2021年4月4日日曜日

沈む船と産まれる男子

  センゴク権兵衛、の感想。

 205話
 明の勅使の歓待が始まる。相伴したのは小西と三成ら奉行衆であった。
 歓待は終始和やかに進む。廊下で侍る権兵衛はこれを意外に感じていた。
 
 権兵衛は出てきた小西に声を掛けるも疲れた顔で袖にされる。
 三成達奉行衆は権兵衛の無礼を不問にした。朝鮮での事を考えれば、マシに思えるのだろう。

 自陣に戻った権兵衛は家老たちと話し合う。
 朝鮮での苦戦を感じ取り、兵糧の算段を無用ノ介に頼む。そして外交交渉を聞く。
 両国朝廷、豊臣政権の正統性、等々問題も多く、その上幾人もの人を介しなければならない。その上で、最初の案で合意の可能性が見い出せるものでなくては、戦は長引く。そう無用ノ介は結論付けた。
 権兵衛はそれを聞き、寂しい話と言った。
 交渉が長引いて、秀吉の天寿が尽きて、唐入りも中止。そんな期待を皆がする流れになれば、天下人とはあまりにも孤独ではないか、と。
 権兵衛自身が期待しているのでは、と言われ否定する。しかし、考えれば考える程に迷いは深くなり、思うかもしれぬ、と思う。権兵衛はいずれ思う事になると思うとより、寂しい話と考えるのだった。
 
 秀吉の和平案。それはこれまでの経験に裏打ちされた、敢えて多めに要求し、譲歩案で決着させるものだった。
 明国皇女降嫁、高麗下半国割譲、貿易権獲得の三つを要求して、拒否されたら一番受け入れられる貿易権獲得で手打ちにする、その腹積もりだ。
 秀吉は領土と言う花を捨て実をとった。それこそが豊臣秀吉と自分に言い聞かせる。
 すべてはこの刻の為に天は自分を地に遣わした。ここまで来たのも天の導き。
 疎まれ蔑まれてきた自分が衆生に愛され崇め奉られる、そう思うのだった。

 206話
 秀吉の和平案が関白秀次の元に送られた。
 条件は先の三案に更に朝鮮王子の差出も加わっていた。が、要は同じ貿易権を獲得する為に勘合貿易を復活させる妥協案に最終的に落とし込むのだ。
 これを見た田中吉政は秀吉の意図を理解し、ゼニに名誉、それに豊臣の正統性の三つの利益がある、と言う。ただ、領土を求めていた大名には失態者から領土を召し上げ配分するしかなかった。
 秀次は秀吉は誰よりも知恵があると言う。だが、不勉強だと。
 唐国の知識の積み上げ、議論の厚さ、そして数々対外交渉。それは豊臣家の比ではなかった。秀次は秀吉の外交策に明は釣られないと考えた。
 だが、秀次は関白の権限で却下はする事は出来なかった。そのような鼎の軽重を問う真似を。
 和平案は勅許を得て、明の使節に渡された。

 使節も帰り。秀吉も上機嫌であった。完成が遅れた鉄甲船に関しても不問に、寧ろ労った。

 だが、その頃京では刃傷沙汰が起こっていた。それも秀次の小姓と御弓衆が口論の末にであった。
 茶々の懐妊で秀次の周辺は騒がしく、緊迫していたのだ。当然、秀次も心をざわつかせるのであった。

 いよいよ、鉄甲船のお披露目が名護屋であった。秀吉だけでなく、多くの者が見物する。
 が、その船は沈没してしまった。
 まるでこの先の豊臣政権を暗示するかのように。

 そして、遂に、八月三日に後の豊臣秀頼が誕生するのだ。

 207話
 和平の返事を待つ間、朝鮮から諸大名を帰還させる事になった。勿論、現地に在番する大名もいた。
 彼らの帰還は九月の初旬から中旬。秀吉は彼らを出迎えて、その後に大坂戻る予定を立てる。
 秀吉は唐入りを成功、と言い。他の者達も九月の末までに陣払いの支度をするように命ずるのだった。
 権兵衛も陣に戻り、皆に指示をする。一応勝った、との事なので家臣達は勝鬨を上げるのだった。

 夜、秀吉の屋敷にも鬨の声が聞こえた。秀吉は一緒にいる竜子に聞く。皆、何に喜んでいるのか、と。唐入りが成功裏に終わりそうな事なのか、唐入りに行かずに済んだ事なのか。
 秀吉は竜子に縋る。自分は万民が為に唐入りをしたのだと。そして実が得られたら自分の行動が正しかったとわかる、と。
 秀吉は、寧々は出家従っているし、茶々は政をまだ知らない、と言って竜子だけだと言う。それを聞き、竜子は今秀吉を絞め殺せば万民を救えるのか、それとも乱世に逆戻りするのか、考える。
 肌を重ねつつ思う。猿楽だと。この子猿の采一つで、日ノ本、明、南蛮までも振り回される、と。

