2020年9月22日火曜日

最初の兆し

  センゴク権兵衛の感想。
 サボった所為で、四話ぐらい溜まったので簡単にまとめます。

 第184話
 病を得た小一郎の元に秀吉が見舞に現れる。秀吉は政治の相談をするが小一郎は何も語らない。すでに、小一郎は寿命を悟り、折り紙で鴨を折り縁者に送ろうとしていた。
 小一郎は言う。長生きするように、と。
 秀吉は小一郎の事より、今後の政権運営を危惧する。そんな秀吉の目に幼い兄弟が映る。
 そこで思う。自分一人で天下を獲ったんじゃない、と。そして、小一郎を案ずる余裕がない自分は何動かされているのかと。

 第185話
 奥州で一揆が続いていた。そんな中、奉行衆が京に呼び戻された。来春の唐入りが決定されたからである。
 明に攻め入るには朝鮮を経由しなければならない。しかし、対朝鮮外交は小西と対馬の宗に任されており、奉行衆はその内容を把握していない。そのような状態で政権運営をしなければならなかった。
 そして、朝鮮使節が訪れる。秀吉の全国統一を祝って。
 秀吉や奉行衆は服属の使節だと思っていた。それは小西と宗の飛び石外交の結果であり、秀吉からの過度の要求を緩和させた為であった。
 結果、両国は齟齬を抱えたまま、交渉は膠着状態に陥ってしまった。

 第186話
 小諸の在地衆は決断を迫られていた。小諸に残るか、依田の転封地に行くか、である。
 また、誰かが抜け駆けをして新領主に取り入ろうとするのでは、と疑心暗鬼になっていた。
 そんな中、権兵衛が小諸に入封した。その祝いに村長らが召し出された。
 緊張の中、面会が行われる。権兵衛は言う。平伏はしなくていい、自分の顔を覚えるように、と。そして、扇子を一人一人、手ずから渡すのであった。
 小諸の統治は始まったばかり、問題も多い。だが、権兵衛は言う、まずは小諸を好きになる事だと。そうして、小諸祇園の宮の参拝を重ねるのであった。
 一方、大和では大きな出来事が起こっていた。
 小一郎は遺言を書いていた。そして考える。秀次に宰相は重責すぎる。そして家康の指南を受ける内に……小一郎は最も剣呑なのは彼なのでは、そう考えるのであった。

 第187話
 遂に小一郎の最期の時が迫る。彼は娘のおみやと婿養子の秀保を呼ぶ。だが、兄に伝えようとした重要な事が思い出せなかった。変わり思い出話をする。人見知りで兄しか話す相手がいなかった。だが、兄は有益な話が好きだ。だから有益な話をした。そうして気が付けば日ノ本を背負う宰相になっていた。話をするだけでよかったのに。そして最期に二人に言う、出世は無用、夫婦息災に、と。
 天正十九年一月二十二日天下宰相権大納言豊臣秀長薨去。
 豊臣政権は豊臣家は上へ下への大騒ぎとなった。
 茶々も大和へと行こうとした。だがそんな中、秀吉が鶴松に会いに来たのだ。鶴松をあやしながら、小一郎は大志を捨てたと言う。茶々は怖気ずに言う、弟の下に参らないのかと。
 秀吉は激昂する。そして、茶々と二人になると、小一郎を弟としてではなく、政権の柱石を担う宰相として話をし始める。
 そんな秀吉を茶々は殴る、涙を流して殴った。
 秀吉は気付いていた。自分はできる者にしか情が湧かないと。だから知らんうちに弟をできる者に仕立て上げて、身も心もボロボロにしてしまった、と。
 茶々は秀吉を抱きしめていた。秀吉は礼を言い、少し楽になったと伝えた。
 訃報は権兵衛の下にも届いた。そして鴨の折り紙も。それを見て、権兵衛は安心する。晩年は政の事を忘れる時間もあった、と。


 と言う事で、不安が続く展開でした。小一郎の事、秀吉の事、そしてこの先、暗雲が立ち始めましたね。秀吉も情と理がだいぶ不安定な感じがします。むしろ極端と言うか、怖いですね。更に小一郎の家康に対する不安。本当に、秀吉の力で政権がもっている、って感じがします。ある意味、秀吉が才能が有りすぎるがゆえに、継承が出来ない、そんな気がします。
 さらに外交でも朝鮮と齟齬が出来てしまいました。ただ、秀吉としてはまだ想定の範囲内かもしれませんが。最終目標が貿易であるなら。
 苦難の豊臣政権でありますが、これで終わりではありません。この先、更に苦難の連続で、その果ては……どこまで描かれるか、楽しみですね。

2020年8月14日金曜日

秀吉の金、利休の侘び数奇

  センゴク権兵衛、182話と183話の感想。

 八代将軍足利義政の政治からの逃避が生んだ侘びを美徳とする東山文化。
 それから百年が経ち、日陰の慰めは白日に晒され、隆盛時代となった。
 その寵児こそ千宗易である。小一郎と共に豊臣政権で重きをなす彼は当然武人ではない。その彼が筆頭格である。百年の乱世が終わった今、義政の怨嗟の所業か、武の必要性は薄まり、文化が時代を飲み込もうとしていた。

