を有する。しかし一所には止まらぬ無常の力である。一方、法は国の在り方を艱難辛苦し磨き上げた智の結晶。謂わば苦と智を代々積み重ねて揺ぎ無き大山となしたものである、と。
秀吉は言う。なのに何故、豊臣への臣従を決断したか、と。
それを問いたいのは政宗の方だと、叫ぶ。
奥州探題伊達家十七代、築きし山は四百数十年、齢二十四なれど抱きし大山は五百年に届かんとす。それが何故、僅か一代、成り上がりにかくも平伏せねばならぬのか。
そう政宗は声を張り上げ言う。
秀吉が睨み、近習が刀に手を掛ける。一触即発である。
そんな中、他の諸将と共に政宗の言葉を聞いていた家康は、この言葉をむしろ秀吉への褒め言葉と捉えていた。嘘か本音かは分からぬけど、大仰に、そして神妙に秀吉を称えていた。そして、僅か五年で百十万石を平らげた男、幾千幾万の手段の中から一つの真解を導くもの。家康は政宗を幽玄の智を備えし者と見る。
そして、豊臣を選んだのだ。家康はそう思った。
秀吉は立ち上がり、刀を抜く。
広く世を見渡せば幾千万もの人間がある。その中には一人、五百年の山を五年で築く者もおる。そう言って秀吉は刀で政宗の肩を叩くのだった。
秀吉は言う。家臣になれ、と。才ある悪タレを活かせる者は秀吉だけだ、と。
家康は思う。此度の合戦は負けるべき、と。秀吉に付け入る隙なし、と。
秀吉の智謀は秀吉自身の目算を越えていた。六月初旬にはすでに北条の心は折れかけていた。
六月十二日には氏政の母と氏政の継室が死去。下旬には徳川方が小田原城の福門寺曲輪を攻略。周辺の支城も次々に陥落。そして石垣山城の完成。
応仁の乱より百余年。戦国時代が終焉を迎えようとしていた。
まさかの伊達政宗登場。これは、小田原後も連載続行なのか?期待していいのかな?
関ケ原みたいです。
家康の政宗評が高いですね。これから付き合い長くなるからね。
ちなみに、家康の言動をみると、伊達、北条と組んで反旗を翻す事も考えていたのかな?噂があるとは言ってたけど、そんな描写なかったけどね。
政宗はかなり一癖も二癖もありそうですね。政宗だし。かなりマイペースそうだし、政宗っぽいよね。
そう言えば、創作物で初めての、いだて、呼びかな?だて呼びが定着し過ぎて変えにくいのか、あまり見ないし。
そういや、のぶかつ、も、のぶお、が当時の読みだ。って変わったんだっけ。戻ったともいえるけど。
まぁ、名前の読みはちゃんと伝わらなければ分からないからね。あとはひらがなで書いたものが見つかるとかね。
緊迫感のある政宗との会見。そして戦国の終焉がもう目の前です。
このまま連載終了なのか、それともさらに続くのか、楽しみにその時を待ちたいと思います。
まだ五月であった。
しかし秀吉は小田原城の陥落は年内は難しいと考えていた。勝負は来年、そこで妥協なしの降伏開城で決着を望んでいた。
この頃の秀吉の書状には味方に対する温情がある一方、敵の撫で斬りを求める残虐性があった。相反する二面性があった。
前田利家と浅野長吉の二人に面会する者がいた。伊達政宗である。
浅野は政宗が恩赦されるか、処罰されるかは分からない。秀吉の心一つと言う。
だが政宗はそれより、背後の花入れに気を取られていた。政宗はそれが利休の新作なのではと思ったのだ。
話を聞かない政宗を注意する前田と浅野。しかし、自分は「いだて」と言い、逆に花入について聞こうとするのだった。
秀吉は諸将の慰撫の為に宴を開いたり、様々な遊興の店を開かせた。
如何に退屈に耐えるか、楽しく遊んだ側の勝ち。そんな合戦であった。
秀吉も茶々と遊ぶ。そこには、茶々や鶴松を労わる優しい秀吉がいた。
一方、竜子に対しては真逆であった。
茶々をかどわかす真似は程々に、と説教をすると、秀吉は頬に平手を食らわした。
そして強引な攻めに出る。
竜子は城兵を皆殺しにして何が惣無事か、と言う。
