2017年1月29日日曜日

島津の戦い

 サボっていたらもう一月が終わりそうに……

 取り敢えず、三週分のセンゴク権兵衛の感想でも。


 紹巴に気に入られた家久は、畿内のあちこちを一緒に見て回る。
 そんな中、織田家の家臣と面会する。
 叡山の麓、坂本の領主明智光秀である。頭の中で信長と合戦したと聞き、興味を持ち、互いに頭の中で織田家対島津家の戦をする事を提案する。
 家久は快諾し、光秀と家久の頭の中で合戦が繰り広げられた。結局、敗北したのは島津だった。
 光秀曰く、なぜ総大将信長の首を狙わないか、と。家久は、信長は年を取り、九州まで来れないと答えた。
 しかし、光秀は気付いていた。家久は信長を誘き出そうしていると。そして、光秀はそうならない様に手を打っていたのだ。

 最後に伊勢神宮を参拝し、薩摩に戻る家久。
 その後九州の情勢は大きく動く事となる。

 島津忠平(義弘)が木崎原で、寡兵かつその八割を失っているにも関わらず、伊東氏に勝利したのだ。
 伊東は大友を頼り豊後に落ち延びる。
 島津は周辺の状況も鑑みて、大友と戦うことは可能と判断。敵対を表明する。
 一方、大友宗麟は大軍勢を編成し日向への侵攻を開始するのだった。

 家久は高城を守備していた。そこに大友の大軍が現れ、包囲を開始する。
 島津は次兄忠平の提案により奇襲を決定する。家久には事前に忠平が将棋の角の様に睨むべしと伝えていた。

 結果、家久の睨みにより大友軍は連携が出来ずに各個撃破されたのだった。


 と言う訳で、耳川の戦いが始まりましたね。この過去編は何処までやるのでしょうか。やろうと思えば、大友が秀吉に助けを求める所まで出来るけど……

 そう言えば、家久と権兵衛が上洛中に会うかな、と思ったけど会いませんでしたね。
 光秀との事は…本能寺の所にも繋がりそうな感じでしたね。

2016年12月31日土曜日

今年も終わり

 激動の年だった2016年も終わりますね。

 さて、センゴク権兵衛の今回と前回の感想を簡単に。


 島津家久にスポットを当てた過去編が始まりました。毛利以来恒例ですね。

 三州統一を果たした島津家。義久、(後の)義弘、歳久は今後を協議します。
 結果、九州統一を狙い、大義名分を得るため織田と会見する事に決まります。
 その使いに選ばれたのが家久です。

 彼らの祖父は、彼らが幼い頃にそれぞれ子犬を与え。その後に子犬を殺してどう出るかによって性格を見ていました。それにより家久は何処か恐ろしさを秘めていると祖父は判断していた。

 明るい家久。そんな彼と上洛に付き合おうと多くの供が集まります。
 彼らと共に珍道中。行く先々で宴会しつつ歩を進めます。
 そんな中、関所に止められます。中では役人が女性隅から隅まで調べていました。明らかに必要以上に。それに家久は切れかけました。しかしお供が先に役人に殴り掛かる事により、何事もなく、通過するのであった。


 途中、厳島によります。そこで家久は脳内で元就と戦い、破れ悔しがるのでした。
 
 また、ある時えびす屋と言う宿屋に泊まる時。神様と同じ名前だ、と言い畏まる、そんな敬虔な姿も見せるのだった。


 そんなこんなで漸く上洛。歌人紹巴に会うのだった。
 家久に会った紹巴は、彼は多くを見える者。と言い、信長や秀吉と同じと評価した。
 無論、家久は謙遜、否定する。

 さて、紹巴の弟子の家に泊まった翌朝。帰陣する信長の軍と相まみえる。多くの見物人と共に信長を見る家久。連戦からか、馬上で眠る信長。それを見、またも脳内で戦をする家久。元就に続き破れてしまうのであった。


 アオリで書いてたけど、長篠前なんですね。本能寺以来の信長見られて嬉しいです。
 島津は家久中心に描くみたいですね。まぁ、権兵衛と因縁深いの彼だからそうなるかな。

 さてこの上洛の話、何処まで続くのかな?
 以前、家久の上洛で権兵衛と会わすのでは、みたいな予測が有ったけど、そうなるのかな。
 それにしても、センゴクの物語も終わりが見えてきた感がありますね。来年何処まで進むか楽しみです。

