2020年11月29日日曜日

各々の苦境

  先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 二年に亘り奥州と京を往来していた奉行衆も漸く中央の政務に専念出来るようになった。
 そんな奉行衆に待ち受ける問題は、鶴松の死にから始まった唐入りと関白委譲であった。
 余りに早すぎる事態の推移。それは国内の統治がなおざりに見えた。もし、大規模な一揆でも起きれば政権が倒れてしまう。そんな危機感もあった。
 だからこそ、伊達政宗のような悪漢は見せしめにしなければいけなかった、そう三成は言う。浅野は三成の強硬な姿勢を憂慮する。しかし、三成は私利私欲ではなく、天下御政道の輔弼に尽くす為であり、その一念に反する身勝手な者に憎悪するからだ、と言う。
 とまれ、これより輔弼するのは秀次である、そう増田は三成に聞くが、無言であった。
 大谷も主君に器量が無くても輔弼するのが惣無事の政道ではないか、と言う。三成は、今はそう思っておく、と俯き答えるばかりであった。

 秀吉は秀次に教訓状を与えた。
 内容は、武に油断なく法度を難く、仁義礼智信を嗜む。茶湯鷹狩並びに女遊びは程々にすべし。と、基本的な事であった。秀吉は要は自分の真似をするな、と軽く言う。
 難しくはない。だが、これを二十、三十年と続けるのは容易ではない。最初はよくても数年で酒色に溺れる者は多数いるし、秀吉も何人も見てきた。
 だが、秀吉は秀次を信じる、と言い。鼎を支える者も、秀保、金吾、秀家、秀忠と多くいると言う。が、その本音は秀次の代わりなどいくらでもいる、であった。つまり、威しであった。

 秀吉は関白を譲り太閤となる。そして天正二十年。この年は十二月八日に改元され文禄となる。その正月である、遂に唐入りの命令が諸将に下る。

 しかし、多くの者は不満であった。遠い異国の地、準備期間の短さ、生きて帰れるかも分からない。いっそ故郷で自害した方がましだ、そんな者もおった。
 だが、誰も反対しなかった。諸将は密告を恐れ、互いに信頼できず、結託できなかったのだ。
 その様な話はイエズス会の宣教師も入手していた。そして異例の出世で小西に嫉妬する大名も多いと、心配の言葉を掛けた。
 小西は秀吉の力なら唐入りも成就するのでは、と言い。武功を立てたら、秀吉の死後、秀次に布教の赦しを得る、と約束する。

 秀吉は諸将を鼓舞する演説をする。
 大言壮語は秀吉自身の心の高まりか。しかし、諸将は、奉行衆は、奥の者たちは、気持ちは一緒であろうか。それぞれが別のものを腹に抱えているのではないだろうか。

 秀吉の命で名護屋は一大都市に変貌した。そこを拠点に唐入りが始まった。


 西国大名が次々と渡海。釜山を占拠すると、次々に北進を開始した。
 だが、秀吉は進軍は遅かった。眼病に腹痛、そして行路混雑の為であった。四月半ばでも九州に至ってない。
 西国だけでなく、東国の諸将も名護屋へと向かっていた。それは権兵衛も同じ四月半ばには豊前の小倉まで来ていた。
 味方の勝報が届くと兵士たちもいきり立つ。が、権兵衛は自分たちは後発隊。合戦が終わった後、落城した城の陣番になって一揆に備える役割と心得ていた。
 ただ、言葉が分からないから一揆か平伏かの判断を漢字による筆談に頼ろうとしていた。律儀に一揆に来ましたって書かないと突っ込まれたが。
 小倉は権兵衛たちが戸次川の敗北で通った場所。本人は茫然自失で覚えてはなかったが。それでも今まで殺し合いをした敵同士がみんな味方で集まる、その事が感慨深かった。
 後ろには真田もいる。挨拶をした権兵衛曰く、落ち着いた感じで、誠実そうな、家康に似た雰囲気との事であった。

 その夜、信州伊那の大名、毛利秀頼のもとに信州の国衆が集まった。勿論権兵衛もだ。
 曰く、佐竹と宿の優先順で争論になり、義宜に直談判をしようとしたら士衆に散々に突き叩かれたのであった。
 このままでは面目丸つぶれ、ゆえに信州国衆に同心を申し出るのであった。
 が、味方同士の争い。打ち首にされかねない。権兵衛でも、その事は分かった。当然、数正や昌幸がうまく宥めてくれる事を期待する。
 だがしかし、真っ先に同意するのであった。他の国衆も次々に同意してしまった。
 権兵衛は、全員打ち首にはならないだろう、そう考えて同意をするしかなかった。
 
 一番最後に同意したから、喧嘩の先導をしなければならなくなった。
 その話を持ち帰ると、当然皆動揺する。家老の森も正気の沙汰じゃない、と言う。
 権兵衛は全員打ち首にはならない、と言う。しかし、それは見せしめで一人くらい打ち首になる可能性があった。
 権兵衛も有り得る、と考え、誰が見せしめになるか熟考する。
 信州国衆と関東勢の中で最も一番喧嘩を主導しそうな大名、それは。
 仙石権兵衛秀久、自分自身である。

 昌幸は理解していた。権兵衛の打ち首で手打ちになる、と。
 しかし、そうならなくても権兵衛の戦ぶりを見ておきたい。切らんとて切り能わぬ、縁の繋がりし隣国の大名であるのだから。