 八月九日、に茶々の出産の報せが入る。
 すると、渡海勢の凱旋も待たずに早々と、大坂に帰ってしまったのだ。
 権兵衛達も同じく帰る事になった。当然、家臣達からは驚きの声が出る。
 権兵衛は色々思う事はあるだろうが、一兵も死なずに逃散しなかった事を誉める。そして、名護屋の都で学んだ事を小諸で生かし、城下を作るのが自分達の務めだと言う。
 一年余りの名護屋での在陣は終わった。

 八月二十五日に秀吉は大坂に帰着し、産まれた赤子に対面する。
 その無垢さに秀吉は感動する。この子さえいれば何人に憎まれても孤独ではない、そう思った。
 秀吉は、後始末をしっかりとつけたか、と聞く。そして肯定の言葉が返るとならば良いと言う。

 そして、大坂に秀吉が戻った事を暗い顔で聞いた男がいた。そう秀次である。

 
 秀次さんが闇落ちしそうですね。
 とまれ、今までセンゴクを考えると乱心はしない、と思いますが。
 徹底的に二人はすれ違うのかな?とにかく、豊臣政権もいよいよ終わりが始まりましたね。鉄甲船が沈むのと同時に秀頼が誕生って凄い皮肉と言うか、潰れますぞって感じがして少し物悲しいですね。それこそ、権兵衛の言う通り寂しいですね。

 唐入りは一時中断だけど、次の嵐はもう吹き始めています。
 果たして秀吉はどうするのか、そして権兵衛は?次回も楽しみです。

 

2021年3月7日日曜日

紆余曲折の果てに

   センゴク権兵衛の感想。

 201話
 秀吉、そして家康利家の渡海は延期になる。代わりに渡海するのは三成ら奉行衆。 
 しかし、秀吉からの書状は勇ましく、且つ判断を三成達に任せるものであった。現地での混乱は目に見えていた。
 権兵衛は独り言と称し、無用ノ介と話、頭を整理する。
 朝鮮との和談もままなるのに、明攻めを促す。泥沼の戦いになるニオイがするのだ。
 権兵衛は思う、秀吉は自信と不安が繰り返している、それらが才人である、と。
 無用ノ介は賭けに出たと言い、上手く行けば明との直接交渉、駄目なら奉行衆の判断での慎重策、と。
 しかし、権兵衛はそれは無理、現地軍は言う事を聞かない、と答える。理由は自分がそうだから、である。
 とまれ、これで権兵衛の頭は整理された。

 秀吉の来春の渡海、これを延期せしむ事態が発生する。
 七月二十二日の大政所の死去である。急ぎ、名護屋から京に戻ったが、母の死に目には会えなかった。
 秀吉は悲しみに暮れ、自責の念に駆られるのであった。

 朝鮮の状況は悪かった。戦に勝っても、統治は難し。
 兵糧の少なさ、寒さ、兵の少なさ、統治も儘ならない。
 三成、増田、大谷は秀吉にありのまま伝えるか迷うのであった。

 202話
 朝鮮と明が合流し、戦線の膠着は続く。そして八月には小西が明との交渉に臨む事となる。
 そして、五十日間の停戦が決定した。
 そんな中秀吉はずっと畿内に逗留。更に、伏見に隠居所を建てようとしていた。
 その噂は名護屋の権兵衛の耳まで入った。それは無用ノ介の見立て通りであり、港さえ押さえれば渡海する必要はない、そう権兵衛は考える。
 そんな中で身投げ騒動があった。しかも死んだのは皆好色漢ばかりであった。茶々もまた、独自に動いていたのだ。

 十一月、漸く秀吉は名護屋に戻って来た。来春こそ渡海か、皆思っていた。
 さて、権兵衛は完成した湯屋を秀吉に披露した。そして十一月十八日、従五位下越前守に叙された。ちなみにこの頃から秀久から秀康に改名していた。
 天正二十年十二月八日を以て天正から文禄への改元される。
 そして秀吉の心境も変わる。表向きは唐入りに積極的だったのが表向きすら消極的になったのだ。それは唐入り策の成功を容易とみたか、それともかつての将軍の如く現実の直視を拒んだのであろうか。

 現実は過酷である。朝鮮では最前線に明の大軍が迫っていた。
 停戦後、再交渉をするのも不調。準備を整えた明、朝鮮連合軍は文禄二年正月に平壌に攻め寄せたのだ。
 しかし、秀吉は明が侘び入れに来る、と思っていた。いや、そう思いたかったのかもしれなかった。小西も秀吉も疲れ、明側の誤情報に縋ったのかもしれない。

 203話
 このころより秀吉は能に耽溺していった。見るだけでなく自らシテを演じたりもした。
 そんな中、竜子より茶々の加減が悪いと聞かされる。そして、大坂に戻り有馬の湯治をするよう進言する。秀吉はそれを了承する。
 秀吉にはまだ伝えていない、茶々の懐妊の兆しがある事は。
 明の使節を自らの能でもてなそうと秀吉は考えていた。

