2013年6月25日火曜日

それぞれの見据える先

 名古屋城の本丸御殿が一般公開されたので行きたいのだが、中々行けない。
 と、言うかお金が無い。

 今月何かと出費が多かったからな、仕方が無い。

 八月九月がジョジョ関係で出費が嵩むのが解っているからな、なんとか七月には行きたいね。


 さて、今週の「センゴク一統記」の感想でも。


 家康は伊賀越えに成功。
 一方穴山梅雪は、途中土民に襲われ死亡した。

 本国に帰った家康は弔い合戦の兵を上げるより甲州制圧に乗り出すのだった。
 織田領の制圧に懸念する家臣。だが、何もしなければ北条に取られるし、亡くなった梅雪に報いる為には自分が支配下に置かなければならない、と言う。
 果たして、その目の先には何が……
 
 その頃光秀は既に近畿、近江を掌握。安土城に入城していた。
 光秀は光春と共に天主閣に登る。それは嘗て、まだ美濃にいた頃二人で登った物見櫓を彷彿とさせた。
 
 将に順風満帆、この世の春。だが……


 羽柴軍は通常の行軍を遥かに上回る速度で中国路を進軍していた。
 それは信長出陣の為、既に道の整備を行なっていたから出来た芸当であった。

 敵は光秀だけでは無い。その後の主導権を秀吉が握るには他の将の動きも注視しなければならない。
 特に、地理的に一番近い信孝及び丹羽の動きに一番気を付けなければならない。
 しかし、秀吉は思う。二人は光秀や家康、そして秀吉より一段劣ると。
 そして、新たな世代が芽生えている自軍にこそ風が吹いていると。

 今こそが最上の時だと。


 天主閣のシーンはまさに光秀絶頂の時、って感じでした。
 と、同時に次のページでそれも直ぐに終わるって予感させられていいですね。

 と言う訳で、伊賀越えはあっさりと終わりましたね。まぁここでページ取られても…ですからね。
 甲州に関しては、中央での政変がどう動くか見定める事と、その間に少しでも国力を増やしたいからでしょうね。家康はこの先どうなると考えているのかね。光秀がこのまま天下人になるか、それとも織田が復権するか、それとも…

 信孝は兎も角、丹羽さんは過小評価ではと思ったり。でも実際何も出来てないし…(そこは編成して間もなかった、と言う事にしてこう)清須会議でも…(最期はカッコ良かったけどね)
 まぁ、明智羽柴の両翼って感じだから仕方ないか。

 それにしても、此処で家康に言及するとは思わなかった。秀吉は自分達に匹敵するのは家康ぐらいしかいないって感じなのかな。
 そう言えば長篠の前で秀吉は家康の底しれなさを見ていたか…それがフラグだったのかな。


 さて、中国大返しでそう何週も使うとは思わないので次回にはもう山崎入りしそうかな。
 久しぶりの本格的な野戦になりそうで楽しみです。

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