 かくして翌日の昼に佐竹勢への抵抗が試みられるのであった。


 と、言うわけでとうとう始まりましたね朝鮮出兵が。なんか早くも空中分解しそうなぐらい皆の心がバラバラですけどね。
 三成も不穏な感じですよね。まさか、秀吉自身が天下の御政道を歪めてるとか考えてないですよね。そうでなくても、不満多そうだけど。
 浅井もなんか感じ取ってるみたいだけど。
 あと、茶々は復活したのかな。化粧してたけど。秀頼誕生の伏線かな?
 そして、秀次。秀吉は代わりはいる、って言ったけどいませんでしたね。後の歴史見てみると。秀吉自身の限界が来ている、そんな話を聞いたので少しずつ綻びが出ているのかな。
秀吉自身は逃げきれたけど、政権は…ですよね。

 さて、権兵衛の方はと言うと。巻き込まれた上に命の危険が迫っていますね。この辺の事は何とかなったみたいなので、どう描かれるか楽しみですね。
 それにしても権兵衛の昌幸評、騙されてますよ。後、ある意味家康に似ているはあっているけどね。そういえば昌幸少し太った感じしますね。前回出たのは武田が滅びるところでしたっけ?なんにしても久しぶりですね。

 と、まぁ、全体的に不穏な感じですけど、次回も楽しみですね。

2020年11月15日日曜日

後戻り出来ぬ道へ

  今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 秀吉はポルトガル領となっていたインド副王に宛てた書簡案を作成した。
 その内容は恫喝的であり、事前に入手したイエズス会は驚く。官兵衛や前田玄以と密談し、秀吉の真意を聞き、事後の事を協議した。
 だが、事実は諸人の予想を遥かに超える。

 鶴松が夭折したのである。

 苦しみと寂しさに苛まれる秀吉。その怒りの矛先は、子が欲しいと言った茶々に向けられようとした。
 そして、二日後には有馬へ湯治へと行き、十日間大坂、京に戻らなかった。
 大政所はお寧に言う。気遣うべきは秀吉ではなく茶々、と。
 秀吉は何でも出来たゆえに、理不尽な事が起きると人の所為にする、と。
 茶々を見舞うお寧。しかし、茶々は奥に引き籠ってしまっていた。
 茶々の侍女は不満であり不安であった。秀吉が何もしないからである。
 まるで、病気に勝てない子を産んだり、子供を欲しがった茶々が悪い、そう言われているようで。さらに、浅井出身故の肩身の狭さも感じていた。
 お寧はきっぱりと約束する。たとえ、秀吉が死んでも浅井家の方々を無下にしないと。
 そんな中、現れたのは竜子であった。京極家出身の彼女には茶々は家臣の姫。なので、茶々と話に来たのだ。
 茶々の部屋に入ると竜子はお市の形見の懐刀を預かる。そして言う。あんなゲスの為に自決なんて勿体ない、と。
 そして秀吉はイザとなったらケツをまくる男と言い切る。続けて世の男は全てそう、とも言った。いつか、茶々にもわかると言い、部屋を出た。
 茶々は母と交わした勝負を思い出す。母に負けない美しい人間の為に。

 温泉に浸かる秀吉。その脳裏には以前言った言葉が蘇る。
 お天道さんがお前がやらにゃあならんとせっついてくる。
 遂に、秀吉は唐入りを決断するのだった。

 唐入りの拠点を名護屋に秀吉は定めた。しかし、そこは何もない荒野。諸将は気が進まなかった。
 しかし、秀吉の決意は固く。名護屋の地を都にしようと考えていた。
 理由は三つ。先ず、前線基地と共に憩いの地にすること。そして諸大名に港湾貿易の都市作りの見本とすること。
 そして、交渉してくる国々に対し、国力を見せつける事。辺鄙に至るまで黄金輝く絢爛の地と思わせ、日本に敵わぬと思い知らせる為に。
 秀吉は自分の考えに絶対の自信を持っていた。と、同時に困難さも知っていた。だが、奉行衆ならば不可能を可能にする。そしてその力を諸大名に見せつける事となるのだ。
 さらに五カ国同時脅嚇も開始。インドに先んじてスペイン領フィリピンに通告する。
 この書簡には事実と異なる事が書かれ、威していた。それはすでに朝鮮が帰服している事である。すでに事態は後戻り出来ない点を越えていた。

 そして、権力機構の再編が行われた。
 小一郎の養子、秀保。秀吉の養子、金吾。家康の三男、長丸。この三人が参議へと昇官したのだ。これは大身大名と同格であった。
 秀吉は家康と二人っきりで会っていた。無論、今後の政治の話である。
 秀吉は国内統治の為に若手が政権を担うように人事を動かしていた。それは自分たちが外海へ出る為であった。秀吉は家康に共に唐へ行くことを誘う。反論は難しく、家康は共に行くとしか言えなかった。
 そして、さらに重要な事を伝える。大陸で命が尽きる事を考え、関白を退く事。そして、秀次を次の関白にして天下の政を担わせる、と。そして、家康にも天下宰相を退き、唐入りに専念するように言う。無論、成功すればより高い地位を用意する、と確約する。

 家康は自信に言い聞かせる。むしろ良かった、と。天下宰相など、身に余る地位だと。粛清の危難を免れた、と。
 唐より必ず生きて帰る。何年、何十年と秀次に平伏し続ける。怒りを腹に溜め込むのだ。いつの日か、事を成す刻に躊躇わぬ為に。
 そう涙を流しながら、腹の中に飲み込むのだった。