 しかし、現実は過酷であった。
 朝鮮では不安要素が増えていた。疫病に通信途絶、水軍や反乱軍も発生していた。
 更に、戦線縮小を三成達が考えても清正は応じなかった。その上での小西軍の敗北である。
 豊臣軍の空中分解もありえた。そんな中で迎えたのが碧蹄館の戦いである。小早川隆景と立花宗茂の活躍により激戦の末に勝利。その後は一進一退の戦いとなった。
 そんな報告も秀吉の下には遅れて伝わるのであった。秀吉の楽観は崩れ去った。
 現地でも漢城の死守せども維持は困難になり、放棄を話会うようになる。
 秀吉の渡海する気は失せ、朝鮮南部の確保へ舵を切り始めた。

 しかし、秀吉の思いとは裏腹に歴史は進む。
 豊臣軍の強さを実感した明も和睦を模索し始めたのだ。その上、一部の廷臣は寧波での貿易を許可しようとしていたのだ。
 ここにわずかな道がつながった、秀吉の東アジア貿易権獲得の野望が。
 三月十五日に小西は再び、明と交渉する。その中で決められたのは三点。一つ、朝鮮王子の返還。一つ、豊臣は漢城から釜山まで撤退、明は開城まで撤退。一つ、明から日本への使節派遣。
 だが、正式な使節の派遣は難しと見られ、皇帝の勅許無しの偽の使節であった。
 兎にも角にも、泥沼化しそうな唐入りは講和に向けた新たな転機を迎えようとしていた。

 204話
 文禄二年五月、いよいよ直接交渉が迫っていた。
 秀吉は正澄からの報告を聞き、勅使に対し粗相をする者いないよう今後も監視するよう申し付ける。そして在陣衆に御触を出す。明国に悪口を言う者は処罰する、と。更に花押まで署名させてだ。秀吉はこの交渉に賭けていたのだ。
 だが、辻褄合わせが必要であった。積極的に征明を煽ったのだ、諸将の目を逸らす必要があった。秀吉は不要な将を罰することで目を逸らさせる事にした。その標的にされたのは大友吉統、島津忠辰、波多親の三人である。皆、改易処分となった。
 交渉の準備は進んでいた。鉄甲船の出来の目途が付き、これまた、明の勅使の心を攻める手段が増えた。しかし、同時に偽の勅使、明に侘び入れの意がない、と言う誤算も孕んでいた。
 そんな中、茶々の懐妊正式にねねに伝わる。それは当然、その周りにも。
 男女の別は分からない。それでも、男子なれば政権の行方に影響はある。懐妊を伝え聞いた秀次は動揺しつつ、お祝いしなければならなかった。

 五月中旬、遂に小西、三成と共に勅使が上陸する。彼らは偽とは言え、日明貿易容認派である、この一筋の光明を携えた使者と五月二十三日に接見するのだ。
 その前日の二十二日に秀吉は茶々の懐妊を知る。だが、その返事はそっけなく、秀吉は自分一人が天下の為に働いている、そう思うのであった。
 いよいよ接見の時。秀吉の外交手腕に全てが懸かっていた。


 と、言うわけで四話分です。
 かなり迷走した唐入り。だが、歴史の歯車は秀吉の思い通りに動きそうです。やはりまだ、神に愛されているのか、とも思いますが当然我々はその後も知っています。鶴松の死により半ば暴走したように始まり、躁鬱を繰り返した果てに見えるのは何でしょうか。
 この後は秀頼の誕生もあり、豊臣政権は自壊し始めます。ここが、秀吉最後の輝きになるのでしょうか。次回も楽しみです。

2021年1月31日日曜日

一つの決断、一つの終焉

  センゴク権兵衛、200話の感想。

 漢城陥落後、秀吉は小西と相談が肝要との書状を出した。
 小西が唱える慎重策を選んだのだ。
 しかし、国内向けの書状は違った。明を支配し、秀次と後陽成天皇を北京に移す。秀吉は寧波を拠点とし、天竺までも切り取る、と。壮大過ぎる計画であった。
 秀吉は自信過剰と自信過小の板挟み状態であった。

 権兵衛は湯殿の普請をしていた。秀吉に急かされた為、懸造で作っていたが、正澄に怒られてしまう。権兵衛は秀吉が渡海するまでの間、と言うと正澄はその件は小声で、と声を潜めるのであった。
 森は権兵衛に訊ねる、秀吉の渡海が近いか、と。権兵衛は日和と順風次第だ、と答える。
 命が有れば自分たちも渡らねばならない。だが、権兵衛はあまり心配してなかった。何故なら秀吉の命令で死んだ事は無く、合戦ならば秀吉が出馬すれば、ほぼ負けはなかったからだ。
 そんな権兵衛を秀吉は呼び出した。そして、共に海を見る。秀吉は権兵衛に波の様子を聞く。権兵衛は海賊衆なら問題ない、と答える。
 しかし、海賊、ではない。此度の渡海は豊臣政権の威容を示さなければいけない。一艘たりとも遭難させたくなかった。
 それを聞くと権兵衛は、無茶と答える。そして半分遅れず上陸できれば上出来、だと。
 秀吉はそれが元水軍の意見だな、と言い。権兵衛に渡海の評定があるから廊下で侍るよう命じる。
 権兵衛は秀吉が迷っていると感じた。

