2021年12月12日日曜日

滴り落ちる露

  センゴク権兵衛、227話から235話の感想。

 権兵衛の妻、お藤の死去。耄碌する秀吉。その死と救い。そして関ケ原へのお話でした。関ケ原はエピローグでそんなに話数はかけないようです。既に二年飛びましたし。

 仙石夫妻の最期。不思議な支え合いであった感じです。互いに振り回し、振り回されていてそれが情を更に深いものにしています。
 
 そして秀吉。その最期を見るに、主であった信長に褒められたかったのかな、って思いました。それが故に自分を評価する事が出来なかった。確固たる自信を持てなかったのかも知れませんね。
 ただ、そう考えると秀次とも似ているのかな。秀次も秀吉の力になりたかったし。
 最期の最期に、漸く自分が創る世が光り輝いて良かった思いますよ。
 周りの人々はこの先苦労しかないけど。

 そして二年が過ぎて関ケ原へ。
 政治闘争も面白かったので、じっくりやって欲しかったので残念でした。
 何とか、外伝でやってくれないかな。
 上杉征伐に出陣するも、真田の無断帰陣に上方からは三成の挙兵。
 こんな混沌とした状況に権兵衛はどうするのか?楽しみです。

 遂にセンゴクの物語もエピローグです。
 関ケ原は権兵衛中心に書く感じでしょうか。最終回まで刮目してみたいですね。

2021年9月26日日曜日

終われぬ者

  センゴク権兵衛、219話から226話の感想。

 秀次事件は収まったものの、その余波はそこかしこに燻ぶった。
 浅野長吉は他の奉行から距離を取り、家康に益々接近する。
 権兵衛も距離を取る事になる。そしてお江が秀忠に輿入れする時の護衛役を承った事により家康、秀忠との仲が深まる。

 一方、明は貿易を拒否し、秀吉を日本国王にする事で講和を図る。
 三成ら奉行衆は根回しをするも、不首尾。小西と共に秀吉の説得に当たる。
 怪異が続いていた事を天から叱責と捉え、秀吉はこれを受諾する。

 これにて講和が纏まるはずであった。

 しかし、秀吉は泰平の世が色褪せて見えてしまった。

 一人、三成を呼び再出兵を告げる。秀吉もまた、戦を終える事が出来ない一人であった。

 
 簡潔に纏めて、こんな感じです。
 秀吉が再出兵を決意するところは権兵衛の戸次川を思い出しますね。
 他にも、石川五右衛門や彼に組した者。泰平の世に希望が見出せぬ者たち、その筆頭が秀吉である。これでは安定した政権は築けないですね。
 そして、三成にとっては一番否定したい考えを主君が持った不幸、そう見えてしまいます。
 秀吉の想いは呪いの様にも見えます。その先が関ケ原、でしょうか。

 秀次事件の後、表面上は何事も無く収まった。けれど、確実にその後の崩壊の種は蒔かれました。そして再出兵は確実に崩壊への舵取りとなりました。
 秀吉は確実に、天から背いてしまった。自分で天に従うべし、と言っていたのに。

 秀吉の死まで三年余り。夢幻の世もあと少しです。

2021年7月11日日曜日

亀裂、そして崩壊の足音が聞こえる

  久しぶりのセンゴク権兵衛の感想。
 213話から218話を簡単に書きます。

 秀吉側では秀次事件ですね。
 秀吉と秀次の確執。高野山に蟄居した秀次が切腹してしまい、他の大名を抑える為に暴君に成らざるを得なかった秀吉。って感じです。秀次の切腹は最近の研究を反映してますね。
 原因はと言うと、秀吉が秀次を最期まで愚か者と見なしていた。って感じかな。秀次も成長してるのに、秀吉は子供として見ていなかったし。そう考えると、疑似親子で秀吉にとっては何時までも秀次がバカ息子、に見えてたのかな。
 秀次も精神が追い詰められていたけど、その原因は秀吉になるし。結局、秀吉の他者への接し方が事件を引き起こしたのかな。出来るか人か出来ない人かで判断する、ってのは作中で周りに言われているし。人たらしとは、って感じもしますね。まぁ、人の気持ちを真に理解出来てない、って見方も出来るけど。
 兎に角、暴君として振る舞う事で乗り越え様とするけど、果たして…って感じです。

 一方、権兵衛側では領国経営に四苦八苦してます。
 風呂興行で、民心を捕え城下町への移住を促したいのだが、結果は芳しくない。
 権兵衛は何で拒むのか解らない。が、自分が居城に帰ると自分の家はいいな、と言う。
 奥方の藤はそれが理由と諭す。
 そんな感じで、まぁ前途多難な感じ。
 そして、上洛してる中で秀次事件を聞く。五右衛門捕物で民衆が騒乱を望んでいるのを知るからこそ、悪しき方に縁が流れていると権兵衛は考える。
 権兵衛の話を読むと、何となく秀吉も同じなのかな、とも思える。秀吉も既に贅沢を喜んでいない、のに秀次に真心と言い贅沢を押し付ける。秀次も、また自分と同じように贅沢を望んでない、そう考えられていない。そうも思える。
 すると、権兵衛と似た者同士なのでは。利休が言っていたように、本の少し理解できる友なのだから。そう考えてしまうんですよね。
 権兵衛には指摘してくれる者がいる。しかし、秀吉にはいない。それに古径和尚の薫陶もない。
 そんな似てるようで違う、二人なのかな、と思うんですよね。

 さていよいよ、豊臣政権は苦境に入ります。次週以降も楽しみですね。

2021年5月23日日曜日

皆の不安と不満

  センゴク権兵衛、210話から212話の感想。

 210話
 未だ捕まらぬ、五右衛門。伏見城は夜間封鎖する事になる。
 玄以に呼び出される権兵衛。玄以から見せられたのは五右衛門本人からの矢文であった。
 そこには、今宵城内に侵入すると書いてあった。そして、火薬を以て秀吉と共に爆死するつもりであったが、火薬庫を落とされた為に脇差一本で参る、そう予告されていた。
 権兵衛は火薬庫を落としておいてよかった、と思う。
 そんな文は字面文面から教養の高さを感じられた。
 二人の下に五郎部が現れる。曰く、既に五右衛門が侵入しているとの事であった。
 通行手形の変更を通達したところ、番兵の数名に狼狽した者がいた。自白させると、五右衛門に偽造の手形を渡していたとの事だった。
 とまれ、既に城中は封鎖した為、犯人を追い詰めている事は確かだった。
 さて、内通していたのは皆若衆である上に金銭目当てではない、と言う。権兵衛も頭目たちの住み家もどれも贅沢している様子はなかった、と言う。非常に、奇妙であった。
 
 城内が封鎖され、権兵衛たちは下水を調べる事にした。
 そして、それは大当たりであった。暗い下水の中で五右衛門と遭遇する。
 だが、五右衛門は大人しかった。権兵衛はすまぬ、と言い座ると権兵衛も座った。そして権兵衛は派手な爆死でなく、一番しょうもない結果になったと言い、脇差を出させた。
 権兵衛は五右衛門に人を従わせる才がある、と言う。そして、仕官して真面目にしてたら自分より出世したはずだ。それが何故、こんな下水で捕まる外道を選んだのか聞く。
 五右衛門は言う。合戦の世は終わり、後は死ぬまで同じ日が続くと答える。
 城中の若い番兵は戦う場も無く、死ぬまで番兵を続けるだけだと。だから五右衛門に託した秀吉の死を。それは信長が死んだ日のような天地がひっくり返るような血の滾りを求めたのだ。
 五右衛門にとっては静謐の世はドブみたいなもの。期待したのだ、ドブの中からでも何事か起こせるかもしれぬ、と。
 権兵衛には返す言葉は思いつかなかった。代わりに言う、五右衛門の言う期待が自分たちには不安である事を。
 五右衛門はさらに問う、期待より不安が勝る地位についたら繰り返しの日々が生き易くなるのかと。
 権兵衛はわからん、と答えるしかなかった。
 
 そして五右衛門らは煮殺しの刑になった。

 211話。
 文禄三年八月二十四日。三条河原にて石川五右衛門一党を成敗。
 玄以の下に呼ばれた権兵衛。此度はより過酷な煮殺しの処断であった。その為に権兵衛の心労を慮り、暇の許可を秀吉から得るようにし、小諸にもどって静養するように申し付けるのだった。さらに、奥方への土産として香まで与えるのであった。

 次に向かうは秀吉の下。その前に三成や増田が現れる。そして長居しないように言うのであった。理由は秀吉もまた心労であったからだ。その為に政治が滞っていた。
 そんな奉行衆に権兵衛は政治はどうなってるのか訊ねるが、仔細を言えるわけない、と一蹴される。

 秀吉の部屋へと入る権兵衛。その声色から機嫌がよくないのを察する。
 自分が明るくなくては、そう思い。そこの香炉の千鳥が鳴いて五右衛門の所在を教えてくれた、と語る。
 が、秀吉には通じず。香炉を褒美に欲しいなら素直に言えと言われてしまう。権兵衛は明るく答え。香を頂いたついでに香炉も欲しいと言う。
 ついで、とは言えぬほどの名器であるが、秀吉は権兵衛に与える事にした。そして言う、権兵衛はお気楽、だと。
 そうして、権兵衛は退出しようとする。が、何を思ったのか振り返りまたも、政治の今の状況を聞く。当然、教える訳がなかった。そんな秀吉を見て、権兵衛は天下人は大変そうだ、と言うのだった。
 頭の痛い発言。だが、秀吉は権兵衛の為に忙しい時間を割くことにし、座らせ、語る。
 もし、誰にも指図されず何でも思うがままで天下人が羨ましいと言ってたらどうなってか分からんぞ、と言う。
 そして、語り始める。
 暗殺未遂が一度や二度ではなかった。素性の知れん奴らがよく分からん理由で命を狙いに来る怖さ。民衆の為に良かれと政に苦心しても感謝ではなく落首で文句を言ってくる。愛想無く争うばかりの輩を安寧に導かなければならない。
 見たことのない美女、贅を尽くした御膳、絢爛な建物。誰しも羨む暮らしぶり。だが、それらを前にして欲も衰え、食指も動かなくなることが、いかにやるせないことか。
 道ですら安心して歩けない。かつて野盗に怯えていた頃の方がまだ良かった。
 貧しかったが、家に帰って母のうすい粥を皆で食い、運よく獲れた雉が入っていた日の喜び、幸せを思い出す。
 子を授かり漸く人並の幸せを得た。民衆に比べればいかに尽くし甲斐があるか。しかし、天下人である以上、愛情を注ぐことすら容易ではない。母の粥の如き幸せを我が子に与えられるのだろうか、何事も無き同じ日々を送る幸せを。
 信長が織田信長を辞する事能わず果てたのと同じく、自分も豊臣秀吉として果てざるを得ないだろう。
 凡庸なお前が羨ましい、馬鹿のゴンベエめが。
 そう最後に言うと秀吉は寝てしまった。
 三成と増田が駆け付ける。権兵衛は寝てるから静かにするよう言う。
 権兵衛は思う。秀吉は民衆から諸大名、果ては外海の者まで恐れる豊臣秀吉と言う怪物になった。しかし、それでも寝相は昔のままであった。
 そして、直に話せる機会はあと何回あるのだろう、そう思った。
 久々の秀吉の安眠に三成と増田は礼を言う。毎度の如く、聞くに堪えない話のお蔭、と言う。それに怒った権兵衛は、千鳥の香炉が鳴いて盗賊を捕まえた話をする。
 二人は内心想像以上に聞くに堪えぬ話と思うのだった。

 212話。
 五右衛門の処刑の少し前。伏見に太閤堤が完成し、京と大和を結ぶ経済大動脈が繋がった。
 九月九日には秀次が伏見へと来る。秀吉は堤を見せ、これで大坂、京、大和が結ばれたと言う。そして、それぞれお拾い、秀次、秀保の三人で天下の銭回りを担うことを託す。
 だが、懸念も残る。いくら富を増やしても血に飢える武士は多い。その為、秀次に武威を備えて欲しい、と言う。
 だが、秀次には山中城での武功がある。しかし、秀吉にはそれでは足りぬと思っていた。そして、秀吉の思惑は秀次の渡海であった。それを感じ取った秀次は自ら、渡海を切り出さなくてはいけなくなった。
 あくまで権威付けの渡海。その上での朝鮮南部の確保による講和を早める為であった。

 秀次は不満はより深く、暗くなっていた。何度も渡海を口にして、その実態は能三昧。秀次にはそう見えるのだ。
 日明講和は未だ成らざるまま。この十か月後に政権を揺るがす事件が起こるのであった。

 権兵衛は小諸に帰省していた。家臣達が忙しく動く中、権兵衛は地図と睨めっこしていた。いくら戦乱が終わったとは言え、備えはしなければならない。
 それは城下町の備えであった。城だけでなく町村も守らなくてはいけない。小田原の総構や京の御土居の様に。
 権兵衛は点在する村を城下に集めようと考えていた。しかし、家臣たちは集住までする必要性を感じて無かった。それに言った権兵衛も何となくの勘でしかなかった。
 権兵衛の何となく。それは北国街道の先、隣国の真田昌幸であった。喧嘩直前の据わった目を見て恐い、と感じるようになったのだ。

 が、勘定方は却下する。さらに、村々に行っても断られる。無用の介に相談しようと思ったが、既に勘定方を手伝っている為に断られる。

 権兵衛は座禅を組む。
 これが安寧。五右衛門が言っていた事。
 戦乱の時は村も協力的で、周囲に頼られた。だが、合戦がなくなると大名すら必要にされなくなる。そう考える。
 そして思い至る。自分が何で小諸と結ばれたのかと。それが見えて来たのだ。