 古田織部は苛立っていた。にわかな文化人が多数出てくることに。宗易の真似をし、我慢と侮蔑と他者への馬乗りの道具と堕したと言い、侘び数奇は終わったと言う。
 そんな彼に茶杓が届けられる。見て欲しいとの事だった。織部は文句を言いながらも茶杓を見る。その見事さに見入り、宗易に取り次ぐ事にした。
 宗易の屋敷には多くの人が集っていた。そこに織部からの紹介で茶筅がもたらされた。なんと、この茶筅島津の一族の物であった。
 茶筅は宗易も評価し、江山の名が与えられた。島津は感激し、家宝とすると言う。
 このように、東は伊達、西は島津まで宗易を師と仰いでいたのだ。

 天正十八年九月朔日。
 秀吉が京に凱旋した。泰平の世を実現した秀吉に民衆は大歓迎する。
 京の町ではすでに竹の花入れが売られていた。その隣には黒い楽焼。すべて宗易から発した流行りである。それは宗易がお墨付きを与えれば大判でも買えないものに化けるのであった。
 秀吉のお付きの者は奇縁と言う。合戦に厭いて始まった侘びの東山殿が合戦の終焉とともに文化に於いて黄金の北山殿を凌駕戦せんとしている、と。
 秀吉はそれを笑って聞いているのだった。

 城に帰った秀吉。その下に歩けるようになった鶴松が現れる。鶴松を抱き上げ、言う。
 盂蘭盆会に鶴松から頂いた黄金五十枚をみんな家来に配った、と。当然、幼い鶴松が主体的にやった訳ではないだろう。そう言う名目で配り、鶴松に忠誠を誓わせるのだ。
 同じことを都鄙貴賤、関係なく行う。多くの黄金を集め、配る。それが何の心配もなく豊臣家をまとめる方策であった。
 そんな中で気になるのは宗易。秀吉は彼の事を剣呑に思っていた。

 秀吉は織部と細川忠興を呼んだ。
 彼らに関東で入手した宗二の秘伝書、及び宗易門下のあらゆる茶会記の写し、出席者名簿の提出を求めたのだ。
 織部と忠興の二人は秀吉が茶の湯への興味が一段と増した、そう理解していた。

 秀吉は指圧を受けながら、おねと政務を執っていた。おねは小一郎への見舞を訊ねる。これに対して疲れた顔を見せたら見舞にならないので、有馬で休んだ後と返答する。
 秀吉は奉行衆と評定したき儀があった。しかし奉行衆は奥州検地があり、出来なかった。
 おねと酒を呑み細い月を見る秀吉。口からは剣呑の言葉が何度もでる。おねは泰平の世に相応しくないと窘める。
 それでも秀吉は剣呑の言葉を口にする。

 豊臣政権を揺るがす波はこの翌年に訪れるのであった。

 仙石家では小諸への移封の準備の真っ最中であった。にも拘わらず、権兵衛はなぜか風呂の湯加減を見ていた。
 おもてなしの予行、と言う事で招き風呂の練習をしていたのだ。これには孫あらため彦三も呆れてしまう。しかも、権兵衛は風呂の才能のみを買われて大名に復帰したと言う始末である。
 彦三曰く、毛利輝元の元に秀吉の御成があったとの事。この事より秀吉の今後の政策は御成行脚で諸大名や天下万民に豊臣の権勢を知らしめる、そう彦三は分析していた。
 その為のおもてなしであった。ちなみに権兵衛は風呂で能をすることを考えていた。しかも何故か家老の森が素っ裸で舞う始末である。
 彦三は言う。粗相があれば合戦で大敗するが如きの恥である、と。
 次に失敗して再びの復帰はありえない。だからこそ権兵衛に言う。勇壮より風雅の世、武功より礼儀、と。十一月の宗易の茶宴もあるから、しっかりと学んで来るよう釘を刺した。

 当時の秀吉の方針は秩序安定策と見られていた。
 それはフロイスの日本史にも書かれていた。到達した栄華から失墜する恐れのあるような遠大な企図は考えていない、と。
 その日、快気祝いと称し、秀吉は鶴松と茶々と共に寝る。秀吉は寝てる鶴松に語る。物騒な世は終わり。鶴松の治世は真心を以って優しき国にするように、と。

 宗易が茶会の準備をしていた。宗易は故事に倣い、肩衝の上に茶杓を乗せたり、袋の緒を短く結んだりした。そして黒茶碗を下げた。彼の準備を見ていた神谷と球首座は疑問に思い訊ねる。答えて曰く、秀吉が嫌いだから、と。神谷はさらに質問する。では何故台子に置いたのかと。
 宗易は言う。自分が至高と思う物を置いた。しかしやはり、秀吉の仰せの通り良き物に非ずと示す為、と。
 神谷達はなんたるおもてなし、心遣いと感嘆する。しかし、宗易の心の内はどうであっただろうか。