2016年12月4日日曜日

東か西か

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 父に呼び出された田宮四郎。そこで、兄が蜂須賀家政に対抗する一揆に加わった事を告げられた。
 兄は弟に嫉妬したが、憎しみを向ける事を良しとせず、家政に矛先を向けたのだと父は言う。そして、四郎に家督を継がせると。

 結局、一揆は鎮圧された。兄の命は助けられなかったが、権兵衛の尽力もあり田宮家は讃岐で阿波の本貫と同等の地を得る事となる。
 自らの家督相続を引き合いにして四郎に告げる権兵衛。それに感じ入った四郎は家の者達にそれを伝えようと決意するのだった。


 長宗我部を下した秀吉は続いて北国で反旗を翻していた佐々を降伏させる。
 そんな秀吉の次の目標は、西の島津、もしくは東の徳川だった。


 そんな中、秀吉の奉行衆に新たな者が加わっていた。元丹羽家家臣、長束正家である。
 丹羽家を減封した際に、反論し、不正の無さを証明した算術に秀でた者だ。これを得て秀吉は唐にでも攻め入れると大言した。


 千宗易から様々な異国の物品を買う秀吉。そこで大友宗麟が骨喰の刀を持っていると聞く。秀吉は直ぐ様、それを買うと言った。しかし、予想し反して宗麟はタダで秀吉に献上するのだった。無論そこには、大友が争っている島津が関係していた。
 堺の商人達は、島津征伐を望んでいるのだ。

 奉行衆ら首脳陣と今後の方針を話し合う秀吉。東の徳川か、西の島津か。同時侵攻は兵糧、将、兵の問題から無理であると最初に否定される。

 東の徳川は、味方に引き入れた真田昌幸の奮迅により徳川及び同盟国の北条が辛酸を嘗めている。当然上杉も動かす事が出来る。

 一方西の島津は、大友、龍造寺に勝ち、日の出の勢いである。その上、同じ九州の者でさえ島津については口を噤んでしまう。

 得体の知れない島津、既に知ったる徳川。秀吉は徳川との対決を選ぶ。
 そして、その間島津を探るように権兵衛に下知する。


 徳川征伐に決まった。しかし歴史はそうはならなかった。
 九州征伐編、開帳。


 
 遂に始まった九州戦。一体この後どう対徳川から対島津になるのか楽しみです。
 真田丸では地震が切っ掛けでしたっけ?兎に角楽しみですね。

 後、清須会議で名前だけ出た長束も登場ですか。奉行衆も出揃って来ましたね。ホント関が原もやって欲しいですよ。

2016年11月20日日曜日

讃岐の大名

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想です。


 長宗我部家は秀吉に降伏する事となった。
 谷忠兵衛は主君の夢を奪った、として切腹するつもりだった。しかし元親は言う。
 土佐一国から再び信親が立ち上がる、それを見て自らの楽しみとすると。
 それを聞き忠兵衛は切腹を止めるのであった。

 
 土佐一国を安堵された元親。残りの四国の領土を秀吉は仕分けする。
 仙石権兵衛秀久は、先に四国に入り元親の四国統一を邪魔した。それが今回の勝因の一つだ、と秀吉は考えた。しかし、三成や吉継は引田では大敗したと言い、減俸するが妥当だと。その二人の言葉を聞きその場にいた小六にも聞く。小六は常に前に出るから、現場の人間には励みになると言う。
 秀吉はそれを聞き、戦があるうちは前に出る奴を評価せねばならん。それに借金は武功で返せとも言った。そう結論を付け、彼に讃岐十万石を与えた。
 そして阿波一国を小六に与えようとした。しかし、小六は息子に与えて欲しいと願い出た。自分は半分隠居の身となり秀吉の側近くで仕えると。
 秀吉はこれに了承するも内心、小六も前に出なくなったと嘆くのであった。


 伊予は小早川隆景に与えられた。そして三好三郎は十河城を与えられ、名を十河存保に改名する。また森村吉は仙石の名を与えられて、仙石家臣となる。


 後日、元親から届いた書状にはきちんと闕字が用いられていたのだった。


 
 讃岐領有した権兵衛は宇田津に近い聖通寺城を本拠とした。そこに奥方の藤や家臣の萩原孫太郎や仙石左近と共に船で急行していた。全ては権兵衛が浪費しないよにだ。

 そして再開した仙石一家。取り敢えずお金の使い道と讃岐領有の祝いの宴をする事に。
 軍事の増強や、町づくりをしたくても技術者がいないという問題が出たりもしたが、結局酒に呑まれてグダグダになってしまった。
 そこに娘の葛が注意しに入ってくる。ついでに金毘羅さんに寄付したらと提案する。逐電した者に戻って欲しいのでは、と誂う者もいたが、村吉は名案だと言う。曰く、長宗我部元親も最初は寄付をしたと。寺社は当然町を持ち、経済活動の拠点である。その上、周辺の人達にも顔が利く。これは名案とばかりに使い道が決まるのだった。