 
 家康の心境は本能寺の変直後と似てますね。あの時も寧ろ喜ぶべし、と飲み込んだからね。まぁ、今回は前回の比ではなさそうですけどね。
 鶴松の死により、歯車は勢いよく回り始めましたね。ただ、暴走してるようにも思えますけど…どうなのか。これもまた、何かにせっつかれている、でしょうか。
 新たな政権構想ですけど、不安なところもあります。実際、この後また変更されてるし。
 この後、朝鮮出兵と共に、政権闘争を行うのかな。そうすると、関ケ原まで行けそうな…行って欲しいな。家康も報われますし。
 はてさて、豊臣政権の行く末はどうなるのか。来週も楽しみですね。

2020年10月26日月曜日

瘤を取ったその先に

  溜まっていた、センゴク権兵衛の感想。四話分です。

 第188話
 小一郎の死去により次期宰相を決めなければならなかった。
 候補は浅野長政と秀次であった。が、浅野は官位が不足しているし、秀次は実力が不明。秀吉は悩んでいた。
 そんな中、清州で秀吉は政宗と対面する。奥州での一揆扇動の弁明であった。秀吉はその弁明を受け入れた。一方、政宗は浅野が尽力した、と言い。更に褒め称えたのだ。
 政宗は浅野が宰相になった方が付け入る隙が出来ると思っていたのだ。

 秀吉の下に奥州の鎮圧軍の中に派閥が形成されている、との報告が入った。
 奉行衆と大名衆、そして中立の秀次である。そして、奉行の浅野が政宗の取次を通じて家康と昵懇の仲になりつつあったのだ。
 秀吉は家康の剣呑さを感じながら、一つの政権構想が生まれた。奉行、秀次、同じ大名衆の前田利家、この三つの目付に抑えにして家康を宰相にする案が。
 剣呑であるが、奉行の権力強化すればいい。そして何より、日ノ本で自分に次ぐ優れた大名が宰相になる事に秀吉は心躍ったのである。
 そして政権内の瘤も取る事が出来ると。

 第189話
 政宗が京へ上洛した。家康、浅野、利家、秀次らの執り成しにより赦されたのだが、その上洛の格好は奇抜であった。死装束に金箔の磔柱を立てて練り歩いたのだ。それは一種の奥州の平定を天下に示す行列でもあった。
 一方、三成は赦免を不服に思っていた。三成ら奉行衆の考える中央集権にはそぐわないからである。三成の懸念はそれで終わらない。政宗の取次の家康の声望が高まっている。彼もまた戦国大名、豊臣の権力集中を良しとは思っていない、と。
 とまれ、秀吉に直言はできない。秀吉の真心に水を差せないからだ。
 そんな中、秀吉に奉行衆が呼ばれる。秀吉は奉行衆の言いたい事はわかると言い、家康の宰相は奉行が権力を持つまでの一時の措置と言う。
 そして、積まれた茶会記を前にして言う。この中に利休の不正が散見する、と。
 これをもって利休を切腹に追い込み、奉行の怖さを諸大名に知らしめるよう命じるのであった。

 第190話
 奉行衆は切腹の理由作りに悩んでいた。そんな中で三成は腑に落ちなかった。が、これも政権を安定させる為に必要な事、そう飲み込むしかなかった。
 利休の罪は大徳寺山門に像を掲げ、天下人を見下ろした。そんな無理筋の罪が決まった。
 利休は特に動じず。罪を受けいれる。そして、決定を告げにきた富田と柘植に天下一とは何かを語った。それは天下一の創作の本当の良さがわかる者が天下に二人といないと言う孤独であった。それは天下人である秀吉も同じである。だからこそ知己になろうとしたが、利休は秀吉の事を好きにはなれなかった。
 舟で行く利休。見送るのは二人、古田織部ともう一人は細川忠興か。
 利休は彼らは茶杓一さじ分は自分の創作がわかる者と評し、友と思う。
 そして、三月程前に天下人に相応しき友がいる事を思い出す。そう権兵衛である。
 その友を大切にする事だ。出なければ古今東西ロクな死に方はしないのだ。

 ここに茶聖千利休は切腹して果てたのだった。

 第191話
 利休の死によって、様々な噂が乱れ飛ぶ。無論、奉行衆に対する根拠のない風説も。
 だが、三成はそれでいい、と言う。そうして奉行衆を畏怖すればこそ、聚楽が民の憩いの地になるのだ、と。
 その利休の助命にお寧や大政所も動いていた。しかもそれが偶然同日になったのだ。その為か、秀吉の音沙汰がなかった。
 秀吉は家康と二人で会っていた。家康は切腹は致し方ないと言い。秀吉は自分の気持ちがわかるのは家康だけと言う。その上で家康の辛苦は自分以上と言った。
 棚には利休への手向けとして楽焼が飾られていた。
 気落ちしている風にも見える秀吉。だが、鶴松の話題になると一転して好々爺になる。
 童胴を持ち出し、あと五年は生きなければと言う。それに家康は元服まで十年以上ある、と答えた。
 いつまでたっても死ねんと言い、童胴を見つめる秀吉。その胸の内はいかばかりか。

 浅間山が噴火したせいで、権兵衛の小諸は不作であった。
 その暗い家中を明るくする為、葛の再婚が決まった。涙をながし、見送る権兵衛達であった。
 が、四か月で出戻ってしまったのだ。
 