 聚楽第にて朝会があった。亭主は秀吉、お点前は宗易。客は黒田官兵衛と針屋宗和と津田宗凡であった。何気ない茶会、そのはずであった。この時は誰も安寧に亀裂を生ずるなど思っていなかった。
 茶入飾りの隙間に野菊が一本飾られていた。それは秀吉のささやかなおもてなし、であった。針屋や津田は誉める。が、宗易にとっては我慢のならぬものであった。
 応仁の乱以降、政道からの逃避として珠光紹鴎により磨かれし侘び数奇。百年の研鑽による美の型。それが百年も下らぬ国盗りをしてきた蛮族の長の児戯と同列にされる。その事に我慢がならなかった。
 故に、宗易はその野菊を抜き、捨てるのであった。
 それは宗易の意思とは関係なかった。無意識に下衆なものを自ずと遠ざけてしまった。
 茶会が終わり、秀吉は素直に謝った。児戯だったと。そして更なるご教授を願うのであった。
 宣教師が日本人の特性について書き残している。
 感情を表すことに甚だ慎み深く、胸中に抱く感情を抑制している。互いに残忍な敵であっても明るい表情を以て礼儀を欠くことはない。それは極端であり、彼を殺害しようと決意するとその仇にたいしてより親睦さを示し、相手がもっとも油断した時に鋭利で思い刀に手をかけ斬りつけるのである。
 秀吉と宗易の運命は今、決まったのだ。


 権兵衛パートは相変わらず呑気ですね。孫改め彦三はこのまま仙石家に居つくのかな。家老までボケ担当になってるから、今後心配ですね。まぁ、やらかすんですけどね。

 で、利休と秀吉。波濤偏の最初はこの二人の話かな。後は、小一郎の事、鶴松の事、そして朝鮮出兵って感じかな。ホントどこで終わるかわからないや。
 経済を牛耳りたい秀吉にとって、利休の影響力は無視できない、って感じですね。茶道具の価値を利休が決めるとなると、黄金を握る秀吉でも太刀打ちできなくなるし。その先には高転びが待っているし。だから邪魔になったのかな。
 そして利休は秀吉を美の世界に邪魔、と思ってますね。て、言うか見下してもいるのかな。利休にとっては政治の世界が入ってきて欲しくないっぽいですね。そう考えるとこの時の隆盛をどう思っているのか…って感じます。
 美を中心に置いた秀吉と利休の対立はあまり見なかったので期待です。話がどう展開し、利休の切腹に繋がるのか、楽しみです。

2020年7月26日日曜日

大洋を睥睨する策

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 駿府にて、小西と毛利吉成の二人と秀吉は密議を開始する。
 他言無用の三人のみで秘する事。もし一人とて漏れたら…死は免れない。
 しかし、秀吉は案じるな、と言う。何故なら秀吉は二人を最も信頼しているからである。
 吉成は古参の内で最も実直である。無茶をさせ黄母衣衆から不平不満が続出した時も一言も文句を言わなかった。そう秀吉は話す。
 吉成は疑問に思う。どうやってその事を知ったのかと。
 秀吉は答える。長年、間諜を放っている、と。黄母衣衆、馬廻りのみならず、奉行、御伽、寺社、公家、女衆、宣教師、秀吉は各所に間諜を忍ばせていたのだ。
 さて、一方の小西。これまた、秀吉は小西が不平を漏らす事を知っている。
 だが、信用している。何故なら、小西が最も銭の理屈を知っているからだ。
 銭は正直である。好きも嫌いも是非もない。ただ得する道を選ぶ。そう秀吉は語る。

 そして本題に入る。
 それは唐入りを早める事であった。
 外海船の進歩を待とうと考えたが、間者から奉行衆は気進まないらしいと聞いている。実際、理屈をこねて先送りしようとしていた。秀吉は未知の国に行く事が不安なのだろうと考える。そして思う、自分が乱れた日ノ本をまとめた、様に見えるのだろうと。
 小西と吉成は困惑する。そうではないのか、と。
 秀吉はハッキリと否定する。信長の様に初めから土地と銭と家臣を持っている大名が国をまとめるとは訳が違う、と。
 何もない根無し草な秀吉。例えるなら、突如天から落ちたった一人で倭国に立った。無一文から伝手を作り武士となり、兵を増やし、遂にはすべてを平らげた。秀吉にとっては全国統一と言うよりは倭国征服であった。
 だから未知の国を平らげる事は倭国でも唐でも秀吉にとっては同じ心持ちであった。
 その上で、唐入りの難しさも秀吉は重々承知していた。なので秀吉の最終目標は貿易であった。唐に入り、暴れ回り、大明王朝を畏怖させて通商の約束を取り付ける事であった。
 小西は訊ねる、通商にこぎつければ自分の役目は終わり、かと。
 秀吉は、無論、と答える。
 小西は更に訊ねる。何故、急ぐのか、と。
 暫くは日ノ本のみで銭を回せる、そう小西は考えていた。十年前、小西は信長政権が高転びすると予見していた。それは銭不足が起きるからである。それを秀吉は米を貨幣となす事で回避し、さらに大豊作による米価の暴落を金配りにて統制する。
 この二つの策で諸国の食い詰め牢人も国内の銭回りで抱え込める、小西はそう見立てていた。
 しかし、秀吉は反論する。暫くは現状のままで、それこそが数多の大国の敗因だと。
 事を成すには何事も人より先を考えなければならない。世の者達は合戦が強い者が偉いと思っている。それは秩序よりも優先される。この考えが変わらないと若手奉行衆が諸大名を統制する事など能わない。
 だから銭が必要である。武断者を文治者が統制するには貿易で銭を稼ぐ他ないのだ。
 豊臣一族や側近衆が他の大名より領土が小さくても銭回りで優位に立つ事が必須。そうして畿内に経済圏を築いた。
 しかし、治部が忍城攻めを失敗し、徳川に対して小牧長久手で攻めきれなかった。その為、徳川に大領を与えなければならなかったし、畿内の経済圏の外である関東に追いやるしかなかったのだ。
 故に、貿易を急いているのだった。
 日ノ本から唐天竺にまたがる長大な通商圏奪取策。秀吉は遂にその全貌を明らかにする

