2019年6月16日日曜日

再びのヤマイヌの計

 センゴク権兵衛第139話と140話の感想。

 
 官兵衛が家康に提案したのは「ヤマイヌの計」。
 囲んでいる味方で城に一斉に迫り、混乱させ、虎口を取る策である。
 そして、官兵衛は家康も同じ考えに至り、徳川と豊臣の連繋の取次役として自分を呼んだと推察した。

 官兵衛は権兵衛を伴って諸将の根回しに向かう。因みに権兵衛は土下座担当との事。
 
 北東の信雄は目上ゆえ動かぬ。北は官兵衛が受け持つ。問題は北西、山中城で疲弊した面々であり、了承は得にくい。さらに宇喜多は立場上殿下の命令なしでは動けない。了承を得るのは困難である。

 結果は官兵衛の予想通りであった。とは言え、想定内である。
 西は池田隊の了承を得た。残るは南西の堀秀政である。官兵衛は、彼も山中城で兵を動かしているので、了承を得るのは難しいと考える。しかし、権兵衛は秀政は皮肉を言いながらも了承するだろうと言う。

 権兵衛の言う通り、了承は得られた。しかし、官兵衛にすら会わなかった。豊臣内での派閥争いが為か。だがそれにしては、なぜ援助を了承したのか。官兵衛は訝しんだ。
 だが、権兵衛は言う。性根は変なやつだと。かつては狂太郎と呼ばれていた、と。

 とかく、四方の仕寄りは完成した。
 堀隊より攻撃を開始し、池田、黒田と攻撃を順に仕掛け、最後に徳川が渋取口前の出曲輪を取る。決行は五月朔日の新月の夜である。

 権兵衛とその配下達に、遂に挽回の刻が巡ってきた。

 北条氏直は言う、晦日朔日の新月に気を付けろ、と。本能寺の変も新月の夜陰に行軍し、翌二日に決行された。豊臣もまた、夜陰に紛れて城攻めをするだろうと予測したのだ。
 そして、どの虎口が責められても混乱せずに、己の持ち場のみを守れと言う。
 そんな氏直を見て兵は、宗瑞公の生き写しと称えるのであった。

 豊臣軍の兵站はギリギリであった。数ヶ月では落城せず、冬に入り雪でも降れば包囲不能になる。そして、退却すればそれこそ北条の待望の時であった。
 北条の戦法は敵の撤退時の追撃戦。謙信の時も信玄の時もそうして防いできた。
 それは一度攻めかかれば退くことは赦されないのである。

 家康と正信の元に権兵衛が呼ばれる。正信は権兵衛に一つ気がかりがあると言った。それは秀政に会えなかった事である。家康や正信は彼の裏切り、すなわち兵を出さない事を気にしていたのだ。そして言う、腹を斬る覚悟はあるか、と。
 権兵衛はわかりました、と言った。
 家康は言う、秀政のために死ぬのかと。
 権兵衛は言う。死ぬ気は無いと。そして秀政が裏切る事は有り得ないと言う。秀政はひたすら「巧みに美しゅう」働くことしか考えてないから、そう権兵衛は語るのだった。
 家康は理解し、続けて命を下す。掘隊の目付となり、その後、池田、黒田と伝令に走り、最後に徳川の陣に戻れと。

 自分の陣に戻って、命令を伝える権兵衛。その手には高野山の者達から貰った鈴を着けた陣羽織があった。これで目立つ為であったが、部下たちには不評であった。そんな事もあり、着るのをやめようと考えると今度は皆が着るように言ってくるのであった。

 さて、秀政の陣に行き、早川口を眺める権兵衛。
 しかし、この場所は早川の河口。作戦の決行時には潮の影響で陸地は水没、更に潮の逆流も有り得る、難関の地である。如何に渡るのか。
 権兵衛はすでに手配していた。かつて戦った管平右衛門に書状を送っていたのだ。
 現れた平右衛門は面を合わすと直ぐに、権兵衛に強烈な拳骨を食らわす。そして、言う本能寺の変の時に助命した借りは返したと。


 鳥取城でも使ったヤマイヌの計、再びですね。
 順調に策の準備は進むも、北条は何か仕掛けてくることを読み、兵に動揺するなと命令を出してます。うまくいくのか、難しそうですね。
 
 権兵衛としては、縁も繋がり挽回の時に向けて進んでます。平右衛門の助けも得られました。あとは、可児才蔵や妙算がいつ出てくるかですかね。そこも気になります。

 そして久太郎。未だ顔を見せてないけど、この先どうなるか心配ですね。何かしらの見せ場はあるとは思いますけど。

 兎にも角にも、その時が楽しみでなりません。

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