 六月二日に渡海計画の談合が行われる。
 此度の談合は家康と利家の二人が誘い合わせて開いたのだ。
 大名衆からはその二人。そして奉行衆からは三成が出席した。この時奉行衆の柱石、浅野長吉は一時謹慎を蒙っていた。その理由は渡海に反対した為だと言う。そして家康もその事を知っているのだった。
 が、それでも家康は渡海の反対、消極策を主張したのだ。
 一方、三成は積極策を主張する。その理由は朝鮮との連絡に片道半月かかる為である。
 しかし、家康は船頭の話をする。船頭は今月来月は不慮の風がある、と言っている。もし万が一があれば天下相果てる、と。
 だが、三成は渡海を延期すれば十中八九苦境に陥ると言う。朝鮮国王は逃亡した。だが、朝鮮国王と和談がなければ明と交渉も出来ない。それどころか二カ国同時に戦う羽目になる。更に海路は未だに把握出来ておらず、五月七日には玉浦にて朝鮮水軍に敗れていた。これでは兵糧を行き渡らせる事ままならない。
 三成は重ねて言う。自分は本来唐入りには反対であった、と。だが、秀吉の才覚を信じるが故に賛成した。これまで幾度も敗勢に勝利を見出した秀吉だからこそ、渡海なしの勝利などありえない、そう断言する。
 それに対して家康は泣いて訴えた。自分と利家が先に行くと言って。
 三成は理に合わぬ、と言うが利家に真心も計数で量る気か、と制された。
 廊下で侍る権兵衛は思う。随分と怖い大名様になった、と。以前とは違う、人を制する涙、だと。

 秀吉の出した答えは、渡海の延期であった。

 それは渡海の失敗を恐れ、遁逃したのだ。そして、この場を制したのは家康であった。史上最も静かで、かつ大いなる博打に勝利したのだ。


 さらっと石田正澄が出てきましたな。三成のお兄さんが。
 さて、いよいよ、秀吉にも陰りが出始めた、って感じです。もう少し前からあった気がしますが、分かりやすく、一歩引いてしまった感じがします。
 秀吉の決断は間違えではないです。けれど、成功をも手放した、感じですね。もう、神憑り的な才知はもう期待出来ないのかな?って。
 一方で家康が台頭しましたね。というか、バトンタッチと言う感じでもありますね。ここからは家康が天下人に相応しい実績を重ねるのかな。そんな予感もします。
 一つのターニングポイントを迎えた豊臣政権であるけれど、まだあります。その先に待ち受けるのは……次回も楽しみですね。

2021年1月17日日曜日

頂点の暗闇

  センゴク権兵衛、198と199話の感想。

 徳川と前田に喧嘩騒動があった五月上旬。その時にはすでに首都漢城を奪取していたのだ。
 それは秀吉すら、予期していなかった。落城の報せはまだ届かず、秀吉は渡海の準備をしていた。その一環で近習の増員をする。その一人として権兵衛を近習にすると言う。周りの者は躊躇するも、三成は秀吉の意図を理解し、賛成する。何をしでかすか分からないから、傍に置く。そして、猪武者への対応を奉行衆が学ぶ。それが秀吉の考えだった。

 権兵衛は秀吉の近習となり。空いた日は湯殿普請をする事となった。
 皆、喜んでいたが、森は近習になれば渡海するはず、いつ日ノ本に帰れるか心配であった。
 権兵衛は長くて一年と考えていた。さらに言えば本当に唐や天竺に行くのか疑問だった。葛の再婚の為にも早めに帰りたかったのだ。
 無用ノ介は言う。過去を顧みると遠征半年を過ぎると逃散者が増大する。一年以上の遠征なら政権崩壊の危機もあり得る。
 権兵衛は物騒な事を言うな、タマに正しいことを言うから、と言う。すると無用ノ介は間違ったことがあったか、権兵衛に恩を受けたこと以外で、と返した。
 権兵衛は言う、ややこしいことだと。そして古渓和尚の教えに従って、ややこしい問題は「あきらめる」と宣言する。
 意味は自暴自棄になる事ではない。ちゃんと見る、と言う事である。あきらかに見るが即ち諦め、そう無用ノ介は補足した。
 今は見るしかない、秀吉の周りで起きている事を。そして生きて帰れないなら逃散して牢人に戻ればいい、そう言う。自分たちは海賊でも山賊でもやって来た、と。

 前田利家の陣に家康が現れた。先の喧嘩沙汰の件で、である。利家は動揺しつつも、会うしかない、と腹をくくる。万が一の為の銭の用意はあるのだから。
 当然、室内で待っていると利家は思っていた。しかし、家康は門前で待っていた。平伏して、だ。これには利家も平伏するしかなかった。しかも、前田が水をとったのが原因なのに、水は分かち合うもの、と言い自分たちに否があると言うのだ。

 場所を室内移し、二人は話す。家康は利家の誠実さが伝わったと言い、利家も言葉をそっくりお返しすると返事をした。
 家康は続ける。戦国大名ゆえに人を見ては信用能うか能わぬか見極める。もしかしたら、陰で徳川前田を仲違いさせようと画策してる者おるかもしれぬ、と。
 利家も思うところがあった。秀吉の周りには色んな人が集まっている。その中に野心を抱くもがおるかもしれぬ、と。
家康と利家の仲は深まった。それは家康の人たらしの才であった。一体誰から学んだのであろうか。