 初めに、秀吉は外交の極意を教える。
 まず、小西に一番大切な物を見せるように言う。小西が渡したのはロザリオ。それを手にした秀吉はいきなり火にくべていいかと聞き、当然小西は拒否する。次に初花との交換を提案する。これには心を動かされるも、やはり拒否する。と、ここまで秀吉はさらに大切な物を隠していると看過し、それを出すように小西に催促する。小西が出したのはイコン、聖母マリヤとキリストの絵である。秀吉は言う、ロザリオとイコンどちらかを焼けと言ったらどうするか、と。小西は絞り出すようにロザリオと答える。
 秀吉は言う。これこそ外交、だと。
 ロザリオを小西に返し、説明する。
 二つの手段を組み合わせる必要がある、と言う。一つは、小さな要求から飲ませて、徐々に大きい要求を飲ませる手段。もう一つは敢えて飲めない要求を突き付けて、譲歩と言う形で何とか飲める要求を合意させる手段である。
 前者は徳川、後者は北条に使った手段である。
 そこで秀吉が描いた唐入りはと言うと。先ずは、唐に入り暴れ回り飲めない要求を突きつける。そして明が拒否したところに譲歩案。真の目的の寧波の開港と貿易の約定を取り付けるのだ。
 そこで重要なのはいかに豊臣家が強大か示威する事。そしてさらにその先の通商圏奪取の策を披露する。
 唐、天竺、安南、呂宋、高山の五カ国同時脅嚇である。それは脅威の伝播を狙ったものであった。五カ国同時に脅威の種を撒き、それぞれが他国が怯える様子を伝え聞き、更に恐れが増していく。それは唐入りの戦況と共に更に膨れ上がる。
 一国でも恐怖に屈したら脅威の仮象は実体となり、一斉に豊臣の要求を飲む事になる。
 日ノ本から寧波を軸に遠く天竺、その先南蛮まで。秀吉の脳裏には世の果てまで結ぶ一大航路が出来ているのだ。
 さて、何故この話が三人だけの秘密なのか。それは敵を畏怖するほどの合戦は味方が決死でなければいけないからである。もし外交譲歩を促すための威嚇と知られてしまえば生ぬるい合戦になってしまう。
 秀吉は改めて二人に言う。他言無用だと。そして両名に片方に怠慢があれば密告するよう互いの監視体制を敷く。
 そして秀吉は事が成就すれば、初花、新田、楢柴の全てを渡すと約した。何故なら世の最果てまでの宝が秀吉の物になるからである。

 富士を見て秀吉は言う。天下万民に聚楽の夢をば見せ給うぞ、と。

 一方権兵衛は、竹で花入れを作っていた。小諸に行かなければ実入りが分からないからである。権兵衛は初年は二万石ぐらいと考えていたのだ。しかし、家臣達は花入れぐらい買おうと言う。そんな中、通りかかった藤は言う。今、都では竹の花入れが珍重されている、と。その情報は戦の情報よりも早く伝わっていたのだ。
 だが、仙石家の者たちはそれよりも合戦の話だった。

 合戦の世は終わり、文化の時代が花開こうとしていた。高尚な武士の無常観を体現するものとして嗜まれた詫び寂びが人口に膾炙するようになってくる。
 今や、利休の新物というだけで高値で取引される対象となっていた。
 価値転換の時が来たのである。

 
 広大な秀吉の通商策でしたね。アジアの海を回遊する海のシルクロード、って感じです。
 毛利吉成って誰?って思ったら勝永のお父さんなんですね。元は森さんで毛利家の許可を貰って、九州陣の後ぐらいに毛利に改名したんだっけ。ここで出るなんて以外ですね。
 そして小西さん。この辺が朝鮮出兵の伏線になるのかな。しかし上手くいったかは……貿易に関して何もなかったから二回目の出兵に繋がったのかな。この辺りは日本国王がどうたら、で秀吉がキレた、みたいな事しか知らないんだよね。センゴクはそこまで行くのかな?関ケ原も見たいけど。

 外交の手段は、色んな交渉事での極意でもあるんですよね。基本中の基本かも。だからどこに着地点を見出すか、ですね。まぁ、一歩たりとも譲らない、って事も多いからこじれるんですよね。