 文禄、慶長年間は浅間山の噴火活動が活発であった。その麓の小諸領は目に見えて疲弊していった。そんな中、この地を近世城下町に発展させる大名が、仙石秀久なのであった。


 五右衛門、権兵衛の知り合いかな、と思ったけど別にそんな事はなかったみたいです。
 五右衛門と権兵衛の年が近いが為に思うところがあったみたいですね。
 それにしても、安寧が必ずしも皆が受け入れられるものではなく。若ければこれ以上の出世も見込めなくなるって事ですしね。だからと言って戦乱がいいのかと言うと……
 秀吉も結構まいっています。天下人として、人の親として、相容れないものを両立しなければいけないんでしょうね。少々、虚しさも感じられますね。
 ただ、皆の前では出さない、からこそ秀次も病んでいってますね。信頼関係ボロボロじゃないですか。
 そんな不穏な中、権兵衛の国造りが始まる。のかな。一度逃散されていたような。
 ともかく、次回も楽しみです。

2021年4月18日日曜日

京の都の光と闇

 センゴク権兵衛、208話209話の感想。

 伏見にて、秀吉が秀次を引見。日本の五分の四を与える旨を伝えた。
 秀次の懸念に対して、廃嫡する気はない、と言う。そして、拾と秀次の娘を縁組する、そう伝える。こうして、拾は秀次の養子になり、関白職を彼に譲ればよい、と。
 続いて話題は、秀次が多くの学者より学んでいる事に及ぶ。しかし、秀吉は経験から物事を知る事も大切だと言う。秀次が、さりとて、と言うと秀吉はそれが駄目だと言う。学識に溺れる者は人の意見にさりとて、と言い異議を立てる。周囲の意見を聞かなければならない、と叱る。秀次は言いたい事を飲み込むしかなかった。

 会談の後、御伽衆に秀次の遊興の数を訊ねる。この年の九月までに十六回、月に二度ほどである。秀吉は多い、と考える。しかし、遊興は交誼の為でもあり、職務と捉える事が出来る。
 秀吉は前関白だから心労の程は察しがつくと言うが。

 その後、秀次は伊豆熱海にて四十日もの湯治をする。
 心労の理由は弟の死や実子の夭死と考えられる。

 諸大名の下に新たな秀吉の命が下る。それは伏見城、大坂城の普請であった。
 当然、権兵衛の下に命が下る。権兵衛が担当するのは伏見の隠居所であった。

 文禄二年の後半は国内の諸将にとっては安寧の期間であった。
 三成ら奉行衆は聚楽の周りに屋敷が宛がわれて、久々の国内政治に取り掛かった。
 家康ら有力大名は京で遊興を重ねて交誼形成に勤しんだ。

 十一月二十八日、秀吉は尾張に来ていた。そしてその衰退を目の当たりにする。
 治めるのは秀次。最初は彼に文句が募る。だが、すぐに心労の秀次を責めてはいけないと自戒する。
 秀次の憎悪が拾に向けられたら由々しき事。秀吉が死ねば拾を助ける事は叶わないからだ。
 講和を待ち、政権を安定させる。そうすれば秀次など居ても居なくても構わない。だが、今はその時ではない、今は必要なのだ。そう言い聞かせる。

 いつの間にか、伏見の隠居所は城郭への拡張が決まっていた。権兵衛たち諸将は未だに領地に帰れなかった。

 諸将の安寧とは裏腹に、民衆からの視座からは畿内の治安は悪化していた。大名の大半が名護屋にいた為だろうか。辻斬りが横行したり、怪しげな者が大坂城内の女房衆と醜行したり、その刑罰により女房衆が処刑されたりする。
 盗賊団も跋扈し京、大坂では毎日夜が明けると死体が散乱していた。
 そしてその、盗賊団の長は石川五右衛門と言った。
 秀吉は所司代の前田玄以に追補を命じる。そして、権兵衛はその玄以に呼び出されるのであった。

 
 検断方の五郎部に案内される権兵衛。流石検断方か、権兵衛について色々調べているようで、奥方が山膳翁に接ぎ木を教わった話をする。
 さて、玄以の下に連れて来られた権兵衛。理由は、盗賊を捕まえるて欲しいとの事であった。
 賊は頭目が十五人程、そして頭目一人につき手下が数十人。合して五百から千人規模で、これは大名並みの兵力である。しかもその頭目たちが元海賊や山賊、さらに忍もいて神出鬼没なのである。多くの諸大名の力を借りたいが、唐入りを鑑みるに連携は容易でない。しかも追補に失敗すれば政権の権威が落ちてしまう。だからこそのすでに権威が地に落ちてる権兵衛の出番であった。
 無論、追補の為の元手は玄以が出す。ので権兵衛は快諾するのであった。
 
 権兵衛は森、不知地、無用の介を呼び、五郎部と会わせる。当然、五郎部はその三人の事も調べていたのだった。
 五郎部が四人に盗賊団について詳しい話をする。一昨年の人掃令にて諸国の逐電、逃散者は凡その所在は把握していた。無論、五右衛門党の十五人の頭目も。
 山海に潜む輩を討伐するのは甚だ難儀である。ここに権兵衛を抜擢したもう一つの理由があった。淡路にて海賊を率い、紀州では山賊となり、小田原では闇夜の河を渡り虎口を陥落。権兵衛はいつどこでも誰とでも戦い、かつ死ぬことはないから、である。

 権兵衛は今までの人脈を使い、各方面に人を分けて十五人の頭目を一網打尽にする策をとった。
 権兵衛自身が担当するのは京の頭目が隠れ住む古堂であった。
 厳重な守りになってる古堂、背後は河である。権兵衛はまず、最初に搦手の岸下の河原に竿を転げさせる事を毎晩やらせる。態と気付かせ、反撃させる事で鉄砲の有無を調べる。そして、敵が警戒しなくなったら攻め時である。権兵衛が正面を攻め、別動隊が搦手から攻め梯子を使って屋根に火をかけるのだ。これは、釣り天井に火薬を隠しているという権兵衛の見立てである。周辺は固い御影石なので、地下に作る事はあり得ぬ、そう考えたのだ。

 各方面一斉に攻め入る。権兵衛の担当の古堂は見立て通り、釣り天井に火薬を隠していた。派手に爆破する古堂。見事に権兵衛は盗賊たちを捕える。

 しかし、首魁五右衛門と一部を取り逃がす。そして次に彼らが姿を現すのは伏見であった。


 まさかの五右衛門登場である。確かに、その話はあるけど、やるとは思わなかった。
 秀吉の治世が必ずしも上手く行ってない、唐入りの所為もありそうだけど。そんな中現れた盗賊団が五右衛門。ある意味、秀吉の失政の象徴でもあるのかな?
 豊臣政権は様々な面で綻びがあった。民衆から見たら、決して良い政権でなかった、そういうのは最近の研究で結構言われてますね。その辺りを纏めた本もあるし。
 いろんな意味で変わらなければいけない政権だったのかな、と思いますね。

 そんな豊臣政権のもう一つの悩みは秀次でしょう。秀吉は労わっているつもりでも、全く伝わりません。目に光が無くて怖いよ。
 しかも、替えが効く人物と思っている。これでは決裂するしかないですよね。
 そう言えば、センゴクの秀吉は才能がある人を愛する、って感じに書かれている。だから長久手で敗戦した秀次はそこから外れてしまったのかな?後を託すには十二分、と思うけどな。
 因みに、才能の有無に関わらず愛しているのが権兵衛なんだろうね。権兵衛と話す時だけ普通の人に成れてる気がする。

 兎にも角にも、次週も楽しみです。

2021年4月4日日曜日

沈む船と産まれる男子

  センゴク権兵衛、の感想。

 205話
 明の勅使の歓待が始まる。相伴したのは小西と三成ら奉行衆であった。
 歓待は終始和やかに進む。廊下で侍る権兵衛はこれを意外に感じていた。
 
 権兵衛は出てきた小西に声を掛けるも疲れた顔で袖にされる。
 三成達奉行衆は権兵衛の無礼を不問にした。朝鮮での事を考えれば、マシに思えるのだろう。

 自陣に戻った権兵衛は家老たちと話し合う。
 朝鮮での苦戦を感じ取り、兵糧の算段を無用ノ介に頼む。そして外交交渉を聞く。
 両国朝廷、豊臣政権の正統性、等々問題も多く、その上幾人もの人を介しなければならない。その上で、最初の案で合意の可能性が見い出せるものでなくては、戦は長引く。そう無用ノ介は結論付けた。
 権兵衛はそれを聞き、寂しい話と言った。
 交渉が長引いて、秀吉の天寿が尽きて、唐入りも中止。そんな期待を皆がする流れになれば、天下人とはあまりにも孤独ではないか、と。
 権兵衛自身が期待しているのでは、と言われ否定する。しかし、考えれば考える程に迷いは深くなり、思うかもしれぬ、と思う。権兵衛はいずれ思う事になると思うとより、寂しい話と考えるのだった。
 
 秀吉の和平案。それはこれまでの経験に裏打ちされた、敢えて多めに要求し、譲歩案で決着させるものだった。
 明国皇女降嫁、高麗下半国割譲、貿易権獲得の三つを要求して、拒否されたら一番受け入れられる貿易権獲得で手打ちにする、その腹積もりだ。
 秀吉は領土と言う花を捨て実をとった。それこそが豊臣秀吉と自分に言い聞かせる。
 すべてはこの刻の為に天は自分を地に遣わした。ここまで来たのも天の導き。
 疎まれ蔑まれてきた自分が衆生に愛され崇め奉られる、そう思うのだった。

 206話
 秀吉の和平案が関白秀次の元に送られた。
 条件は先の三案に更に朝鮮王子の差出も加わっていた。が、要は同じ貿易権を獲得する為に勘合貿易を復活させる妥協案に最終的に落とし込むのだ。
 これを見た田中吉政は秀吉の意図を理解し、ゼニに名誉、それに豊臣の正統性の三つの利益がある、と言う。ただ、領土を求めていた大名には失態者から領土を召し上げ配分するしかなかった。
 秀次は秀吉は誰よりも知恵があると言う。だが、不勉強だと。
 唐国の知識の積み上げ、議論の厚さ、そして数々対外交渉。それは豊臣家の比ではなかった。秀次は秀吉の外交策に明は釣られないと考えた。
 だが、秀次は関白の権限で却下はする事は出来なかった。そのような鼎の軽重を問う真似を。
 和平案は勅許を得て、明の使節に渡された。

 使節も帰り。秀吉も上機嫌であった。完成が遅れた鉄甲船に関しても不問に、寧ろ労った。

 だが、その頃京では刃傷沙汰が起こっていた。それも秀次の小姓と御弓衆が口論の末にであった。
 茶々の懐妊で秀次の周辺は騒がしく、緊迫していたのだ。当然、秀次も心をざわつかせるのであった。

 いよいよ、鉄甲船のお披露目が名護屋であった。秀吉だけでなく、多くの者が見物する。
 が、その船は沈没してしまった。
 まるでこの先の豊臣政権を暗示するかのように。

 そして、遂に、八月三日に後の豊臣秀頼が誕生するのだ。

 207話
 和平の返事を待つ間、朝鮮から諸大名を帰還させる事になった。勿論、現地に在番する大名もいた。
 彼らの帰還は九月の初旬から中旬。秀吉は彼らを出迎えて、その後に大坂戻る予定を立てる。
 秀吉は唐入りを成功、と言い。他の者達も九月の末までに陣払いの支度をするように命ずるのだった。
 権兵衛も陣に戻り、皆に指示をする。一応勝った、との事なので家臣達は勝鬨を上げるのだった。

 夜、秀吉の屋敷にも鬨の声が聞こえた。秀吉は一緒にいる竜子に聞く。皆、何に喜んでいるのか、と。唐入りが成功裏に終わりそうな事なのか、唐入りに行かずに済んだ事なのか。
 秀吉は竜子に縋る。自分は万民が為に唐入りをしたのだと。そして実が得られたら自分の行動が正しかったとわかる、と。
 秀吉は、寧々は出家従っているし、茶々は政をまだ知らない、と言って竜子だけだと言う。それを聞き、竜子は今秀吉を絞め殺せば万民を救えるのか、それとも乱世に逆戻りするのか、考える。
 肌を重ねつつ思う。猿楽だと。この子猿の采一つで、日ノ本、明、南蛮までも振り回される、と。

 八月九日、に茶々の出産の報せが入る。
 すると、渡海勢の凱旋も待たずに早々と、大坂に帰ってしまったのだ。
 権兵衛達も同じく帰る事になった。当然、家臣達からは驚きの声が出る。
 権兵衛は色々思う事はあるだろうが、一兵も死なずに逃散しなかった事を誉める。そして、名護屋の都で学んだ事を小諸で生かし、城下を作るのが自分達の務めだと言う。
 一年余りの名護屋での在陣は終わった。

 八月二十五日に秀吉は大坂に帰着し、産まれた赤子に対面する。
 その無垢さに秀吉は感動する。この子さえいれば何人に憎まれても孤独ではない、そう思った。
 秀吉は、後始末をしっかりとつけたか、と聞く。そして肯定の言葉が返るとならば良いと言う。

