2008年7月7日月曜日

とおりゃんせ

 名古屋の今と昔を書いた雑誌を読んでいたら、七里の渡しまで昔は海だったと知ったので、熱田まで言ってきました。またも思い付き紀行ですよ。たまには計画性のある旅をしろ、ですね。

 んで見て回ったのは、人質時の家康が預けられていた家、七里の渡し、白鳥古墳、断夫山古墳、誓願寺、熱田さんです。案内板のみを頼りに熱田の町を彷徨ってました。

 家康が人質時に預けられてた家
 大通りを一本入った場所にある大きな民家、そこが件の場所です。
 信秀が家康(当時は竹千代)を奪った時に預けていた場所だそうです。ちなみに、その後家康は万松寺に移ったと言われています。こうして、家康の踏んだ故地を自分も踏み締めていると思うと感慨深いものです。
 さて、この場所は木々に覆われた庭を持つ大きな民家なわけですが、どうやらその時預けられた土豪の末裔みたいです。確証はないが、苗字が一緒なようなので。そう考えると、歴史が一気に近くなった気がした。
 
 七里の渡し
 旧東海道を進んでいると、行き止まりに着きます。その先は開けた川が広がります。右手を見れば大きな鐘楼がその存在感を放っている。そう、ここが七里の渡しです。
 鐘楼と常夜灯が在りし日の姿を伝えていますが、湊の形は残されていないみたいです。一応、船の発着場、とした感じですが当時は正方形の形をした湊だったそうです。
 そしてなりよりも、当時は対岸の陸地が無くここからすでに海だったそうです。今は両岸埋め立てられ、完全に川、となっております。ただ、それでも川幅が大きく、吹き抜ける風が心地良かったです。何処と無く、海の匂いがしました。
 ちなみに、この湊のシンボルであった鳥居は姿形もありません。何となく、ここかな?って場所はありますけど。今度、再建してくれないかな。

 白鳥古墳 断夫山古墳
 どちらとも前方後円墳です。白鳥古墳は御陵橋から道を入ってすぐ。断夫山古墳は、その北熱田球場の隣にあります。
 白鳥古墳はかなり小振りであります。周辺の工事などでだいぶ形が崩されていて、瓢箪の様にも見えてしまいます。ただ、石柵で囲ってあり、厳かな雰囲気はあります。
 断夫山古墳はかなり大きいです。東海地区最大の名は伊達ではありません。ただ、近畿の巨大古墳に比べれば、小さいのですが。
 形はほぼ完全なので、鍵の形がよく解ります。ただ、古墳の宿命か木に覆われてしまっているため全容はよく解りません。それでも、形のよく解るいい史跡だと思います。

 誓願寺
 熱田さんの道路の向こう側にあります。小さなお寺です。
 ここは源頼朝が生まれた場所だそうです。彼の母親は熱田神宮の宮司の娘で、その関係からここで生まれたのではないかと云われているそうです。なんでも産む時に実家に戻って産んだとか。
 もともとは別宅があって、その後にお寺が出来たそうです。
 それにしても愛知っていろんな歴史上の人物が生まれてるんだなと関心したり。

 後は熱田さんにお参りして今回の旅は終わりです。
 熱田さんは今、修復工事をしているようで、あちらこちらで白い垂れ幕が掛かっており残念でした。今度、終わったらまたこようかな?

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