 渡海した部隊は漢城で半月に亘り評定を行った。
 小西は朝鮮との国交を回復した上での唐入りが上意であり、統治が先決を考えていた。しかし清正は長々とした談合を迷惑とし、秀吉の早期渡海による唐入り敢行こそが上意と考えていた。
 戦略の相違が不協和音を奏でさせた。それだけではない、秀吉からの書状もこの状態を加速させた。
 結局、戦況は万全と言えず、その為に安全策をとる。諸将が朝鮮国八道にそれぞれ派遣され統治が優先された。
 そんな現地の状況を知らず、半月遅れで漢城陥落の報せが秀吉に伝えられる。
 家臣も秀吉も大喜びであった。

 そのはずだった。

 内心、秀吉は不安であった。もし、高麗が服属拒否するなら、大明国は都を包囲すれば自分の外交策に屈するか。
 秀吉の戦略は制海権をとり、海を渡り、河を遡り、北京を包囲し外交的譲歩を得る事であった。しかし、北京を海の近くと誤認していた。それは地形の把握が不十分であったのだ。
 外海について見分も舟も足らない。不安であった。しかし、皆が喜ぶ姿をみると自分が天下万民を聚楽に導かなければならない、そう強く思う。

 秀吉は湯屋の普請場に行き権兵衛に何時完成するか聞く。だが、まだ曲輪も出来ていなかった。権兵衛は懸造にするか、聞くと二つ返事でそれでいいと言う。そして崩れたら全員打ち首、と。突如の豹変であった。しかし、権兵衛はむしろ何かに怯えている、そう森に言うのだった。
 皆、秀吉を止めたり、苦言を呈する者はいなかった。
 鶴松の死を紛らわせる為の、性急な唐入りだった。秀吉の思惑を超えて、出来過ぎなくらい事が運んでしまった。もはや停止など出来るはずもない。
 皆、秀吉が能わぬもののない天下人と思い込んでいた。秀吉は皆に応えなければならなかった。能わぬもののない、天下人になるしかなかった。
 その瞳からは光が失われていた。


 あれほど万能感があった秀吉が、一人の人になっていますね。これが頂点に立つ恐ろしさ、何でしょうか。誰が彼を救うのか。それこそが友である権兵衛の役目になるのかな?
 一方で家康は着実に地盤固めをしていますね。すでに次を見据えているのか。
 朝鮮でも各将の間にひびが入っていますね。これが関ケ原への伏線になるんですよね。関ケ原も見たいところですね。
 壊れそうな秀吉。一体この先どうなるのか、次回も楽しみです。

2020年12月31日木曜日

増える火種

 センゴク権兵衛、196話と197話の感想。

 佐竹と信濃国衆の喧嘩。佐竹勢は太い棒を用意して襲撃に備えていた。
 信濃の諸将が集っている陣幕にその報がもたらされる。すでに備えている佐竹に諸将はざわつくが、権兵衛は別の事に気になっていた。
 火縄の匂いがしたのだ。権兵衛は鉄砲は無用のはず、と言い、消すように促す。
 鉄砲を用意していたのは真田だった。ただし、弾も火薬も使用しない空砲であった。昌幸はあくまで威嚇の為であり、玉傷も音もしないから沙汰の折にも問題無いと言う。更に、棒の叩き合いすらなく敵を追い散らせると提言する。
 しかし、権兵衛は敵が逃げずに大事になる可能性を指摘する。が、昌幸は逆上したら、それこそ思う壺、真田が翻弄すると言うのだ。
 この言葉に事の発端の毛利秀頼は心強い、と言う。そして権兵衛に心意気を見せて欲しい、挽回の刻、と肩を強く掴みながら言った。

 佐竹の行軍を物見が監視する。
 先手は一族の佐竹義久。なんと、千五百も兵を引き連れている。
 そして大将佐竹義宜は五百騎総勢三千。更に棒ではなく得物に鉄砲まで備えているのだ。
 その報が権兵衛の下に届けられる。これは権兵衛の予想外であった。この大軍であれば名門佐竹は引くに引けない。元の宿の優先順位の争いですら毛利秀頼側の不利であった。

 佐竹義久は火縄のニオイに気付く。義久は弓手を前に出し、更に義宜へ報せる。
 義宜は信濃衆が火蓋を切ったら、やれ、と命令する。たとえ詰め腹を切らされようと大義は我らにあり、と言うのだった。

 一触即発の信濃衆と佐竹勢。
 近づく敵に権兵衛は、一人飛び出し大声で言う。暫く、と何度も。
 権兵衛は経緯を説明し、そして勝ち目がないから相止めと言い、通るよう伝えるのだった。
 毛利秀頼は当然怒り心頭、三国一の臆病者と罵る。が、権兵衛にとっては言われなれているものだった。
 一方、昌幸はこれを見て、権兵衛を侮り難し、と考えるのであった。