 そして、大坂に秀吉が戻った事を暗い顔で聞いた男がいた。そう秀次である。

 
 秀次さんが闇落ちしそうですね。
 とまれ、今までセンゴクを考えると乱心はしない、と思いますが。
 徹底的に二人はすれ違うのかな?とにかく、豊臣政権もいよいよ終わりが始まりましたね。鉄甲船が沈むのと同時に秀頼が誕生って凄い皮肉と言うか、潰れますぞって感じがして少し物悲しいですね。それこそ、権兵衛の言う通り寂しいですね。

 唐入りは一時中断だけど、次の嵐はもう吹き始めています。
 果たして秀吉はどうするのか、そして権兵衛は?次回も楽しみです。

 

2021年3月7日日曜日

紆余曲折の果てに

   センゴク権兵衛の感想。

 201話
 秀吉、そして家康利家の渡海は延期になる。代わりに渡海するのは三成ら奉行衆。 
 しかし、秀吉からの書状は勇ましく、且つ判断を三成達に任せるものであった。現地での混乱は目に見えていた。
 権兵衛は独り言と称し、無用ノ介と話、頭を整理する。
 朝鮮との和談もままなるのに、明攻めを促す。泥沼の戦いになるニオイがするのだ。
 権兵衛は思う、秀吉は自信と不安が繰り返している、それらが才人である、と。
 無用ノ介は賭けに出たと言い、上手く行けば明との直接交渉、駄目なら奉行衆の判断での慎重策、と。
 しかし、権兵衛はそれは無理、現地軍は言う事を聞かない、と答える。理由は自分がそうだから、である。
 とまれ、これで権兵衛の頭は整理された。

 秀吉の来春の渡海、これを延期せしむ事態が発生する。
 七月二十二日の大政所の死去である。急ぎ、名護屋から京に戻ったが、母の死に目には会えなかった。
 秀吉は悲しみに暮れ、自責の念に駆られるのであった。

 朝鮮の状況は悪かった。戦に勝っても、統治は難し。
 兵糧の少なさ、寒さ、兵の少なさ、統治も儘ならない。
 三成、増田、大谷は秀吉にありのまま伝えるか迷うのであった。

 202話
 朝鮮と明が合流し、戦線の膠着は続く。そして八月には小西が明との交渉に臨む事となる。
 そして、五十日間の停戦が決定した。
 そんな中秀吉はずっと畿内に逗留。更に、伏見に隠居所を建てようとしていた。
 その噂は名護屋の権兵衛の耳まで入った。それは無用ノ介の見立て通りであり、港さえ押さえれば渡海する必要はない、そう権兵衛は考える。
 そんな中で身投げ騒動があった。しかも死んだのは皆好色漢ばかりであった。茶々もまた、独自に動いていたのだ。

 十一月、漸く秀吉は名護屋に戻って来た。来春こそ渡海か、皆思っていた。
 さて、権兵衛は完成した湯屋を秀吉に披露した。そして十一月十八日、従五位下越前守に叙された。ちなみにこの頃から秀久から秀康に改名していた。
 天正二十年十二月八日を以て天正から文禄への改元される。
 そして秀吉の心境も変わる。表向きは唐入りに積極的だったのが表向きすら消極的になったのだ。それは唐入り策の成功を容易とみたか、それともかつての将軍の如く現実の直視を拒んだのであろうか。

 現実は過酷である。朝鮮では最前線に明の大軍が迫っていた。
 停戦後、再交渉をするのも不調。準備を整えた明、朝鮮連合軍は文禄二年正月に平壌に攻め寄せたのだ。
 しかし、秀吉は明が侘び入れに来る、と思っていた。いや、そう思いたかったのかもしれなかった。小西も秀吉も疲れ、明側の誤情報に縋ったのかもしれない。

 203話
 このころより秀吉は能に耽溺していった。見るだけでなく自らシテを演じたりもした。
 そんな中、竜子より茶々の加減が悪いと聞かされる。そして、大坂に戻り有馬の湯治をするよう進言する。秀吉はそれを了承する。
 秀吉にはまだ伝えていない、茶々の懐妊の兆しがある事は。
 明の使節を自らの能でもてなそうと秀吉は考えていた。

 しかし、現実は過酷であった。
 朝鮮では不安要素が増えていた。疫病に通信途絶、水軍や反乱軍も発生していた。
 更に、戦線縮小を三成達が考えても清正は応じなかった。その上での小西軍の敗北である。
 豊臣軍の空中分解もありえた。そんな中で迎えたのが碧蹄館の戦いである。小早川隆景と立花宗茂の活躍により激戦の末に勝利。その後は一進一退の戦いとなった。
 そんな報告も秀吉の下には遅れて伝わるのであった。秀吉の楽観は崩れ去った。
 現地でも漢城の死守せども維持は困難になり、放棄を話会うようになる。
 秀吉の渡海する気は失せ、朝鮮南部の確保へ舵を切り始めた。

 しかし、秀吉の思いとは裏腹に歴史は進む。
 豊臣軍の強さを実感した明も和睦を模索し始めたのだ。その上、一部の廷臣は寧波での貿易を許可しようとしていたのだ。
 ここにわずかな道がつながった、秀吉の東アジア貿易権獲得の野望が。
 三月十五日に小西は再び、明と交渉する。その中で決められたのは三点。一つ、朝鮮王子の返還。一つ、豊臣は漢城から釜山まで撤退、明は開城まで撤退。一つ、明から日本への使節派遣。
 だが、正式な使節の派遣は難しと見られ、皇帝の勅許無しの偽の使節であった。
 兎にも角にも、泥沼化しそうな唐入りは講和に向けた新たな転機を迎えようとしていた。

 204話
 文禄二年五月、いよいよ直接交渉が迫っていた。
 秀吉は正澄からの報告を聞き、勅使に対し粗相をする者いないよう今後も監視するよう申し付ける。そして在陣衆に御触を出す。明国に悪口を言う者は処罰する、と。更に花押まで署名させてだ。秀吉はこの交渉に賭けていたのだ。
 だが、辻褄合わせが必要であった。積極的に征明を煽ったのだ、諸将の目を逸らす必要があった。秀吉は不要な将を罰することで目を逸らさせる事にした。その標的にされたのは大友吉統、島津忠辰、波多親の三人である。皆、改易処分となった。
 交渉の準備は進んでいた。鉄甲船の出来の目途が付き、これまた、明の勅使の心を攻める手段が増えた。しかし、同時に偽の勅使、明に侘び入れの意がない、と言う誤算も孕んでいた。
 そんな中、茶々の懐妊正式にねねに伝わる。それは当然、その周りにも。
 男女の別は分からない。それでも、男子なれば政権の行方に影響はある。懐妊を伝え聞いた秀次は動揺しつつ、お祝いしなければならなかった。

 五月中旬、遂に小西、三成と共に勅使が上陸する。彼らは偽とは言え、日明貿易容認派である、この一筋の光明を携えた使者と五月二十三日に接見するのだ。
 その前日の二十二日に秀吉は茶々の懐妊を知る。だが、その返事はそっけなく、秀吉は自分一人が天下の為に働いている、そう思うのであった。
 いよいよ接見の時。秀吉の外交手腕に全てが懸かっていた。


 と、言うわけで四話分です。
 かなり迷走した唐入り。だが、歴史の歯車は秀吉の思い通りに動きそうです。やはりまだ、神に愛されているのか、とも思いますが当然我々はその後も知っています。鶴松の死により半ば暴走したように始まり、躁鬱を繰り返した果てに見えるのは何でしょうか。
 この後は秀頼の誕生もあり、豊臣政権は自壊し始めます。ここが、秀吉最後の輝きになるのでしょうか。次回も楽しみです。

2021年1月31日日曜日

一つの決断、一つの終焉

  センゴク権兵衛、200話の感想。

 漢城陥落後、秀吉は小西と相談が肝要との書状を出した。
 小西が唱える慎重策を選んだのだ。
 しかし、国内向けの書状は違った。明を支配し、秀次と後陽成天皇を北京に移す。秀吉は寧波を拠点とし、天竺までも切り取る、と。壮大過ぎる計画であった。
 秀吉は自信過剰と自信過小の板挟み状態であった。

 権兵衛は湯殿の普請をしていた。秀吉に急かされた為、懸造で作っていたが、正澄に怒られてしまう。権兵衛は秀吉が渡海するまでの間、と言うと正澄はその件は小声で、と声を潜めるのであった。
 森は権兵衛に訊ねる、秀吉の渡海が近いか、と。権兵衛は日和と順風次第だ、と答える。
 命が有れば自分たちも渡らねばならない。だが、権兵衛はあまり心配してなかった。何故なら秀吉の命令で死んだ事は無く、合戦ならば秀吉が出馬すれば、ほぼ負けはなかったからだ。
 そんな権兵衛を秀吉は呼び出した。そして、共に海を見る。秀吉は権兵衛に波の様子を聞く。権兵衛は海賊衆なら問題ない、と答える。
 しかし、海賊、ではない。此度の渡海は豊臣政権の威容を示さなければいけない。一艘たりとも遭難させたくなかった。
 それを聞くと権兵衛は、無茶と答える。そして半分遅れず上陸できれば上出来、だと。
 秀吉はそれが元水軍の意見だな、と言い。権兵衛に渡海の評定があるから廊下で侍るよう命じる。
 権兵衛は秀吉が迷っていると感じた。

 六月二日に渡海計画の談合が行われる。
 此度の談合は家康と利家の二人が誘い合わせて開いたのだ。
 大名衆からはその二人。そして奉行衆からは三成が出席した。この時奉行衆の柱石、浅野長吉は一時謹慎を蒙っていた。その理由は渡海に反対した為だと言う。そして家康もその事を知っているのだった。
 が、それでも家康は渡海の反対、消極策を主張したのだ。
 一方、三成は積極策を主張する。その理由は朝鮮との連絡に片道半月かかる為である。
 しかし、家康は船頭の話をする。船頭は今月来月は不慮の風がある、と言っている。もし万が一があれば天下相果てる、と。
 だが、三成は渡海を延期すれば十中八九苦境に陥ると言う。朝鮮国王は逃亡した。だが、朝鮮国王と和談がなければ明と交渉も出来ない。それどころか二カ国同時に戦う羽目になる。更に海路は未だに把握出来ておらず、五月七日には玉浦にて朝鮮水軍に敗れていた。これでは兵糧を行き渡らせる事ままならない。
 三成は重ねて言う。自分は本来唐入りには反対であった、と。だが、秀吉の才覚を信じるが故に賛成した。これまで幾度も敗勢に勝利を見出した秀吉だからこそ、渡海なしの勝利などありえない、そう断言する。
 それに対して家康は泣いて訴えた。自分と利家が先に行くと言って。
 三成は理に合わぬ、と言うが利家に真心も計数で量る気か、と制された。
 廊下で侍る権兵衛は思う。随分と怖い大名様になった、と。以前とは違う、人を制する涙、だと。

 秀吉の出した答えは、渡海の延期であった。

 それは渡海の失敗を恐れ、遁逃したのだ。そして、この場を制したのは家康であった。史上最も静かで、かつ大いなる博打に勝利したのだ。


 さらっと石田正澄が出てきましたな。三成のお兄さんが。
 さて、いよいよ、秀吉にも陰りが出始めた、って感じです。もう少し前からあった気がしますが、分かりやすく、一歩引いてしまった感じがします。
 秀吉の決断は間違えではないです。けれど、成功をも手放した、感じですね。もう、神憑り的な才知はもう期待出来ないのかな?って。
 一方で家康が台頭しましたね。というか、バトンタッチと言う感じでもありますね。ここからは家康が天下人に相応しい実績を重ねるのかな。そんな予感もします。
 一つのターニングポイントを迎えた豊臣政権であるけれど、まだあります。その先に待ち受けるのは……次回も楽しみですね。

2021年1月17日日曜日

頂点の暗闇

  センゴク権兵衛、198と199話の感想。

 徳川と前田に喧嘩騒動があった五月上旬。その時にはすでに首都漢城を奪取していたのだ。
 それは秀吉すら、予期していなかった。落城の報せはまだ届かず、秀吉は渡海の準備をしていた。その一環で近習の増員をする。その一人として権兵衛を近習にすると言う。周りの者は躊躇するも、三成は秀吉の意図を理解し、賛成する。何をしでかすか分からないから、傍に置く。そして、猪武者への対応を奉行衆が学ぶ。それが秀吉の考えだった。

 権兵衛は秀吉の近習となり。空いた日は湯殿普請をする事となった。
 皆、喜んでいたが、森は近習になれば渡海するはず、いつ日ノ本に帰れるか心配であった。
 権兵衛は長くて一年と考えていた。さらに言えば本当に唐や天竺に行くのか疑問だった。葛の再婚の為にも早めに帰りたかったのだ。
 無用ノ介は言う。過去を顧みると遠征半年を過ぎると逃散者が増大する。一年以上の遠征なら政権崩壊の危機もあり得る。
 権兵衛は物騒な事を言うな、タマに正しいことを言うから、と言う。すると無用ノ介は間違ったことがあったか、権兵衛に恩を受けたこと以外で、と返した。
 権兵衛は言う、ややこしいことだと。そして古渓和尚の教えに従って、ややこしい問題は「あきらめる」と宣言する。
 意味は自暴自棄になる事ではない。ちゃんと見る、と言う事である。あきらかに見るが即ち諦め、そう無用ノ介は補足した。
 今は見るしかない、秀吉の周りで起きている事を。そして生きて帰れないなら逃散して牢人に戻ればいい、そう言う。自分たちは海賊でも山賊でもやって来た、と。