秀吉は言う、日本で一番賢いのが自分であり、日本をどうするか唯一憂いている。だからこそ、涙を呑んで皆殺しにしないといけない。殺し合いが続かぬように、鶴松の為にも。そう傲慢に、竜子を攻めつつ言うのだった。
そして六月に入る。
北条だけではない、豊臣陣営からも欠落者が相次いでいた。
そんなおりに政宗が会見の支度が出来た、との報告が上がった。
伊達家は北条家と同盟を結んでいた。しかし、迷った末豊臣に加わる決意をしたのだ。
しかし、遅参と葦名氏を攻めた惣無事令違反。この二つは処刑されても致し方なきものだった。
秀吉は奉行衆に巨細を聞いた。何故、遅れたのか、何故それほど臣従を渋る程に優柔不断なのに、かくも堂々と惣無事違反を行ったのか、そう問う。
曰く、惣無事違反は見解の相違。そして遅参は装束選びとの事。参陣も大量の衣装櫃と共にしていて、今の今まで夥しい数の中から今生の一着を選んでいたとの事であった。
秀吉は興味を覚える。鄙の大名が都の貴人相手に選りすぐりの装束を披露する事に。
付け髭をした秀吉は椅子に座る。諸将が集った会見の場。そこに政宗が現れる。
どんなバサラ衣装で登場するか期待する秀吉。そこに現れたのは白装束の政宗であった。
秀吉は死装束か、と言う。しかし政宗は否と答えた。
都の天上人にお披露目すべく、田舎大名伊達左京大夫めが身命懸けて「美」を追求した装束にごさる、そう政宗は言うのだった。
秀吉は頭に飾られた花を見る。サルスベリであった。
これは、政宗が秀吉の器量を見極めようとしている。そう推察する。それは若いころの自分と同じであった。
秀吉は髭を取り、腹を割って話そう、と言う。
秀吉は美や幽玄は慰めにすぎぬと切って捨てる。花より実、政こそが本、美は二の次。秀吉は政宗の才覚を見て処断を決めると言った。
まずは惣無事違反。政宗の弁明、それに対する諸氏への裏取り調査。それらを総合した結果、政宗の訴えに嘘はなし、と結論付けた。秀吉はこの違反を黙認する事とした。
次に秀吉は遅参の理由について問いただす。
政宗も腹を割って話すと言う。その理由は北条と豊臣、どちらが勝つか見定めていたのだ。
政宗の見立ては豊臣の富が勝るか、北条の法が勝るかの勝負であった。
富は大波の如く猛烈に世を動かす力を有する。しかし一所には止まらぬ無常の力である。一方、法は国の在り方を艱難辛苦し磨き上げた智の結晶。謂わば苦と智を代々積み重ねて揺ぎ無き大山となしたものである、と。
秀吉は言う。なのに何故、豊臣への臣従を決断したか、と。
それを問いたいのは政宗の方だと、叫ぶ。
奥州探題伊達家十七代、築きし山は四百数十年、齢二十四なれど抱きし大山は五百年に届かんとす。それが何故、僅か一代、成り上がりにかくも平伏せねばならぬのか。
そう政宗は声を張り上げ言う。
秀吉が睨み、近習が刀に手を掛ける。一触即発である。
そんな中、他の諸将と共に政宗の言葉を聞いていた家康は、この言葉をむしろ秀吉への褒め言葉と捉えていた。嘘か本音かは分からぬけど、大仰に、そして神妙に秀吉を称えていた。そして、僅か五年で百十万石を平らげた男、幾千幾万の手段の中から一つの真解を導くもの。家康は政宗を幽玄の智を備えし者と見る。
そして、豊臣を選んだのだ。家康はそう思った。
秀吉は立ち上がり、刀を抜く。
広く世を見渡せば幾千万もの人間がある。その中には一人、五百年の山を五年で築く者もおる。そう言って秀吉は刀で政宗の肩を叩くのだった。
秀吉は言う。家臣になれ、と。才ある悪タレを活かせる者は秀吉だけだ、と。
家康は思う。此度の合戦は負けるべき、と。秀吉に付け入る隙なし、と。
秀吉の智謀は秀吉自身の目算を越えていた。六月初旬にはすでに北条の心は折れかけていた。
六月十二日には氏政の母と氏政の継室が死去。下旬には徳川方が小田原城の福門寺曲輪を攻略。周辺の支城も次々に陥落。そして石垣山城の完成。
応仁の乱より百余年。戦国時代が終焉を迎えようとしていた。
まさかの伊達政宗登場。これは、小田原後も連載続行なのか?期待していいのかな?