 天正十九年は豊臣政権にとって試練の年であった。
 豊臣秀長の死去、千利休の切腹。奥州の一揆は七月まで続いた。
 そして最大の苦難、鶴松の夭折が訪れるのである。

 
 権兵衛の所がいい箸休めですね。統治の失敗もこの頃でしたっけ。
 秀吉のパートは重いですね。家康を据える政権構想。そこからの奉行強化の為の利休の切腹。利休の権兵衛評は古渓和尚と同じですね。確かに、権兵衛と秀吉の会話は友達の気やすい会話でしたからね。そう思えば他人に有能を求める秀吉にとっては唯一無二の存在ですね。
 後、三成はイロイロ腹に抱えていますね。ある意味、秀吉に仕えた事が不幸なのかな、とも思ったり。だからと言って主替えなんて出来ないだろうし。
 なんとなく、史実でも、三成と家康って性格や考え方が似てたのでは、と思ったりします。秀吉より先に家康に出会っていたら幸せだったのでは、と考えてしまいます。
 まぁ、三成好きな人から大反論されそうですけどね。

 そんなこんなで、いよいよ最大の悲劇が訪れます。一体豊臣政権はどうなるのか。次回も楽しみです。

2020年9月22日火曜日

最初の兆し

  センゴク権兵衛の感想。
 サボった所為で、四話ぐらい溜まったので簡単にまとめます。

 第184話
 病を得た小一郎の元に秀吉が見舞に現れる。秀吉は政治の相談をするが小一郎は何も語らない。すでに、小一郎は寿命を悟り、折り紙で鴨を折り縁者に送ろうとしていた。
 小一郎は言う。長生きするように、と。
 秀吉は小一郎の事より、今後の政権運営を危惧する。そんな秀吉の目に幼い兄弟が映る。
 そこで思う。自分一人で天下を獲ったんじゃない、と。そして、小一郎を案ずる余裕がない自分は何動かされているのかと。

 第185話
 奥州で一揆が続いていた。そんな中、奉行衆が京に呼び戻された。来春の唐入りが決定されたからである。
 明に攻め入るには朝鮮を経由しなければならない。しかし、対朝鮮外交は小西と対馬の宗に任されており、奉行衆はその内容を把握していない。そのような状態で政権運営をしなければならなかった。
 そして、朝鮮使節が訪れる。秀吉の全国統一を祝って。
 秀吉や奉行衆は服属の使節だと思っていた。それは小西と宗の飛び石外交の結果であり、秀吉からの過度の要求を緩和させた為であった。
 結果、両国は齟齬を抱えたまま、交渉は膠着状態に陥ってしまった。

 第186話
 小諸の在地衆は決断を迫られていた。小諸に残るか、依田の転封地に行くか、である。
 また、誰かが抜け駆けをして新領主に取り入ろうとするのでは、と疑心暗鬼になっていた。
 そんな中、権兵衛が小諸に入封した。その祝いに村長らが召し出された。
 緊張の中、面会が行われる。権兵衛は言う。平伏はしなくていい、自分の顔を覚えるように、と。そして、扇子を一人一人、手ずから渡すのであった。
 小諸の統治は始まったばかり、問題も多い。だが、権兵衛は言う、まずは小諸を好きになる事だと。そうして、小諸祇園の宮の参拝を重ねるのであった。
 一方、大和では大きな出来事が起こっていた。
 小一郎は遺言を書いていた。そして考える。秀次に宰相は重責すぎる。そして家康の指南を受ける内に……小一郎は最も剣呑なのは彼なのでは、そう考えるのであった。

 第187話
 遂に小一郎の最期の時が迫る。彼は娘のおみやと婿養子の秀保を呼ぶ。だが、兄に伝えようとした重要な事が思い出せなかった。変わり思い出話をする。人見知りで兄しか話す相手がいなかった。だが、兄は有益な話が好きだ。だから有益な話をした。そうして気が付けば日ノ本を背負う宰相になっていた。話をするだけでよかったのに。そして最期に二人に言う、出世は無用、夫婦息災に、と。
 天正十九年一月二十二日天下宰相権大納言豊臣秀長薨去。
 豊臣政権は豊臣家は上へ下への大騒ぎとなった。
 茶々も大和へと行こうとした。だがそんな中、秀吉が鶴松に会いに来たのだ。鶴松をあやしながら、小一郎は大志を捨てたと言う。茶々は怖気ずに言う、弟の下に参らないのかと。
 秀吉は激昂する。そして、茶々と二人になると、小一郎を弟としてではなく、政権の柱石を担う宰相として話をし始める。
 そんな秀吉を茶々は殴る、涙を流して殴った。
 秀吉は気付いていた。自分はできる者にしか情が湧かないと。だから知らんうちに弟をできる者に仕立て上げて、身も心もボロボロにしてしまった、と。
 茶々は秀吉を抱きしめていた。秀吉は礼を言い、少し楽になったと伝えた。
 訃報は権兵衛の下にも届いた。そして鴨の折り紙も。それを見て、権兵衛は安心する。晩年は政の事を忘れる時間もあった、と。


 と言う事で、不安が続く展開でした。小一郎の事、秀吉の事、そしてこの先、暗雲が立ち始めましたね。秀吉も情と理がだいぶ不安定な感じがします。むしろ極端と言うか、怖いですね。更に小一郎の家康に対する不安。本当に、秀吉の力で政権がもっている、って感じがします。ある意味、秀吉が才能が有りすぎるがゆえに、継承が出来ない、そんな気がします。
 さらに外交でも朝鮮と齟齬が出来てしまいました。ただ、秀吉としてはまだ想定の範囲内かもしれませんが。最終目標が貿易であるなら。
 苦難の豊臣政権でありますが、これで終わりではありません。この先、更に苦難の連続で、その果ては……どこまで描かれるか、楽しみですね。