 はてさて、先の先を見ている秀吉。政権の安定化も考えていますが、現実は死後に家康に奪われます。この最終章でその原因も語られるのでしょうか。楽しみです。

2020年7月5日日曜日

新たな時代新たな戦い

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉との謁見を終え、帰る権兵衛とサジ。サジはどうだったか、と訊ねる。
 権兵衛は一応は納得していた。尾藤を斬るつもりはなかった、その言葉が聞けたからだ。
 サジはでは何故斬ったのか聞くが、権兵衛はそこまでガサツではないから聞けない、と答えるのであった。
 権兵衛は言う。秀吉は何かに怯えている、そう見えた、と。それは失態する前の自分に似ていた。そうして全てを失った。でもその苦しみにもなれ、怖いモノもなくなる。
 秀吉は失敗した事が無いから失う事を恐れている。そう権兵衛は感じたのだ。
 サジは一理あると言う。そして上から目線でイラっとする、と突っ込む。
 秀吉も昔は失敗しても、一からやり直して今以上に出世する、そんな事言っていた。でもそうでは無くなった。それは齢の所為かもしれなかった。
 権兵衛は思う。端っこの端っこからでも秀吉を見守るのが恩返しなのかも、と。

 小諸は権兵衛の領地となる。
 家康が関わったのは人脈を広げる為だけではなかった。それは北条家の二の舞を避ける為であった。そう、正信に語る。
 家康は北条征伐の原因の一つに真田の横行があった、と見ていた。その為、権兵衛の小諸を緩衝地帯にしたかったのだ。更に、嫌疑を蒙った時には権兵衛を頼みに上方への往来が容易くするためでもあった。
 正信は問う。それほど権兵衛は信頼を置けるのか、と。
 家康は答える。恩は売った。それを平気で反故にする武人ならば秀吉も赦免などしない、と。
 家康は続ける。愚者が生き残る術は多くを知る事ではない。唯一の大切なことを見極めそれを守ること。彼奴はそれを体得しておると信じる。
 そして、彼奴なら自分たちに微塵も野心の無き事を信じてくれよう、と。

 権兵衛は帰還した。そして大名復帰を報告するのだが、なかなか言いあぐねていた。
 家臣達は言う。覚悟していると。そして万が一の時は反乱軍を起こす、と。
 さすがにこれには権兵衛も物騒だと言い。遂に伝える。
 小諸で大名に復帰する、と。

 藤たち奥の者は接ぎ木をしていた。これで食い扶持を稼ごうとしていたのだ。
 繊細な作業が続く中、広間から大声が響くのだ。
 皆を叱りに行く藤。そこで見たものは喜び叫ぶ皆であった。
 藤は思う、また多忙の日々が始まると。

 権兵衛は古渓にお礼の品を送る。弟子は古渓の慧眼を誉めるが古渓は方便だと言う。
 門弟にしたくないから後押ししただけだと。

 関東の知行割りが終わった。
 その一か月前、肥前国でイエズス会全体協議会が開かれていた。議題は日本での内戦であった。イエズス会を敵と認識する者が勝利すれば、我々に破滅がもたらされる可能性があるのだ。
 パシオは我々を味方とする領域を要塞と化し、身の安全を確保する事を提案する。
 これに対しオルガンティノの反論する。宣教師追放令から三年、現段階で加虐はされてない。さらに貿易は認められている。実質、追放令は空洞化している、と言う。
 そして最優先課題はフランシスコ会の進出である。
 教皇が変わり、フランシスコ会出身の新教皇はスペイン国王の要請により、フランシスコ会の日本進出を認めた。これにより前教皇により担保されていたイエズス会の日本布教独占が崩れたのだ。
 場はざわめく。しかし主導のヴァリニャーノはフランシスコ会との話は長きに亘る論争になる。と言い止める。そして喫緊の脅威に対しての軍備は不回避、と結論付けた。
 イエズス会とフランシスコ会。その背後のポルトガル、スペイン。そしてその対立を利用しようとする秀吉の思惑が交差していく事になるのだった。

 奥州仕置も終えて、駿府に向かう秀吉。そこでとある評議が開かれる予定であった。
 その途上、早馬でお寧から手紙が届く。鶴松の病気が快方に向かっている報せだった。秀吉は言う。興福寺に懇ろに祈祷させたのが効いたのだろうと。秀吉は寺に、存亡をかけて治せ、と発破をかけていたのだ。
 秀吉は駿府の評議で豊臣政権を確実なものにしようと考えていた。鶴松が何ら案ずることなく生きていく国を創るために。

 そんな評議に召集された一人に小西行長がいた。彼は大名復帰祝いに権兵衛の元を訪れていたのだが、表情は暗かった。
 小西は聞く、秀吉のご機嫌の取り方を。だが、権兵衛は知らん、と言う。そして機嫌は機嫌次第だろう、とも言った。そしてるしへる殿下とか言って和ませれば、と。
 小西は取り乱す。そんな事、秀吉に言ってないだろうな、と。そして言う、その言葉を頭から捨てろ、と。
 小西の相談は続く。自分がキリシタン大名だと言う事。そして小西家が父の代から貿易を担っている事。その為、此度古今未曾有の重責を秀吉は任せようとしている、と。権兵衛にならその重みが伝わる、と。
 権兵衛がかって背負ったものより大きな重責。失敗は赦されない。
 そして、出世するほど息苦しくて仕方ない、そう吐露する。
 権兵衛は言う。取り返しがつかない失敗をしながら、図々しく生きている卑怯者がここにいるだろう、と。
 小西の気が晴れた。小西は権兵衛に礼を言う「ニヒル」の者よ、と。