 佐竹と信濃衆の諍いは収まった。しかし、衝突は他にも、特にある大大名家同志でも起こっていた。

 此度の喧嘩沙汰、佐竹に東国の上杉、蒲生、そしてなんと伊達も味方に付いたのだ。
 この報になんと、奉行衆は安堵したのだ。その理由は伊達が佐竹に付いたからである。もし信濃衆に付けば諸大名を巻き込む火種になっていた可能性があったからだ。
 喧嘩は無事、収束した。が、これも秀吉の遅延故であり、未だ奉行衆の力が発展途中である事が露見したのだ。奉行衆は猪武者に目付が必要と考える。ちなみに、三成は権兵衛が焚き付けたと思っていた。

 さて、四月下旬。遂に権兵衛たちは名護屋に到着した。そこはまさに新たな都であった。聚楽を越える城、数多の諸大名の陣所、人のごった返す商店。更に、城の造り、庭、能舞台茶室、すべてが諸大名が精力を掛けて作った最先端であった。
 
 町を歩く権兵衛すると商人に話しかけられる。なんと、かつての家臣、斎藤であった。
 権兵衛はさっそく、銭を貸して欲しいと言うが、そこまでの銭はないと言う。その代わりに前田家に伝手があるので、取次すると提案する。
 そして、借銭は後ろめたき事ばかりでは無い、と言う。キチンと返済する事で両家の信頼を築ける。しかも前田利家はいずれ豊臣政権の鼎の一つになる、そう噂されているのだ。
 ただ、権兵衛は恩返ししなければいけない人が多い事を気にする。面倒、だとも言う。
 斎藤は少々評判が悪い、と言い、権兵衛も良かった事がない、と返した。
 とかく、権兵衛は斎藤に礼をする。田宮の遺髪を届けてくれた事に。しかし、斎藤は言いよどむ。しかし、権兵衛はその事を解っていた。あの遺髪が本物でない事に。
 それでも良い物である、斎藤の嘘は良い嘘だ、そう言うのであった。
 斎藤はご立派になった、仏門に入られたように、と評し、権兵衛は古径和尚の弟子になるのは断られた、と返した。

 二十五日には秀吉も到着。勝報に接し、自身の渡海の準備に入る。
 しかし、五月五日に新たな喧嘩沙汰が勃発。しかも政権中枢の徳川と前田である。
 切っ掛けは徳川陣近くの清水から前田家の家臣が水を汲んでいた為である。両家の口論から始まった諍いは徐々に人数を増す。これに本多忠勝が仲裁に乗り出すが、伊達政宗が徳川に味方すると表明する。この為、一触即発になりかける。しかし、伊達家の年寄衆が仲裁。これにて両家は引き、天下の大事には成らずに済んだのである。

 奉行衆は落胆する。秀吉が居ても喧嘩が収まらないのである。
 さらに、表向きは事なきを得たが、天下の航路は異なる方向へ向かっていた。


 前途多難、既に秀吉の力も落ち始めた、感じがしますね。朝鮮出兵は各大名間に多くの火種を残して終わる、と言う豊臣政権にとっては何一つ良い所なく終わりましたからね。
 徳川と前田の諍いが関ケ原に繋がっていくのかな。なにはともあれ、関ケ原まで見たくなりたいですね。

 佐竹との争いは権兵衛だからこそ止められた、って感じですね。戸次川の失態があるから、ある意味無様な事も出来る、って感じがしますね。
 それと同時に昌幸も、その辺りの強さを感じているみたいですね。

 また、斎藤の再登場は驚きましたね。それにしても本当に権兵衛は変わったようで変わらない、変わらないようで変わった、って感じですね。一度、大きな失敗をしたからですね。

 さて、いよいよ秀吉と豊臣政権の陰りが見え始めました。これからどうなって行くのか、楽しみです。

2020年11月29日日曜日

各々の苦境

  先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 二年に亘り奥州と京を往来していた奉行衆も漸く中央の政務に専念出来るようになった。
 そんな奉行衆に待ち受ける問題は、鶴松の死にから始まった唐入りと関白委譲であった。
 余りに早すぎる事態の推移。それは国内の統治がなおざりに見えた。もし、大規模な一揆でも起きれば政権が倒れてしまう。そんな危機感もあった。
 だからこそ、伊達政宗のような悪漢は見せしめにしなければいけなかった、そう三成は言う。浅野は三成の強硬な姿勢を憂慮する。しかし、三成は私利私欲ではなく、天下御政道の輔弼に尽くす為であり、その一念に反する身勝手な者に憎悪するからだ、と言う。
 とまれ、これより輔弼するのは秀次である、そう増田は三成に聞くが、無言であった。
 大谷も主君に器量が無くても輔弼するのが惣無事の政道ではないか、と言う。三成は、今はそう思っておく、と俯き答えるばかりであった。

 秀吉は秀次に教訓状を与えた。
 内容は、武に油断なく法度を難く、仁義礼智信を嗜む。茶湯鷹狩並びに女遊びは程々にすべし。と、基本的な事であった。秀吉は要は自分の真似をするな、と軽く言う。
 難しくはない。だが、これを二十、三十年と続けるのは容易ではない。最初はよくても数年で酒色に溺れる者は多数いるし、秀吉も何人も見てきた。
 だが、秀吉は秀次を信じる、と言い。鼎を支える者も、秀保、金吾、秀家、秀忠と多くいると言う。が、その本音は秀次の代わりなどいくらでもいる、であった。つまり、威しであった。