2020年8月14日金曜日

秀吉の金、利休の侘び数奇

  センゴク権兵衛、182話と183話の感想。

 八代将軍足利義政の政治からの逃避が生んだ侘びを美徳とする東山文化。
 それから百年が経ち、日陰の慰めは白日に晒され、隆盛時代となった。
 その寵児こそ千宗易である。小一郎と共に豊臣政権で重きをなす彼は当然武人ではない。その彼が筆頭格である。百年の乱世が終わった今、義政の怨嗟の所業か、武の必要性は薄まり、文化が時代を飲み込もうとしていた。

 古田織部は苛立っていた。にわかな文化人が多数出てくることに。宗易の真似をし、我慢と侮蔑と他者への馬乗りの道具と堕したと言い、侘び数奇は終わったと言う。
 そんな彼に茶杓が届けられる。見て欲しいとの事だった。織部は文句を言いながらも茶杓を見る。その見事さに見入り、宗易に取り次ぐ事にした。
 宗易の屋敷には多くの人が集っていた。そこに織部からの紹介で茶筅がもたらされた。なんと、この茶筅島津の一族の物であった。
 茶筅は宗易も評価し、江山の名が与えられた。島津は感激し、家宝とすると言う。
 このように、東は伊達、西は島津まで宗易を師と仰いでいたのだ。

 天正十八年九月朔日。
 秀吉が京に凱旋した。泰平の世を実現した秀吉に民衆は大歓迎する。
 京の町ではすでに竹の花入れが売られていた。その隣には黒い楽焼。すべて宗易から発した流行りである。それは宗易がお墨付きを与えれば大判でも買えないものに化けるのであった。
 秀吉のお付きの者は奇縁と言う。合戦に厭いて始まった侘びの東山殿が合戦の終焉とともに文化に於いて黄金の北山殿を凌駕戦せんとしている、と。
 秀吉はそれを笑って聞いているのだった。

 城に帰った秀吉。その下に歩けるようになった鶴松が現れる。鶴松を抱き上げ、言う。
 盂蘭盆会に鶴松から頂いた黄金五十枚をみんな家来に配った、と。当然、幼い鶴松が主体的にやった訳ではないだろう。そう言う名目で配り、鶴松に忠誠を誓わせるのだ。
 同じことを都鄙貴賤、関係なく行う。多くの黄金を集め、配る。それが何の心配もなく豊臣家をまとめる方策であった。
 そんな中で気になるのは宗易。秀吉は彼の事を剣呑に思っていた。

 秀吉は織部と細川忠興を呼んだ。
 彼らに関東で入手した宗二の秘伝書、及び宗易門下のあらゆる茶会記の写し、出席者名簿の提出を求めたのだ。
 織部と忠興の二人は秀吉が茶の湯への興味が一段と増した、そう理解していた。

 秀吉は指圧を受けながら、おねと政務を執っていた。おねは小一郎への見舞を訊ねる。これに対して疲れた顔を見せたら見舞にならないので、有馬で休んだ後と返答する。
 秀吉は奉行衆と評定したき儀があった。しかし奉行衆は奥州検地があり、出来なかった。
 おねと酒を呑み細い月を見る秀吉。口からは剣呑の言葉が何度もでる。おねは泰平の世に相応しくないと窘める。
 それでも秀吉は剣呑の言葉を口にする。

 豊臣政権を揺るがす波はこの翌年に訪れるのであった。

 仙石家では小諸への移封の準備の真っ最中であった。にも拘わらず、権兵衛はなぜか風呂の湯加減を見ていた。
 おもてなしの予行、と言う事で招き風呂の練習をしていたのだ。これには孫あらため彦三も呆れてしまう。しかも、権兵衛は風呂の才能のみを買われて大名に復帰したと言う始末である。
 彦三曰く、毛利輝元の元に秀吉の御成があったとの事。この事より秀吉の今後の政策は御成行脚で諸大名や天下万民に豊臣の権勢を知らしめる、そう彦三は分析していた。
 その為のおもてなしであった。ちなみに権兵衛は風呂で能をすることを考えていた。しかも何故か家老の森が素っ裸で舞う始末である。
 彦三は言う。粗相があれば合戦で大敗するが如きの恥である、と。
 次に失敗して再びの復帰はありえない。だからこそ権兵衛に言う。勇壮より風雅の世、武功より礼儀、と。十一月の宗易の茶宴もあるから、しっかりと学んで来るよう釘を刺した。

 当時の秀吉の方針は秩序安定策と見られていた。
 それはフロイスの日本史にも書かれていた。到達した栄華から失墜する恐れのあるような遠大な企図は考えていない、と。
 その日、快気祝いと称し、秀吉は鶴松と茶々と共に寝る。秀吉は寝てる鶴松に語る。物騒な世は終わり。鶴松の治世は真心を以って優しき国にするように、と。

 宗易が茶会の準備をしていた。宗易は故事に倣い、肩衝の上に茶杓を乗せたり、袋の緒を短く結んだりした。そして黒茶碗を下げた。彼の準備を見ていた神谷と球首座は疑問に思い訊ねる。答えて曰く、秀吉が嫌いだから、と。神谷はさらに質問する。では何故台子に置いたのかと。
 宗易は言う。自分が至高と思う物を置いた。しかしやはり、秀吉の仰せの通り良き物に非ずと示す為、と。
 神谷達はなんたるおもてなし、心遣いと感嘆する。しかし、宗易の心の内はどうであっただろうか。