関ケ原みたいです。
家康の政宗評が高いですね。これから付き合い長くなるからね。
ちなみに、家康の言動をみると、伊達、北条と組んで反旗を翻す事も考えていたのかな?噂があるとは言ってたけど、そんな描写なかったけどね。
政宗はかなり一癖も二癖もありそうですね。政宗だし。かなりマイペースそうだし、政宗っぽいよね。
そう言えば、創作物で初めての、いだて、呼びかな?だて呼びが定着し過ぎて変えにくいのか、あまり見ないし。
そういや、のぶかつ、も、のぶお、が当時の読みだ。って変わったんだっけ。戻ったともいえるけど。
まぁ、名前の読みはちゃんと伝わらなければ分からないからね。あとはひらがなで書いたものが見つかるとかね。
緊迫感のある政宗との会見。そして戦国の終焉がもう目の前です。
このまま連載終了なのか、それともさらに続くのか、楽しみにその時を待ちたいと思います。
2020年3月1日日曜日
暴走する正しさ
先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。
氏直は籠城戦の憂さ晴らしの為の遊興を推奨した。
しかし、一部の民衆は一致団結を標榜し黒ずくめの服で取り締まりを始めてしまった。彼らは検断人の様に遊興を禁止し、間者と思わしき者を殺害した。
城の外に逃れる者で始める。高札の老僧は城外でそれを見ていた。
さて、権兵衛は陣を引き払う事にした。家臣達が勝手に宴会した所為もあって、金がなくなったのだ。
だが、家臣からは不満の声が上がる。主に、これから見世物や遊女が集まるから離れたくないのだが。
中には殿下から拝領した金団扇を売ろうとの声まで出た。権兵衛は一瞬考えるも、すぐに否定する。家臣達もまた。
とにかく、徳川の使番も外され、怪我の手当てもあるので、明朝小田原から退くことにする。また、権兵衛は殿下に真心は伝わった、と言う。権兵衛は秀吉を見て、以前の情深さは残していると感じた。ただ、天下人故に縁故の贔屓をすれば世間から疎んじられてしまう。それでは天下は悪しき縁の流れに向かう。と、権兵衛は古渓和尚の真似をしていった。
権兵衛と二人っきりになった鷲見は言う。
何だかんだ納得している、と。人様に何言われようと、胸張って生きてくだけの心の旗を立てただろう。そう言った。
鷲見は権兵衛が元気になったのを喜び、残る人生は乱世の終わりを見届けようと言う。
そんな二人に高札の老僧が話しかける。乱世の終わりに疑問を呈す様に。
だが、老僧はそんな話の続きはせず、干し飯一椀にて不老長寿の秘伝を教えると言う。なんでも、諸国遍参し古堂に不老不死の秘密を記しているとの事である。
権兵衛と鷲見には心当たりがありすぎる話であった。
二人は腹八分目と言い。世話になった気がするから好きなだけ干し飯をやると言う。
だが、老僧は八分目でいいと言う。そして、不惑過ぎたれば腹八分目に生きていく事と言うのだった。
五月初旬。秀吉は京から淀殿を始めとする諸大名の女房衆を小田原に呼び寄せた。北条と同じく、包囲戦の憂さ晴らしである。民衆の前に現れた京極竜子に皆は歓声を浴びせた。ちなみに、それは淀殿以上で淀殿は不満であった。
小田原城内では黒ずくめの衆が検断を行っていた。そんな豊臣の間者が捕らわれ、殺される。彼らの頭は言う、顔はキレイに、と。お殿様に小汚い首を献上出来ないから。
頭は女性であった。それは以前、上杉に攻められた時に氏政に禁制を求めた村人の一人。氏政に花を渡した幼子の成長した姿であった。
彼女は願掛けする。立派な正しい北条様が戦に勝つように、そしてお殿様にお目通りできるように。
氏政は市中に出る。身分を隠して見回るのだった。田畑を見て耕作してる民に困り事を聞くのだった。そんな中、民は氏政に水を進める。御付きの二人は緊張し、自分が飲むと言う。しかし、氏政は何の疑いも無く水を頂き、飲み干した。
再び歩き出した後、御付きの者は飲むフリをするように言う。毒を警戒しているのだ。
しかし、氏政は言う。間者と良民の違いが目を見てわからぬか、と。
城下を回る氏政の目に黒ずくめの一団が目に入る。御付きの者曰く、字を知らぬ民の代わりに目安に届け出をする村衆との事。また不正の検断も自らしている、と。