 秀吉は関白を譲り太閤となる。そして天正二十年。この年は十二月八日に改元され文禄となる。その正月である、遂に唐入りの命令が諸将に下る。

 しかし、多くの者は不満であった。遠い異国の地、準備期間の短さ、生きて帰れるかも分からない。いっそ故郷で自害した方がましだ、そんな者もおった。
 だが、誰も反対しなかった。諸将は密告を恐れ、互いに信頼できず、結託できなかったのだ。
 その様な話はイエズス会の宣教師も入手していた。そして異例の出世で小西に嫉妬する大名も多いと、心配の言葉を掛けた。
 小西は秀吉の力なら唐入りも成就するのでは、と言い。武功を立てたら、秀吉の死後、秀次に布教の赦しを得る、と約束する。

 秀吉は諸将を鼓舞する演説をする。
 大言壮語は秀吉自身の心の高まりか。しかし、諸将は、奉行衆は、奥の者たちは、気持ちは一緒であろうか。それぞれが別のものを腹に抱えているのではないだろうか。

 秀吉の命で名護屋は一大都市に変貌した。そこを拠点に唐入りが始まった。


 西国大名が次々と渡海。釜山を占拠すると、次々に北進を開始した。
 だが、秀吉は進軍は遅かった。眼病に腹痛、そして行路混雑の為であった。四月半ばでも九州に至ってない。
 西国だけでなく、東国の諸将も名護屋へと向かっていた。それは権兵衛も同じ四月半ばには豊前の小倉まで来ていた。
 味方の勝報が届くと兵士たちもいきり立つ。が、権兵衛は自分たちは後発隊。合戦が終わった後、落城した城の陣番になって一揆に備える役割と心得ていた。
 ただ、言葉が分からないから一揆か平伏かの判断を漢字による筆談に頼ろうとしていた。律儀に一揆に来ましたって書かないと突っ込まれたが。
 小倉は権兵衛たちが戸次川の敗北で通った場所。本人は茫然自失で覚えてはなかったが。それでも今まで殺し合いをした敵同士がみんな味方で集まる、その事が感慨深かった。
 後ろには真田もいる。挨拶をした権兵衛曰く、落ち着いた感じで、誠実そうな、家康に似た雰囲気との事であった。

 その夜、信州伊那の大名、毛利秀頼のもとに信州の国衆が集まった。勿論権兵衛もだ。
 曰く、佐竹と宿の優先順で争論になり、義宜に直談判をしようとしたら士衆に散々に突き叩かれたのであった。
 このままでは面目丸つぶれ、ゆえに信州国衆に同心を申し出るのであった。
 が、味方同士の争い。打ち首にされかねない。権兵衛でも、その事は分かった。当然、数正や昌幸がうまく宥めてくれる事を期待する。
 だがしかし、真っ先に同意するのであった。他の国衆も次々に同意してしまった。
 権兵衛は、全員打ち首にはならないだろう、そう考えて同意をするしかなかった。
 
 一番最後に同意したから、喧嘩の先導をしなければならなくなった。
 その話を持ち帰ると、当然皆動揺する。家老の森も正気の沙汰じゃない、と言う。
 権兵衛は全員打ち首にはならない、と言う。しかし、それは見せしめで一人くらい打ち首になる可能性があった。
 権兵衛も有り得る、と考え、誰が見せしめになるか熟考する。
 信州国衆と関東勢の中で最も一番喧嘩を主導しそうな大名、それは。
 仙石権兵衛秀久、自分自身である。

 昌幸は理解していた。権兵衛の打ち首で手打ちになる、と。
 しかし、そうならなくても権兵衛の戦ぶりを見ておきたい。切らんとて切り能わぬ、縁の繋がりし隣国の大名であるのだから。

 かくして翌日の昼に佐竹勢への抵抗が試みられるのであった。


 と、言うわけでとうとう始まりましたね朝鮮出兵が。なんか早くも空中分解しそうなぐらい皆の心がバラバラですけどね。
 三成も不穏な感じですよね。まさか、秀吉自身が天下の御政道を歪めてるとか考えてないですよね。そうでなくても、不満多そうだけど。
 浅井もなんか感じ取ってるみたいだけど。
 あと、茶々は復活したのかな。化粧してたけど。秀頼誕生の伏線かな?
 そして、秀次。秀吉は代わりはいる、って言ったけどいませんでしたね。後の歴史見てみると。秀吉自身の限界が来ている、そんな話を聞いたので少しずつ綻びが出ているのかな。
秀吉自身は逃げきれたけど、政権は…ですよね。

 さて、権兵衛の方はと言うと。巻き込まれた上に命の危険が迫っていますね。この辺の事は何とかなったみたいなので、どう描かれるか楽しみですね。
 それにしても権兵衛の昌幸評、騙されてますよ。後、ある意味家康に似ているはあっているけどね。そういえば昌幸少し太った感じしますね。前回出たのは武田が滅びるところでしたっけ?なんにしても久しぶりですね。