 権兵衛は見事に大名復帰、そして秀吉の考える政権がどうなるか、って感じですね。
 前回、汗を掻いていた家康ですが、今回は平静ですね。描写は少なかったけど、真田が暗躍していたのかな。ともかく、万が一のセーフティーラインを手に入れた、ってとこですかね。
 古径和尚の言葉は謙遜なのかな。まぁ半分本気かも。権兵衛が僧には…なれないでしょうね。
 そしてイエズス会。海外事情も絡めつつ、唐入りに突入するのかな。勿論、そこまで連載が続くのか分かりませんからね。今回の最終章がどこまで描くのかさっぱり分からないからね。
 そして小西。すっかり権兵衛と仲良しですね。
 権兵衛の言葉に救われた小西。彼が担う重責とは何なんでしょうか。
 そして、秀吉の考える政権の形とは。次回も楽しみですね。

2020年6月21日日曜日

仲裁と新たな借り

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉の元に来た権兵衛。しかし、要件が小諸より讃岐が欲しい。だった為、皆は取次をしたくなく、たらい回しにする。

 秀吉は浅野長政と話していた。無事に信雄を追いやり、次に東国で台頭するのは家康と見ていた。その目付に関東公方を使おうと考えていた。
 浅野は家康が信用能わぬのか、と尋ねる。しかし、秀吉はそうではない、と言う。あくまで自分が死んだ後の心配だ、と。
 秀次は家康の指導を受けている。目付役は難しい。頼りにするのは三成ら奉行衆の若手である。
 鶴松を頭に、家康と秀次の二頭体制。そこに鶴松直轄の奉行衆が取次や目付をする。それが秀吉が考える、死後の政権体制であった。
 しかし、此度の合戦で、若手奉行衆の合戦下手が露呈したのだ。
 忍城攻めで多大な損害を出してしまった三成。その為、総大将が浅野に代わっていたのだ。
 水攻めは秀吉の指示。三成の越度ではない、とは言え大名の取り纏めがし辛くなったは確かである。
 秀吉は取次の任をこなす中で成長を期待するのであった。

 そんな中に権兵衛が小諸より讃岐が欲しいとの報告が入った。
 秀吉はあきれ、切腹を申し付けて来い、と言う。そうすれば泣いて詫びに来るだろうと思って。

 が、権兵衛は無理に会いに来ようとする。
 秀吉は、権兵衛が何に怒っているのか、それを聞くために呼ぶことを決めた。

 既に浅野は去っている。部屋には秀吉と権兵衛だけの二人になった。

 権兵衛は改めて、讃岐を所望した。しかし、秀吉は何が不満か聞くのだった。
 権兵衛は言う。秀吉が皆に恐れられている事。そして、それが進むと、べしゃりとおべっかで出世するんでよ、と言う輩ばかりになってしまうと、かつての秀吉の真似をして物申した。
 そして再び、讃岐を所望する。
 微妙にずれている事もあり、秀吉は頭を抱える。せっかく考えた政権構想がポロポロ崩れ落ちそうだ、と嘆く。
 権兵衛は言う。人の頭で組んだものは脆い、と。時には人智を越えた敵に出会う、と。
 秀吉は言う。合戦で負けた事を人智を越えた敵の所為にするな、と。
 そして続ける。信長に比べれば、自分はどんなに優しいか、と。
 そうして始まったのは信長への愚痴と、過去の思い出話だった。
 他の客人が来ているのに、長々と続けるのであった。これには権兵衛も少々あきれ気味であった。
 終わったのは足利の使者が来たことを聞いた時だった。
 これ以上、権兵衛に対応している暇はない、と言い、頭を冷やせと命じる。でなければ切腹だとも。
 そして言う。此度、権兵衛を小諸城主にしたのは、さる者からの提案であった、と。
 そのさる者、とは家康であった。

 会見を終え、サジと風呂に入る権兵衛。結局、尾藤の件は言えなかった。サジはそれを聞き、物申すと言ったのだから言わないと、と圧をかける。サジはその言葉に感じ入ったからである。
 権兵衛は覚悟を決め、次は物申す、と誓う。