 前田利家の陣に家康が現れた。先の喧嘩沙汰の件で、である。利家は動揺しつつも、会うしかない、と腹をくくる。万が一の為の銭の用意はあるのだから。
 当然、室内で待っていると利家は思っていた。しかし、家康は門前で待っていた。平伏して、だ。これには利家も平伏するしかなかった。しかも、前田が水をとったのが原因なのに、水は分かち合うもの、と言い自分たちに否があると言うのだ。

 場所を室内移し、二人は話す。家康は利家の誠実さが伝わったと言い、利家も言葉をそっくりお返しすると返事をした。
 家康は続ける。戦国大名ゆえに人を見ては信用能うか能わぬか見極める。もしかしたら、陰で徳川前田を仲違いさせようと画策してる者おるかもしれぬ、と。
 利家も思うところがあった。秀吉の周りには色んな人が集まっている。その中に野心を抱くもがおるかもしれぬ、と。
家康と利家の仲は深まった。それは家康の人たらしの才であった。一体誰から学んだのであろうか。


 渡海した部隊は漢城で半月に亘り評定を行った。
 小西は朝鮮との国交を回復した上での唐入りが上意であり、統治が先決を考えていた。しかし清正は長々とした談合を迷惑とし、秀吉の早期渡海による唐入り敢行こそが上意と考えていた。
 戦略の相違が不協和音を奏でさせた。それだけではない、秀吉からの書状もこの状態を加速させた。
 結局、戦況は万全と言えず、その為に安全策をとる。諸将が朝鮮国八道にそれぞれ派遣され統治が優先された。
 そんな現地の状況を知らず、半月遅れで漢城陥落の報せが秀吉に伝えられる。
 家臣も秀吉も大喜びであった。

 そのはずだった。

 内心、秀吉は不安であった。もし、高麗が服属拒否するなら、大明国は都を包囲すれば自分の外交策に屈するか。
 秀吉の戦略は制海権をとり、海を渡り、河を遡り、北京を包囲し外交的譲歩を得る事であった。しかし、北京を海の近くと誤認していた。それは地形の把握が不十分であったのだ。
 外海について見分も舟も足らない。不安であった。しかし、皆が喜ぶ姿をみると自分が天下万民を聚楽に導かなければならない、そう強く思う。

 秀吉は湯屋の普請場に行き権兵衛に何時完成するか聞く。だが、まだ曲輪も出来ていなかった。権兵衛は懸造にするか、聞くと二つ返事でそれでいいと言う。そして崩れたら全員打ち首、と。突如の豹変であった。しかし、権兵衛はむしろ何かに怯えている、そう森に言うのだった。
 皆、秀吉を止めたり、苦言を呈する者はいなかった。
 鶴松の死を紛らわせる為の、性急な唐入りだった。秀吉の思惑を超えて、出来過ぎなくらい事が運んでしまった。もはや停止など出来るはずもない。
 皆、秀吉が能わぬもののない天下人と思い込んでいた。秀吉は皆に応えなければならなかった。能わぬもののない、天下人になるしかなかった。
 その瞳からは光が失われていた。


 あれほど万能感があった秀吉が、一人の人になっていますね。これが頂点に立つ恐ろしさ、何でしょうか。誰が彼を救うのか。それこそが友である権兵衛の役目になるのかな?
 一方で家康は着実に地盤固めをしていますね。すでに次を見据えているのか。
 朝鮮でも各将の間にひびが入っていますね。これが関ケ原への伏線になるんですよね。関ケ原も見たいところですね。
 壊れそうな秀吉。一体この先どうなるのか、次回も楽しみです。

2020年12月31日木曜日

増える火種

 センゴク権兵衛、196話と197話の感想。

 佐竹と信濃国衆の喧嘩。佐竹勢は太い棒を用意して襲撃に備えていた。
 信濃の諸将が集っている陣幕にその報がもたらされる。すでに備えている佐竹に諸将はざわつくが、権兵衛は別の事に気になっていた。
 火縄の匂いがしたのだ。権兵衛は鉄砲は無用のはず、と言い、消すように促す。
 鉄砲を用意していたのは真田だった。ただし、弾も火薬も使用しない空砲であった。昌幸はあくまで威嚇の為であり、玉傷も音もしないから沙汰の折にも問題無いと言う。更に、棒の叩き合いすらなく敵を追い散らせると提言する。
 しかし、権兵衛は敵が逃げずに大事になる可能性を指摘する。が、昌幸は逆上したら、それこそ思う壺、真田が翻弄すると言うのだ。
 この言葉に事の発端の毛利秀頼は心強い、と言う。そして権兵衛に心意気を見せて欲しい、挽回の刻、と肩を強く掴みながら言った。

 佐竹の行軍を物見が監視する。
 先手は一族の佐竹義久。なんと、千五百も兵を引き連れている。
 そして大将佐竹義宜は五百騎総勢三千。更に棒ではなく得物に鉄砲まで備えているのだ。
 その報が権兵衛の下に届けられる。これは権兵衛の予想外であった。この大軍であれば名門佐竹は引くに引けない。元の宿の優先順位の争いですら毛利秀頼側の不利であった。

 佐竹義久は火縄のニオイに気付く。義久は弓手を前に出し、更に義宜へ報せる。
 義宜は信濃衆が火蓋を切ったら、やれ、と命令する。たとえ詰め腹を切らされようと大義は我らにあり、と言うのだった。

 一触即発の信濃衆と佐竹勢。
 近づく敵に権兵衛は、一人飛び出し大声で言う。暫く、と何度も。
 権兵衛は経緯を説明し、そして勝ち目がないから相止めと言い、通るよう伝えるのだった。
 毛利秀頼は当然怒り心頭、三国一の臆病者と罵る。が、権兵衛にとっては言われなれているものだった。
 一方、昌幸はこれを見て、権兵衛を侮り難し、と考えるのであった。

 佐竹と信濃衆の諍いは収まった。しかし、衝突は他にも、特にある大大名家同志でも起こっていた。

 此度の喧嘩沙汰、佐竹に東国の上杉、蒲生、そしてなんと伊達も味方に付いたのだ。
 この報になんと、奉行衆は安堵したのだ。その理由は伊達が佐竹に付いたからである。もし信濃衆に付けば諸大名を巻き込む火種になっていた可能性があったからだ。
 喧嘩は無事、収束した。が、これも秀吉の遅延故であり、未だ奉行衆の力が発展途中である事が露見したのだ。奉行衆は猪武者に目付が必要と考える。ちなみに、三成は権兵衛が焚き付けたと思っていた。

 さて、四月下旬。遂に権兵衛たちは名護屋に到着した。そこはまさに新たな都であった。聚楽を越える城、数多の諸大名の陣所、人のごった返す商店。更に、城の造り、庭、能舞台茶室、すべてが諸大名が精力を掛けて作った最先端であった。
 
 町を歩く権兵衛すると商人に話しかけられる。なんと、かつての家臣、斎藤であった。
 権兵衛はさっそく、銭を貸して欲しいと言うが、そこまでの銭はないと言う。その代わりに前田家に伝手があるので、取次すると提案する。
 そして、借銭は後ろめたき事ばかりでは無い、と言う。キチンと返済する事で両家の信頼を築ける。しかも前田利家はいずれ豊臣政権の鼎の一つになる、そう噂されているのだ。
 ただ、権兵衛は恩返ししなければいけない人が多い事を気にする。面倒、だとも言う。
 斎藤は少々評判が悪い、と言い、権兵衛も良かった事がない、と返した。
 とかく、権兵衛は斎藤に礼をする。田宮の遺髪を届けてくれた事に。しかし、斎藤は言いよどむ。しかし、権兵衛はその事を解っていた。あの遺髪が本物でない事に。
 それでも良い物である、斎藤の嘘は良い嘘だ、そう言うのであった。
 斎藤はご立派になった、仏門に入られたように、と評し、権兵衛は古径和尚の弟子になるのは断られた、と返した。

 二十五日には秀吉も到着。勝報に接し、自身の渡海の準備に入る。
 しかし、五月五日に新たな喧嘩沙汰が勃発。しかも政権中枢の徳川と前田である。
 切っ掛けは徳川陣近くの清水から前田家の家臣が水を汲んでいた為である。両家の口論から始まった諍いは徐々に人数を増す。これに本多忠勝が仲裁に乗り出すが、伊達政宗が徳川に味方すると表明する。この為、一触即発になりかける。しかし、伊達家の年寄衆が仲裁。これにて両家は引き、天下の大事には成らずに済んだのである。

 奉行衆は落胆する。秀吉が居ても喧嘩が収まらないのである。
 さらに、表向きは事なきを得たが、天下の航路は異なる方向へ向かっていた。


 前途多難、既に秀吉の力も落ち始めた、感じがしますね。朝鮮出兵は各大名間に多くの火種を残して終わる、と言う豊臣政権にとっては何一つ良い所なく終わりましたからね。
 徳川と前田の諍いが関ケ原に繋がっていくのかな。なにはともあれ、関ケ原まで見たくなりたいですね。

 佐竹との争いは権兵衛だからこそ止められた、って感じですね。戸次川の失態があるから、ある意味無様な事も出来る、って感じがしますね。
 それと同時に昌幸も、その辺りの強さを感じているみたいですね。

 また、斎藤の再登場は驚きましたね。それにしても本当に権兵衛は変わったようで変わらない、変わらないようで変わった、って感じですね。一度、大きな失敗をしたからですね。

 さて、いよいよ秀吉と豊臣政権の陰りが見え始めました。これからどうなって行くのか、楽しみです。

2020年11月29日日曜日

各々の苦境

  先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 二年に亘り奥州と京を往来していた奉行衆も漸く中央の政務に専念出来るようになった。
 そんな奉行衆に待ち受ける問題は、鶴松の死にから始まった唐入りと関白委譲であった。
 余りに早すぎる事態の推移。それは国内の統治がなおざりに見えた。もし、大規模な一揆でも起きれば政権が倒れてしまう。そんな危機感もあった。
 だからこそ、伊達政宗のような悪漢は見せしめにしなければいけなかった、そう三成は言う。浅野は三成の強硬な姿勢を憂慮する。しかし、三成は私利私欲ではなく、天下御政道の輔弼に尽くす為であり、その一念に反する身勝手な者に憎悪するからだ、と言う。
 とまれ、これより輔弼するのは秀次である、そう増田は三成に聞くが、無言であった。
 大谷も主君に器量が無くても輔弼するのが惣無事の政道ではないか、と言う。三成は、今はそう思っておく、と俯き答えるばかりであった。

 秀吉は秀次に教訓状を与えた。
 内容は、武に油断なく法度を難く、仁義礼智信を嗜む。茶湯鷹狩並びに女遊びは程々にすべし。と、基本的な事であった。秀吉は要は自分の真似をするな、と軽く言う。
 難しくはない。だが、これを二十、三十年と続けるのは容易ではない。最初はよくても数年で酒色に溺れる者は多数いるし、秀吉も何人も見てきた。
 だが、秀吉は秀次を信じる、と言い。鼎を支える者も、秀保、金吾、秀家、秀忠と多くいると言う。が、その本音は秀次の代わりなどいくらでもいる、であった。つまり、威しであった。

 秀吉は関白を譲り太閤となる。そして天正二十年。この年は十二月八日に改元され文禄となる。その正月である、遂に唐入りの命令が諸将に下る。

 しかし、多くの者は不満であった。遠い異国の地、準備期間の短さ、生きて帰れるかも分からない。いっそ故郷で自害した方がましだ、そんな者もおった。
 だが、誰も反対しなかった。諸将は密告を恐れ、互いに信頼できず、結託できなかったのだ。
 その様な話はイエズス会の宣教師も入手していた。そして異例の出世で小西に嫉妬する大名も多いと、心配の言葉を掛けた。
 小西は秀吉の力なら唐入りも成就するのでは、と言い。武功を立てたら、秀吉の死後、秀次に布教の赦しを得る、と約束する。

 秀吉は諸将を鼓舞する演説をする。
 大言壮語は秀吉自身の心の高まりか。しかし、諸将は、奉行衆は、奥の者たちは、気持ちは一緒であろうか。それぞれが別のものを腹に抱えているのではないだろうか。

 秀吉の命で名護屋は一大都市に変貌した。そこを拠点に唐入りが始まった。


 西国大名が次々と渡海。釜山を占拠すると、次々に北進を開始した。
 だが、秀吉は進軍は遅かった。眼病に腹痛、そして行路混雑の為であった。四月半ばでも九州に至ってない。
 西国だけでなく、東国の諸将も名護屋へと向かっていた。それは権兵衛も同じ四月半ばには豊前の小倉まで来ていた。
 味方の勝報が届くと兵士たちもいきり立つ。が、権兵衛は自分たちは後発隊。合戦が終わった後、落城した城の陣番になって一揆に備える役割と心得ていた。
 ただ、言葉が分からないから一揆か平伏かの判断を漢字による筆談に頼ろうとしていた。律儀に一揆に来ましたって書かないと突っ込まれたが。
 小倉は権兵衛たちが戸次川の敗北で通った場所。本人は茫然自失で覚えてはなかったが。それでも今まで殺し合いをした敵同士がみんな味方で集まる、その事が感慨深かった。
 後ろには真田もいる。挨拶をした権兵衛曰く、落ち着いた感じで、誠実そうな、家康に似た雰囲気との事であった。