 そんな喧騒から離れていた田宮四郎。その元に書状が届く。それは父から一番上の兄が戦死したとの知らせであった。そして、家督相続の為の呼び出しでもあった。



 と言うわけで、四国征伐終了と、讃岐にいった仙石家ですね。
 相も変わらず仙石家は騒々しいですね。それと四郎はどうなるのやら。

 小六はこれで引退、と。秀吉は前に出るのが~と言ってたけど、寧ろ時代の変化からって気がします。直前に秀吉がいった「戦があるうちは」って発言で。このセリフ怖さもありますからね。権兵衛改易の伏線にもなりそうだし。

 九州征伐はもう少し後になりそうですが、楽しみにしつつ待ちましょうね。

2016年11月6日日曜日

決着

 先週と先々週のセンゴク権兵衛の感想です。


 羽柴軍は徹底的に元親との決戦を避け、支城を虱潰しにする戦法を取る。
 一方、伊予方面でも毛利軍が侵攻を進めていた。

 順調に進む征伐。しかし、三好三郎はそれに不満を持っていた。
 それは、彼が元親との決戦を望んでいたからである。三郎と一緒にいる権兵衛もその気持ちは理解できた。
 そんな中考える、今回の戦を。長宗我部家の台所を支えていた木材、その売り先は畿内である羽柴家。前回の紀州でも木材が絡んでいた。
 そう、木材を抑える為今回の戦があるのでは、権兵衛はそう考えるのだった。


 一方の長宗我部家では軍議が開かれる。そう降伏か抗戦かの軍議である。
 香宗我部親泰達重臣は降伏を説く。しかし、信親は徹底抗戦を主張する。
 親泰達は、信親の心情を理解しつつも、降伏すべしと言う。だが信親は譲らない。

 そこで、元親が口を開く。今回の戦では幾つかの城を見捨てると言う戦法を取ったし、取らざるを得なかった。そしてその事で民衆の心が長宗我部から離れてしまった。これでは徹底抗戦した所で、領国の回復は難しいと。

 そして、関兵衛の離反が元親の指示だったと告げる。


 全てを知った信親は降伏を受け入れるのだった。



 これで決着……かな?
 信親はここで完全燃焼出来なかった分、戸次川で発散するって感じになりそう。そう考えると三郎も……。

 これで四国編完了だと、その時はもうすぐそこなのか。なにかワクワクしてきますね。

2016年10月16日日曜日

位人臣

 クライマックスシリーズおもしろいですね(白目)

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。


 秀吉の昇進と共に、玉突き人事が起こり誰が関白になるか争いとなった。
 そこで、いっその事秀吉が関白になれば、という話が出てきたのだった。

 秀吉は、名実共に天下人になれると、これを受け入れる。
 しかし、朝廷に取り込まれる危惧もあった。

 だが、戦国の世を渡り歩いた秀吉を朝廷は丸め込める事はできなかった。
 また、秀吉の能吏達は有職故実を学び、前代未聞の武家関白制を創り上げるのだった。


 そんな、関白の名の下に元親に停戦命令が出される。しかし、かって摂関家の流れを組む一条を滅ぼした元親はこれに従わなかった。

 家臣たちを返した後、元親は信親に言う。引田で仙石三好を討ち漏らした事が失敗だったと。故に、今、苦境に立たされている、と。


 小一郎等は兵を二手に分ける策を考えた。本隊はこのまま白地城に向かい、もう一隊は海を超えて海部を攻撃する。そう中入り作戦だ。
 しかし、これに権兵衛、小西が異を唱える。曰く、海部は商船の集積地であり、腕のいい船乗りが揃っていると。
 そう、ここが長宗我部にとって重要な商業拠点であったのだ。

 小一郎たちは再び策を練り直す。その中で、官兵衛は敵が中入り策に誘導しれるのでは、と疑念を持つ。長久手の戦いの様に、四国の山中を長躯して海部に本隊が現れるのではと。
 土佐の兵なら遣りかねない、そう諸将は判断し中入り策を取り止め、白地城攻めに全力を尽くす事にした。