 聚楽第にて朝会があった。亭主は秀吉、お点前は宗易。客は黒田官兵衛と針屋宗和と津田宗凡であった。何気ない茶会、そのはずであった。この時は誰も安寧に亀裂を生ずるなど思っていなかった。
 茶入飾りの隙間に野菊が一本飾られていた。それは秀吉のささやかなおもてなし、であった。針屋や津田は誉める。が、宗易にとっては我慢のならぬものであった。
 応仁の乱以降、政道からの逃避として珠光紹鴎により磨かれし侘び数奇。百年の研鑽による美の型。それが百年も下らぬ国盗りをしてきた蛮族の長の児戯と同列にされる。その事に我慢がならなかった。
 故に、宗易はその野菊を抜き、捨てるのであった。
 それは宗易の意思とは関係なかった。無意識に下衆なものを自ずと遠ざけてしまった。
 茶会が終わり、秀吉は素直に謝った。児戯だったと。そして更なるご教授を願うのであった。
 宣教師が日本人の特性について書き残している。
 感情を表すことに甚だ慎み深く、胸中に抱く感情を抑制している。互いに残忍な敵であっても明るい表情を以て礼儀を欠くことはない。それは極端であり、彼を殺害しようと決意するとその仇にたいしてより親睦さを示し、相手がもっとも油断した時に鋭利で思い刀に手をかけ斬りつけるのである。
 秀吉と宗易の運命は今、決まったのだ。


 権兵衛パートは相変わらず呑気ですね。孫改め彦三はこのまま仙石家に居つくのかな。家老までボケ担当になってるから、今後心配ですね。まぁ、やらかすんですけどね。

 で、利休と秀吉。波濤偏の最初はこの二人の話かな。後は、小一郎の事、鶴松の事、そして朝鮮出兵って感じかな。ホントどこで終わるかわからないや。
 経済を牛耳りたい秀吉にとって、利休の影響力は無視できない、って感じですね。茶道具の価値を利休が決めるとなると、黄金を握る秀吉でも太刀打ちできなくなるし。その先には高転びが待っているし。だから邪魔になったのかな。
 そして利休は秀吉を美の世界に邪魔、と思ってますね。て、言うか見下してもいるのかな。利休にとっては政治の世界が入ってきて欲しくないっぽいですね。そう考えるとこの時の隆盛をどう思っているのか…って感じます。
 美を中心に置いた秀吉と利休の対立はあまり見なかったので期待です。話がどう展開し、利休の切腹に繋がるのか、楽しみです。

2020年7月26日日曜日

大洋を睥睨する策

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 駿府にて、小西と毛利吉成の二人と秀吉は密議を開始する。
 他言無用の三人のみで秘する事。もし一人とて漏れたら…死は免れない。
 しかし、秀吉は案じるな、と言う。何故なら秀吉は二人を最も信頼しているからである。
 吉成は古参の内で最も実直である。無茶をさせ黄母衣衆から不平不満が続出した時も一言も文句を言わなかった。そう秀吉は話す。
 吉成は疑問に思う。どうやってその事を知ったのかと。
 秀吉は答える。長年、間諜を放っている、と。黄母衣衆、馬廻りのみならず、奉行、御伽、寺社、公家、女衆、宣教師、秀吉は各所に間諜を忍ばせていたのだ。
 さて、一方の小西。これまた、秀吉は小西が不平を漏らす事を知っている。
 だが、信用している。何故なら、小西が最も銭の理屈を知っているからだ。
 銭は正直である。好きも嫌いも是非もない。ただ得する道を選ぶ。そう秀吉は語る。

 そして本題に入る。
 それは唐入りを早める事であった。
 外海船の進歩を待とうと考えたが、間者から奉行衆は気進まないらしいと聞いている。実際、理屈をこねて先送りしようとしていた。秀吉は未知の国に行く事が不安なのだろうと考える。そして思う、自分が乱れた日ノ本をまとめた、様に見えるのだろうと。
 小西と吉成は困惑する。そうではないのか、と。
 秀吉はハッキリと否定する。信長の様に初めから土地と銭と家臣を持っている大名が国をまとめるとは訳が違う、と。
 何もない根無し草な秀吉。例えるなら、突如天から落ちたった一人で倭国に立った。無一文から伝手を作り武士となり、兵を増やし、遂にはすべてを平らげた。秀吉にとっては全国統一と言うよりは倭国征服であった。
 だから未知の国を平らげる事は倭国でも唐でも秀吉にとっては同じ心持ちであった。
 その上で、唐入りの難しさも秀吉は重々承知していた。なので秀吉の最終目標は貿易であった。唐に入り、暴れ回り、大明王朝を畏怖させて通商の約束を取り付ける事であった。
 小西は訊ねる、通商にこぎつければ自分の役目は終わり、かと。
 秀吉は、無論、と答える。
 小西は更に訊ねる。何故、急ぐのか、と。
 暫くは日ノ本のみで銭を回せる、そう小西は考えていた。十年前、小西は信長政権が高転びすると予見していた。それは銭不足が起きるからである。それを秀吉は米を貨幣となす事で回避し、さらに大豊作による米価の暴落を金配りにて統制する。
 この二つの策で諸国の食い詰め牢人も国内の銭回りで抱え込める、小西はそう見立てていた。
 しかし、秀吉は反論する。暫くは現状のままで、それこそが数多の大国の敗因だと。
 事を成すには何事も人より先を考えなければならない。世の者達は合戦が強い者が偉いと思っている。それは秩序よりも優先される。この考えが変わらないと若手奉行衆が諸大名を統制する事など能わない。
 だから銭が必要である。武断者を文治者が統制するには貿易で銭を稼ぐ他ないのだ。
 豊臣一族や側近衆が他の大名より領土が小さくても銭回りで優位に立つ事が必須。そうして畿内に経済圏を築いた。
 しかし、治部が忍城攻めを失敗し、徳川に対して小牧長久手で攻めきれなかった。その為、徳川に大領を与えなければならなかったし、畿内の経済圏の外である関東に追いやるしかなかったのだ。
 故に、貿易を急いているのだった。
 日ノ本から唐天竺にまたがる長大な通商圏奪取策。秀吉は遂にその全貌を明らかにする