 その夜、信州伊那の大名、毛利秀頼のもとに信州の国衆が集まった。勿論権兵衛もだ。
 曰く、佐竹と宿の優先順で争論になり、義宜に直談判をしようとしたら士衆に散々に突き叩かれたのであった。
 このままでは面目丸つぶれ、ゆえに信州国衆に同心を申し出るのであった。
 が、味方同士の争い。打ち首にされかねない。権兵衛でも、その事は分かった。当然、数正や昌幸がうまく宥めてくれる事を期待する。
 だがしかし、真っ先に同意するのであった。他の国衆も次々に同意してしまった。
 権兵衛は、全員打ち首にはならないだろう、そう考えて同意をするしかなかった。
 
 一番最後に同意したから、喧嘩の先導をしなければならなくなった。
 その話を持ち帰ると、当然皆動揺する。家老の森も正気の沙汰じゃない、と言う。
 権兵衛は全員打ち首にはならない、と言う。しかし、それは見せしめで一人くらい打ち首になる可能性があった。
 権兵衛も有り得る、と考え、誰が見せしめになるか熟考する。
 信州国衆と関東勢の中で最も一番喧嘩を主導しそうな大名、それは。
 仙石権兵衛秀久、自分自身である。

 昌幸は理解していた。権兵衛の打ち首で手打ちになる、と。
 しかし、そうならなくても権兵衛の戦ぶりを見ておきたい。切らんとて切り能わぬ、縁の繋がりし隣国の大名であるのだから。

 かくして翌日の昼に佐竹勢への抵抗が試みられるのであった。


 と、言うわけでとうとう始まりましたね朝鮮出兵が。なんか早くも空中分解しそうなぐらい皆の心がバラバラですけどね。
 三成も不穏な感じですよね。まさか、秀吉自身が天下の御政道を歪めてるとか考えてないですよね。そうでなくても、不満多そうだけど。
 浅井もなんか感じ取ってるみたいだけど。
 あと、茶々は復活したのかな。化粧してたけど。秀頼誕生の伏線かな?
 そして、秀次。秀吉は代わりはいる、って言ったけどいませんでしたね。後の歴史見てみると。秀吉自身の限界が来ている、そんな話を聞いたので少しずつ綻びが出ているのかな。
秀吉自身は逃げきれたけど、政権は…ですよね。

 さて、権兵衛の方はと言うと。巻き込まれた上に命の危険が迫っていますね。この辺の事は何とかなったみたいなので、どう描かれるか楽しみですね。
 それにしても権兵衛の昌幸評、騙されてますよ。後、ある意味家康に似ているはあっているけどね。そういえば昌幸少し太った感じしますね。前回出たのは武田が滅びるところでしたっけ?なんにしても久しぶりですね。

 と、まぁ、全体的に不穏な感じですけど、次回も楽しみですね。

2020年11月15日日曜日

後戻り出来ぬ道へ

  今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 秀吉はポルトガル領となっていたインド副王に宛てた書簡案を作成した。
 その内容は恫喝的であり、事前に入手したイエズス会は驚く。官兵衛や前田玄以と密談し、秀吉の真意を聞き、事後の事を協議した。
 だが、事実は諸人の予想を遥かに超える。

 鶴松が夭折したのである。

 苦しみと寂しさに苛まれる秀吉。その怒りの矛先は、子が欲しいと言った茶々に向けられようとした。
 そして、二日後には有馬へ湯治へと行き、十日間大坂、京に戻らなかった。
 大政所はお寧に言う。気遣うべきは秀吉ではなく茶々、と。
 秀吉は何でも出来たゆえに、理不尽な事が起きると人の所為にする、と。
 茶々を見舞うお寧。しかし、茶々は奥に引き籠ってしまっていた。
 茶々の侍女は不満であり不安であった。秀吉が何もしないからである。
 まるで、病気に勝てない子を産んだり、子供を欲しがった茶々が悪い、そう言われているようで。さらに、浅井出身故の肩身の狭さも感じていた。
 お寧はきっぱりと約束する。たとえ、秀吉が死んでも浅井家の方々を無下にしないと。
 そんな中、現れたのは竜子であった。京極家出身の彼女には茶々は家臣の姫。なので、茶々と話に来たのだ。
 茶々の部屋に入ると竜子はお市の形見の懐刀を預かる。そして言う。あんなゲスの為に自決なんて勿体ない、と。
 そして秀吉はイザとなったらケツをまくる男と言い切る。続けて世の男は全てそう、とも言った。いつか、茶々にもわかると言い、部屋を出た。
 茶々は母と交わした勝負を思い出す。母に負けない美しい人間の為に。

 温泉に浸かる秀吉。その脳裏には以前言った言葉が蘇る。
 お天道さんがお前がやらにゃあならんとせっついてくる。
 遂に、秀吉は唐入りを決断するのだった。

 唐入りの拠点を名護屋に秀吉は定めた。しかし、そこは何もない荒野。諸将は気が進まなかった。
 しかし、秀吉の決意は固く。名護屋の地を都にしようと考えていた。
 理由は三つ。先ず、前線基地と共に憩いの地にすること。そして諸大名に港湾貿易の都市作りの見本とすること。
 そして、交渉してくる国々に対し、国力を見せつける事。辺鄙に至るまで黄金輝く絢爛の地と思わせ、日本に敵わぬと思い知らせる為に。
 秀吉は自分の考えに絶対の自信を持っていた。と、同時に困難さも知っていた。だが、奉行衆ならば不可能を可能にする。そしてその力を諸大名に見せつける事となるのだ。
 さらに五カ国同時脅嚇も開始。インドに先んじてスペイン領フィリピンに通告する。
 この書簡には事実と異なる事が書かれ、威していた。それはすでに朝鮮が帰服している事である。すでに事態は後戻り出来ない点を越えていた。

 そして、権力機構の再編が行われた。
 小一郎の養子、秀保。秀吉の養子、金吾。家康の三男、長丸。この三人が参議へと昇官したのだ。これは大身大名と同格であった。
 秀吉は家康と二人っきりで会っていた。無論、今後の政治の話である。
 秀吉は国内統治の為に若手が政権を担うように人事を動かしていた。それは自分たちが外海へ出る為であった。秀吉は家康に共に唐へ行くことを誘う。反論は難しく、家康は共に行くとしか言えなかった。
 そして、さらに重要な事を伝える。大陸で命が尽きる事を考え、関白を退く事。そして、秀次を次の関白にして天下の政を担わせる、と。そして、家康にも天下宰相を退き、唐入りに専念するように言う。無論、成功すればより高い地位を用意する、と確約する。

 家康は自信に言い聞かせる。むしろ良かった、と。天下宰相など、身に余る地位だと。粛清の危難を免れた、と。
 唐より必ず生きて帰る。何年、何十年と秀次に平伏し続ける。怒りを腹に溜め込むのだ。いつの日か、事を成す刻に躊躇わぬ為に。
 そう涙を流しながら、腹の中に飲み込むのだった。

 
 家康の心境は本能寺の変直後と似てますね。あの時も寧ろ喜ぶべし、と飲み込んだからね。まぁ、今回は前回の比ではなさそうですけどね。
 鶴松の死により、歯車は勢いよく回り始めましたね。ただ、暴走してるようにも思えますけど…どうなのか。これもまた、何かにせっつかれている、でしょうか。
 新たな政権構想ですけど、不安なところもあります。実際、この後また変更されてるし。
 この後、朝鮮出兵と共に、政権闘争を行うのかな。そうすると、関ケ原まで行けそうな…行って欲しいな。家康も報われますし。
 はてさて、豊臣政権の行く末はどうなるのか。来週も楽しみですね。

2020年10月26日月曜日

瘤を取ったその先に

  溜まっていた、センゴク権兵衛の感想。四話分です。

 第188話
 小一郎の死去により次期宰相を決めなければならなかった。
 候補は浅野長政と秀次であった。が、浅野は官位が不足しているし、秀次は実力が不明。秀吉は悩んでいた。
 そんな中、清州で秀吉は政宗と対面する。奥州での一揆扇動の弁明であった。秀吉はその弁明を受け入れた。一方、政宗は浅野が尽力した、と言い。更に褒め称えたのだ。
 政宗は浅野が宰相になった方が付け入る隙が出来ると思っていたのだ。

 秀吉の下に奥州の鎮圧軍の中に派閥が形成されている、との報告が入った。
 奉行衆と大名衆、そして中立の秀次である。そして、奉行の浅野が政宗の取次を通じて家康と昵懇の仲になりつつあったのだ。
 秀吉は家康の剣呑さを感じながら、一つの政権構想が生まれた。奉行、秀次、同じ大名衆の前田利家、この三つの目付に抑えにして家康を宰相にする案が。
 剣呑であるが、奉行の権力強化すればいい。そして何より、日ノ本で自分に次ぐ優れた大名が宰相になる事に秀吉は心躍ったのである。
 そして政権内の瘤も取る事が出来ると。

 第189話
 政宗が京へ上洛した。家康、浅野、利家、秀次らの執り成しにより赦されたのだが、その上洛の格好は奇抜であった。死装束に金箔の磔柱を立てて練り歩いたのだ。それは一種の奥州の平定を天下に示す行列でもあった。
 一方、三成は赦免を不服に思っていた。三成ら奉行衆の考える中央集権にはそぐわないからである。三成の懸念はそれで終わらない。政宗の取次の家康の声望が高まっている。彼もまた戦国大名、豊臣の権力集中を良しとは思っていない、と。
 とまれ、秀吉に直言はできない。秀吉の真心に水を差せないからだ。
 そんな中、秀吉に奉行衆が呼ばれる。秀吉は奉行衆の言いたい事はわかると言い、家康の宰相は奉行が権力を持つまでの一時の措置と言う。
 そして、積まれた茶会記を前にして言う。この中に利休の不正が散見する、と。
 これをもって利休を切腹に追い込み、奉行の怖さを諸大名に知らしめるよう命じるのであった。

 第190話
 奉行衆は切腹の理由作りに悩んでいた。そんな中で三成は腑に落ちなかった。が、これも政権を安定させる為に必要な事、そう飲み込むしかなかった。
 利休の罪は大徳寺山門に像を掲げ、天下人を見下ろした。そんな無理筋の罪が決まった。
 利休は特に動じず。罪を受けいれる。そして、決定を告げにきた富田と柘植に天下一とは何かを語った。それは天下一の創作の本当の良さがわかる者が天下に二人といないと言う孤独であった。それは天下人である秀吉も同じである。だからこそ知己になろうとしたが、利休は秀吉の事を好きにはなれなかった。
 舟で行く利休。見送るのは二人、古田織部ともう一人は細川忠興か。
 利休は彼らは茶杓一さじ分は自分の創作がわかる者と評し、友と思う。
 そして、三月程前に天下人に相応しき友がいる事を思い出す。そう権兵衛である。
 その友を大切にする事だ。出なければ古今東西ロクな死に方はしないのだ。

 ここに茶聖千利休は切腹して果てたのだった。

 第191話
 利休の死によって、様々な噂が乱れ飛ぶ。無論、奉行衆に対する根拠のない風説も。
 だが、三成はそれでいい、と言う。そうして奉行衆を畏怖すればこそ、聚楽が民の憩いの地になるのだ、と。
 その利休の助命にお寧や大政所も動いていた。しかもそれが偶然同日になったのだ。その為か、秀吉の音沙汰がなかった。
 秀吉は家康と二人で会っていた。家康は切腹は致し方ないと言い。秀吉は自分の気持ちがわかるのは家康だけと言う。その上で家康の辛苦は自分以上と言った。
 棚には利休への手向けとして楽焼が飾られていた。
 気落ちしている風にも見える秀吉。だが、鶴松の話題になると一転して好々爺になる。
 童胴を持ち出し、あと五年は生きなければと言う。それに家康は元服まで十年以上ある、と答えた。
 いつまでたっても死ねんと言い、童胴を見つめる秀吉。その胸の内はいかばかりか。

 浅間山が噴火したせいで、権兵衛の小諸は不作であった。
 その暗い家中を明るくする為、葛の再婚が決まった。涙をながし、見送る権兵衛達であった。
 が、四か月で出戻ってしまったのだ。
 
 天正十九年は豊臣政権にとって試練の年であった。
 豊臣秀長の死去、千利休の切腹。奥州の一揆は七月まで続いた。
 そして最大の苦難、鶴松の夭折が訪れるのである。

 
 権兵衛の所がいい箸休めですね。統治の失敗もこの頃でしたっけ。
 秀吉のパートは重いですね。家康を据える政権構想。そこからの奉行強化の為の利休の切腹。利休の権兵衛評は古渓和尚と同じですね。確かに、権兵衛と秀吉の会話は友達の気やすい会話でしたからね。そう思えば他人に有能を求める秀吉にとっては唯一無二の存在ですね。
 後、三成はイロイロ腹に抱えていますね。ある意味、秀吉に仕えた事が不幸なのかな、とも思ったり。だからと言って主替えなんて出来ないだろうし。
 なんとなく、史実でも、三成と家康って性格や考え方が似てたのでは、と思ったりします。秀吉より先に家康に出会っていたら幸せだったのでは、と考えてしまいます。
 まぁ、三成好きな人から大反論されそうですけどね。