 と、まぁ、全体的に不穏な感じですけど、次回も楽しみですね。

2020年11月15日日曜日

後戻り出来ぬ道へ

  今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 秀吉はポルトガル領となっていたインド副王に宛てた書簡案を作成した。
 その内容は恫喝的であり、事前に入手したイエズス会は驚く。官兵衛や前田玄以と密談し、秀吉の真意を聞き、事後の事を協議した。
 だが、事実は諸人の予想を遥かに超える。

 鶴松が夭折したのである。

 苦しみと寂しさに苛まれる秀吉。その怒りの矛先は、子が欲しいと言った茶々に向けられようとした。
 そして、二日後には有馬へ湯治へと行き、十日間大坂、京に戻らなかった。
 大政所はお寧に言う。気遣うべきは秀吉ではなく茶々、と。
 秀吉は何でも出来たゆえに、理不尽な事が起きると人の所為にする、と。
 茶々を見舞うお寧。しかし、茶々は奥に引き籠ってしまっていた。
 茶々の侍女は不満であり不安であった。秀吉が何もしないからである。
 まるで、病気に勝てない子を産んだり、子供を欲しがった茶々が悪い、そう言われているようで。さらに、浅井出身故の肩身の狭さも感じていた。
 お寧はきっぱりと約束する。たとえ、秀吉が死んでも浅井家の方々を無下にしないと。
 そんな中、現れたのは竜子であった。京極家出身の彼女には茶々は家臣の姫。なので、茶々と話に来たのだ。
 茶々の部屋に入ると竜子はお市の形見の懐刀を預かる。そして言う。あんなゲスの為に自決なんて勿体ない、と。
 そして秀吉はイザとなったらケツをまくる男と言い切る。続けて世の男は全てそう、とも言った。いつか、茶々にもわかると言い、部屋を出た。
 茶々は母と交わした勝負を思い出す。母に負けない美しい人間の為に。

 温泉に浸かる秀吉。その脳裏には以前言った言葉が蘇る。
 お天道さんがお前がやらにゃあならんとせっついてくる。
 遂に、秀吉は唐入りを決断するのだった。

 唐入りの拠点を名護屋に秀吉は定めた。しかし、そこは何もない荒野。諸将は気が進まなかった。
 しかし、秀吉の決意は固く。名護屋の地を都にしようと考えていた。
 理由は三つ。先ず、前線基地と共に憩いの地にすること。そして諸大名に港湾貿易の都市作りの見本とすること。
 そして、交渉してくる国々に対し、国力を見せつける事。辺鄙に至るまで黄金輝く絢爛の地と思わせ、日本に敵わぬと思い知らせる為に。
 秀吉は自分の考えに絶対の自信を持っていた。と、同時に困難さも知っていた。だが、奉行衆ならば不可能を可能にする。そしてその力を諸大名に見せつける事となるのだ。
 さらに五カ国同時脅嚇も開始。インドに先んじてスペイン領フィリピンに通告する。
 この書簡には事実と異なる事が書かれ、威していた。それはすでに朝鮮が帰服している事である。すでに事態は後戻り出来ない点を越えていた。

 そして、権力機構の再編が行われた。
 小一郎の養子、秀保。秀吉の養子、金吾。家康の三男、長丸。この三人が参議へと昇官したのだ。これは大身大名と同格であった。
 秀吉は家康と二人っきりで会っていた。無論、今後の政治の話である。
 秀吉は国内統治の為に若手が政権を担うように人事を動かしていた。それは自分たちが外海へ出る為であった。秀吉は家康に共に唐へ行くことを誘う。反論は難しく、家康は共に行くとしか言えなかった。
 そして、さらに重要な事を伝える。大陸で命が尽きる事を考え、関白を退く事。そして、秀次を次の関白にして天下の政を担わせる、と。そして、家康にも天下宰相を退き、唐入りに専念するように言う。無論、成功すればより高い地位を用意する、と確約する。

 家康は自信に言い聞かせる。むしろ良かった、と。天下宰相など、身に余る地位だと。粛清の危難を免れた、と。
 唐より必ず生きて帰る。何年、何十年と秀次に平伏し続ける。怒りを腹に溜め込むのだ。いつの日か、事を成す刻に躊躇わぬ為に。
 そう涙を流しながら、腹の中に飲み込むのだった。

 
 家康の心境は本能寺の変直後と似てますね。あの時も寧ろ喜ぶべし、と飲み込んだからね。まぁ、今回は前回の比ではなさそうですけどね。
 鶴松の死により、歯車は勢いよく回り始めましたね。ただ、暴走してるようにも思えますけど…どうなのか。これもまた、何かにせっつかれている、でしょうか。
 新たな政権構想ですけど、不安なところもあります。実際、この後また変更されてるし。
 この後、朝鮮出兵と共に、政権闘争を行うのかな。そうすると、関ケ原まで行けそうな…行って欲しいな。家康も報われますし。
 はてさて、豊臣政権の行く末はどうなるのか。来週も楽しみですね。