 初めに、秀吉は外交の極意を教える。
 まず、小西に一番大切な物を見せるように言う。小西が渡したのはロザリオ。それを手にした秀吉はいきなり火にくべていいかと聞き、当然小西は拒否する。次に初花との交換を提案する。これには心を動かされるも、やはり拒否する。と、ここまで秀吉はさらに大切な物を隠していると看過し、それを出すように小西に催促する。小西が出したのはイコン、聖母マリヤとキリストの絵である。秀吉は言う、ロザリオとイコンどちらかを焼けと言ったらどうするか、と。小西は絞り出すようにロザリオと答える。
 秀吉は言う。これこそ外交、だと。
 ロザリオを小西に返し、説明する。
 二つの手段を組み合わせる必要がある、と言う。一つは、小さな要求から飲ませて、徐々に大きい要求を飲ませる手段。もう一つは敢えて飲めない要求を突き付けて、譲歩と言う形で何とか飲める要求を合意させる手段である。
 前者は徳川、後者は北条に使った手段である。
 そこで秀吉が描いた唐入りはと言うと。先ずは、唐に入り暴れ回り飲めない要求を突きつける。そして明が拒否したところに譲歩案。真の目的の寧波の開港と貿易の約定を取り付けるのだ。
 そこで重要なのはいかに豊臣家が強大か示威する事。そしてさらにその先の通商圏奪取の策を披露する。
 唐、天竺、安南、呂宋、高山の五カ国同時脅嚇である。それは脅威の伝播を狙ったものであった。五カ国同時に脅威の種を撒き、それぞれが他国が怯える様子を伝え聞き、更に恐れが増していく。それは唐入りの戦況と共に更に膨れ上がる。
 一国でも恐怖に屈したら脅威の仮象は実体となり、一斉に豊臣の要求を飲む事になる。
 日ノ本から寧波を軸に遠く天竺、その先南蛮まで。秀吉の脳裏には世の果てまで結ぶ一大航路が出来ているのだ。
 さて、何故この話が三人だけの秘密なのか。それは敵を畏怖するほどの合戦は味方が決死でなければいけないからである。もし外交譲歩を促すための威嚇と知られてしまえば生ぬるい合戦になってしまう。
 秀吉は改めて二人に言う。他言無用だと。そして両名に片方に怠慢があれば密告するよう互いの監視体制を敷く。
 そして秀吉は事が成就すれば、初花、新田、楢柴の全てを渡すと約した。何故なら世の最果てまでの宝が秀吉の物になるからである。

 富士を見て秀吉は言う。天下万民に聚楽の夢をば見せ給うぞ、と。

 一方権兵衛は、竹で花入れを作っていた。小諸に行かなければ実入りが分からないからである。権兵衛は初年は二万石ぐらいと考えていたのだ。しかし、家臣達は花入れぐらい買おうと言う。そんな中、通りかかった藤は言う。今、都では竹の花入れが珍重されている、と。その情報は戦の情報よりも早く伝わっていたのだ。
 だが、仙石家の者たちはそれよりも合戦の話だった。

 合戦の世は終わり、文化の時代が花開こうとしていた。高尚な武士の無常観を体現するものとして嗜まれた詫び寂びが人口に膾炙するようになってくる。
 今や、利休の新物というだけで高値で取引される対象となっていた。
 価値転換の時が来たのである。

 
 広大な秀吉の通商策でしたね。アジアの海を回遊する海のシルクロード、って感じです。
 毛利吉成って誰?って思ったら勝永のお父さんなんですね。元は森さんで毛利家の許可を貰って、九州陣の後ぐらいに毛利に改名したんだっけ。ここで出るなんて以外ですね。
 そして小西さん。この辺が朝鮮出兵の伏線になるのかな。しかし上手くいったかは……貿易に関して何もなかったから二回目の出兵に繋がったのかな。この辺りは日本国王がどうたら、で秀吉がキレた、みたいな事しか知らないんだよね。センゴクはそこまで行くのかな?関ケ原も見たいけど。

 外交の手段は、色んな交渉事での極意でもあるんですよね。基本中の基本かも。だからどこに着地点を見出すか、ですね。まぁ、一歩たりとも譲らない、って事も多いからこじれるんですよね。

 はてさて、先の先を見ている秀吉。政権の安定化も考えていますが、現実は死後に家康に奪われます。この最終章でその原因も語られるのでしょうか。楽しみです。

2020年7月5日日曜日

新たな時代新たな戦い

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉との謁見を終え、帰る権兵衛とサジ。サジはどうだったか、と訊ねる。
 権兵衛は一応は納得していた。尾藤を斬るつもりはなかった、その言葉が聞けたからだ。
 サジはでは何故斬ったのか聞くが、権兵衛はそこまでガサツではないから聞けない、と答えるのであった。
 権兵衛は言う。秀吉は何かに怯えている、そう見えた、と。それは失態する前の自分に似ていた。そうして全てを失った。でもその苦しみにもなれ、怖いモノもなくなる。
 秀吉は失敗した事が無いから失う事を恐れている。そう権兵衛は感じたのだ。
 サジは一理あると言う。そして上から目線でイラっとする、と突っ込む。
 秀吉も昔は失敗しても、一からやり直して今以上に出世する、そんな事言っていた。でもそうでは無くなった。それは齢の所為かもしれなかった。
 権兵衛は思う。端っこの端っこからでも秀吉を見守るのが恩返しなのかも、と。