 そして二度目の会見。他の諸将は関わりになりたくなく、皆権兵衛の見えない所へと去る。そんな中、会見に同席するものがいた。そう権兵衛を推薦した家康であった。
 仲裁に来た家康。そんな家康に対して権兵衛は仲裁をしない方がいいと言う。秀吉が怒れば家康にとばっちりが行くかもしれぬからだ。
 家康は思い出す、権兵衛が物申す猪武者だと。人脈を拡大の為の仲裁であった。そして思い至る、こやつこそ最も下手に関わってはいけない者だと。
 さらに確認をとる権兵衛。家康は粗相があれば斬ればよい、と考え仲裁する事にした。
 秀吉は権兵衛に問う、その不満は自分に対するものか、と。
 権兵衛は答える。不満は尾藤の処断である、と。同志が気分次第で斬られた。それを聞いたら大名など割りに合わない。そして、割に合わない大名をやるなら、戦死した讃岐国衆に報いる為に讃岐の大名になりたい、と。
 家康は秀吉の考えに沿って権兵衛を処罰しようと考える。しかし、秀吉は家康の意見を訊ねるのだった。
 家康は驚いた。下手をすれば自分の首が飛ぶ。汗を掻き、秀吉の様子を窺いつつでた言葉は遺憾の意、であった。
 秀吉は同感、と言う。権兵衛にはキチンとは伝わらなかった。
 秀吉は言う、権兵衛なんぞの為に家康が心労している、と。
 秀吉は日ノ本の惣無事を第一義にしていると家康は言う。そして、不条理に見えても大いなる思慮遠望の下でなされていると続ける。
 家康は権兵衛に近づき、小諸で納得するよう頼む。その手は肩を、顔は笑顔だった。
 だが、内心は怒っていた。自らの首を賭ける羽目になった事を。そして借りは必ず返すよう、思っていた。
 権兵衛はその言葉の外にある圧力を感じ、小諸で了承するしかなかった。

 家康が退室し、権兵衛もまた退室しようとする。そこに秀吉は声を掛ける。尾藤の件はやりすぎた、と。殺すつもりはなかた、それだけは言っとく。そう権兵衛に言うのだった。

 
 なんと言うか、やはり、権兵衛と話している時の秀吉は憑き物が落ちている感じがしますね。まさに旧友って感じです。虎渓和尚が必要と言った事も頷けます。
 一方で家康。簡単に斬り捨てると言うとこに恐ろしさがありますね。とは言え、久しぶりに感情が露わになりましたね。小牧長久手後は泰然としてましたし。
 家康が言った借りは関ケ原に繋がるんでしょうか。今が最終章ですので返されないまま終わるかもしれませんね。

 と、言うわけでこれで無事に小諸拝領、になるのかな。これで権兵衛の物語は一つの区切り、ですかね。あとは豊臣政権下での政争ですかね。どういう展開になるか、楽しみです。

2020年6月7日日曜日

新たな戦いの時代

 センゴク権兵衛、175話の感想。

 尾藤の首桶を見て、サジは讃岐への復帰を諦め、帰るよう権兵衛に言う。
 しかし、権兵衛は一人で行く。そしてサジに迷惑をかけない為に一旦縁を切ると言った。
 権兵衛は秀吉に一言、言いたかったのだ。
 神子田も尾藤も半兵衛のお気に入りであった。秀吉が変な道を歩もうとしている。だから止めなくては成らない。それが秀吉に対する恩返しである。
 だから、首が飛んでも行くしかない、のだ。
 その覚悟を聞き、サジはお供する、と申し出るのであった。

 信雄に改易の指示がもたらされる。当然、信雄は反発する。信雄にとって三河遠江への移封の固辞は加増を遠慮した、謙りの意思であった。
 信雄は徳川と共に合戦も有り得る、そう脅す。しかし、使者の富田は合戦の世は終わった、と断言する。そして、手紙なら小姫への慰めの手紙が先、と言う。
 信雄からの人質である小姫、家康からの人質である長丸。二人は婚約していた。しかし秀吉はこれを破棄した。それは家康も了承済みであった。
 さらに言えば、家康の口添えで信雄の切腹が取り消され、改易に減刑された。そう富田は申した。
 信雄は言う。意味はわかっているのか、と。
 信長が如き所業を繰り返せば、豊臣は滅ぶ、と。

 家康は思う、寧ろ滅亡の芽を摘むために追いやられたのだ、と。
 既に、豊臣政権内での生存闘争が始まっているのだ。

 七月下旬、権兵衛は豊臣家が陣を張る星の谷までやって来た。
 権兵衛はお伽衆の桑原や木下らに出迎えられる。小諸拝領のお礼と考えられたのだ。そして忠告される。物申さず、遠慮や謙りもしないように、と。
 怪訝な顔になる権兵衛に古田が言う。信雄が加増を拒否し改易になったと。
 権兵衛は言う。讃岐が欲しいと言ったら不味いか、と。当然、お伽衆は唖然とするのであった。

 
 と、言うわけで最終章の始まりですね。桃山波濤偏ですって。
 権力闘争が中心みたいですが、どこまで書くのかな?それこそ、秀吉の死亡まで書けるけど。鶴松の死去、秀頼の誕生、秀次の切腹までは書くかな?その辺で政権が固まるし。

 そして、信雄の移封拒否。まさか加増の辞退でもあったとは知らなかった。それだと、バカ殿ではなくなるね。まぁ、センゴクの信雄も無能風ではあるけど。
 なかなか、再評価されない信雄もそのうちされるのかな?