 そんなこんなで、いよいよ最大の悲劇が訪れます。一体豊臣政権はどうなるのか。次回も楽しみです。

2020年9月22日火曜日

最初の兆し

  センゴク権兵衛の感想。
 サボった所為で、四話ぐらい溜まったので簡単にまとめます。

 第184話
 病を得た小一郎の元に秀吉が見舞に現れる。秀吉は政治の相談をするが小一郎は何も語らない。すでに、小一郎は寿命を悟り、折り紙で鴨を折り縁者に送ろうとしていた。
 小一郎は言う。長生きするように、と。
 秀吉は小一郎の事より、今後の政権運営を危惧する。そんな秀吉の目に幼い兄弟が映る。
 そこで思う。自分一人で天下を獲ったんじゃない、と。そして、小一郎を案ずる余裕がない自分は何動かされているのかと。

 第185話
 奥州で一揆が続いていた。そんな中、奉行衆が京に呼び戻された。来春の唐入りが決定されたからである。
 明に攻め入るには朝鮮を経由しなければならない。しかし、対朝鮮外交は小西と対馬の宗に任されており、奉行衆はその内容を把握していない。そのような状態で政権運営をしなければならなかった。
 そして、朝鮮使節が訪れる。秀吉の全国統一を祝って。
 秀吉や奉行衆は服属の使節だと思っていた。それは小西と宗の飛び石外交の結果であり、秀吉からの過度の要求を緩和させた為であった。
 結果、両国は齟齬を抱えたまま、交渉は膠着状態に陥ってしまった。

 第186話
 小諸の在地衆は決断を迫られていた。小諸に残るか、依田の転封地に行くか、である。
 また、誰かが抜け駆けをして新領主に取り入ろうとするのでは、と疑心暗鬼になっていた。
 そんな中、権兵衛が小諸に入封した。その祝いに村長らが召し出された。
 緊張の中、面会が行われる。権兵衛は言う。平伏はしなくていい、自分の顔を覚えるように、と。そして、扇子を一人一人、手ずから渡すのであった。
 小諸の統治は始まったばかり、問題も多い。だが、権兵衛は言う、まずは小諸を好きになる事だと。そうして、小諸祇園の宮の参拝を重ねるのであった。
 一方、大和では大きな出来事が起こっていた。
 小一郎は遺言を書いていた。そして考える。秀次に宰相は重責すぎる。そして家康の指南を受ける内に……小一郎は最も剣呑なのは彼なのでは、そう考えるのであった。

 第187話
 遂に小一郎の最期の時が迫る。彼は娘のおみやと婿養子の秀保を呼ぶ。だが、兄に伝えようとした重要な事が思い出せなかった。変わり思い出話をする。人見知りで兄しか話す相手がいなかった。だが、兄は有益な話が好きだ。だから有益な話をした。そうして気が付けば日ノ本を背負う宰相になっていた。話をするだけでよかったのに。そして最期に二人に言う、出世は無用、夫婦息災に、と。
 天正十九年一月二十二日天下宰相権大納言豊臣秀長薨去。
 豊臣政権は豊臣家は上へ下への大騒ぎとなった。
 茶々も大和へと行こうとした。だがそんな中、秀吉が鶴松に会いに来たのだ。鶴松をあやしながら、小一郎は大志を捨てたと言う。茶々は怖気ずに言う、弟の下に参らないのかと。
 秀吉は激昂する。そして、茶々と二人になると、小一郎を弟としてではなく、政権の柱石を担う宰相として話をし始める。
 そんな秀吉を茶々は殴る、涙を流して殴った。
 秀吉は気付いていた。自分はできる者にしか情が湧かないと。だから知らんうちに弟をできる者に仕立て上げて、身も心もボロボロにしてしまった、と。
 茶々は秀吉を抱きしめていた。秀吉は礼を言い、少し楽になったと伝えた。
 訃報は権兵衛の下にも届いた。そして鴨の折り紙も。それを見て、権兵衛は安心する。晩年は政の事を忘れる時間もあった、と。


 と言う事で、不安が続く展開でした。小一郎の事、秀吉の事、そしてこの先、暗雲が立ち始めましたね。秀吉も情と理がだいぶ不安定な感じがします。むしろ極端と言うか、怖いですね。更に小一郎の家康に対する不安。本当に、秀吉の力で政権がもっている、って感じがします。ある意味、秀吉が才能が有りすぎるがゆえに、継承が出来ない、そんな気がします。
 さらに外交でも朝鮮と齟齬が出来てしまいました。ただ、秀吉としてはまだ想定の範囲内かもしれませんが。最終目標が貿易であるなら。
 苦難の豊臣政権でありますが、これで終わりではありません。この先、更に苦難の連続で、その果ては……どこまで描かれるか、楽しみですね。

2020年8月14日金曜日

秀吉の金、利休の侘び数奇

  センゴク権兵衛、182話と183話の感想。

 八代将軍足利義政の政治からの逃避が生んだ侘びを美徳とする東山文化。
 それから百年が経ち、日陰の慰めは白日に晒され、隆盛時代となった。
 その寵児こそ千宗易である。小一郎と共に豊臣政権で重きをなす彼は当然武人ではない。その彼が筆頭格である。百年の乱世が終わった今、義政の怨嗟の所業か、武の必要性は薄まり、文化が時代を飲み込もうとしていた。

 古田織部は苛立っていた。にわかな文化人が多数出てくることに。宗易の真似をし、我慢と侮蔑と他者への馬乗りの道具と堕したと言い、侘び数奇は終わったと言う。
 そんな彼に茶杓が届けられる。見て欲しいとの事だった。織部は文句を言いながらも茶杓を見る。その見事さに見入り、宗易に取り次ぐ事にした。
 宗易の屋敷には多くの人が集っていた。そこに織部からの紹介で茶筅がもたらされた。なんと、この茶筅島津の一族の物であった。
 茶筅は宗易も評価し、江山の名が与えられた。島津は感激し、家宝とすると言う。
 このように、東は伊達、西は島津まで宗易を師と仰いでいたのだ。

 天正十八年九月朔日。
 秀吉が京に凱旋した。泰平の世を実現した秀吉に民衆は大歓迎する。
 京の町ではすでに竹の花入れが売られていた。その隣には黒い楽焼。すべて宗易から発した流行りである。それは宗易がお墨付きを与えれば大判でも買えないものに化けるのであった。
 秀吉のお付きの者は奇縁と言う。合戦に厭いて始まった侘びの東山殿が合戦の終焉とともに文化に於いて黄金の北山殿を凌駕戦せんとしている、と。
 秀吉はそれを笑って聞いているのだった。

 城に帰った秀吉。その下に歩けるようになった鶴松が現れる。鶴松を抱き上げ、言う。
 盂蘭盆会に鶴松から頂いた黄金五十枚をみんな家来に配った、と。当然、幼い鶴松が主体的にやった訳ではないだろう。そう言う名目で配り、鶴松に忠誠を誓わせるのだ。
 同じことを都鄙貴賤、関係なく行う。多くの黄金を集め、配る。それが何の心配もなく豊臣家をまとめる方策であった。
 そんな中で気になるのは宗易。秀吉は彼の事を剣呑に思っていた。

 秀吉は織部と細川忠興を呼んだ。
 彼らに関東で入手した宗二の秘伝書、及び宗易門下のあらゆる茶会記の写し、出席者名簿の提出を求めたのだ。
 織部と忠興の二人は秀吉が茶の湯への興味が一段と増した、そう理解していた。

 秀吉は指圧を受けながら、おねと政務を執っていた。おねは小一郎への見舞を訊ねる。これに対して疲れた顔を見せたら見舞にならないので、有馬で休んだ後と返答する。
 秀吉は奉行衆と評定したき儀があった。しかし奉行衆は奥州検地があり、出来なかった。
 おねと酒を呑み細い月を見る秀吉。口からは剣呑の言葉が何度もでる。おねは泰平の世に相応しくないと窘める。
 それでも秀吉は剣呑の言葉を口にする。

 豊臣政権を揺るがす波はこの翌年に訪れるのであった。

 仙石家では小諸への移封の準備の真っ最中であった。にも拘わらず、権兵衛はなぜか風呂の湯加減を見ていた。
 おもてなしの予行、と言う事で招き風呂の練習をしていたのだ。これには孫あらため彦三も呆れてしまう。しかも、権兵衛は風呂の才能のみを買われて大名に復帰したと言う始末である。
 彦三曰く、毛利輝元の元に秀吉の御成があったとの事。この事より秀吉の今後の政策は御成行脚で諸大名や天下万民に豊臣の権勢を知らしめる、そう彦三は分析していた。
 その為のおもてなしであった。ちなみに権兵衛は風呂で能をすることを考えていた。しかも何故か家老の森が素っ裸で舞う始末である。
 彦三は言う。粗相があれば合戦で大敗するが如きの恥である、と。
 次に失敗して再びの復帰はありえない。だからこそ権兵衛に言う。勇壮より風雅の世、武功より礼儀、と。十一月の宗易の茶宴もあるから、しっかりと学んで来るよう釘を刺した。

 当時の秀吉の方針は秩序安定策と見られていた。
 それはフロイスの日本史にも書かれていた。到達した栄華から失墜する恐れのあるような遠大な企図は考えていない、と。
 その日、快気祝いと称し、秀吉は鶴松と茶々と共に寝る。秀吉は寝てる鶴松に語る。物騒な世は終わり。鶴松の治世は真心を以って優しき国にするように、と。

 宗易が茶会の準備をしていた。宗易は故事に倣い、肩衝の上に茶杓を乗せたり、袋の緒を短く結んだりした。そして黒茶碗を下げた。彼の準備を見ていた神谷と球首座は疑問に思い訊ねる。答えて曰く、秀吉が嫌いだから、と。神谷はさらに質問する。では何故台子に置いたのかと。
 宗易は言う。自分が至高と思う物を置いた。しかしやはり、秀吉の仰せの通り良き物に非ずと示す為、と。
 神谷達はなんたるおもてなし、心遣いと感嘆する。しかし、宗易の心の内はどうであっただろうか。

 聚楽第にて朝会があった。亭主は秀吉、お点前は宗易。客は黒田官兵衛と針屋宗和と津田宗凡であった。何気ない茶会、そのはずであった。この時は誰も安寧に亀裂を生ずるなど思っていなかった。
 茶入飾りの隙間に野菊が一本飾られていた。それは秀吉のささやかなおもてなし、であった。針屋や津田は誉める。が、宗易にとっては我慢のならぬものであった。
 応仁の乱以降、政道からの逃避として珠光紹鴎により磨かれし侘び数奇。百年の研鑽による美の型。それが百年も下らぬ国盗りをしてきた蛮族の長の児戯と同列にされる。その事に我慢がならなかった。
 故に、宗易はその野菊を抜き、捨てるのであった。
 それは宗易の意思とは関係なかった。無意識に下衆なものを自ずと遠ざけてしまった。
 茶会が終わり、秀吉は素直に謝った。児戯だったと。そして更なるご教授を願うのであった。
 宣教師が日本人の特性について書き残している。
 感情を表すことに甚だ慎み深く、胸中に抱く感情を抑制している。互いに残忍な敵であっても明るい表情を以て礼儀を欠くことはない。それは極端であり、彼を殺害しようと決意するとその仇にたいしてより親睦さを示し、相手がもっとも油断した時に鋭利で思い刀に手をかけ斬りつけるのである。
 秀吉と宗易の運命は今、決まったのだ。


 権兵衛パートは相変わらず呑気ですね。孫改め彦三はこのまま仙石家に居つくのかな。家老までボケ担当になってるから、今後心配ですね。まぁ、やらかすんですけどね。

 で、利休と秀吉。波濤偏の最初はこの二人の話かな。後は、小一郎の事、鶴松の事、そして朝鮮出兵って感じかな。ホントどこで終わるかわからないや。
 経済を牛耳りたい秀吉にとって、利休の影響力は無視できない、って感じですね。茶道具の価値を利休が決めるとなると、黄金を握る秀吉でも太刀打ちできなくなるし。その先には高転びが待っているし。だから邪魔になったのかな。
 そして利休は秀吉を美の世界に邪魔、と思ってますね。て、言うか見下してもいるのかな。利休にとっては政治の世界が入ってきて欲しくないっぽいですね。そう考えるとこの時の隆盛をどう思っているのか…って感じます。
 美を中心に置いた秀吉と利休の対立はあまり見なかったので期待です。話がどう展開し、利休の切腹に繋がるのか、楽しみです。

2020年7月26日日曜日

大洋を睥睨する策

 今週と先週のセンゴク権兵衛の感想。

 駿府にて、小西と毛利吉成の二人と秀吉は密議を開始する。
 他言無用の三人のみで秘する事。もし一人とて漏れたら…死は免れない。
 しかし、秀吉は案じるな、と言う。何故なら秀吉は二人を最も信頼しているからである。
 吉成は古参の内で最も実直である。無茶をさせ黄母衣衆から不平不満が続出した時も一言も文句を言わなかった。そう秀吉は話す。
 吉成は疑問に思う。どうやってその事を知ったのかと。
 秀吉は答える。長年、間諜を放っている、と。黄母衣衆、馬廻りのみならず、奉行、御伽、寺社、公家、女衆、宣教師、秀吉は各所に間諜を忍ばせていたのだ。
 さて、一方の小西。これまた、秀吉は小西が不平を漏らす事を知っている。
 だが、信用している。何故なら、小西が最も銭の理屈を知っているからだ。
 銭は正直である。好きも嫌いも是非もない。ただ得する道を選ぶ。そう秀吉は語る。