 元親の絵図は崩れた。東条関兵衛を態と寝返らせたにも関わらずに。
 そして、何も知らぬ信親は、一人浦戸に戻った東条の元に向かった。裏切った真意を訊く信親。しかし、東条は何も語らない。
 故に、信親は東条を処断するのだった。



 官兵衛すごい。そんな四国征伐ですね。
 もっとも、権兵衛の発言が気づくキッカケになってるのは面白いですね。(主人公補正とも言う)そう言えば権兵衛と半兵衛の時もそんな感じでしたっけ。

 関白就任の所は、流石秀吉、役者が違うって感じですね。
 この辺りで官位が序列って感じになるのかな?まぁそれが後々…って感じもしますけど。

 四国編も大勢は決まった感じですが、どうなる事か。楽しみですね。

2016年9月25日日曜日

大きな転機

 中日、最下位っぽいです……

 気を取り直して、先週と今週のセンゴク権兵衛の感想を。


 仙石と三好隊は喜岡城を攻め落とし、城兵悉くを討ち取った。
 その効果もあったのか他の城は戦わずして開城する。秀家率いる羽柴軍は順調に進軍し、次の攻撃目標を植田城とする。
 植田城は元親の親族、戸波が守っていた。そこで官兵衛は降伏を戸波に勧めるのだった。
 戸波は承知し、三日で城兵を説得し開城すると言った。しかし、官兵衛は一日で開城を、と強く求める。戸波は渋々了承し、その代わり、説得し易い様に態と城を囲み圧力を掛けるよう頼んだ。

 翌日、戸波は部下の首を並べてもう少し待って欲しいと官兵衛に懇願する。
 官兵衛は話が違うと言うも、忠臣を斬る事になったと慟哭する戸波に返す言葉がなかった。


 植田城をどうするべきか。諸将が集まり、軍議が始まる。
 だが、既に羽柴勢は元親の策に嵌っていたのだ。

 元親は植田城を囮に、敵を引き付け、山間の道を気取られぬ様に駆け、挟撃する策を取っていたのだ。


 既に元親は動き始めた。しかし、羽柴勢は未だ軍議の途中であった。
 権兵衛や三郎は城攻めに転じるべきだと主張する。勿論、官兵衛は反対であり、攻めるにしても、策を練れと言う。そんな彼に対して二人は「策はある、戦っている内に出てくる」なんてのたまった。しかし、官兵衛はその言葉に引っかかりを感じ、二人に引田の戦いの詳細を訊くのだった。


 もう少しで敵本陣。元親はそこまで近づいていた。しかし、元親の元に驚くべき報が届く、既に敵の姿は無い、と。



 引田の戦いの詳細を聴いた官兵衛は、既に自分達が敵の罠に嵌ってる事に気が付いた。既に打てる策は無く。唯一の方法は、権兵衛の言う逃げるだけであった。
 しかし、逃げると言う事は、他軍と合流すること。それはその軍の風下に立つ事になり、出世の道が遠のく事であった。だが……
 三好三郎は元親が英雄であり、逃げる事は恥ずべき事では無いと言う。
 黒田官兵衛、蜂須賀小六は出世しすぎる事の怖さを知っていた。
 そして、宇喜多秀家は自身より羽柴家を優先する。

 こうして、反対する権兵衛を尻目に、撤退、合流を選ぶのだった。


 これは、全くもって元親の予想外の出来事であった。


 宇喜多ら諸将は、四国攻め総大将小一郎の元に入った。
 そして、木津城を攻めるのだった。官兵衛は三好三郎から譲られた三好笑岩の面頬を手土産に東条を説得し、開城させる。

 そんな中、秀吉が四国に出向くと知らせが入る。
 何故か。その時、秀吉には関白叙任の話が舞い込んでいたのだった。



 色々、濃い二話でした。と言うか、この二話が四国征伐のターニングポイントって感じですからね。
 各個撃破を考えていた元親と、敵の策を見抜き讃岐から撤退し小一郎と合流した官兵衛で大筋の決着がついてますからね。この後、戦略の崩れた元親がどうするか、って所でもあるけど…難しいですね。

 そして遂に秀吉が関白就任ですか。と、同時に豊臣秀吉になるんですね。この当たり、じっくりやるのかな?来週に期待ですね。