見ると、ちょうど不正な者を懲らしめているところであった。御付きの者は素性を調べられる事を恐れて離れるよう氏政に言う。しかし、氏政には見逃せぬ事であった為に逆に彼らに近づいてしまう。
御付きの者が止める中、氏政は彼らに程々にするように言う。彼らは蔵に米を蓄えた傾国の凶徒と言う。しかし氏政はやりすぎと言い、裁きは法の手続きに則らねばならんと訴えた。
黒ずくめの衆は彼らを訝し、素性を調べようとする。そんな中、頭の姉御が皆を制止させる。再び巡りあった氏政に頭の姉御は泣き崩れ、あの時と同じように花を渡した。
頭の姉御は言う。御国の為に、正しい御国のために悪い輩をたくさん処罰しました、機物にしました、と。
氏政に言う、御国を守って下さい、と。そして間者の首を見せるのだった。
氏政はあいわかった、忝し。と言うほかなかった。
雨が降り始めた。雨宿りしている氏政は思う。正しき国が最後に辿り着く先は如何な国なのか、と。そう先代たちに尋ねたかった。
氏政の母や継室の元にも一人息子を失ったもの話が伝えられている。曰く、北条のお役に立ったのであればこれ以上の喜びはない、と。継室はすでに悲しみに耐えられなくなっていた。二人は六月十二日に亡くなっている。自害の可能性もある、と。
五月下旬。堀久太郎は海蔵寺にいた。後世には秀吉は関東を秀政に与えようとした、そんな逸話が出来た。それ程の才人であった。
久太郎は思い出していた、権兵衛と出会った時の事を。
権兵衛と同世代で同じ美濃の出身。片や名人、片や改易牢人。道は異なれど互いに信長秀吉の縁に結ばれし武者の遠行となる。
机に突っ伏した久太郎。机からは土鈴が転がり落ちる。
享年三十八である。
と言うわけで、堀久の最期です。感慨深いものがありますね。権兵衛とは対照的な人物でしたし、因縁も多かったですからね。悲しいです。
土鈴があったって事は権兵衛は帰る前に会ったのかな?それとも人を介して渡したのかな。最期の会話が有ってもよかったのに。
小田原城内は正義が暴走した、って感じですね。そして、まさか、回想で登場した村娘が再登場するなんて思わなかった。氏政と再会出来てよかったですが、氏政自身は複雑でしたでしょうね。正しさがあらぬ方に行ってしまった、と。
この後どうなるのでしょう。
後、権兵衛が小田原から退いているから、本格的な挽回はまだまだ後なのかな。どういう経緯で小諸を与えられるかも気になりますね。
次回も楽しみです。
氏直は籠城戦の憂さ晴らしの為の遊興を推奨した。
しかし、一部の民衆は一致団結を標榜し黒ずくめの服で取り締まりを始めてしまった。彼らは検断人の様に遊興を禁止し、間者と思わしき者を殺害した。
城の外に逃れる者で始める。高札の老僧は城外でそれを見ていた。
さて、権兵衛は陣を引き払う事にした。家臣達が勝手に宴会した所為もあって、金がなくなったのだ。
だが、家臣からは不満の声が上がる。主に、これから見世物や遊女が集まるから離れたくないのだが。
中には殿下から拝領した金団扇を売ろうとの声まで出た。権兵衛は一瞬考えるも、すぐに否定する。家臣達もまた。
とにかく、徳川の使番も外され、怪我の手当てもあるので、明朝小田原から退くことにする。また、権兵衛は殿下に真心は伝わった、と言う。権兵衛は秀吉を見て、以前の情深さは残していると感じた。ただ、天下人故に縁故の贔屓をすれば世間から疎んじられてしまう。それでは天下は悪しき縁の流れに向かう。と、権兵衛は古渓和尚の真似をしていった。
権兵衛と二人っきりになった鷲見は言う。
何だかんだ納得している、と。人様に何言われようと、胸張って生きてくだけの心の旗を立てただろう。そう言った。
鷲見は権兵衛が元気になったのを喜び、残る人生は乱世の終わりを見届けようと言う。
そんな二人に高札の老僧が話しかける。乱世の終わりに疑問を呈す様に。
だが、老僧はそんな話の続きはせず、干し飯一椀にて不老長寿の秘伝を教えると言う。なんでも、諸国遍参し古堂に不老不死の秘密を記しているとの事である。
