2011年8月23日火曜日

東西分裂

 太子とか言われても青いジャージのアンチクショウしか思い浮かびません。

神霊廟でとんでもない人が出てきたみたいですね。それってアリなのかよ!!って感じの。
委託待ちの身ゆえに色々と歯痒いですね……


さて、お盆休み明け一発目の「センゴク天正記」の感想でもでも。

本願寺との和睦が決まり、織田家各将にもその旨が回る。
だが、教如はそれに反発。顕如と教如の対立は決定的となる。

両派は協力者雑賀に自陣営に加わる様に文をだす。
両方に理あり、と考え決め倦ねる孫市と若太夫。そこに頼廉が説得に現れた。
頼廉の話を聞き、顕如に与する事を決める二人。

こうして、顕如派は鷺森に退去する事に決した。
雑賀の迎いの船に乗る顕如。そこには多くの童達がいた。それは顕如派だけでなく、親が教如派の子供たちも含まれていた。
自身は玉砕しても、子だけは助けようと云う親心であった。

顕如は新たな決意と共に船に乗る。曾て雑賀の二人に約束した童が独楽で遊べる様に、もう鉄砲を取らずに済むように、と。


といった感じで顕如の石山退去で終わりでした。
ここでの分裂が、今の東西二派の源流になっているんですよね。まぁそれは蛇足なのかな?決定づけたのは家康だし……

何は兎も角、本願寺との戦いも一応の区切りですね。まだ教如達が残ってはいるけど……
権兵衛との関わりがある人も残っている見たいなのでどうなるのか。
ここから先は本当にどうなるか予測が付きませんね。

そう言えば、久しぶりに滝川さん見た気がする。彼った活躍の場が伊勢ぐらいだからね、このまま空気で終わりそう。
あと、主人公何処いった!!

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