 あと、奉行衆だとおもっていたけどお伽衆だったの!?すっかり勘違いしてました。
 それと古田さん、名前が判明しましたね。予想通りでしたけど。へうげもののイメージ強いけど、センゴクの織部も癖が強いですね。

 さて、権兵衛は秀吉に対してどうするのか。次回も楽しみですね。

2020年5月24日日曜日

新たなる争いの始まり

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 さて、美濃に戻った権兵衛たち。今後どうするか、評定をしていた。
 既に残すは奥州の仕置きのみ、合戦無き世の稼ぎをどうするのかが重要であった。
 相も変わらず、権兵衛は惚けた事を言ってばかり。だが、流れとしては作事で稼ぐ、と言う事であった。無用ノ介は海賊停止令から、豊臣政権が海外との貿易をしようと考えていると看破する。そして、船の作事こそが仙石家の生きる道と説く。かつては海賊大名と呼ばれ、九鬼氏などにも伝手があるのだから、と。
 周囲の者は感心するが、権兵衛は全く理解してない模様。だが、船を作る事には食いついた。船作りを宣言するのだった。
 が、そんな中、秀吉からの書状が届いた。なんでも、信州の小諸を与える、との事であった。

 信州小諸五万石。豊臣の奉行衆には寝耳に水であった。
 小諸は春頃の浅間山噴火で疲弊してた。その上、前城代の依田が在地の雄として慕われたいた。権兵衛の他に堀尾や中村に任せようとしたが、二人は難色を示した。
 だから秀吉は、面の皮の厚い権兵衛に決めたと言う。
 更に、理由はある。今後の惣無事の方針は人掃い。所在明らかにない者を村や郡の中に抱え込む事だ。果たして権兵衛が大人しく村の中に納まるか。秀吉は奉行衆に千人切りでもしかねん、と言ったのはお主らと問う。
 奉行の一人は討伐と言う道もあるのでは、と問う。秀吉は言う、権兵衛は兵五百は集めよう、それならば討伐軍は兵一万だ。そして奉行衆に訊ねる、一万で討伐能うものはいるか、と。奉行衆が答えに窮すると、兵力を上げ、三万ならどうだ、と再び訊ねる。奉行衆は、ぐうの音も出ないと言うしかなかった。
 兵数万でも権兵衛と戦うのは骨が折れる。ならば大名として抱えるのが安上がりだ、そう秀吉は結論づけた。当然、反対する者はいなかった。
 そんな中、秀吉に報告がもたらされる。それを聞くと秀吉は、粛清の世にならざるを得んか、と言う。
 織田信雄が三河遠江への国替えを拒んでいたのだ。

 武による闘争は幕を閉じ、政権内での権力闘争の時代が幕を開けようとしていた。


 秀吉は小田原城で奥州仕置きの準備を始めていた。
 そんな中で信雄の転封問題について周囲の評価が富田からもたらされた。
 密室で二人になり、報告を聞く。どうやら周りには信雄の乱心に見えているのだと言う。秀吉は問う、減封、改易、切腹、どこまでやれる、と。富田はなんとか改易に持っていくと、たどたどしく答えた。
 これを聞き、信雄の改易を決定。そして、織田家当主は秀信とした。

 秀吉は危惧していた。意外と信雄が有能だったのだ。特に取次として何度も実績を作っている。
 取次を通して大名との結束が強まれば、信雄を頭にした反発が起きかねない。
 秀吉はこのままでは鶴松に政権委譲できない、そう考えていた。

 権兵衛は小諸拝領の礼をサジに頼もうとした。しかし、出発直前に中止し自分で行くと言い出した。権兵衛は寺僧から小諸は一郡であり、大名復帰である事を知ったからである。
 そして、権兵衛はどうせ復帰であるなら、讃岐にしてほしい、そう願う為に自ら行くことにしたのだ。
 それは讃岐衆に報いたい、その心からであった。
 権兵衛は大勝して秀吉がご機嫌良く、願いを簡単に聞いてくれる。そう楽観していた。
 だが、それも道中ですれ違った首桶で吹っ飛んでしまった。

 首桶は味方のもの、粛清されたのである。名前は尾藤、であった。

 秀吉の籠の前に出てきたのは、僧体の尾藤だった。赦して欲しかったのだろう。
 秀吉は叱責する。赦免してほしければ、軍の先手に加わり陰の奉公すべし。落城後の斯様な仕方は言語道断で悪き次第、と。
 だが、秀吉は赦そうとした。したのだが、その前に尾藤は泣いて追い縋って来た。長きを共にした、同情心に訴えようとした。
 そして、斬ってしまったのだ。秀吉は内心半兵衛に許しを請うのであった。

 権兵衛は困惑するしかなかった。

 
 権兵衛の大名復帰は割とあっさり、ですね。ただ、この後秀吉に会うのか、讃岐の事を言うのか、次週が楽しみですね。
 あと、依田の名前がさらっと出てきましたね。依田さんはいろいろ活躍の多い人ですから、もっとスポットライトが当たって欲しいです。若くして亡くなったのがおしいですね。

 そして尾藤。いろいろと悲しいです。秀吉も許そうとはしてた見たいですけど…権兵衛と違って、自身を顧みる機会がなかったんでしょうか。

 それにしても、豊臣政権は脆弱ですね。これは結局最後までそうでしたね。もしかしたら、これが秀吉の限界なのかもしれません。才能があるからこそ、盤石な体制を作れなかった、みたいな。

 新章は、権力闘争がメインになるのでしょうか。一体どこまで描かれるのか、楽しみです。