 そして本題に入る。
 それは唐入りを早める事であった。
 外海船の進歩を待とうと考えたが、間者から奉行衆は気進まないらしいと聞いている。実際、理屈をこねて先送りしようとしていた。秀吉は未知の国に行く事が不安なのだろうと考える。そして思う、自分が乱れた日ノ本をまとめた、様に見えるのだろうと。
 小西と吉成は困惑する。そうではないのか、と。
 秀吉はハッキリと否定する。信長の様に初めから土地と銭と家臣を持っている大名が国をまとめるとは訳が違う、と。
 何もない根無し草な秀吉。例えるなら、突如天から落ちたった一人で倭国に立った。無一文から伝手を作り武士となり、兵を増やし、遂にはすべてを平らげた。秀吉にとっては全国統一と言うよりは倭国征服であった。
 だから未知の国を平らげる事は倭国でも唐でも秀吉にとっては同じ心持ちであった。
 その上で、唐入りの難しさも秀吉は重々承知していた。なので秀吉の最終目標は貿易であった。唐に入り、暴れ回り、大明王朝を畏怖させて通商の約束を取り付ける事であった。
 小西は訊ねる、通商にこぎつければ自分の役目は終わり、かと。
 秀吉は、無論、と答える。
 小西は更に訊ねる。何故、急ぐのか、と。
 暫くは日ノ本のみで銭を回せる、そう小西は考えていた。十年前、小西は信長政権が高転びすると予見していた。それは銭不足が起きるからである。それを秀吉は米を貨幣となす事で回避し、さらに大豊作による米価の暴落を金配りにて統制する。
 この二つの策で諸国の食い詰め牢人も国内の銭回りで抱え込める、小西はそう見立てていた。
 しかし、秀吉は反論する。暫くは現状のままで、それこそが数多の大国の敗因だと。
 事を成すには何事も人より先を考えなければならない。世の者達は合戦が強い者が偉いと思っている。それは秩序よりも優先される。この考えが変わらないと若手奉行衆が諸大名を統制する事など能わない。
 だから銭が必要である。武断者を文治者が統制するには貿易で銭を稼ぐ他ないのだ。
 豊臣一族や側近衆が他の大名より領土が小さくても銭回りで優位に立つ事が必須。そうして畿内に経済圏を築いた。
 しかし、治部が忍城攻めを失敗し、徳川に対して小牧長久手で攻めきれなかった。その為、徳川に大領を与えなければならなかったし、畿内の経済圏の外である関東に追いやるしかなかったのだ。
 故に、貿易を急いているのだった。
 日ノ本から唐天竺にまたがる長大な通商圏奪取策。秀吉は遂にその全貌を明らかにする

 初めに、秀吉は外交の極意を教える。
 まず、小西に一番大切な物を見せるように言う。小西が渡したのはロザリオ。それを手にした秀吉はいきなり火にくべていいかと聞き、当然小西は拒否する。次に初花との交換を提案する。これには心を動かされるも、やはり拒否する。と、ここまで秀吉はさらに大切な物を隠していると看過し、それを出すように小西に催促する。小西が出したのはイコン、聖母マリヤとキリストの絵である。秀吉は言う、ロザリオとイコンどちらかを焼けと言ったらどうするか、と。小西は絞り出すようにロザリオと答える。
 秀吉は言う。これこそ外交、だと。
 ロザリオを小西に返し、説明する。
 二つの手段を組み合わせる必要がある、と言う。一つは、小さな要求から飲ませて、徐々に大きい要求を飲ませる手段。もう一つは敢えて飲めない要求を突き付けて、譲歩と言う形で何とか飲める要求を合意させる手段である。
 前者は徳川、後者は北条に使った手段である。
 そこで秀吉が描いた唐入りはと言うと。先ずは、唐に入り暴れ回り飲めない要求を突きつける。そして明が拒否したところに譲歩案。真の目的の寧波の開港と貿易の約定を取り付けるのだ。
 そこで重要なのはいかに豊臣家が強大か示威する事。そしてさらにその先の通商圏奪取の策を披露する。
 唐、天竺、安南、呂宋、高山の五カ国同時脅嚇である。それは脅威の伝播を狙ったものであった。五カ国同時に脅威の種を撒き、それぞれが他国が怯える様子を伝え聞き、更に恐れが増していく。それは唐入りの戦況と共に更に膨れ上がる。
 一国でも恐怖に屈したら脅威の仮象は実体となり、一斉に豊臣の要求を飲む事になる。
 日ノ本から寧波を軸に遠く天竺、その先南蛮まで。秀吉の脳裏には世の果てまで結ぶ一大航路が出来ているのだ。
 さて、何故この話が三人だけの秘密なのか。それは敵を畏怖するほどの合戦は味方が決死でなければいけないからである。もし外交譲歩を促すための威嚇と知られてしまえば生ぬるい合戦になってしまう。
 秀吉は改めて二人に言う。他言無用だと。そして両名に片方に怠慢があれば密告するよう互いの監視体制を敷く。
 そして秀吉は事が成就すれば、初花、新田、楢柴の全てを渡すと約した。何故なら世の最果てまでの宝が秀吉の物になるからである。

 富士を見て秀吉は言う。天下万民に聚楽の夢をば見せ給うぞ、と。

 一方権兵衛は、竹で花入れを作っていた。小諸に行かなければ実入りが分からないからである。権兵衛は初年は二万石ぐらいと考えていたのだ。しかし、家臣達は花入れぐらい買おうと言う。そんな中、通りかかった藤は言う。今、都では竹の花入れが珍重されている、と。その情報は戦の情報よりも早く伝わっていたのだ。
 だが、仙石家の者たちはそれよりも合戦の話だった。

 合戦の世は終わり、文化の時代が花開こうとしていた。高尚な武士の無常観を体現するものとして嗜まれた詫び寂びが人口に膾炙するようになってくる。
 今や、利休の新物というだけで高値で取引される対象となっていた。
 価値転換の時が来たのである。

 
 広大な秀吉の通商策でしたね。アジアの海を回遊する海のシルクロード、って感じです。
 毛利吉成って誰?って思ったら勝永のお父さんなんですね。元は森さんで毛利家の許可を貰って、九州陣の後ぐらいに毛利に改名したんだっけ。ここで出るなんて以外ですね。
 そして小西さん。この辺が朝鮮出兵の伏線になるのかな。しかし上手くいったかは……貿易に関して何もなかったから二回目の出兵に繋がったのかな。この辺りは日本国王がどうたら、で秀吉がキレた、みたいな事しか知らないんだよね。センゴクはそこまで行くのかな?関ケ原も見たいけど。

 外交の手段は、色んな交渉事での極意でもあるんですよね。基本中の基本かも。だからどこに着地点を見出すか、ですね。まぁ、一歩たりとも譲らない、って事も多いからこじれるんですよね。

 はてさて、先の先を見ている秀吉。政権の安定化も考えていますが、現実は死後に家康に奪われます。この最終章でその原因も語られるのでしょうか。楽しみです。

2020年7月5日日曜日

新たな時代新たな戦い

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉との謁見を終え、帰る権兵衛とサジ。サジはどうだったか、と訊ねる。
 権兵衛は一応は納得していた。尾藤を斬るつもりはなかった、その言葉が聞けたからだ。
 サジはでは何故斬ったのか聞くが、権兵衛はそこまでガサツではないから聞けない、と答えるのであった。
 権兵衛は言う。秀吉は何かに怯えている、そう見えた、と。それは失態する前の自分に似ていた。そうして全てを失った。でもその苦しみにもなれ、怖いモノもなくなる。
 秀吉は失敗した事が無いから失う事を恐れている。そう権兵衛は感じたのだ。
 サジは一理あると言う。そして上から目線でイラっとする、と突っ込む。
 秀吉も昔は失敗しても、一からやり直して今以上に出世する、そんな事言っていた。でもそうでは無くなった。それは齢の所為かもしれなかった。
 権兵衛は思う。端っこの端っこからでも秀吉を見守るのが恩返しなのかも、と。

 小諸は権兵衛の領地となる。
 家康が関わったのは人脈を広げる為だけではなかった。それは北条家の二の舞を避ける為であった。そう、正信に語る。
 家康は北条征伐の原因の一つに真田の横行があった、と見ていた。その為、権兵衛の小諸を緩衝地帯にしたかったのだ。更に、嫌疑を蒙った時には権兵衛を頼みに上方への往来が容易くするためでもあった。
 正信は問う。それほど権兵衛は信頼を置けるのか、と。
 家康は答える。恩は売った。それを平気で反故にする武人ならば秀吉も赦免などしない、と。
 家康は続ける。愚者が生き残る術は多くを知る事ではない。唯一の大切なことを見極めそれを守ること。彼奴はそれを体得しておると信じる。
 そして、彼奴なら自分たちに微塵も野心の無き事を信じてくれよう、と。

 権兵衛は帰還した。そして大名復帰を報告するのだが、なかなか言いあぐねていた。
 家臣達は言う。覚悟していると。そして万が一の時は反乱軍を起こす、と。
 さすがにこれには権兵衛も物騒だと言い。遂に伝える。
 小諸で大名に復帰する、と。

 藤たち奥の者は接ぎ木をしていた。これで食い扶持を稼ごうとしていたのだ。
 繊細な作業が続く中、広間から大声が響くのだ。
 皆を叱りに行く藤。そこで見たものは喜び叫ぶ皆であった。
 藤は思う、また多忙の日々が始まると。

 権兵衛は古渓にお礼の品を送る。弟子は古渓の慧眼を誉めるが古渓は方便だと言う。
 門弟にしたくないから後押ししただけだと。

 関東の知行割りが終わった。
 その一か月前、肥前国でイエズス会全体協議会が開かれていた。議題は日本での内戦であった。イエズス会を敵と認識する者が勝利すれば、我々に破滅がもたらされる可能性があるのだ。
 パシオは我々を味方とする領域を要塞と化し、身の安全を確保する事を提案する。
 これに対しオルガンティノの反論する。宣教師追放令から三年、現段階で加虐はされてない。さらに貿易は認められている。実質、追放令は空洞化している、と言う。
 そして最優先課題はフランシスコ会の進出である。
 教皇が変わり、フランシスコ会出身の新教皇はスペイン国王の要請により、フランシスコ会の日本進出を認めた。これにより前教皇により担保されていたイエズス会の日本布教独占が崩れたのだ。
 場はざわめく。しかし主導のヴァリニャーノはフランシスコ会との話は長きに亘る論争になる。と言い止める。そして喫緊の脅威に対しての軍備は不回避、と結論付けた。
 イエズス会とフランシスコ会。その背後のポルトガル、スペイン。そしてその対立を利用しようとする秀吉の思惑が交差していく事になるのだった。

 奥州仕置も終えて、駿府に向かう秀吉。そこでとある評議が開かれる予定であった。
 その途上、早馬でお寧から手紙が届く。鶴松の病気が快方に向かっている報せだった。秀吉は言う。興福寺に懇ろに祈祷させたのが効いたのだろうと。秀吉は寺に、存亡をかけて治せ、と発破をかけていたのだ。
 秀吉は駿府の評議で豊臣政権を確実なものにしようと考えていた。鶴松が何ら案ずることなく生きていく国を創るために。

 そんな評議に召集された一人に小西行長がいた。彼は大名復帰祝いに権兵衛の元を訪れていたのだが、表情は暗かった。
 小西は聞く、秀吉のご機嫌の取り方を。だが、権兵衛は知らん、と言う。そして機嫌は機嫌次第だろう、とも言った。そしてるしへる殿下とか言って和ませれば、と。
 小西は取り乱す。そんな事、秀吉に言ってないだろうな、と。そして言う、その言葉を頭から捨てろ、と。
 小西の相談は続く。自分がキリシタン大名だと言う事。そして小西家が父の代から貿易を担っている事。その為、此度古今未曾有の重責を秀吉は任せようとしている、と。権兵衛にならその重みが伝わる、と。
 権兵衛がかって背負ったものより大きな重責。失敗は赦されない。
 そして、出世するほど息苦しくて仕方ない、そう吐露する。
 権兵衛は言う。取り返しがつかない失敗をしながら、図々しく生きている卑怯者がここにいるだろう、と。
 小西の気が晴れた。小西は権兵衛に礼を言う「ニヒル」の者よ、と。

 権兵衛は見事に大名復帰、そして秀吉の考える政権がどうなるか、って感じですね。
 前回、汗を掻いていた家康ですが、今回は平静ですね。描写は少なかったけど、真田が暗躍していたのかな。ともかく、万が一のセーフティーラインを手に入れた、ってとこですかね。
 古径和尚の言葉は謙遜なのかな。まぁ半分本気かも。権兵衛が僧には…なれないでしょうね。
 そしてイエズス会。海外事情も絡めつつ、唐入りに突入するのかな。勿論、そこまで連載が続くのか分かりませんからね。今回の最終章がどこまで描くのかさっぱり分からないからね。
 そして小西。すっかり権兵衛と仲良しですね。
 権兵衛の言葉に救われた小西。彼が担う重責とは何なんでしょうか。
 そして、秀吉の考える政権の形とは。次回も楽しみですね。

2020年6月21日日曜日

仲裁と新たな借り

 センゴク権兵衛、先週と今週の感想。

 秀吉の元に来た権兵衛。しかし、要件が小諸より讃岐が欲しい。だった為、皆は取次をしたくなく、たらい回しにする。

 秀吉は浅野長政と話していた。無事に信雄を追いやり、次に東国で台頭するのは家康と見ていた。その目付に関東公方を使おうと考えていた。
 浅野は家康が信用能わぬのか、と尋ねる。しかし、秀吉はそうではない、と言う。あくまで自分が死んだ後の心配だ、と。
 秀次は家康の指導を受けている。目付役は難しい。頼りにするのは三成ら奉行衆の若手である。
 鶴松を頭に、家康と秀次の二頭体制。そこに鶴松直轄の奉行衆が取次や目付をする。それが秀吉が考える、死後の政権体制であった。
 しかし、此度の合戦で、若手奉行衆の合戦下手が露呈したのだ。
 忍城攻めで多大な損害を出してしまった三成。その為、総大将が浅野に代わっていたのだ。
 水攻めは秀吉の指示。三成の越度ではない、とは言え大名の取り纏めがし辛くなったは確かである。
 秀吉は取次の任をこなす中で成長を期待するのであった。