権兵衛と鷲見には心当たりがありすぎる話であった。
二人は腹八分目と言い。世話になった気がするから好きなだけ干し飯をやると言う。
だが、老僧は八分目でいいと言う。そして、不惑過ぎたれば腹八分目に生きていく事と言うのだった。
五月初旬。秀吉は京から淀殿を始めとする諸大名の女房衆を小田原に呼び寄せた。北条と同じく、包囲戦の憂さ晴らしである。民衆の前に現れた京極竜子に皆は歓声を浴びせた。ちなみに、それは淀殿以上で淀殿は不満であった。
小田原城内では黒ずくめの衆が検断を行っていた。そんな豊臣の間者が捕らわれ、殺される。彼らの頭は言う、顔はキレイに、と。お殿様に小汚い首を献上出来ないから。
頭は女性であった。それは以前、上杉に攻められた時に氏政に禁制を求めた村人の一人。氏政に花を渡した幼子の成長した姿であった。
彼女は願掛けする。立派な正しい北条様が戦に勝つように、そしてお殿様にお目通りできるように。
氏政は市中に出る。身分を隠して見回るのだった。田畑を見て耕作してる民に困り事を聞くのだった。そんな中、民は氏政に水を進める。御付きの二人は緊張し、自分が飲むと言う。しかし、氏政は何の疑いも無く水を頂き、飲み干した。
再び歩き出した後、御付きの者は飲むフリをするように言う。毒を警戒しているのだ。
しかし、氏政は言う。間者と良民の違いが目を見てわからぬか、と。
城下を回る氏政の目に黒ずくめの一団が目に入る。御付きの者曰く、字を知らぬ民の代わりに目安に届け出をする村衆との事。また不正の検断も自らしている、と。
見ると、ちょうど不正な者を懲らしめているところであった。御付きの者は素性を調べられる事を恐れて離れるよう氏政に言う。しかし、氏政には見逃せぬ事であった為に逆に彼らに近づいてしまう。
御付きの者が止める中、氏政は彼らに程々にするように言う。彼らは蔵に米を蓄えた傾国の凶徒と言う。しかし氏政はやりすぎと言い、裁きは法の手続きに則らねばならんと訴えた。
黒ずくめの衆は彼らを訝し、素性を調べようとする。そんな中、頭の姉御が皆を制止させる。再び巡りあった氏政に頭の姉御は泣き崩れ、あの時と同じように花を渡した。
頭の姉御は言う。御国の為に、正しい御国のために悪い輩をたくさん処罰しました、機物にしました、と。
氏政に言う、御国を守って下さい、と。そして間者の首を見せるのだった。
氏政はあいわかった、忝し。と言うほかなかった。
雨が降り始めた。雨宿りしている氏政は思う。正しき国が最後に辿り着く先は如何な国なのか、と。そう先代たちに尋ねたかった。
氏政の母や継室の元にも一人息子を失ったもの話が伝えられている。曰く、北条のお役に立ったのであればこれ以上の喜びはない、と。継室はすでに悲しみに耐えられなくなっていた。二人は六月十二日に亡くなっている。自害の可能性もある、と。
五月下旬。堀久太郎は海蔵寺にいた。後世には秀吉は関東を秀政に与えようとした、そんな逸話が出来た。それ程の才人であった。
久太郎は思い出していた、権兵衛と出会った時の事を。
権兵衛と同世代で同じ美濃の出身。片や名人、片や改易牢人。道は異なれど互いに信長秀吉の縁に結ばれし武者の遠行となる。
机に突っ伏した久太郎。机からは土鈴が転がり落ちる。
享年三十八である。
と言うわけで、堀久の最期です。感慨深いものがありますね。権兵衛とは対照的な人物でしたし、因縁も多かったですからね。悲しいです。
土鈴があったって事は権兵衛は帰る前に会ったのかな?それとも人を介して渡したのかな。最期の会話が有ってもよかったのに。
小田原城内は正義が暴走した、って感じですね。そして、まさか、回想で登場した村娘が再登場するなんて思わなかった。氏政と再会出来てよかったですが、氏政自身は複雑でしたでしょうね。正しさがあらぬ方に行ってしまった、と。
この後どうなるのでしょう。
後、権兵衛が小田原から退いているから、本格的な挽回はまだまだ後なのかな。どういう経緯で小諸を与えられるかも気になりますね。
次回も楽しみです。
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