先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。
父に呼び出された田宮四郎。そこで、兄が蜂須賀家政に対抗する一揆に加わった事を告げられた。
兄は弟に嫉妬したが、憎しみを向ける事を良しとせず、家政に矛先を向けたのだと父は言う。そして、四郎に家督を継がせると。
結局、一揆は鎮圧された。兄の命は助けられなかったが、権兵衛の尽力もあり田宮家は讃岐で阿波の本貫と同等の地を得る事となる。
自らの家督相続を引き合いにして四郎に告げる権兵衛。それに感じ入った四郎は家の者達にそれを伝えようと決意するのだった。
長宗我部を下した秀吉は続いて北国で反旗を翻していた佐々を降伏させる。
そんな秀吉の次の目標は、西の島津、もしくは東の徳川だった。
そんな中、秀吉の奉行衆に新たな者が加わっていた。元丹羽家家臣、長束正家である。
丹羽家を減封した際に、反論し、不正の無さを証明した算術に秀でた者だ。これを得て秀吉は唐にでも攻め入れると大言した。
千宗易から様々な異国の物品を買う秀吉。そこで大友宗麟が骨喰の刀を持っていると聞く。秀吉は直ぐ様、それを買うと言った。しかし、予想し反して宗麟はタダで秀吉に献上するのだった。無論そこには、大友が争っている島津が関係していた。
堺の商人達は、島津征伐を望んでいるのだ。
奉行衆ら首脳陣と今後の方針を話し合う秀吉。東の徳川か、西の島津か。同時侵攻は兵糧、将、兵の問題から無理であると最初に否定される。
東の徳川は、味方に引き入れた真田昌幸の奮迅により徳川及び同盟国の北条が辛酸を嘗めている。当然上杉も動かす事が出来る。
一方西の島津は、大友、龍造寺に勝ち、日の出の勢いである。その上、同じ九州の者でさえ島津については口を噤んでしまう。
得体の知れない島津、既に知ったる徳川。秀吉は徳川との対決を選ぶ。
そして、その間島津を探るように権兵衛に下知する。
徳川征伐に決まった。しかし歴史はそうはならなかった。
九州征伐編、開帳。
遂に始まった九州戦。一体この後どう対徳川から対島津になるのか楽しみです。
真田丸では地震が切っ掛けでしたっけ?兎に角楽しみですね。
後、清須会議で名前だけ出た長束も登場ですか。奉行衆も出揃って来ましたね。ホント関が原もやって欲しいですよ。
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