 そんな中に権兵衛が小諸より讃岐が欲しいとの報告が入った。
 秀吉はあきれ、切腹を申し付けて来い、と言う。そうすれば泣いて詫びに来るだろうと思って。

 が、権兵衛は無理に会いに来ようとする。
 秀吉は、権兵衛が何に怒っているのか、それを聞くために呼ぶことを決めた。

 既に浅野は去っている。部屋には秀吉と権兵衛だけの二人になった。

 権兵衛は改めて、讃岐を所望した。しかし、秀吉は何が不満か聞くのだった。
 権兵衛は言う。秀吉が皆に恐れられている事。そして、それが進むと、べしゃりとおべっかで出世するんでよ、と言う輩ばかりになってしまうと、かつての秀吉の真似をして物申した。
 そして再び、讃岐を所望する。
 微妙にずれている事もあり、秀吉は頭を抱える。せっかく考えた政権構想がポロポロ崩れ落ちそうだ、と嘆く。
 権兵衛は言う。人の頭で組んだものは脆い、と。時には人智を越えた敵に出会う、と。
 秀吉は言う。合戦で負けた事を人智を越えた敵の所為にするな、と。
 そして続ける。信長に比べれば、自分はどんなに優しいか、と。
 そうして始まったのは信長への愚痴と、過去の思い出話だった。
 他の客人が来ているのに、長々と続けるのであった。これには権兵衛も少々あきれ気味であった。
 終わったのは足利の使者が来たことを聞いた時だった。
 これ以上、権兵衛に対応している暇はない、と言い、頭を冷やせと命じる。でなければ切腹だとも。
 そして言う。此度、権兵衛を小諸城主にしたのは、さる者からの提案であった、と。
 そのさる者、とは家康であった。

 会見を終え、サジと風呂に入る権兵衛。結局、尾藤の件は言えなかった。サジはそれを聞き、物申すと言ったのだから言わないと、と圧をかける。サジはその言葉に感じ入ったからである。
 権兵衛は覚悟を決め、次は物申す、と誓う。

 そして二度目の会見。他の諸将は関わりになりたくなく、皆権兵衛の見えない所へと去る。そんな中、会見に同席するものがいた。そう権兵衛を推薦した家康であった。
 仲裁に来た家康。そんな家康に対して権兵衛は仲裁をしない方がいいと言う。秀吉が怒れば家康にとばっちりが行くかもしれぬからだ。
 家康は思い出す、権兵衛が物申す猪武者だと。人脈を拡大の為の仲裁であった。そして思い至る、こやつこそ最も下手に関わってはいけない者だと。
 さらに確認をとる権兵衛。家康は粗相があれば斬ればよい、と考え仲裁する事にした。
 秀吉は権兵衛に問う、その不満は自分に対するものか、と。
 権兵衛は答える。不満は尾藤の処断である、と。同志が気分次第で斬られた。それを聞いたら大名など割りに合わない。そして、割に合わない大名をやるなら、戦死した讃岐国衆に報いる為に讃岐の大名になりたい、と。
 家康は秀吉の考えに沿って権兵衛を処罰しようと考える。しかし、秀吉は家康の意見を訊ねるのだった。
 家康は驚いた。下手をすれば自分の首が飛ぶ。汗を掻き、秀吉の様子を窺いつつでた言葉は遺憾の意、であった。
 秀吉は同感、と言う。権兵衛にはキチンとは伝わらなかった。
 秀吉は言う、権兵衛なんぞの為に家康が心労している、と。
 秀吉は日ノ本の惣無事を第一義にしていると家康は言う。そして、不条理に見えても大いなる思慮遠望の下でなされていると続ける。
 家康は権兵衛に近づき、小諸で納得するよう頼む。その手は肩を、顔は笑顔だった。
 だが、内心は怒っていた。自らの首を賭ける羽目になった事を。そして借りは必ず返すよう、思っていた。
 権兵衛はその言葉の外にある圧力を感じ、小諸で了承するしかなかった。

 家康が退室し、権兵衛もまた退室しようとする。そこに秀吉は声を掛ける。尾藤の件はやりすぎた、と。殺すつもりはなかた、それだけは言っとく。そう権兵衛に言うのだった。

 
 なんと言うか、やはり、権兵衛と話している時の秀吉は憑き物が落ちている感じがしますね。まさに旧友って感じです。虎渓和尚が必要と言った事も頷けます。
 一方で家康。簡単に斬り捨てると言うとこに恐ろしさがありますね。とは言え、久しぶりに感情が露わになりましたね。小牧長久手後は泰然としてましたし。
 家康が言った借りは関ケ原に繋がるんでしょうか。今が最終章ですので返されないまま終わるかもしれませんね。

 と、言うわけでこれで無事に小諸拝領、になるのかな。これで権兵衛の物語は一つの区切り、ですかね。あとは豊臣政権下での政争ですかね。どういう展開になるか、楽しみです。

2020年6月7日日曜日

新たな戦いの時代

 センゴク権兵衛、175話の感想。

 尾藤の首桶を見て、サジは讃岐への復帰を諦め、帰るよう権兵衛に言う。
 しかし、権兵衛は一人で行く。そしてサジに迷惑をかけない為に一旦縁を切ると言った。
 権兵衛は秀吉に一言、言いたかったのだ。
 神子田も尾藤も半兵衛のお気に入りであった。秀吉が変な道を歩もうとしている。だから止めなくては成らない。それが秀吉に対する恩返しである。
 だから、首が飛んでも行くしかない、のだ。
 その覚悟を聞き、サジはお供する、と申し出るのであった。

 信雄に改易の指示がもたらされる。当然、信雄は反発する。信雄にとって三河遠江への移封の固辞は加増を遠慮した、謙りの意思であった。
 信雄は徳川と共に合戦も有り得る、そう脅す。しかし、使者の富田は合戦の世は終わった、と断言する。そして、手紙なら小姫への慰めの手紙が先、と言う。
 信雄からの人質である小姫、家康からの人質である長丸。二人は婚約していた。しかし秀吉はこれを破棄した。それは家康も了承済みであった。
 さらに言えば、家康の口添えで信雄の切腹が取り消され、改易に減刑された。そう富田は申した。
 信雄は言う。意味はわかっているのか、と。
 信長が如き所業を繰り返せば、豊臣は滅ぶ、と。

 家康は思う、寧ろ滅亡の芽を摘むために追いやられたのだ、と。
 既に、豊臣政権内での生存闘争が始まっているのだ。

 七月下旬、権兵衛は豊臣家が陣を張る星の谷までやって来た。
 権兵衛はお伽衆の桑原や木下らに出迎えられる。小諸拝領のお礼と考えられたのだ。そして忠告される。物申さず、遠慮や謙りもしないように、と。
 怪訝な顔になる権兵衛に古田が言う。信雄が加増を拒否し改易になったと。
 権兵衛は言う。讃岐が欲しいと言ったら不味いか、と。当然、お伽衆は唖然とするのであった。

 
 と、言うわけで最終章の始まりですね。桃山波濤偏ですって。
 権力闘争が中心みたいですが、どこまで書くのかな?それこそ、秀吉の死亡まで書けるけど。鶴松の死去、秀頼の誕生、秀次の切腹までは書くかな?その辺で政権が固まるし。

 そして、信雄の移封拒否。まさか加増の辞退でもあったとは知らなかった。それだと、バカ殿ではなくなるね。まぁ、センゴクの信雄も無能風ではあるけど。
 なかなか、再評価されない信雄もそのうちされるのかな?

 あと、奉行衆だとおもっていたけどお伽衆だったの!?すっかり勘違いしてました。
 それと古田さん、名前が判明しましたね。予想通りでしたけど。へうげもののイメージ強いけど、センゴクの織部も癖が強いですね。

 さて、権兵衛は秀吉に対してどうするのか。次回も楽しみですね。

2020年5月24日日曜日

新たなる争いの始まり

 先週と今週のセンゴク権兵衛の感想。

 さて、美濃に戻った権兵衛たち。今後どうするか、評定をしていた。
 既に残すは奥州の仕置きのみ、合戦無き世の稼ぎをどうするのかが重要であった。
 相も変わらず、権兵衛は惚けた事を言ってばかり。だが、流れとしては作事で稼ぐ、と言う事であった。無用ノ介は海賊停止令から、豊臣政権が海外との貿易をしようと考えていると看破する。そして、船の作事こそが仙石家の生きる道と説く。かつては海賊大名と呼ばれ、九鬼氏などにも伝手があるのだから、と。
 周囲の者は感心するが、権兵衛は全く理解してない模様。だが、船を作る事には食いついた。船作りを宣言するのだった。
 が、そんな中、秀吉からの書状が届いた。なんでも、信州の小諸を与える、との事であった。

 信州小諸五万石。豊臣の奉行衆には寝耳に水であった。
 小諸は春頃の浅間山噴火で疲弊してた。その上、前城代の依田が在地の雄として慕われたいた。権兵衛の他に堀尾や中村に任せようとしたが、二人は難色を示した。
 だから秀吉は、面の皮の厚い権兵衛に決めたと言う。
 更に、理由はある。今後の惣無事の方針は人掃い。所在明らかにない者を村や郡の中に抱え込む事だ。果たして権兵衛が大人しく村の中に納まるか。秀吉は奉行衆に千人切りでもしかねん、と言ったのはお主らと問う。
 奉行の一人は討伐と言う道もあるのでは、と問う。秀吉は言う、権兵衛は兵五百は集めよう、それならば討伐軍は兵一万だ。そして奉行衆に訊ねる、一万で討伐能うものはいるか、と。奉行衆が答えに窮すると、兵力を上げ、三万ならどうだ、と再び訊ねる。奉行衆は、ぐうの音も出ないと言うしかなかった。
 兵数万でも権兵衛と戦うのは骨が折れる。ならば大名として抱えるのが安上がりだ、そう秀吉は結論づけた。当然、反対する者はいなかった。
 そんな中、秀吉に報告がもたらされる。それを聞くと秀吉は、粛清の世にならざるを得んか、と言う。
 織田信雄が三河遠江への国替えを拒んでいたのだ。

 武による闘争は幕を閉じ、政権内での権力闘争の時代が幕を開けようとしていた。


 秀吉は小田原城で奥州仕置きの準備を始めていた。
 そんな中で信雄の転封問題について周囲の評価が富田からもたらされた。
 密室で二人になり、報告を聞く。どうやら周りには信雄の乱心に見えているのだと言う。秀吉は問う、減封、改易、切腹、どこまでやれる、と。富田はなんとか改易に持っていくと、たどたどしく答えた。
 これを聞き、信雄の改易を決定。そして、織田家当主は秀信とした。

 秀吉は危惧していた。意外と信雄が有能だったのだ。特に取次として何度も実績を作っている。
 取次を通して大名との結束が強まれば、信雄を頭にした反発が起きかねない。
 秀吉はこのままでは鶴松に政権委譲できない、そう考えていた。

 権兵衛は小諸拝領の礼をサジに頼もうとした。しかし、出発直前に中止し自分で行くと言い出した。権兵衛は寺僧から小諸は一郡であり、大名復帰である事を知ったからである。
 そして、権兵衛はどうせ復帰であるなら、讃岐にしてほしい、そう願う為に自ら行くことにしたのだ。
 それは讃岐衆に報いたい、その心からであった。
 権兵衛は大勝して秀吉がご機嫌良く、願いを簡単に聞いてくれる。そう楽観していた。
 だが、それも道中ですれ違った首桶で吹っ飛んでしまった。

 首桶は味方のもの、粛清されたのである。名前は尾藤、であった。

 秀吉の籠の前に出てきたのは、僧体の尾藤だった。赦して欲しかったのだろう。
 秀吉は叱責する。赦免してほしければ、軍の先手に加わり陰の奉公すべし。落城後の斯様な仕方は言語道断で悪き次第、と。
 だが、秀吉は赦そうとした。したのだが、その前に尾藤は泣いて追い縋って来た。長きを共にした、同情心に訴えようとした。
 そして、斬ってしまったのだ。秀吉は内心半兵衛に許しを請うのであった。

 権兵衛は困惑するしかなかった。

 
 権兵衛の大名復帰は割とあっさり、ですね。ただ、この後秀吉に会うのか、讃岐の事を言うのか、次週が楽しみですね。
 あと、依田の名前がさらっと出てきましたね。依田さんはいろいろ活躍の多い人ですから、もっとスポットライトが当たって欲しいです。若くして亡くなったのがおしいですね。

 そして尾藤。いろいろと悲しいです。秀吉も許そうとはしてた見たいですけど…権兵衛と違って、自身を顧みる機会がなかったんでしょうか。

 それにしても、豊臣政権は脆弱ですね。これは結局最後までそうでしたね。もしかしたら、これが秀吉の限界なのかもしれません。才能があるからこそ、盤石な体制を作れなかった、みたいな。

 新章は、権力闘争がメインになるのでしょうか。一体どこまで描かれるのか、楽しみです。