 小諸は権兵衛の領地となる。
 家康が関わったのは人脈を広げる為だけではなかった。それは北条家の二の舞を避ける為であった。そう、正信に語る。
 家康は北条征伐の原因の一つに真田の横行があった、と見ていた。その為、権兵衛の小諸を緩衝地帯にしたかったのだ。更に、嫌疑を蒙った時には権兵衛を頼みに上方への往来が容易くするためでもあった。
 正信は問う。それほど権兵衛は信頼を置けるのか、と。
 家康は答える。恩は売った。それを平気で反故にする武人ならば秀吉も赦免などしない、と。
 家康は続ける。愚者が生き残る術は多くを知る事ではない。唯一の大切なことを見極めそれを守ること。彼奴はそれを体得しておると信じる。
 そして、彼奴なら自分たちに微塵も野心の無き事を信じてくれよう、と。

 権兵衛は帰還した。そして大名復帰を報告するのだが、なかなか言いあぐねていた。
 家臣達は言う。覚悟していると。そして万が一の時は反乱軍を起こす、と。
 さすがにこれには権兵衛も物騒だと言い。遂に伝える。
 小諸で大名に復帰する、と。

 藤たち奥の者は接ぎ木をしていた。これで食い扶持を稼ごうとしていたのだ。
 繊細な作業が続く中、広間から大声が響くのだ。
 皆を叱りに行く藤。そこで見たものは喜び叫ぶ皆であった。
 藤は思う、また多忙の日々が始まると。

 権兵衛は古渓にお礼の品を送る。弟子は古渓の慧眼を誉めるが古渓は方便だと言う。
 門弟にしたくないから後押ししただけだと。

 関東の知行割りが終わった。
 その一か月前、肥前国でイエズス会全体協議会が開かれていた。議題は日本での内戦であった。イエズス会を敵と認識する者が勝利すれば、我々に破滅がもたらされる可能性があるのだ。
 パシオは我々を味方とする領域を要塞と化し、身の安全を確保する事を提案する。
 これに対しオルガンティノの反論する。宣教師追放令から三年、現段階で加虐はされてない。さらに貿易は認められている。実質、追放令は空洞化している、と言う。
 そして最優先課題はフランシスコ会の進出である。
 教皇が変わり、フランシスコ会出身の新教皇はスペイン国王の要請により、フランシスコ会の日本進出を認めた。これにより前教皇により担保されていたイエズス会の日本布教独占が崩れたのだ。
 場はざわめく。しかし主導のヴァリニャーノはフランシスコ会との話は長きに亘る論争になる。と言い止める。そして喫緊の脅威に対しての軍備は不回避、と結論付けた。
 イエズス会とフランシスコ会。その背後のポルトガル、スペイン。そしてその対立を利用しようとする秀吉の思惑が交差していく事になるのだった。

 奥州仕置も終えて、駿府に向かう秀吉。そこでとある評議が開かれる予定であった。
 その途上、早馬でお寧から手紙が届く。鶴松の病気が快方に向かっている報せだった。秀吉は言う。興福寺に懇ろに祈祷させたのが効いたのだろうと。秀吉は寺に、存亡をかけて治せ、と発破をかけていたのだ。
 秀吉は駿府の評議で豊臣政権を確実なものにしようと考えていた。鶴松が何ら案ずることなく生きていく国を創るために。

 そんな評議に召集された一人に小西行長がいた。彼は大名復帰祝いに権兵衛の元を訪れていたのだが、表情は暗かった。
 小西は聞く、秀吉のご機嫌の取り方を。だが、権兵衛は知らん、と言う。そして機嫌は機嫌次第だろう、とも言った。そしてるしへる殿下とか言って和ませれば、と。
 小西は取り乱す。そんな事、秀吉に言ってないだろうな、と。そして言う、その言葉を頭から捨てろ、と。
 小西の相談は続く。自分がキリシタン大名だと言う事。そして小西家が父の代から貿易を担っている事。その為、此度古今未曾有の重責を秀吉は任せようとしている、と。権兵衛にならその重みが伝わる、と。
 権兵衛がかって背負ったものより大きな重責。失敗は赦されない。
 そして、出世するほど息苦しくて仕方ない、そう吐露する。
 権兵衛は言う。取り返しがつかない失敗をしながら、図々しく生きている卑怯者がここにいるだろう、と。
 小西の気が晴れた。小西は権兵衛に礼を言う「ニヒル」の者よ、と。

 権兵衛は見事に大名復帰、そして秀吉の考える政権がどうなるか、って感じですね。
 前回、汗を掻いていた家康ですが、今回は平静ですね。描写は少なかったけど、真田が暗躍していたのかな。ともかく、万が一のセーフティーラインを手に入れた、ってとこですかね。
 古径和尚の言葉は謙遜なのかな。まぁ半分本気かも。権兵衛が僧には…なれないでしょうね。
 そしてイエズス会。海外事情も絡めつつ、唐入りに突入するのかな。勿論、そこまで連載が続くのか分かりませんからね。今回の最終章がどこまで描くのかさっぱり分からないからね。
 そして小西。すっかり権兵衛と仲良しですね。
 権兵衛の言葉に救われた小西。彼が担う重責とは何なんでしょうか。
 そして、秀吉の考える政権の形とは。次回も楽しみですね。